社長だより vol.25

【小野のふるさと その1】

地図 菅江真澄遊覧記『小野のふるさと』の書き出しに、「出羽の国雄勝郡柳田村(湯沢市)で新年を迎えた。天明五年(1785)正月一日、初日のキラキラとさしのぼる光が雪の山に映えて美しくみわたされ・・家ごとに訪れて新年を祝い、挨拶をかわしていく人のことばも晴れやかである*1」と。菅江真澄が初めて経験するみちのくのお正月・七草粥・小正月などの習俗を日記に詳細に書いている。今も230年前とあまり変わらない感覚だ。

 嫁入り道中、盆踊り前年929日に象潟を出発し、酒田街道(現国道7号線)を北上。翌日何故か秋田に向わず本荘から国道108号線、子吉川沿いを前郷・矢島を経て伏見から八塩山周辺そして七曲峠(と思う)をたどりながら湯沢を目指していたが、大雪の柳田村で年を越す。途中、西馬音内へは10月ながら既に大雪となった七曲峠に難渋しやっとの思いでたどり着く。(地図*2)写真上は七曲峠の五合目から見た西馬音内。冬準備もない足元。雪をこぎながら目に飛び込んだ突然の集落の煙には随分ほっとしただろう。
 この七曲峠では、1月最終土曜日に新婚カップルが馬そりに揺られる嫁入り道中が開催されている。また、西馬音内と言えば“盆踊り”。たき火の周りを端縫い(はぬい)衣装・半月型の編み笠で顔を隠した女性、彦三頭巾(ひこさずきん)の男性が地口(秋田音頭に似た即興のかけ歌)に合わせ、日本三大盆踊りの一つと言われる妖艶な踊りを夜が更けるまで繰りひろげる。庄内や象潟で手布(たんの)であごから頭上にかけて結び、眼だけだして歩くのをみて驚いていた真澄。彦三頭巾をみて何と書いていただろう。未発見の資料がどこかの肝いりの家に埋もれていないだろうか。
(写真右上:嫁入り道中、羽後町パンフレット、中下:昭和40年代の盆踊り、端縫い衣装と彦三頭巾、共に11年盆踊り公式ガイドブックより)

 『小野のふるさと』での期待は、なんといっても“小野小町と院内銀山”だ。不安もあるが、遠い昔から地元でどんな伝承があったのか、目だけがどんどん先に進む。しかし、天明の大飢饉で食糧難もあったはず。小野・院内へは雪も深く、約3か月柳田村に逗留。その中で聞き覚えのある岩崎(湯沢市)の石川氏に投宿したことを二回書いている。110日と36日だ。もしかしたら私の存じ上げている石川さんなのだろうか。黒塀の雪がとけ始めるころ、真澄も目にしたまんさくの花を見ながらお邪魔してみよう。歴史のあるご自宅だから何か遺墨・痕跡が残されているかもしれない。新たな発見へ俄然夢が膨らむ。

09_37④*1・2・3 菅江真澄遊覧記1、「小野のふるさと」内田武志編訳 東洋文庫
   お正月:“・・鏡餅はどこにもあるが、栗、柿、干しわらび、ニシン、こぶ、五葉の松の枝を添えて先祖を祀るために、このようななまくさい魚もいとわず霊前、仏前にすえているのは上代からのしきたりがなお続いているものとして結構なことと思えた・・”
   七草粥:“・・六日の夕べ、・・声をあげて菜切り包丁でたたく声が、家ごとにどよめいていた。・・七草の粥は大体故郷のものと同じである・・”
   小正月:“・・またの年越しである。なにやかにやと小正月のよういをし、家の内外をはらいきよめる。・・門ごとに柳を指してあるのはこの土地の習わしであろう。今日は鳥追いだといって、しら粥に餅を入れて食べる。犬、猫、花、紅葉などいろいろな形にいろどった餅をつくり、わりこに入れて、子供たちが家ごとに配ってあるいていた・・”
    写真は切り絵による「福の字」のいろいろ。
 
家庭菜園の去年今年(こぞことし)
 例年通り見よう見まねで30種類以上の作付をした。
『人参・なす・さつまいも・じゃがいも・かぼちゃ・ピーマン・ゴーヤ・大根・菊』は不良。蕎麦は完敗だった。『玉ねぎ・にんにく・小玉スイカ・おくら・きぬさや・アスパラ・ささぎ・きゅうり・かぶ』は良、『ほうれん草・小松菜・トマト・キャベツ・白菜』はやや良。枝豆はよく食べた。毎年収穫後に来年こそは指導を受け作付けと気勢をあげるのだが家内とも一度も専門家の指導を受けたことはない。

 平成29.1月