社長だより vol.49

【守れない一年の計】

 以前、友人から何かのはずみで、“お正月の色は?”と聞かれたことがあり、「真っ白な湯気の色」と言ったことがある。物心がついた時(昭和25年頃)、生家は土間で餅つきをしていた。当時、まだかまどがあり、年末はせいろで米を蒸かし、母親や叔母が、時折つまんでは、“まだだ!”とか、“もう、えべ!”などと忙しく立ち回っていた。せいろはよくテレビなどでみる丸型ではなく、がっしりした四角の木枠でできたもち米専用のせいろだった。石臼に目の粗い丈夫な蒸かし布ごと“どん”と入れると、もうもうとした湯気で土間が真っ白になる。父親が半殺しまで、“ふうふう”とこねる。子供ながら蒸かしたての米の匂いを思いっきり吸い込み幸せを感じていた。その頃から、湯気の色がお正月の色、というよりも、新年を迎える色になった。いつか、餅つきを再開したいと感傷に浸ってきたが、もう到底できる歳でもなくなった。我が家の餅つき行事は昭和38年ごろに途絶えた。あけぼの(ブルートレイン)

 もう一つ忘れられない色に、『東雲色(しののめいろ)』がある。私にとって上京は“あけぼの”(ブルートレイン)が当たり前。大宮を通過する頃、東の空がしらばみ、やがて東雲色がどんどん濃くなる。この色も忘れられない。今、秋田港にブルートレインたちが集結している。皆でどこに向かおうとしているのだろう。

 ところで、お正月、と聞けば「初日の出・年始・初詣・おとそ・おせち料理・書き初め・初夢」などいろんなしきたりみたいなものが格別な意味を持ったような面持ちになる。特段に変わる道理もないが、季節の移り変わりを大事にした祖先が節目節目に自然へ感謝してきたものが我々の生活に息づいてきたのであろう。その変わり種に「一年の計は元旦にあり」と言われるものがある。
 昨年は『海坂藩の地図を作る』というものであったが、いつものことながら全然できなかった。まだ、時間もあると構えたが、この歳になれば時間も異様に速く進み、「2月頃に、『立花登 青春手控え』にはまったせいがあるかもしれない」などと、できない理由も食えなくなる。何せ布団での勉強。15分と持たず、頭では、“あの辻を曲がれば旅籠、番屋はあそこで、太物屋はここ”などと毎晩同じように下書きをしていた。 NHK放映(12月21日)の「立花登 青春手控え」最終回、登とちえは言葉でない約束をした・・・。

 今年は長年の夢、認知症予防を兼ねて、ピアノを習おうと秘かに思っている。子供が習っているのを聴いて、自分もやりたかったことを思い出す。しかし、節くれだった指をじっと見つめ、左右の指を一本おきに交互に動かしてみるがなんともぎこちない。鍵盤に指の番号を書いてもどうにもならないだろう。絡まるのも容易に想像がつき、数日後の挫折がみえる。トルコ行進曲?馬鹿なことを言うな!

 これまで、運よく家内ともども若年性アルツハイマーにはならなかったようだ。できるならぽっくりと逝くまで認知症にならないのが目下の願い、そして私が先に待っている、これが理想だ。
長い間、主のいないピアノに向かう準備、調律はいいのか、などと心配をせず、いつもの通り緩やかに心構えを問い、先ずやってみるか!
“そうだ、ピアノにお供えをしていなかった・・・”

平成31.1月