社長だより vol.51

【芸術家と職人】

 もうすぐ三月というのにまだ底冷えが残る昼前に、秋田県文化功労者、故平野庫太郎さんの回顧展にむかった。きっと2階ロビーの中央に展示されているのだろう。しばらくぶりの再会に心ときめかせて階段を上がった。しかし、どこにも回顧展の雰囲気もなく“開催日を間違えたか”と不安になりながらも進んでゆくと、その“回顧展があった“。まるで人目を避けるように、目立たないようひっそりと“展示”をしていた。派手なことを嫌う平野さんらしさともいえるが、友人と指導を受けた二人から「展示の配慮へ残念がる」意見があった。油滴天目釉盃

 展示品の中に、個人所蔵品として「油滴天目釉盃」があった。同種の杯は私の手元にもある。偶然の妙なのかわからないが、今まで見たこともないことのほか上品な“模様”なのでいつも小さな茶箪笥の中に見えるように置いてある。
 案内パネルに解説があった。『鉄を多く含んだ黒色の釉薬を天目釉と言います。その中で表面の丸い形がまるで水に浮く油のように見えるものを油滴天目釉と言います。酸化焼成すると銀色になります。丸い斑点が出るようにするためには焼成温度が大事です。平野はこの油滴天目釉のことを『光の当たり具合で多彩な表情を見せてくれる』と話していました』とある。(パネル原文の通り)今改めて杯を手に取ると、作務衣で釉薬をかけたり窯を見ながら “どんな表情で出てくるかの一瞬が面白いんだよ”と彼一流のおしゃれさが呼び掛けてくるようだ。

 作陶を依頼していた小ぶりの天目茶碗の約束はかなわなかったが、一度彼に聞いてみたかったことがあった。以前から“芸術家と職人の違いはどこにあるのか”というものであった。今となれば聞く由もないが、きっと“それを俺に聞くのか”と、いぶかしく思ったろう。私はその違いをずっと「鍛冶・大工など日常生活に密着したものを作るのが職人」ぐらいにしか感じていなかった。しかし、同じ職人でも秋田特産の銀線細工・川連漆器・組子細工などの一流品は繊細で心和ませる美術品だと思う。一方、音楽・絵画・陶芸などは芸術と言われる。生活のための仕事としてできればいいが、本来は自分自身のために何かをしなければ生きていられないという原点があると思う。“平野さん、芸術家は創造性・独創性で思いを巡らせる何かを表現することを目指し、職人は習熟された技術で最高の調度品を作る。その評価が美術品にもなりうると思いますが、どうでしょうか。ただ、創造性や独創性の評価基準は人により相当な差もあるでしょう。芸術家は生活ができればいいのですが、頼りはその人の信念というところでしょうか”。私は精々美術館巡りをし、彼らの思いや技を楽しむことにしよう。
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  秋田市の北に隣接する南秋田郡に五城目町がある。この町は古くから職人の町として知られている。建具とか鍛冶で有名だった。特に組子細工の衝立て・欄間、そして箪笥など指物に目を見張るものがある。一度五城目町役場で心惹かれる衝立に出会ったことがある。組子細工をよく見ると切子と切子の組み合わせ部分が斜めであっても寸分の違いもない。現代の名工、秋田県文化功労者 故小高重光(こたかしげのぶ)の『木を織る』という冊子に、 『光を通してみる組子細工の模様は見る角度によってさまざまに表情が変わる』とあった。
(写真は小高の組子4枚引き戸の一部、ニューヨークの展覧会に出品された花模様創作建具、昭和58年)

平成31.3月