社長だより vol.54

【障子張り替え】

 田植えも終わったようだ。しかし、蛙の鳴き声がほと田んぼんど聞こえない。田圃はただ静かで、区画整理されて鈍く光るだけの風景になってしまった。定番の彼らの鳴き声は欠かせない。どうして彼らは数を減らしたのだろう。あれほどいたのに。田おこしを見ていると確かにトラクターの後をアオサギやらゴイサギが追いかける。カラスもいっきになって何かをついばんでいる。私が管理機で畑をおこす時も途端にカラスがついてくる。この時、蛙はまだ冬眠中、無理やりおこされるので、カラスにつかまらないよう土に埋めてやる。ほんの数年前まで代かきともなればゆりかもめみたいのが大挙して押し寄せていたが、この頃はほとんど見ることがない。

 小学校5年の旅行は奥の細道で有名な象潟の蚶満寺であった。どこかの高い部屋から障子を開いて田植え後の九十九島を見たかすかな記憶があるが、ただの思いかもしれない。今も通り掛け、立ち寄るのだがあの部屋に上がって部屋からその風景を確かめたことはない。よく、雑誌の写真で、左右両側が真っ黒で半開きをした障子や襖に挟まれたのが庭という、あのお馴染みの風景よりはもっと開放感のある風景だったと思う。子供ながらここが入江の側にあった説明を受け信じられなかったこと09_65③だろう。
 これもはっきりした記憶でないが、修学旅行で桂離宮を見学したとき、どこかの書院の2階部分が障子でなかったかと思う。重厚さをいとも簡単に紙で軽快に見せる日本人の感覚のすばらしさ。ベンガラ縦繁障子そして明り取りや外気の遮断もできる優れものであり、直接風雨にもあたる和紙に我慢強い日本人を感じてしまう。
 時代劇を見ていると畳もそうだが、障子や襖・欄間・書院が気になる。殺陣のシーンでは荒組障子だとしっくりくるが、殿様の書院での切り合いは外でやってほしい。また、100年200年の旧家の放送があると、もっと気になる。ただ間仕切りだけの障子でなく、贅を尽くした組子障子や縦繁障子・腰付障子が出てくるとそれこそ目が点になる。当時の家人がどんな暮らしでどんな作法で出入りしているのか想像するだけでもワクワクしてくる。

 我が家は築40年だが、五城目の大工さんから建ててもらった。自分の間取りで何のとりえもないが、天井が一尺高いことと結構障子が多いことが特徴と言えるかもしれない。しかし、このことが仇となり、障子張り替えは後へ後へと先送り。今回は妻からとうとうダメ出しが出て職人に張替を依頼することとなった。それもそのはず、居間の障子はもう3年、冬のまきストーブのいぶりで煤けて明り取りどころではなかったのだ。

 障子張りはどうゆうわけか私の仕事であった。小学校低学年から自然と私が張替をしていた。最初は弟とげんこつで思いっきり穴をあけたり、指を突っ込んだりしていたが、これは後で紙をはがす時きれいにはがせないことを知ってやめた。しかし、今、たまには指を突っ込んで昔を思い出している。
 09_65④障子張りで難しいことは、古い紙をきれいにはがすことでもなく、糊の調合でもない。紙の幅をきちんとそろえて切ることにある。私は一枚ごとの裁断が面倒なのでつい10枚とかまとめて折ってカッターなどで切る。わかっているのだが長いのと短いのが出てきて紙を張った後の見栄えが悪くなる。カッターで揃えようとするがこれまた面倒で結局そのままになる。ともあれ、張替の後、霧吹きをかけて翌日、皴がなく、紙を指ではじいて、“ビーン”となれば少々のことは目をつむることにしている。しかし、折角の猫間障子は本来外の景色をみるためにあるのだが、廊下に物が散乱しているので4枚共開けたためしがない。

令和元年.6月