社長だより vol.55

【みょうが】

 暑くなると食べたくなるのがそうめん。そして薬味にかかせなみょうがの葉 いのがみょうが。マイ畑の両端っこに少しだけ、早生と真夏過ぎに食べるものを2種類植えている。今頃になると店頭にも並び、うちも早く出てこないかと待ち遠しくなる。しかし、今年は例年にないほどの少雨。水っけを好むみょうが、きっとマイ畑は遅いだろう。
 4月末、草とりで、誤ってみょうがの芽を相当切ってしまった。あとで気づき、今年は食べられないかもしれないとがっかりしたが、その後、当たり前だが私の切ってしまったのは葉の部分とわかりほっとした。なにせ一昨年、とうもろこしの花の部分が実になるのだろうと思って本来実のなる脇芽を全部とってしまった私である。

 みょうがは芽を食べると知っているが、ほかの野菜の姿とは全く違う。葉物でもない、実がなるものでもな高知県産 みょうがい、ましてや根菜でもない。この赤紫の芽は何とも言えぬ独特な形だ。“みょうが風”という固有のカテゴリーになるのだろうか。地べたから我もわれもとあちこちから出てくるが、他の目を意識せず、地べたで孤高を誇っている感がある。タイミングを逃すと花が咲いてしまう。嗅ぐと気抜けがしてガサガサするので頃合いを見はからって花の咲かないうちに摘む。酢漬けとか味噌漬けも悪くはないが、手を掛けずさっとゆがいておひたしかきざんで香味を楽しむ薬味が好きだ。

 子供の頃、父にみょうがをあまり食べたら“バカ”になると教えられた。苦みとも言えない香味が子どもの脳に何か作用するのかと本当に思っていた時がある。また、ほかの野菜と比べたら屈託もなくただ出てきました的な姿が“バカ”にみえるせいなのか理由はわからないが父の言葉は今も心に残っている。
 この“バカ”について、たまたま読んだ「水上勉の土を喰う日々」(新潮文庫)の7月の項に載っていた。少し長いが引用する。『昔、釈尊の弟子に周梨槃特(しゅりはんどく)という聖者があって、生まれつき物覚えが悪く、しかも物忘れする癖があった。自分の名前すら忘れることがあるので、首から名札をかけていたそうである。悟りを開くまで人一倍の苦行を摘んで世を去ったが、この聖者の墓地に生えた植物がみょうがであった』という。父はこのことを知らなかったろうが、さしずめ、独特の香味で何となく物覚えの悪い私がこれ以上悪くならないようにと思っていたのかもしれない。しかし、世の中、天才はほんの一握り、大器晩成とか遅咲きなどという苦労人は多くおり、その人たちを“バカ”という人はどこにもいない。ましてや流れに身を任せる私はなおさらだ。みょうがは世の中を知っている唯一の野菜だ。

 今年は水掛が大変だったが、なす・きゅうり・かぶ・ほうれん草・きぬさやが一斉に食卓に並び始めた。特にかぶの千枚漬けや寒麹でつけたかぶときゅうりはほとんど私専用のようなもので小皿一杯ほとんど朝晩食べている。それにもまして食べたのが、白菜に千切りをした昆布とするめを入れ込みとろっとした漬物にはお世話になった。かぶは間もなく終わる。最後の白菜を収穫しよう。これでしばらく白菜の漬物にありつける。
 さあー、今度はみょうがの番だ。そうめんのたれは単純に昆布のみをベースに、干しシイタケの味が前にでているものに限る。箸も持った。食べる準備はじゅうぶんにできている。太ることには目をつむろう。

令和元年.7月