エコムジャーナル No.3

 はじめまして。北上担当のKと申します。自由テーマでとの事でご依頼を頂いたのですが、いやそういうのが一番難しいのだなと痛感しています。拙い文章ではありますがよろしくお願いします。

 本来であれば私の生活と音楽との関わりについての身近な話を書こうと思い、あれこれと頭をひねっておりましたが、参考にと開いたSNSの中に「チャーリー・パーカー生誕100年」という文字を見つけてしまいまして、ジャズ創成期の伝説的なアルトサックス奏者チャーリー・パーカーをテーマにしました。チャーリー・パーカーの奏法などを研究している方のように多くの知識を持ち合わせていませんが、それでもなんとか自分の中にあるチャーリー・パーカーに思いを巡らせてみます。なるだけ手短にいたしますので、よろしければではありますが少しだけお付き合いください。

チャーリー・パーカーJ
 1920年アメリカ最盛期に、当時の一大歓楽都市カンザス・シティに生を受ける。
チャーリー・パーカーがアルトサックス奏者としてニューヨークでのキャリアをスタートしたのは、1940年前後あたりになりますが、チャーリー・パーカーとトランペット奏者のディジー・ガレスビーが、当時の実験的セッションの場であったニューヨークハーレムのミントン・プレイハウスで出会ったことによって生まれたスタイル、それは後の世にビ・バップと称される新しいスタイルとして確立されました。ビ・バップによる即興演奏を最重要視したスタイルの提示を受けた多くのジャズミュージシャンによって、それは以降クール・ウエストコースト・ハードバップ・モードなどの多様なスタイルへと同時多発的に発展してき、それら多種多様なスタイルはモダンジャズと総称されるようになるのです。

 「バード(パーカーのあだ名)のやっていること自体は凄すぎて何が何やらわからなかった。だから俺はディズ(トランペット奏者のディジー・ガレスビー)のプレイを研究することが多かった。」ジュリアード音楽院を中退後にチャーリー・パーカーから直接指導を受け、一時期共同生活もしていた帝王マイルス・デイビスは語る。それでも今現在においてもなお、ジャズにおける即興演奏の技術研究は、チャーリー・パーカーのフレーズパターンを研究することとイコールであるという声は根強い。私も3曲ばかりパーカーのアドリブプレイをコピーしたことがありますが、フレーズの中で使われている音が移動する上下の幅や数がものすごく、本当に大変だった記憶があります。

 本当にきりがなくなりますので、最後に私の手持ちのアルバムの中からお気に入りを1枚紹介して最後としたいと思います。
2020.9 EJ ①
 このアルバムは「ジャズ・アット・マッセイホール」というライブ盤です。このライブが収録されたのはチャーリー・パーカーが亡くなる2年前ほどだったと思います。すでに技術面の全盛期は過ぎている晩年の作品ですが、恐らくパーカーの体調がよかったのでしょう、ベテランらしく抑えが効いた、非常に安定したプレイを聞かせてくれます。音楽性は=演奏能力だけではないのだと気付かされるのです。ディジー・ガレスビーをはじめとする共演者の演奏内容もほぼパーフェクトといってよい内容ではないでしょうか。この時のライブに望み、パーカーは自分のアルトサックスを持参しておらず(楽器を質屋に入れていたという説が有力です)、現場にたまたまあったプラスチック製のアルトサックスでプレイしたそうです。レコードを聴いた限りでは全く問題なく、弘法筆を選ばずとはまさにこのことです。
 当時のライブ録音なので音質はアレなのですが、共演はディジー・ガレスビー(TP)チャーリー・ミンガス(B)バド・パウェル(P)マックス・ローチ(Dr)と当時のベストオブベスト、といいますか全員神話の世界の方々です。

 ここまで拙い一文を読んでいただきました方、ありがとうございました。自分なりに上手くまとめたかったのですが、あまりに対象が大きすぎて取り止めにないものになったと反省しています。次回からはもっと身近な部分に焦点を当ててみたいと思いますので、よろしければではありますが、よろしくお願い致します。