カテゴリー: 社長だより

社長だより vol.60

【佐竹本三十六歌仙絵】

 解体新書の挿絵を描いたことで有名な佐竹藩士・小田野直武(おだのなおたけ)は秋田県角館の出身、本格的な洋風画を全国に先駆けて誕生させたことでも知られている。美術の副本でも近代絵画の欄では必ずと言っていいほど『不忍池図(重要文化財、秋田県立近代美術館所蔵)』が掲載されている。右半分に鉢植えの芍薬と右端に太い幹、左に池をはさんで対岸の景色を描いているあの絵だ。本物に出会った時、遠近の静かな佇まいに一人別世界に入りこんだような錯覚があったことをはっきりと覚えている。秋田の絵画は佐竹藩主に多くの名作が残されていると言われる。特に第八代佐竹義敦(よしあつ)、四代義各(よしただ)や九代義和(よしまさ)公などであるが、残念なことに没後は狩野画や秋田蘭画の発展を見なかったようだ。

 引かれるように鎌倉時代の名品、現存最古と評される『佐竹本小大君三十六歌仙絵』展覧会に向かった。『佐竹家は1917年に売りたて、手にした実業家は第一次大戦後の終結を契機に手放した*1」。佐竹家に所蔵されていたことに美術界ではたいへんな驚きがあったようだ。
 しかし、(現在の価格で約35億円とも言われる)高額で誰も購入できず、海外流出を恐れ分割し、財界人が籤で購入することとなった。この時の緊張のざわめきは『「画運-順次に内振る「青竹の籤(くじ)筒 遂に分かたれし三十六歌仙」と中外商業新報(日本経済新聞の前身)が1919年大正8年12月22日に報じている*2』。今年はその分割からちょうど100年目、離ればなれになった歌仙絵37枚のうち31枚が京都で再会することとなった。
*1 10/29 秋田さきがけ新報 佐竹資料館講演会から
*2 10/21日本経済新聞23ページ

 以前から佐竹本三十六歌仙絵で気になっていたのは、なぜ佐竹家に所蔵されていたのかの流転と、これだけの名品をよくもバッサリと裁断することに気が咎めなかったかである。分割で共有と言いながらも切った行為があまりにも味気なく、あるいはどさくさ紛れでなかったかと思っていた。
 ところが、もともと一枚一枚の歌仙絵であったものを張り合わせしたことをNHKテレビで知った。分割するときは腕の立つ表具師が細心の注意で剥いだとのことで納得しないがわかる気もする。09_72③09_72②

 照明を落としたガラス越しの歌仙絵は和歌を踏まえた肖像と言われる。右の坂上是則(さかのうえのこれのり)は目を凝らしてみると、遠くへ思いをはせるような目の表情や“寒さのための赤い頬”などその繊細な描写へ心が惹かれる。
 また、所有者によって趣向を凝らした表具にも目を見張る。『中世の絵を切り取り、「表具・肖像・歌」が一体となって』その存在価値をかけがいのないものにしている。
(上記『 』・下記和歌・口語訳とも開催パンフレットから)
 和 歌   みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさりゆく
 口語訳  吉野の山には雪が積もっているだろう。奈良の都も寒さがましていく

 会場には歌仙絵のシミなども本物と寸分違わぬ複製もガラスケースに展示されていた。一枚いちまい2~3ミリ重ねて張り合わせていたことも下からの照明で“確認”できた。長い間の小骨が取れたようだ。
 今冬は秋田県立近代美術館(横手市)や秋田市立千秋美術館の企画展で秋田蘭画をじっくりと楽しむことにしよう。そして新年を新たな英気で迎えよう。

令和元年.12月

 

社長だより vol.59

【身に入む(みにしむ)】

 台風15号・19号の爪痕はただただ凄まじい限りで、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。自然の仕返しなどとは思いたくもないが、「災害は忘れたころにやってくる」というのは昔の言葉になったかもしれない。次から次と襲ってくる『過去に経験したことのない』という気象庁の表現に体が強ばる。自然は嘲笑っているのではないだろうが、どうしたものだろう。

 あの暑い夏が去って、過ごしやすい天候になると夜も長くなる。灯火親しむ侯となるのだがチョッキ、特別読み残している小説を読むでもなく、母親が古毛糸で編んでくれたチョッキを着て、定番の粗大ごみ、“ごろっ”とよこになってテレビのチャンネルを回している。
 チョッキは3枚あり、1枚はUさん、そして私と家内に遺された。女性用は腰までの長いものだ。三枚共ボタンが左前で女性向けである。着るときはいつも勝手が違うので着にくい。この頃はボタンを外さず、かぶることにしている。大きめに“だぶっと”編まれて着心地もよく、今の時期手ばなされない。毛玉もだいぶ目に付くようになった。

 Uさんの夫君は元国語教師。早期退職して読書(と散歩)三昧の生活だ。月に1~2回は老々介護というわけでもないがご高齢の二人暮らしの様子見を兼ねて遊びに行く。いつお邪魔をしても“はい、どうぞ”と嫌な顔もせず歓待していただく。何かを相談するというのでもなく、“ガッコ漬けた”とか“草むしりをした”とか、ただ毎日の生活を話している。最近、Uさんは“腰が痛い”などを繰り返すようになった。その度に夫君は“それが歳をとったということ、嘆く必要もないよ”とさらっと返している。今まで何度か言われても聞き流していたせいもあるが、この頃“嘆く必要もない”を聞くと素直に腑に落ちるようになった。ブナの紅葉
 このご夫婦、日常生活、買い物、旅行など一切飾ることをしない。会話でもお互い気兼ねなく喋っているように見える。ただ、Uさんは夫君とすれ違いがあるときは、“私はわたし、お父さんはおとうさん”が口癖なのでその時を察知したときは家内と話を聞くことに徹している。Uさんは最近耳が遠くなったせいか大きな声で話す。すれ違いの時も、そしてよく笑う。誠に羨ましい自然体である。
 最近、夫君から身につまされるような話があった。いわゆるカラスへの贈り物『断捨離』に話が及んだ時のこと。“死んでから残された人への思いやりで、生前に身の回りを整理しておく必要はない”というのだ。そして、重ねて言う。“死んでから自分がどうされようと分かる訳もなく、家族がやりやすいようにしてくれればいい。最近の断捨離が当たり前のような風潮には辟易する”という。

 私もそう思うが、遺族への思いやりというのではない。ただ単に、身の回りの整理がつかず、ものに囲まれているような生活なので、大事なものはきちんと残すことが必要だと思うだけだ。淡々としたU夫妻を見て羨ましく、中途半端な自分に嫌気がさすときもある。この期に及んでだ。きっと日々の生活に素直に感謝する心がないからだろう。秋風は身に入むばかりだ。

令和元年.11月

 

社長だより vol.58

【つれづれに】

 この頃、盛岡への行き来は国道46号線(仙岩道路)を通ることがほとんどだ。入社してすぐの社員慰安旅行で、工事中の46号線を横に見てつづら折りの国見峠を数台の社有車でつなぎ温泉に向かったことがある。頂上付近は霧が濃くて5メートルも離れれば声でやっとわかるぐらいであった。ブロッケン現象が起こるのではないかと思うような天候だったと思う。山頂は茫々としており周りを見る余裕もなく固まって写真を撮った気がする。手もかじかみ、当時の山の上の「峠の茶屋」で甘いおでんをほおばったことを通るたびに思い出す。
 峠の紅葉はまだまだ早いが、もう2~3週間もすればこの深緑が杉を残し全山黄色くなるなんて信じられないほど見事に葉の一枚一枚を変葉させる。トンネルを出るたびにそのあるはずもない紅葉がもしかしたらと心がせく。この峠の一番の見ごたえのある所に大きく膨らんだ路肩がある。窓を開けると山の冷気が肌にいよいよ秋を知らせる。

 「肌寒(はださむ)」という季語があるが、秋だけでなく例えば真夏に鍾乳洞に入って冷たさを感じた時など「肌寒い」と使える“万能季語”とも言える。金田一晴彦氏の『言葉の歳時記(新潮文庫)』に「肌寒」は“日中は汗ばむほどだが朝や晩はぐっと冷え込んで上衣がもう一枚ほしくなるような寒さ”と表現している。更に「そぞろ寒」と言えば、“秋になってそろそろ寒さが感じられるころ”、そして、「漸寒」という言葉が出てきた。“ややさむ”とふり仮名がある。“秋も終わりに近づいていよいよ寒さが厳しくなるころ”だそうだ。
 朝、寝室の出窓の障子を開けるとヒヤッとした透明な冷気が流れ、09_70①思わず、“ぶるっ”とする。こうした秋の寒さのことを昔から使ってきた言葉として、「朝寒(あささむ)・夜寒(よさむ)」があるとして、歳時記に載っていた。同氏が言われるように、折々に“日本人の肌はそれだけ季節の移行に敏感である”と言えるのかもしれない。

 また、秋と言えば、意味も分からず、“もののあわれ”や“心にしみる”などの言葉も出てくる。この二つの言葉に秋めいた意味はないと思うのだが、なぜか、秋の感傷を感ずる。“あわれ”と言うと、徒然草の第十九段に『折節の移りかはるこそ、もののあはれなれ もののあわれは秋こそ勝れと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて・・』 (角川文庫、ビギナーズ・クラシック、徒然草)とある。意訳では「四季の移り変わるようすは、何につけても心にしみるものがある。心にしみる味わいは秋が一番深い、と誰もが認めているらしい。それはそれで一理はあるが・・」と訳されている。理由はともかくとして、遠い昔から日本人は移り行く季節に何かの哀歓を感じてきたのだろう。

 今年のマイ畑。カラス・鼠、犬に荒らされたが、二人で食べるには充分であった。白菜・キャベツ・ささげ・きゅうり・ナス・カボチャ・みょうが等よく食べた。収穫量は少なかったが人参は格別歯ごたえもありうまかった。今年デビュー野菜で見逃せないのは椎茸だ。昨年購入したほだ木に自分で駒を打ったものだが、肌寒くなってからよく出てくる。見逃して手のひら大になるものもあるが、厚肉で形のいいものは当然酒蒸しだ。
 又、毎年作付けする小豆は不ぞろいで売り物にはならない09_70②が、約3.2キロの収穫ができた。外で篩の下に扇風機を置き、鞘のカスを吹き飛ばすのだが意外と効率がいい。部屋に戻って、虫眼鏡で虫食いや固そうな皴のよったもの、さらに腐って固まったものをえり分ける。ボケ防止で、左手でつまむ。なかなか面倒だが癖になる作業だ。今年の冬はいよいよ念願の自家製“本格水ようかん”、限界まで甘みを抑え、小豆の味を楽しむつもりだ。

令和元年.10月

 

社長だより vol.57

【秋の気配】

 9月の古い呼び方は、長月(ながつき)だが、菊月とも言うそうだ。9月は30日あるが、他の奇数月、もちろん例外もあるが1日少ない。なのに長月だ。何となく秋の夜長を連想させるがその由来はわからない。このまま思い続けていればそのうち何かの文章に出て、にんまりと秘かな満足を味わうことだろう。
母親から日にちの多い月、少ない月を覚えるのに、“左のこぶしを上にして、第三関節を右から1月、次のへこみ(凹)を2月と順々に数えてゆくと左端が7月となる。そして折り返し、その7月を8月として右に数えると、でっぱり(凸)が長い月(31日)、へっこみは少ない月と分かる”、と教えられた。小学校の1・2年だったろう、テストの時などいろんなことに母親が出がけに忘れないようにと小指か薬指に赤い糸を結んだことを思い出す。先月、父の十三回忌に合わせて母の分も引っ張り法要を営んだ。09_69①

秋雨  今年は西日本を中心に、大変な豪雨に見舞われたが、当地は雨が少なかった。秋田の水がめ、玉川ダムの貯水率が27パーセント以下になり、放流制限がかかるという。又、戦時中玉川毒水の影響を受け、魚の棲まない湖となった日本一深い田沢湖は最低水位を超え、遊覧船の発着がままならないそうだ。
「篠突く雨(しのつくあめ)」という言葉がある。安藤広重の東海道53次『庄野』に傘をすぼめた浮世絵がある。見た感じ、驟雨(しゅうう)かなと思うが、「篠突く雨」は驟雨よりさらに猛烈な雨のようだ。春雨は、“濡れて帰ろう”、だが、秋雨はオホーツク海気団が控えているので濡れて帰る気にはならない。

かりのわたり  空も高くなると、「かりのわたり」がはじまる。シベリア・樺太・北海道・竜飛・十三湖・八郎潟・高清水の丘・新潟中越がわたりのコースの一つである。唱歌にある「さおになり かぎになり」が思わず口をついて出てくる。100羽ぐらいの大編隊もあれば、小ぶりの編隊もある。白鳥などもそうだがどうしてあんな形の編隊になるのだろう。時々先頭が交代しているように見える。声にならないが“頑張れよ”、と声をかける。しかし、夜中に飛来して鳴かれるのはなんともやるせない。布団の中で『雁風呂』を思い、目をつむる。

虫を聞く  朝起きて窓を開けるとひんやりした涼風が入ってくる。秋はそ知らぬふりして側に寄っていた。二度目の家には、よく、「すいっちょん」とか「コオロギ」が入りこんで気になって眠れないこともあった。子供時分、生け垣にろうそくを持ってキリギリスそっくりの「うまおい」とりに出かけ、腕によく擦り傷を作った。難儀をした割に直ぐに死んでしまい、かわいそうなことをした。やはり、虫の音は、秋草の根元ですだく声がいい。09_69②

  昨年、松島の瑞巌寺に参詣したおり、山門の奥まったところに小さな池があった。そのわきに萩が数株植えられていた。ふわっとまくようにしなだれている。朝の雨で露をしっとり包み、うら若き女性が涙をためているような風情にも見える。萩というと、「宮城野萩」、そして、あの『伊達騒動』が出てくる。秋の夜長に「樅木は残った」をもう一度読んでみようか。柄にもなく萩はそんな気にもさせる。

 

令和元年.9月

 

社長だより vol.56

【あるもんでね!】

 秋田にはほぼ60歳後半以降の人が使う“あるもんでね”という言葉がある。例えば播種から、植え替え、追肥、水遣り・草とりと、丹精込め、あともう少しで、収穫というときに、何者かが根元から踏み倒しているような状況を見たとき、本人は声を失い、暫くして語気強く “ひでっ!あるもんサトウキビでね!”と一気に吐き捨てる。その虚脱感は信頼した人との口論でやり場のなくなった焦燥感とも似通う。

 昨年カラスの被害で全滅させられた「とうきび」。今年は対策に万全を尽くしていたつもりが右のような惨劇を繰り返してしまった。9本植えたので、2本ずつとして18本食べられると楽しみにしていた。同じ轍を踏まないように小屋風に柱を立て、天井も防鳥網で囲み、足りないところはテグスを張り巡らしていたのに、何故だ。家内の推測はこうだ。“防鳥網の下の部分を全部止めていなかったから、そこから侵入したのではないか”という。ということは、カラスは風が吹いてふわふわしたところを見つけ、片足で網をつまみ、頭から防鳥網をくぐり、“こんにちわ”と言って入ったということになる。はたしてそんな芸当がカラスにできるのだろうか。そして、出てくるときも“畑を荒らして、ごめんなさい。失礼します”と言って出てきたことになる。私は他に侵入した方法がないかと考えるのだが、推理小説大好き家内の言うことなので反論はかなり難しい。

 これもマイ畑の本当に“あるもんでね”話。ことしは畑仲間から枝豆の生育が良くないと話が出る。私のところもなかなか芽が出ず、不揃いでおかしいなと思っていた。特に黒豆は全く音沙汰無し。こんなことはかつてない。そんな中で、家内は一畝だけ、一袋6百円もする枝豆を植えていた。背丈は高くはならないものの、実をびっしりつけて豆も太ってきていた。これはなんとかなるかもしれないと楽しみにしていたところ、数本残して全部なぎ倒されてしまった。家内は“ひどい”と絶句してしまった。これ、本当にカラスの仕業だろうか。大きそうな殻を引っ張ったために根元から倒されたのだと思う。よく見ると豆の殻が数個散らばっており、実に器用だと思うが、3つ豆が入った殻を脚でおさえ、端の豆の試し食いをしているのだ。一株試してダメだったら何も他の株まで倒したり、引き抜くようなことはしなくてもいいのではないかと思うのだが、それこそカラスの勝手でしょうか。本当に“あるもんでね”。大慌てで、土盛りをしてぐ切絵の青森ねぶたるっとネットで囲み水をたっぷりかけたが果たしてどうだろう。「とうきび」の倒し方を見ていると枝豆倒しはより簡単だったろう。

 今年は、少雨のせいか鼠の被害も大きかった。カボチャは大半かじられ、慌てて収穫したがわかかった。もう少しだった。ジャガイモは掘り起こしていると、二十日鼠のような大きさの鼠が4匹も出てきた。足元を走ったので追いかけたがよたよた足で逃がしてしまった。結局のところかじられたのはレジ袋2枚分となった。“鼠、お前もか!あるもんでね” 今年は農家出身の父の13回忌。報告しておこう。

 しかし、“あるもんでね”は、それなりにこれからの対応もできるが、過去にこの海域に活動の歴史があるから「自国の領土だ」と宣言している某国がある。これは“あるもんでね”に問答無用の理不尽さと嫌悪感が伴う。先人は「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」といっているではないか。かの国も、自国ファーストという。あっちこっち突っついている。カラスに悪いではないか。更にかつて七つの海を制したポケットに手を突っ込んだ新手のカラスも出現した。これら新種のカラスは突然変異なのか遺伝子操作でできたのか、現代科学は解明できるだろうか。「今後の対応については予断をもって答えることは差し控えたい」と繰り返すカラスよ、周りは手強いぞ、頑張れ。

令和元年.8月