カテゴリー: 社長だより

社長だより vol.50

【Aさん】

 先日、長野県のあるメーカーさんから、『「スノーモンキー」目当てでオーストラリアからバスツアーが来ています』とお話があった。バスを降り、わざわざ雪道を数キロも歩いての見学だそうだ。テレビでよく見るが雪がはらはらと降りしきる中、行儀よくみんな前を向き気持ちよさそうにじっと温泉につかっている。金時芋のような顔を一層赤くし、目をつむりうっとりしている姿に思わず顔もほころぶ。彼らは何分ぐらい切絵 元絵 カレンダー 入っているのだろう。出るときは毛が“ペタッ”としている。湯冷めをしないのだろうか。

 私も結構温泉に行く。といっても数か所の町中スーパー銭湯の回数券を買っての入浴がほとんどだ。その中の一つを軸に土日・祭日を利用して畑仕事がなければ家内との気楽な温泉巡りをしている。ねらい目の温泉は、自動車道を利用してほぼ1時間圏内の「混まない」温泉だ。目下三か所ある。北に向かって概ね50分。かつて秋田の奥座敷と言われたところで、大きな湯船は湯量豊富かけ流し、肌つるつる強塩泉の湯。二か所目は日本海を右に見ながら南下して、小一時間。建て替えをした料金高めの温泉旅館。塩化物強温泉で切り傷に良いそうだ。露天風呂もきれいでほとんどいつも独り占めだ。三か所目は秋田から東へ1時間ちょっとの無色透明な湯を持つ小さな温泉宿。一昨年大水害に見舞われ、廃業かと思われたが、ボランティアの支えで立ち直った。無色透明な優しい温泉もいいのだが、特に玄関の戸棚に展示してある古い楢岡焼や佐竹さんからくだされた調度品が目を癒す。内蔵(うちぐら)には見逃せない陶器など多数あるようだ。何とか見せていただきたいものだ。

 ところで、私が一番多く利用している町中温泉にかなり変わった人がいる。Aさん、としよう。歳は68・9ぐらいだろうか。五分刈りで色黒、中肉中背で切れ長の目。この浴場でのマナー指導係を自任しているようで、“使用した腰掛や桶を片づけ、足元の汚れをながすように周辺の人に熱心にご指導”をされている。
 このAさん、風呂から上がって脱衣場に上がる足ふきマットのはじっこに、『3点セット』を必ず置く。最初に置くのがシェービングクリーム、次に頭マッサージイボイボ、最後がカミソリ。しかもマッサージイボイボ、剃刀の刃、どれもマットに直接触れるように置く。最初に見たときは“えっ”となったが、最近はこのルーチンにも慣れてしまった。しかし、先日初めて脱衣場での一部始終を見て“新たな発見”をした。湯上り時と同じあの足ふきマットに『3点セット』を並べ、さらにタオルも置いてから服を脱ぐのだ。さしもの私も驚いた。というのも、このAさん、洗い場に入ると腰掛と桶の表裏を徹底的に磨き上げてから使う人なのでなおさらだ。

 しかし、ここまでは“変わった人だ”、で済むのだがムッとするルーチンもある。このAさん、湯船に入る時、湯口に真っすぐ向かい、混んでいようといまいと流れ出る湯で足腰・腕を入念にマッサージ、そのあと湯船を3往復するのだ。 「スノーモンキー」は静かに入っているのに、だいたい丸見えではないか。
という、私は“あの足の悪い白髪(しらが)男”、「もう少し丁寧に体を洗えないのだろうかとか、入ればすぐ上がる鳥こ(とりこ)男、前頭級出腹男」などと言われているだろうな~。お~、くわばらくわばら。

 こんな話の後、なんですが、2月13日~3月31日、平成平野庫太郎さんの回顧展9年度秋田県芸術祭選奨を受賞した、故平野庫太郎さんの回顧展があります。場所は金足の秋田県立博物館です。お近くによられたらどうぞご覧ください。彼の深いしっとりした色調に心が遊びます。平成30年8月、その人柄を惜しまれながらまだまだ早い鬼籍入りでした。

*受賞作品解説より: 釣窯釉面取壷(きんようゆめんとりつぼ)
高度な芸術的表現を可能にした陶芸技術が繊細な優美で品格の高い世界を創出した。独特な釉調を端正な形に定着させるとともに、釉の効果を十分に発揮させた作品として高く評価された。

平成31.2月

社長だより vol.49

【守れない一年の計】

 以前、友人から何かのはずみで、“お正月の色は?”と聞かれたことがあり、「真っ白な湯気の色」と言ったことがある。物心がついた時(昭和25年頃)、生家は土間で餅つきをしていた。当時、まだかまどがあり、年末はせいろで米を蒸かし、母親や叔母が、時折つまんでは、“まだだ!”とか、“もう、えべ!”などと忙しく立ち回っていた。せいろはよくテレビなどでみる丸型ではなく、がっしりした四角の木枠でできたもち米専用のせいろだった。石臼に目の粗い丈夫な蒸かし布ごと“どん”と入れると、もうもうとした湯気で土間が真っ白になる。父親が半殺しまで、“ふうふう”とこねる。子供ながら蒸かしたての米の匂いを思いっきり吸い込み幸せを感じていた。その頃から、湯気の色がお正月の色、というよりも、新年を迎える色になった。いつか、餅つきを再開したいと感傷に浸ってきたが、もう到底できる歳でもなくなった。我が家の餅つき行事は昭和38年ごろに途絶えた。あけぼの(ブルートレイン)

 もう一つ忘れられない色に、『東雲色(しののめいろ)』がある。私にとって上京は“あけぼの”(ブルートレイン)が当たり前。大宮を通過する頃、東の空がしらばみ、やがて東雲色がどんどん濃くなる。この色も忘れられない。今、秋田港にブルートレインたちが集結している。皆でどこに向かおうとしているのだろう。

 ところで、お正月、と聞けば「初日の出・年始・初詣・おとそ・おせち料理・書き初め・初夢」などいろんなしきたりみたいなものが格別な意味を持ったような面持ちになる。特段に変わる道理もないが、季節の移り変わりを大事にした祖先が節目節目に自然へ感謝してきたものが我々の生活に息づいてきたのであろう。その変わり種に「一年の計は元旦にあり」と言われるものがある。
 昨年は『海坂藩の地図を作る』というものであったが、いつものことながら全然できなかった。まだ、時間もあると構えたが、この歳になれば時間も異様に速く進み、「2月頃に、『立花登 青春手控え』にはまったせいがあるかもしれない」などと、できない理由も食えなくなる。何せ布団での勉強。15分と持たず、頭では、“あの辻を曲がれば旅籠、番屋はあそこで、太物屋はここ”などと毎晩同じように下書きをしていた。 NHK放映(12月21日)の「立花登 青春手控え」最終回、登とちえは言葉でない約束をした・・・。

 今年は長年の夢、認知症予防を兼ねて、ピアノを習おうと秘かに思っている。子供が習っているのを聴いて、自分もやりたかったことを思い出す。しかし、節くれだった指をじっと見つめ、左右の指を一本おきに交互に動かしてみるがなんともぎこちない。鍵盤に指の番号を書いてもどうにもならないだろう。絡まるのも容易に想像がつき、数日後の挫折がみえる。トルコ行進曲?馬鹿なことを言うな!

 これまで、運よく家内ともども若年性アルツハイマーにはならなかったようだ。できるならぽっくりと逝くまで認知症にならないのが目下の願い、そして私が先に待っている、これが理想だ。
長い間、主のいないピアノに向かう準備、調律はいいのか、などと心配をせず、いつもの通り緩やかに心構えを問い、先ずやってみるか!
“そうだ、ピアノにお供えをしていなかった・・・”

平成31.1月

 

 

社長だより vol.48

【確率】

 “えっ、当たってる?まさか?”。早鐘のように心臓がドキドキする。“本当?”、息を詰めて『1等宝くじの番号』に紙を当て、新聞に照らし合わせ、左から一つづつずらして数字を確認してゆく。思わず“わー”と叫び、めまいがし、卒倒しそうになる。数日後、気持ちを落ち着かせ、もう一度確認して銀行へ乗り込む・・・

 大暮(おおぐれ)は何かと気忙しいが、お正月をひかえ、何となくウキウキもする。その高揚させる一つに宝くじがある。雑踏の中で宝くじ売り場に出会うと、“これは神様の引きあわせだ。当たるかもしれない”と、かすかな幸運へ心が躍り、家内から白い目で見られながらもついつい連番20枚、バラ10枚などと買ってしまう。典型的な衝動買いだ。もちろん今まで300円以上のくじに当たったことはない。しかし、買ったその夜だけは、もし当たったら、『純数寄屋で建て直すか、しかし、この歳だ。好きな温泉場に引っ越ししようか』などと一瞬膨らんだ夢を見る。しかし直ぐに、『いやいや、まずは自宅で終末を迎えるために、訪問医師・看護師・介護士と相談しよう』などと、一気に現実に押し戻され、宝くじ売り場夢見ることさえ虚しくさせられる。

 よく、高額当選くじが出ると噂がある売り場は、購買者が引きも切らない。果たして高額当選が多く出る売り場があるのだろうか。あるとすれば勿論その売り場に並ぶ。しかし、常識的に考えても1ユニット1000万枚に1等が1本、2等が5本とか言われているようだが、 特定の売り場に当たりくじが出るということはないはず。ただ、発売枚数が多い売り場であれば当選の確立が高くなるのは当然だろう。
 滅多にテレビで抽選会をみることもないが、0から9までの数字が等間隔で割り付けられている円盤風車に音楽が終わると同時に“ビシッ・ビシッ“と矢が放たれ、“組番号、100の位、10の位、1の位、・・・”と左から順に発表されてゆく。かすったためしもない。冷静に考えると、当たる確率は一桁ごとに10分の1の確率であり、組番号も入れると9倍となる。1等1本だけでみれば実に1億分の1の確率?本当かな?車の登録ナンバー09_60②は自分で選べるが、宝くじのあたりは全くの人任せ。一喜一憂することもないほどの冷酷な確率であり、結果、否応なく「当りと外れ」しかないことに気づかされる。

 帰宅した私に、家内が“テレビで聞いた”と明るい響き。“過去高額当選者の星座は、ふたご座、さそり座、みずがめ座、おとめ座だそうよ”、と。なんと、我が家の長男・長女・妻・私でどんぴしゃりだ!こんな偶然があったのだ。1等当選確率は複雑な確率計算になるが、なんだか高確率にみえてきた。しかし、冷や水も待っていた。“当選者の年代は60台、50代、そして40代の順”とのこと。「富久(とみきゅう)」や「芝浜」のようにうまくゆくはずもない。“いや、この際膨らんだ確率だ。信じてあの噂の売り場へ、大安の日を忘れずに買いに行こう!

平成30.12月

 

社長だより vol.47

【反省】

 朝ごはんに昨日摘んだ菊のおひたしが出てきた。菊薄口醤油を少したらし、初物を味わった。酢を入れてさっと湯がくだけとのことだがサクサク感がたまらない。また、いつからかセリとも違う苦みにも虜になってしまった。間もなく“もってのほか(右写真の赤紫)”も咲きそうだ。当分楽しめる。
 味噌汁は、里芋と豆腐と油揚げ。“ずずっ”と飲めば、とろみがなんともやさしく喉をくだる。じわっと染み込んでゆくような快感がそこにある。箸でつまむと、“さあ、食べてくれ、食べてくれ”と言わんばかりだ。芋だけでなく茎も入れてある。これは特に“とろとろ”で、逃げる茎をつまむのも楽しく、噛めば少しだけ歯にさわるが「生産者」が食べられる一品だ。これに茗荷(みょうが)を刻んで入れればよりすっきりした味に引き立ち、どこに出しても恥ずかしくない汁物になる。ついでだが、おひたしの脇に焼きニンニクもひとかけ添えてある。これは麹味噌(東由利の親戚から毎年いただく)をつけて食べるのだが、ほかほかご飯に少しのせて口に運ぶと舌が小躍りする。加えて定番の噛み応えのある黒豆やサンマの自家製佃煮で朝から食は進む。あとは今や遅しと『かぶの“がっこ”』を待っている。

 子供時分、母親は年配の来客にお茶うけとしてよく菊とエゴのやまかけを出していたことを思い出す。エゴは夕食にも並ぶがあっさりした食感が大好きだ。今は高級品かな?父はその頃、種苗交換会につがいの「白色レグホン」を毎年出展していた。数週間前から羽をお湯で拭いたり、尾羽を「こて」で伸ばしたりと忙しかった。特に雄の口の下にあるトサカと同じ赤い、なんというのか垂れている周辺が黄ばんでいて一生懸命拭いていたことを思い出す。くちばしの周りが汚れるのは仕方ないのではと思うのだが、今となれば懐かしい。

 秋田県種苗交換会は今年第141回めを迎える。農家の救済や農業振興に一生を捧げた石川理紀之助翁が34歳の時に創設したもの。県内の各市が持ち回りで開催する長い歴史と伝統を持つ農業祭典は全国でも珍しいのではないだろうか。稲作・野菜・花卉・果物と農作物全般の総合展示審査会だが、担い手不足・TPP旧奈良家 協定など農業を取り巻く環境は様変わりをしている。今は鶏など家畜の展示はしていない。
 理紀之助翁の実家は今年の甲子園を沸かせた金足農業高校のすぐそばにある、旧奈良家の別家。勝つたびに全身をうしろに反らす校歌の歌いだしが『♪可美しき郷(うましきさと) 我が金足・・・』。そして教育方針は理紀之助翁の「寝て居て人を起こすこと勿れ」で、その教訓が今も脈々と受け継がれていると聞く。

 手入れを怠った“わが農園”、09_59③今年はさんざんであった。特にカラスに悩まされた。網はかけていたが、5センチぐらいになったきゅうりを引っ張り出し、私の腰かけまで持ってゆき、皮を残して食うとか、カボチャやメロンをくりぬくように食うとかは当たり前。特に悲惨だったのがトウモロコシ。明日、もぐかという時、人よりも丁寧に皮をむき実を一つ残さず全部やられた。20本ほぼ全滅。あるもんでない!枝豆もがっかりした。高級な品種の発芽は遅いと勝手に思い、一生懸命水遣りをしていた。しかし、とっくに芽をやられたことを知らずに水遣りをしていたのだ。アホウ・アホウ。鼠もひどかった。サツマ芋の半数は写真のような被害に遭った。来年はしっかりと対策をとるぞ!

平成30.11月

 

社長だより vol.46

【人違い】

 先日、市内の総合病院でのこと。二階の廊下にある診察待合の長椅子に腰を下ろして間もなく、“コンドウヨシユキさん”と看護師が呼ぶ。“随分と早いな”と思いながら、「ハイ!」と腰を上げたところ、筋向かいの男性がすっと立ち上がり診察室に入ってゆく。“へえ、同姓同名か本当かな、ヨシユキはどう書くんだろう。こんなところで偶然があるんだなあ”と、コンドウヨシユキサンが座っていたところを見ながら目を閉じた。
 『コンドウヨシユキさんは大柄で180センチはあるだろう、がっちりした体形だ。上下黒のジャージーに黄色のストライプ、白黒模様のNメーカーのスニーカー、歳は42・3位か、眼鏡はなく、顔は四角で眉毛は太く、髪は短い。パーマはかかっていない。何やら書類のようなものを持っていた。沈んだ感じで、話しかけにくい雰囲気もあり、その筋の人か、今日は非番なんだろうか』などと思いながらうとうとしてしまった。09_58①

 先月、この総合病院の採血センターで聞き覚えのある名前が耳に入った。「〇〇キヨカツ」さん、“キヨさんだ”。私がまだまだ駆け出しのころ業界でお世話になった方だ。偶然同じ診療科のようで、同じ名前をまた聞いた。2回こんなことが続いた。2回目に悟られないようじっくりと“観察”した。七十半ば過ぎと見える。体つきも当時に似ており、何よりはにかむような表情に懐かしさを感じた。
 私は当時この方から、『ナショナルのげんこつ』、2はつを入れた自作のスピーカを2台譲り受けていた。箱は20ミリのパーチクルボードで黄色い断熱材をぎっしり入れてあった。見てくれはともかく、音割れもせず、奥行きのある高音から重低音まで幅広く音色が伸びる優れもの。全体として柔らかい音色であり、感覚としてはダイヤトーンモニターの厚みにも劣らない20センチスピーカであった。

 キヨさんの消息は当時の関係者に尋ねてもようとして知れなかった。“これは偶然のチャンスだ「キヨさん!」、そう呼びかければピンとくるはず”と思って声をかけてみた。「失礼ですが、キヨさんですか?」、キヨさんは何か怪訝な面持ちで「この前も来てだすな!」と私の顔を覗き込む。私も見られていたのだ。“キヨさんだ!”しかし、返答は意外。少し笑みを含んで「いや、違うよ」という。仕方なく、「ああそうですか、失礼しました」と謝り、じっと看護師の呼び出しを待った。“過去を聞かれたくないかもしれない”とそれっきりにした。ただ、そんなに間の悪そうな表情にも見えなかったので、あの時の“キヨさん”に間違いない。
 2回も会えば単なる偶然とは思えない気もするが、長い人生から見ればそれほど低い確率ではないように思う。普段街で気づかずにすれ違っているのかもしれない。09_58②

  そして昨日、同病院で嘘みたいなことに出会った。あの『コンドウヨシユキ』さんを会計で見つけた。服装も同じだ。これも偶然か。呼び名をじっと耳を凝らして聞いていたら “◇◇ドウヨシユキさん”と呼ぶではないか。“えっ”、「今の人、◇◇ドウヨシユキさん?」、思わず、窓口に確かめようとしたがやめた。これは同姓同名でなく、単に聞き違いのようだ。帰って電話帳で調べたら本名字はなく私も初めて出会う名字だった。 

平成30.10月