カテゴリー: 社長だより

社長だより vol.48

【確率】

 “えっ、当たってる?まさか?”。早鐘のように心臓がドキドキする。“本当?”、息を詰めて『1等宝くじの番号』に紙を当て、新聞に照らし合わせ、左から一つづつずらして数字を確認してゆく。思わず“わー”と叫び、めまいがし、卒倒しそうになる。数日後、気持ちを落ち着かせ、もう一度確認して銀行へ乗り込む・・・

 大暮(おおぐれ)は何かと気忙しいが、お正月をひかえ、何となくウキウキもする。その高揚させる一つに宝くじがある。雑踏の中で宝くじ売り場に出会うと、“これは神様の引きあわせだ。当たるかもしれない”と、かすかな幸運へ心が躍り、家内から白い目で見られながらもついつい連番20枚、バラ10枚などと買ってしまう。典型的な衝動買いだ。もちろん今まで300円以上のくじに当たったことはない。しかし、買ったその夜だけは、もし当たったら、『純数寄屋で建て直すか、しかし、この歳だ。好きな温泉場に引っ越ししようか』などと一瞬膨らんだ夢を見る。しかし直ぐに、『いやいや、まずは自宅で終末を迎えるために、訪問医師・看護師・介護士と相談しよう』などと、一気に現実に押し戻され、宝くじ売り場夢見ることさえ虚しくさせられる。

 よく、高額当選くじが出ると噂がある売り場は、購買者が引きも切らない。果たして高額当選が多く出る売り場があるのだろうか。あるとすれば勿論その売り場に並ぶ。しかし、常識的に考えても1ユニット1000万枚に1等が1本、2等が5本とか言われているようだが、 特定の売り場に当たりくじが出るということはないはず。ただ、発売枚数が多い売り場であれば当選の確立が高くなるのは当然だろう。
 滅多にテレビで抽選会をみることもないが、0から9までの数字が等間隔で割り付けられている円盤風車に音楽が終わると同時に“ビシッ・ビシッ“と矢が放たれ、“組番号、100の位、10の位、1の位、・・・”と左から順に発表されてゆく。かすったためしもない。冷静に考えると、当たる確率は一桁ごとに10分の1の確率であり、組番号も入れると9倍となる。1等1本だけでみれば実に1億分の1の確率?本当かな?車の登録ナンバー09_60②は自分で選べるが、宝くじのあたりは全くの人任せ。一喜一憂することもないほどの冷酷な確率であり、結果、否応なく「当りと外れ」しかないことに気づかされる。

 帰宅した私に、家内が“テレビで聞いた”と明るい響き。“過去高額当選者の星座は、ふたご座、さそり座、みずがめ座、おとめ座だそうよ”、と。なんと、我が家の長男・長女・妻・私でどんぴしゃりだ!こんな偶然があったのだ。1等当選確率は複雑な確率計算になるが、なんだか高確率にみえてきた。しかし、冷や水も待っていた。“当選者の年代は60台、50代、そして40代の順”とのこと。「富久(とみきゅう)」や「芝浜」のようにうまくゆくはずもない。“いや、この際膨らんだ確率だ。信じてあの噂の売り場へ、大安の日を忘れずに買いに行こう!

平成30.12月

 

社長だより vol.47

【反省】

 朝ごはんに昨日摘んだ菊のおひたしが出てきた。菊薄口醤油を少したらし、初物を味わった。酢を入れてさっと湯がくだけとのことだがサクサク感がたまらない。また、いつからかセリとも違う苦みにも虜になってしまった。間もなく“もってのほか(右写真の赤紫)”も咲きそうだ。当分楽しめる。
 味噌汁は、里芋と豆腐と油揚げ。“ずずっ”と飲めば、とろみがなんともやさしく喉をくだる。じわっと染み込んでゆくような快感がそこにある。箸でつまむと、“さあ、食べてくれ、食べてくれ”と言わんばかりだ。芋だけでなく茎も入れてある。これは特に“とろとろ”で、逃げる茎をつまむのも楽しく、噛めば少しだけ歯にさわるが「生産者」が食べられる一品だ。これに茗荷(みょうが)を刻んで入れればよりすっきりした味に引き立ち、どこに出しても恥ずかしくない汁物になる。ついでだが、おひたしの脇に焼きニンニクもひとかけ添えてある。これは麹味噌(東由利の親戚から毎年いただく)をつけて食べるのだが、ほかほかご飯に少しのせて口に運ぶと舌が小躍りする。加えて定番の噛み応えのある黒豆やサンマの自家製佃煮で朝から食は進む。あとは今や遅しと『かぶの“がっこ”』を待っている。

 子供時分、母親は年配の来客にお茶うけとしてよく菊とエゴのやまかけを出していたことを思い出す。エゴは夕食にも並ぶがあっさりした食感が大好きだ。今は高級品かな?父はその頃、種苗交換会につがいの「白色レグホン」を毎年出展していた。数週間前から羽をお湯で拭いたり、尾羽を「こて」で伸ばしたりと忙しかった。特に雄の口の下にあるトサカと同じ赤い、なんというのか垂れている周辺が黄ばんでいて一生懸命拭いていたことを思い出す。くちばしの周りが汚れるのは仕方ないのではと思うのだが、今となれば懐かしい。

 秋田県種苗交換会は今年第141回めを迎える。農家の救済や農業振興に一生を捧げた石川理紀之助翁が34歳の時に創設したもの。県内の各市が持ち回りで開催する長い歴史と伝統を持つ農業祭典は全国でも珍しいのではないだろうか。稲作・野菜・花卉・果物と農作物全般の総合展示審査会だが、担い手不足・TPP旧奈良家 協定など農業を取り巻く環境は様変わりをしている。今は鶏など家畜の展示はしていない。
 理紀之助翁の実家は今年の甲子園を沸かせた金足農業高校のすぐそばにある、旧奈良家の別家。勝つたびに全身をうしろに反らす校歌の歌いだしが『♪可美しき郷(うましきさと) 我が金足・・・』。そして教育方針は理紀之助翁の「寝て居て人を起こすこと勿れ」で、その教訓が今も脈々と受け継がれていると聞く。

 手入れを怠った“わが農園”、09_59③今年はさんざんであった。特にカラスに悩まされた。網はかけていたが、5センチぐらいになったきゅうりを引っ張り出し、私の腰かけまで持ってゆき、皮を残して食うとか、カボチャやメロンをくりぬくように食うとかは当たり前。特に悲惨だったのがトウモロコシ。明日、もぐかという時、人よりも丁寧に皮をむき実を一つ残さず全部やられた。20本ほぼ全滅。あるもんでない!枝豆もがっかりした。高級な品種の発芽は遅いと勝手に思い、一生懸命水遣りをしていた。しかし、とっくに芽をやられたことを知らずに水遣りをしていたのだ。アホウ・アホウ。鼠もひどかった。サツマ芋の半数は写真のような被害に遭った。来年はしっかりと対策をとるぞ!

平成30.11月

 

社長だより vol.46

【人違い】

 先日、市内の総合病院でのこと。二階の廊下にある診察待合の長椅子に腰を下ろして間もなく、“コンドウヨシユキさん”と看護師が呼ぶ。“随分と早いな”と思いながら、「ハイ!」と腰を上げたところ、筋向かいの男性がすっと立ち上がり診察室に入ってゆく。“へえ、同姓同名か本当かな、ヨシユキはどう書くんだろう。こんなところで偶然があるんだなあ”と、コンドウヨシユキサンが座っていたところを見ながら目を閉じた。
 『コンドウヨシユキさんは大柄で180センチはあるだろう、がっちりした体形だ。上下黒のジャージーに黄色のストライプ、白黒模様のNメーカーのスニーカー、歳は42・3位か、眼鏡はなく、顔は四角で眉毛は太く、髪は短い。パーマはかかっていない。何やら書類のようなものを持っていた。沈んだ感じで、話しかけにくい雰囲気もあり、その筋の人か、今日は非番なんだろうか』などと思いながらうとうとしてしまった。09_58①

 先月、この総合病院の採血センターで聞き覚えのある名前が耳に入った。「〇〇キヨカツ」さん、“キヨさんだ”。私がまだまだ駆け出しのころ業界でお世話になった方だ。偶然同じ診療科のようで、同じ名前をまた聞いた。2回こんなことが続いた。2回目に悟られないようじっくりと“観察”した。七十半ば過ぎと見える。体つきも当時に似ており、何よりはにかむような表情に懐かしさを感じた。
 私は当時この方から、『ナショナルのげんこつ』、2はつを入れた自作のスピーカを2台譲り受けていた。箱は20ミリのパーチクルボードで黄色い断熱材をぎっしり入れてあった。見てくれはともかく、音割れもせず、奥行きのある高音から重低音まで幅広く音色が伸びる優れもの。全体として柔らかい音色であり、感覚としてはダイヤトーンモニターの厚みにも劣らない20センチスピーカであった。

 キヨさんの消息は当時の関係者に尋ねてもようとして知れなかった。“これは偶然のチャンスだ「キヨさん!」、そう呼びかければピンとくるはず”と思って声をかけてみた。「失礼ですが、キヨさんですか?」、キヨさんは何か怪訝な面持ちで「この前も来てだすな!」と私の顔を覗き込む。私も見られていたのだ。“キヨさんだ!”しかし、返答は意外。少し笑みを含んで「いや、違うよ」という。仕方なく、「ああそうですか、失礼しました」と謝り、じっと看護師の呼び出しを待った。“過去を聞かれたくないかもしれない”とそれっきりにした。ただ、そんなに間の悪そうな表情にも見えなかったので、あの時の“キヨさん”に間違いない。
 2回も会えば単なる偶然とは思えない気もするが、長い人生から見ればそれほど低い確率ではないように思う。普段街で気づかずにすれ違っているのかもしれない。09_58②

  そして昨日、同病院で嘘みたいなことに出会った。あの『コンドウヨシユキ』さんを会計で見つけた。服装も同じだ。これも偶然か。呼び名をじっと耳を凝らして聞いていたら “◇◇ドウヨシユキさん”と呼ぶではないか。“えっ”、「今の人、◇◇ドウヨシユキさん?」、思わず、窓口に確かめようとしたがやめた。これは同姓同名でなく、単に聞き違いのようだ。帰って電話帳で調べたら本名字はなく私も初めて出会う名字だった。 

平成30.10月

 

社長だより vol.45

【うかつだった】
09_57①  今年 4月20日過ぎにKHさんから葉書がきた。“あー、頑張っているんだな”と妙な安心感がかえって不安を募らせた。家内に“こんな葉書が届いたよ”とみせたら、“大丈夫かしら”と言う。彼の病状のことは以前から話してあるのできっと私と同じ思いだったのだろう。

 葉書にある作陶二人展開催の当日、まだ準備中の彼を訪ねた。ガラス越しだがいっそう痩せたように見える。やがて外にいる私を見つけ、あの人なつこい目で恥ずかしそうに“来たか”と見ている。外に出てきた彼は黒のハットをかぶっていた。“今回はギャラリー個展をやめ、普段興味のない人にも気軽に見てもらいたくてウインドーショップ的なミニ展覧会にした”と言う。しかし、声に張りもなくいつものあの開催意欲を伝えられないもどかしさを感じた。

 二人で店の前のベンチに座り、09_57②作品を見ながら彼は病状のことやら展示作品のことを話し始めた。私が制作依頼している「小ぶりの天目茶碗」に話が及んだ時、私の手を握り、“わかってる、わかっているよ、頑張る”、という。私は励ますつもりだったが、つい “今回の展示作品は華やかさがないな”と、うっかり言葉に出してしまった。彼から一瞬“そんなことはない”と、声にならない強い語気を感じた。私も慌てて、“深みが凄みに見える”と口ごもったが彼に届いたろうか。独特な釉調を端正な形に現す芸術家に対し、たとえ本音であったとしても、まして今使えるはずもない言葉であった。それにしてもうかつだった。

 6月27日の朝にKHさんから『今日〇病院を退院です。次回から外来診療です。元気に頑張ります。ご心配をお掛けしております。ありがとうございました』とのメール。発信時間からして病院での朝食前、ベッドの上で書いたものだろう。私から、『おはようございます。いま千葉のホテルです。メールにKHさんの発信名、正直一瞬緊張しました。しかし、よかったですね。安心しました。そのうちに』、と返信した。
この「緊張」の言葉を使うのにはためらいがあった。正直、危ないのかと感じたからだ。というのは、5年前に四日市在住の二年先輩のWさんから携帯に、絞り出すような声で、“近藤さん、俺、今回はだめかもしれない”と言われ、翌日慌ててお見舞いに伺ったことがある。水も喉を通らない状態であったが意思そのものはしっかりしていた。帰秋して1週間、私の携帯にWさん名表示で電話があった。“えっ”、もしかしてと緊張しながら携帯を耳に当てた。やはりWさんではなかった。“父が亡くなりました。生前の秋田での暮らしが分かりませんので教えてくれませんか”という問い合わせであった。

 釣窯釉一輪挿し8月8日、地方紙のお悔やみ欄でKHさんの訃報を知った。翌9日、顔写真入りでその業績が2段組みで大きく紹介された。そして、11日、同紙一面のコラムに “理想の街づくりを目指し、芸術文化を熱く語る真剣な表情が今も目に浮かぶ”と生前の活動が称えられた。葬儀には同期を始め、陶芸家・元教授を慕う多くの参列者が道半ばの終いを悼んだ。
 時間がないと覚悟する人の気持ちを知悉(ちしつ)することはできない。メッセージを遺されたものにとっては当惑しかないが、責任を解かれるかもしれないことを悟れば強さになるのかもしれない。私にその覚悟ができるだろうか。近況を知りながら言葉を交わすことなく、メールでのやりとりが最後になってしまったことをただただ申し訳なく思う。

平成30.9月

 

社長だより vol.44

【父の書付け】

 今年も“のうぜんかず凌霄花ら(凌霄花)”が咲いた。例年、『土崎の港まつり』が終わって7月下旬なのだが今年は1週間以上早い。来年十三回忌の父はこの花が好きで、秘かに孫の長女へ「桂子」と名づけたかったらしい。私もこの花は、嫌いではないが、花の落ち方にしっくりこず、父には悪いなと思いながら別の名をつけた。もっとも、父は“のうぜんかずら”の“かずら”を「桂(かつら)」と思い込んでいたふしがあるので、もし「桂子」と命名して後で長女に説明がつかず困ったことになったかもしれない。

 父は几帳面な人だった。私からは想像もつかない性格だ。庭の草とりなどを見ていてもよくわかる。炎天下、年季の入った麦わら帽子をかぶり、座り込んで1センチにもならないような雑草を端から端まで根気よく抜いていた。よくそんなに丁寧に草とりができるもんだと呆れてもいた。だからと言って“手伝ったわけでもなかったし、自分の仕事あとを見ては真似できないな~”と、今朝、庭の草取りをしながらそんなことを思っていた。
 庭の掃除や草取りに欠かせないものに「蚊取り線香」がある。父から昔「蚊やり線香」と聞いていたが、いつしか「蚊取り線香」になったとも聞いたことがある。昔の白黒映画にはよく登場する「蚊取り線香」。子供時分、窓という窓を開け放ち、畳の匂いを嗅ぎながらの昼寝。風上から流れてくる煙を見て頼りなさを感じたものだが、庭掃除には実にいい仕事ぶりだ。

  先日、断捨離ではないが、父の身の回り09_56②品を整理していたところ、三回忌後の整理で処分したはずの“書付け”が目に入った。私への最後の申し送りだったのかもしれないこの書付け。また目にしてしまった。父が死んでからの身の回品などの処分、読んで用が済んだらすぐに捨てるか、灰にするのが本当なのかはわからないが、私には捨てられないものとして遺してあったのだろう。
 親父が指に力を入れて書いたであろう書付け。私にこんな書付を遺せるだろうか。言われたことを実行し、まだ墓碑銘には両親の戒名しかないが、おっつけ親父に会って、“来たよ”ということになるだろう。まじめな父は“まだまだはやかったろう!”とたしなめるに違いない。父は全部整理をしてもらうことが希望であったかもしれないが、海軍時代の写真など簡単に灰にもできない。しかし、子供に後を託してもまごつくだけだろう。私が両親へ最後のおつとめをすることに越したことはないが、もしかしたら古いことに興味のある長女が後を継いでくれるかもしれない。

 私は父に不満はなかったが、あまり話したことはなかった。それは母に対しても同じだ。日常の漠然とした事柄について話し合うという習慣がなかったせいかもしれない。ただ県外に出ていた時、数度、国鉄の安月給家庭に無心の葉書を送ったとき、近況を添え書きしたことがある。おそらくこんなことを書いていただろうことは容易に想像できる。いまとなれば赤面するが、三回忌後の整理ではその葉書はなかったのできちんと子供の恥は残さないようにしてくれたんであろう。今、凌霄花の朱色の花が咲くと決まって父のことを思い出す。お盆ももうすぐ、仏壇もきれいにして迎えよう。

平成30.8月