カテゴリー: 社長だより

社長だより vol.62

【いいものをみた】

 暖冬とはいえ、冴えかえる時などは温もりのある布団に執着が強くなり、あともう少しなどと寝ぼけていると、階下で朝食の準備をしている音が聞こえる。障子も雪明りがないのでまだ暗く早いと思うが、携帯が呼んでいる。申し訳なく暖まった部屋にのこのこ手すりにつかまりながら降りてゆく。着替えもそこそこに仏さんに急いで向かう。膝が悪いからと言って私は後ろにいて、足を投げ出し、漂う線香の煙を見ているだけ。実にいい加減なおつとめだ。

 食卓に着くとまず“がっこ”(『雅香』)を食べる。今は聖護院かぶと一緒につけた大根の“ビールづけ”。香りはかぶそのもの。歯触りは大根、漬かり具合といいなかなかの味だ。大半は私の腹に納まる。秋田では漬物を総称して“がっこ”といい、『何々がっこ、例えばいぶりがっこ・なすがっこ・みそがっこ』などと呼ぶ。数年前までは生大根を「なた」でざくぎりし、麹で漬けた“なたづけがっこ”が冬の定番であった。特に桶に薄氷が張るような時は絶品だ。この頃は直ぐに発酵して“漬かりすぎ、捨ててしまうのでつくらない”という。私はこの漬かりすぎのあめ色になったものが大好きで、どんぶり一杯でも食べられる。何とも暖冬がうらめしい。

 それでも今日は寒いからおでんがいいなと思って帰ると、ずばりおでんが出ていると思わず“にやり”とする。白い湯気とともに立ち上るおいしそうなにおいをかぎながらお目当てはもちろん大根。力を入れることもなく箸がすっと入る。あつあつをほおばると、離れて暮らす子供達にこれがマイ畑の大根と食べさせたくなる。

 腹の中から温めるのもいいが温泉もいい。先日家内と一泊で、県北の海沿にある温泉ホテルに投宿した時のこと。身も心も暖まる光景をみた。湯船から90歳過ぎのおじいさんに40歳過ぎに見える孫がおじいさんの頭や背中を丁寧に洗っている。気持ちよかったんだろう。おじいさんが頷いているのが見える。手すりを指して、転ばぬよう、“立つときは手すりにつかまって”とでも言っているのだろう。何度もなんども頷いている。私も両親をよく温泉に連れて行ったが、なんとなく気恥ずかしさが先に立ち、ついぞ背中を流してやったことはない。洗ってや09_74ったらきっと“喜んだろうな~”と、今更ながら悔やんでいる。

 昨夜は風が強く、しばらくぶりで虎落笛(もがりぶえ)のような風を聞いて寝た。朝、静かなので期待して外を見たが“雪は降っていなかった(積もっていなかった)”。今年は“雪が降っている”中を歩いたこともない。雪がないと少しの風でも寒さをより感ずる。
 手元の国語辞典で「寒」の付く言葉を見たら寒何々がいっぱいある。その中で、寒害(寒さのために起きる農作物の被害)・寒心(ぞっとすること)の標記がある。はじめての言葉にお目にかかった。マイ畑の玉ねぎとニンニク、今年は雪の布団がない。大丈夫だろうか。「寒何々」とか「冬何々」とかが多いのは、日本人の生活に季節の影響が大きいことを反映しているのだろう。やはり降る時は降ったほうがいいにきまっている。

 社長だよりは、今月第62号をもって終了することにしました。長い間、マイ畑を中心に身の回りの出来事にお付き合いいただき感謝いたします。

令和2年.2月

 

社長だより vol.61

【シロネズミ】
09_73①
 お正月と言えば、お雑煮。我が家はつゆっこ餅。昆布と鶏の合わせ出汁。角切りの焼餅、具材はいたってシンプルで、鶏とみつぱそして蒲鉾。結婚して味噌仕立てからこのスタイルとなった。大晦日の年取りのお重を突っつきながら元旦に食べると新年を迎えた気になる。そして、体重が気になるころに七草粥となる。腹にやさしく野菜がごたごたはいった大好きなお粥。戦中・戦後のことはわからないが、贅沢な雑炊を食べると新年へ一層神妙になる。

 今年は子年。十二支の始めがなぜ鼠なのかの由来はとうとうわからなかった。そのうちの出会いをまとう。地方によっては正月に鼠というのを嫌って“嫁が君”というそうだ。言葉の歳時記(*1)に「養蚕の盛んな地域で蚕に害を及ぼすものとして鼠を非常に嫌い、鼠と言っただけでそこら辺から出てくるので、“嫁が君”とこっそりと言った」そうだ。また、「嫁が君と呼ぶ理由は、ヨノモノ・ヨモノ・ヨメゴなどとなまってヨメがキミとなった」と紹介されている。
 鼠はコメ・野菜を食い荒らすなど害をなすもの。昨年はマイ畑のジャガイモ・さつまいも・カボチャ・メロンをほとんど壊滅させたにっくき害獣でもある。また、『子の年は穀ミノラズ』というが他の干支でもおなじこと。自然災害は繰り返される。凶作に備えよと言っているのだろう。また、怪談めいた子規の有名な『行燈の油なめけり嫁が君』とかもあり、彼らには何の責任もないのだがその器用さが災いをなしている。

 そのかわいい姿に似合ういい諺がなかなか思いつかない。「子孫繁栄」が浮かぶものの、一方で“ネズミ算式で増殖”の表現はいろんな局面でより多く使われる。彼らの名誉回復にふさわしい言い回しかどうかは分かれるが、『天井で鼠が鳴くのは吉治が来る兆し(*2)』、くるくる立ち働くことを「コマネズミのように働く」がある。江戸時代には「あの大店(おおだな)のシロネズミ」という言い方があった。このシロネズミは主人に忠実な奉公人、番頭さんを指すと聞いている。なぜかというと「ネズミはチュウ(忠)と鳴くからだという。ネズミの中でも白いネズミは数も少ないので特に珍重されたのだろう*2」

 今年は一部エコノミストの間で、景気に変調をきたすのではとの予測がささやかれている。地道な商売を目指し、『ネズミにひかれないよう』シロネズミの経験と勘を大事にしよう。そして、「いまだかつてないとか、命を守る行動」などのニュースがないことを心から祈ります。

*1 言葉の歳時記(1月2日) 金田一春彦著  新潮文庫
*2 語源散策(十二支散策)  岩淵悦太郎著  毎日新聞社

 

令和2年.1月

 

社長だより vol.60

【佐竹本三十六歌仙絵】

 解体新書の挿絵を描いたことで有名な秋田藩士・小田野直武(おだのなおたけ)は秋田県角館の出身、本格的な洋風画を全国に先駆けて誕生させたことでも知られている。美術の副本でも近代絵画の欄では必ずと言っていいほど『不忍池図(重要文化財、秋田県立近代美術館所蔵)』が掲載されている。右半分に鉢植えの芍薬と右端に太い幹、左に池をはさんで対岸の景色を描いているあの絵だ。本物に出会った時、遠近の静かな佇まいに一人別世界に入りこんだような錯覚があったことをはっきりと覚えている。秋田の絵画は佐竹藩主に多くの名作が残されていると言われる。特に第八代佐竹義敦(よしあつ)、四代義各(よしただ)や九代義和(よしまさ)公などであるが、残念なことに没後は狩野画や秋田蘭画の発展を見なかったようだ。

 引かれるように鎌倉時代の名品、現存最古と評される『佐竹本小大君三十六歌仙絵』展覧会に向かった。『佐竹家は1917年に売りたて、手にした実業家は第一次大戦後の終結を契機に手放した*1」。佐竹家に所蔵されていたことに美術界ではたいへんな驚きがあったようだ。
 しかし、(現在の価格で約35億円とも言われる)高額で誰も購入できず、海外流出を恐れ分割し、財界人が籤で購入することとなった。この時の緊張のざわめきは『「画運-順次に内振る「青竹の籤(くじ)筒 遂に分かたれし三十六歌仙」と中外商業新報(日本経済新聞の前身)が1919年大正8年12月22日に報じている*2』。今年はその分割からちょうど100年目、離ればなれになった歌仙絵37枚のうち31枚が京都で再会することとなった。
*1 10/29 秋田さきがけ新報 佐竹資料館講演会から
*2 10/21日本経済新聞23ページ

 以前から佐竹本三十六歌仙絵で気になっていたのは、なぜ佐竹家に所蔵されていたのかの流転と、これだけの名品をよくもバッサリと裁断することに気が咎めなかったかである。分割で共有と言いながらも切った行為があまりにも味気なく、あるいはどさくさ紛れでなかったかと思っていた。
 ところが、もともと一枚一枚の歌仙絵であったものを張り合わせしたことをNHKテレビで知った。分割するときは腕の立つ表具師が細心の注意で剥いだとのことで納得しないがわかる気もする。09_72③09_72②

 照明を落としたガラス越しの歌仙絵は和歌を踏まえた肖像と言われる。右の坂上是則(さかのうえのこれのり)は目を凝らしてみると、遠くへ思いをはせるような目の表情や“寒さのための赤い頬”などその繊細な描写へ心が惹かれる。
 また、所有者によって趣向を凝らした表具にも目を見張る。『中世の絵を切り取り、「表具・肖像・歌」が一体となって』その存在価値をかけがいのないものにしている。
(上記『 』・下記和歌・口語訳とも開催パンフレットから)
 和 歌   みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさりゆく
 口語訳  吉野の山には雪が積もっているだろう。奈良の都も寒さがましていく

 会場には歌仙絵のシミなども本物と寸分違わぬ複製もガラスケースに展示されていた。一枚いちまい2~3ミリ重ねて張り合わせていたことも下からの照明で“確認”できた。長い間の小骨が取れたようだ。
 今冬は秋田県立近代美術館(横手市)や秋田市立千秋美術館の企画展で秋田蘭画をじっくりと楽しむことにしよう。そして新年を新たな英気で迎えよう。

令和元年.12月

2019/12/16 1行目の「佐竹藩士」を「秋田藩士」に訂正する。

 

社長だより vol.59

【身に入む(みにしむ)】

 台風15号・19号の爪痕はただただ凄まじい限りで、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。自然の仕返しなどとは思いたくもないが、「災害は忘れたころにやってくる」というのは昔の言葉になったかもしれない。次から次と襲ってくる『過去に経験したことのない』という気象庁の表現に体が強ばる。自然は嘲笑っているのではないだろうが、どうしたものだろう。

 あの暑い夏が去って、過ごしやすい天候になると夜も長くなる。灯火親しむ侯となるのだがチョッキ、特別読み残している小説を読むでもなく、母親が古毛糸で編んでくれたチョッキを着て、定番の粗大ごみ、“ごろっ”とよこになってテレビのチャンネルを回している。
 チョッキは3枚あり、1枚はUさん、そして私と家内に遺された。女性用は腰までの長いものだ。三枚共ボタンが左前で女性向けである。着るときはいつも勝手が違うので着にくい。この頃はボタンを外さず、かぶることにしている。大きめに“だぶっと”編まれて着心地もよく、今の時期手ばなされない。毛玉もだいぶ目に付くようになった。

 Uさんの夫君は元国語教師。早期退職して読書(と散歩)三昧の生活だ。月に1~2回は老々介護というわけでもないがご高齢の二人暮らしの様子見を兼ねて遊びに行く。いつお邪魔をしても“はい、どうぞ”と嫌な顔もせず歓待していただく。何かを相談するというのでもなく、“ガッコ漬けた”とか“草むしりをした”とか、ただ毎日の生活を話している。最近、Uさんは“腰が痛い”などを繰り返すようになった。その度に夫君は“それが歳をとったということ、嘆く必要もないよ”とさらっと返している。今まで何度か言われても聞き流していたせいもあるが、この頃“嘆く必要もない”を聞くと素直に腑に落ちるようになった。ブナの紅葉
 このご夫婦、日常生活、買い物、旅行など一切飾ることをしない。会話でもお互い気兼ねなく喋っているように見える。ただ、Uさんは夫君とすれ違いがあるときは、“私はわたし、お父さんはおとうさん”が口癖なのでその時を察知したときは家内と話を聞くことに徹している。Uさんは最近耳が遠くなったせいか大きな声で話す。すれ違いの時も、そしてよく笑う。誠に羨ましい自然体である。
 最近、夫君から身につまされるような話があった。いわゆるカラスへの贈り物『断捨離』に話が及んだ時のこと。“死んでから残された人への思いやりで、生前に身の回りを整理しておく必要はない”というのだ。そして、重ねて言う。“死んでから自分がどうされようと分かる訳もなく、家族がやりやすいようにしてくれればいい。最近の断捨離が当たり前のような風潮には辟易する”という。

 私もそう思うが、遺族への思いやりというのではない。ただ単に、身の回りの整理がつかず、ものに囲まれているような生活なので、大事なものはきちんと残すことが必要だと思うだけだ。淡々としたU夫妻を見て羨ましく、中途半端な自分に嫌気がさすときもある。この期に及んでだ。きっと日々の生活に素直に感謝する心がないからだろう。秋風は身に入むばかりだ。

令和元年.11月

 

社長だより vol.58

【つれづれに】

 この頃、盛岡への行き来は国道46号線(仙岩道路)を通ることがほとんどだ。入社してすぐの社員慰安旅行で、工事中の46号線を横に見てつづら折りの国見峠を数台の社有車でつなぎ温泉に向かったことがある。頂上付近は霧が濃くて5メートルも離れれば声でやっとわかるぐらいであった。ブロッケン現象が起こるのではないかと思うような天候だったと思う。山頂は茫々としており周りを見る余裕もなく固まって写真を撮った気がする。手もかじかみ、当時の山の上の「峠の茶屋」で甘いおでんをほおばったことを通るたびに思い出す。
 峠の紅葉はまだまだ早いが、もう2~3週間もすればこの深緑が杉を残し全山黄色くなるなんて信じられないほど見事に葉の一枚一枚を変葉させる。トンネルを出るたびにそのあるはずもない紅葉がもしかしたらと心がせく。この峠の一番の見ごたえのある所に大きく膨らんだ路肩がある。窓を開けると山の冷気が肌にいよいよ秋を知らせる。

 「肌寒(はださむ)」という季語があるが、秋だけでなく例えば真夏に鍾乳洞に入って冷たさを感じた時など「肌寒い」と使える“万能季語”とも言える。金田一晴彦氏の『言葉の歳時記(新潮文庫)』に「肌寒」は“日中は汗ばむほどだが朝や晩はぐっと冷え込んで上衣がもう一枚ほしくなるような寒さ”と表現している。更に「そぞろ寒」と言えば、“秋になってそろそろ寒さが感じられるころ”、そして、「漸寒」という言葉が出てきた。“ややさむ”とふり仮名がある。“秋も終わりに近づいていよいよ寒さが厳しくなるころ”だそうだ。
 朝、寝室の出窓の障子を開けるとヒヤッとした透明な冷気が流れ、09_70①思わず、“ぶるっ”とする。こうした秋の寒さのことを昔から使ってきた言葉として、「朝寒(あささむ)・夜寒(よさむ)」があるとして、歳時記に載っていた。同氏が言われるように、折々に“日本人の肌はそれだけ季節の移行に敏感である”と言えるのかもしれない。

 また、秋と言えば、意味も分からず、“もののあわれ”や“心にしみる”などの言葉も出てくる。この二つの言葉に秋めいた意味はないと思うのだが、なぜか、秋の感傷を感ずる。“あわれ”と言うと、徒然草の第十九段に『折節の移りかはるこそ、もののあはれなれ もののあわれは秋こそ勝れと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて・・』 (角川文庫、ビギナーズ・クラシック、徒然草)とある。意訳では「四季の移り変わるようすは、何につけても心にしみるものがある。心にしみる味わいは秋が一番深い、と誰もが認めているらしい。それはそれで一理はあるが・・」と訳されている。理由はともかくとして、遠い昔から日本人は移り行く季節に何かの哀歓を感じてきたのだろう。

 今年のマイ畑。カラス・鼠、犬に荒らされたが、二人で食べるには充分であった。白菜・キャベツ・ささげ・きゅうり・ナス・カボチャ・みょうが等よく食べた。収穫量は少なかったが人参は格別歯ごたえもありうまかった。今年デビュー野菜で見逃せないのは椎茸だ。昨年購入したほだ木に自分で駒を打ったものだが、肌寒くなってからよく出てくる。見逃して手のひら大になるものもあるが、厚肉で形のいいものは当然酒蒸しだ。
 又、毎年作付けする小豆は不ぞろいで売り物にはならない09_70②が、約3.2キロの収穫ができた。外で篩の下に扇風機を置き、鞘のカスを吹き飛ばすのだが意外と効率がいい。部屋に戻って、虫眼鏡で虫食いや固そうな皴のよったもの、さらに腐って固まったものをえり分ける。ボケ防止で、左手でつまむ。なかなか面倒だが癖になる作業だ。今年の冬はいよいよ念願の自家製“本格水ようかん”、限界まで甘みを抑え、小豆の味を楽しむつもりだ。

令和元年.10月