秋田東北商事株式会社

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2017年02月の記事一覧
2017.02.01 | 事務美貌録

第十三回投稿 新・いなさななかま日記

★いなさななかま日記★ 2月号

 はじめまして、昨年から参加しました最後の“ま”です。

 何を書いていいのか良く分らず、いろいろ考えましたが、以前朝礼スピーチで健康川柳について話をしたのでその続きを書きたいと思います。

 健康川柳とは、NPO法人日本医学交流協会医療団 株式会社ドクターズプラザ(https://www.iryoudan.or.jp/poem/)が主催しており、昨年第10回目の健康川柳(健康・病気・ダイエットなどを題材にした川柳)を募集しておりました。

 

第10回目の大賞結果は以下の通りです。(ホームページより抜粋)

   大賞:退院だこの太陽は俺のもの (明人さん)

   優秀賞:ダイエット冷蔵庫にも言い含め (柴ょんさん)

   優秀賞:健康な歯からはグチも逃げてゆき (汐海 岬さん)

   優秀賞:健康に私の美貌支えられ (火星人さん)

   特別賞:病名が付いて病気になる患者 (遠藤 剛さん)

   佳作:検診のたびに縮んでゆく背丈 (三吉 誠さん)

   佳作:体重計乗る時妻の目がこわい (長島 邦夫さん)

   佳作:徘徊の噂打ち消す早歩き (古垣内 求さん)

   佳作:疲れない程度にジムで汗をかき (竹澤 聡さん)

   佳作:減量中緑が増える僕の家 (中澤 優さん)

   佳作:鏡前やせていたのは夢の中 (川嶋 竜生さん)

   佳作:病気とのモグラ叩きで生きている (たっしゃさん)

   佳作:何よりの良薬になる孫の顔 (川崎 博さん)

   佳作:バリアフリーに慣れて高さを忘れかけ (笹島 一江さん)

   佳作:検診の結果を妻が知りたがる (野平 光さん)

   佳作:問診でつい優等生演じちゃう (むーむーさん)

   佳作:健康を代弁してるいい笑顔 (さびしんぼうさん)

   佳作:無二の友体重計と万歩計 (クジラさん)

   佳作:牛の胃の ように別腹みんな持ち (紫苑さん)

   佳作:しあわせがいつも邪魔するダイエット  (夏みかんさん)

   佳作:健康を諭す言葉に棘がある (えみんさん)

   佳作:加齢です五臓六腑のきしみです (牛美さん)

   佳作:自分より 老いた主治医を元気付け (晴れ女さん)

   佳作:歩くたびイイネをくれる我が身体 (ミルキーババさん)

   佳作:少年が飛び出しそうなおじいさん (しなやかーるさん)

   佳作:まだ見たい夢があるから腹八分 (梶 政幸さん)

   佳作:散歩から恋が生まれる時もある (豊口 卓さん)

 どれも見ているだけで、分る・分ると言いたくなるような内容です。最近、俳句や短歌が流行っていると聞いた事があります。何かのご参考までに・・・

2017.02.01 | 社長だより

社長だより vol.26

【小野のふるさと その2】

09_38①

 菅江真澄遊覧記には西行法師がたびたび登場するが、『小野のふるさと(178511日~429日)』では1回だけ215日にその名がある。“釈迦入滅の日なので、(柳田村周辺の)御寺という御寺に門も狭いほど人々が詣でた。「花のもとにて春しなん」と、西行法師が誦したのもこの日ごろである*1”、と。この215日が西行忌である。入寂したのは文治六年(1190)といわれているから今から8百年以上も前のこと。当然だが、真澄はこのことを知っていたことになる。また、西行は遊覧記にあるように“「願わくは花の下にて春しなんその如月の望月(もちづき)のころ」と詠んでおり、ピタリとその日に往生してみせた*2”、と言われている。ちなみに兼好忌も215日。徒然草に“40歳に達しないうちに死ぬのがいい”とあるが、六十九歳で生涯を終えている。う~ん難しい・・。

十分一御番所跡写真


 日記の順序とは逆になるが、天正五年、415日、「銀を掘る山をみに出掛けようと、院内というところに泊った。流れる川を桂川という。水上は雄勝峠で、最上郡に下って行く陰から落ちてくるのだという*3」。実は雄物川源流の案内図など本拙稿へ写真を撮ってきたのだが、誤ってほとんど削除してしまった。銀山に関する写真はこの一枚しか残っていない。
 「まだふもとまで雪が積もっていたので歩いていると肌寒かった。この山の由来を尋ねると、関ヶ原の戦に敗れ、・・小野の縁者を訪ねてきた村山宗兵衛という人の夢に、神が金鉱のありかを告げられたことを手掛かりとして、長倉山を越えて谷深くたずねいると見た夢と少しも違わなかった。これは恐れ多い神示であったと人々にも語り、工夫を大勢連れてきて慶長十年(1605)に開けた銀山である、・・石を打ち砕いて銀をとる金槌の音がこだまし、山に響いていた*4」、と。慶長十七年に佐竹藩領となるが、写真は最盛期の十分一御番所跡(じゅうぶんのいちごばんしょあと*5)で、往時の活況がうかがい知れる。

 高校同期会、「39会報*5」最新号に秋田市在住のS氏が院内銀山をパワースポットの一つとして同好会で出かけたことを記してあった。その時は“工夫の命・廃坑?”程度であったが、実際に銀山跡地で背筋がぞっとした。国道13号線院内新バイパスをやり過ごし、ほどなく108号線に折れ、道路右側に銀山跡地入口案内がある。車1台がやっと走れるうっそうとした杉林を登って間もなく、右側の急峻な山肌を切り取ったような、間口50m×奥行き30mぐらいのところに数知れない墓標。その日はたまたま大雪が降った後だったので、帽子をかぶって“全員”がこちらをじっとみつめる妖気漂いS氏の記事がピントきた。通り過ぎてバックミラーも見ることができなかった。

 最盛期の天保十三年(1842)には谷という谷は人家で埋まり、戸数4,000、人口15,000人まで膨れ上がり、久保田をしのぐ繁栄ぶりと言われた。銀の算出は月産375キロを連続11年、日本一の記録を保持した。小生が目にした墓標はごく一部の番所役人等であろう。過酷な重労働でたおれたり逃亡で極刑をうけた工夫の生きたあかしはない。大正10年に採鉱停止となり315年の歴史は彼らだけが知っている。日記で数多くのしき(坑道)が掘られ、鉱石を精製する過程や、工夫の作業歌など事細かに聴き取りをしていることがわかる。真澄は5月に横手に向い、角館・西木を通り阿仁銅山もみている。ここにも詳細にその選鉱のようすが記されている。

1 ことばの歳時記(1月3日) 金田一晴彦 新潮社
2 我が国最古の歌仙絵巻と言われる佐竹本三十六歌仙複写絵巻(秋田県立図書館蔵:湯沢市ガイドマップより)。同期の生家に作者は不明だが「三十六歌仙の六曲一双」があったものの、さる処に寄進された由。後日、屏風を拝見した。なぜ寄進されたか切なさで胸がいっぱいになり時々目に浮かぶ
3・4・5・6・7・8 菅江真澄遊覧記1、「小野のふるさと」 内田武志編訳 東洋文庫
4 母親が鹿であったという話は和泉式部にも光明皇后にもある。美しい特別の才能を持った女性は常人と違った宿命的なものを背負っているというのがモチーフになったものといわれる(内田武志氏の解説より)
5 小町は少将に芍薬を毎日1本づつ100本植えたら会うことにしていた。あと1本で亡くなったといわれる
9 安永年間(1772~1781)から栽培されている香りのよい、シャキシャキ感のある全国ブランドの“三関のせり”。きりたんぽには欠かせない。長い根の歯ごたえ・香は病み付きになる。特産のさくらんぼも雄物川の川霧で色のりもよくことのほかおいしい。

平成29.2月