カテゴリー : エコムジャーナル
エコムジャーナル No.53
【気になるこの頃の“風習?”】
今年の我が家の大根、土掛けの手入れもなく11月中過ぎの収穫となってしまった。長雨で太り過ぎが多い。いつも通り天日干しはした。家内は樽に1本いっぽん秤にかけて重さを調整して調味料を入れていた。例年通りの漬物になればいいなと期待している。
この時期生大根のおつゆはことのほかおいしい。なぜ出汁が出るのかわからないが、「お椀」あふれるほど大根を食べると心もほかほかしてくる。また、納豆好きにもたまらない「大根おろし納豆」。おろしは汁ごと全部入れるがあっさりで甘みもある。自家製大根は本当に“するする”とのど越しがいい。ただし、納豆は「ひきわり」に限る。
すだれ前髪
テレビでまつ毛まで伸ばした前髪をみるたびに、“前髪を切れ”と言っている。そして、なぜこの人までがまつ毛にかかるような髪型にするのかと腹立たしい。公共放送の深夜放送アナウンサー、目が見えないのではと思うほど長くした前髪、電話をしてやろうかと思った。幼少時誰もが親から髪が長くなると、床屋へ行けと叱られたものだ。小顔が時代の流れと聞くが、見識のありそうな大人が時代に流されていいものだろうか。
驚いて大口を開ける
『秋刀魚の味』など昭和30年代の映画を見ていると、時代を反映してしっとりした風景や家族団らんが描かれていてホッとする。登場人物もこねった物言いもなく何か心の中にすっと入ってくる。一方、最近のドラマを見ていると大声をあげて臨場感を表す場面によく出くわす。圧倒されてしまうときもあるが後味が悪い、何か表現を変える方法がないものだろうか。
後味が悪いと言えば、テレビで出演者がびっくりしたとき、わざとらしく目を見開いて大口を開けるシーンはいただけない。こちらもそろそろ卒業してもいいのではないか。まったく馬鹿まる出しだ。これを秋田弁では“みたくね”という。
ら抜き言葉
以前地元新聞に、秋田出身の脚本家が「ら抜き言葉」が氾濫していることに苦言をていしたコラムが掲載されたことがあった。私もその通りだと柄にもなく共感したものだ。
例えば「食べられる」と「食べれる」を比べてみると、前者は親や社会からいつくしんでもらっているという背景が浮かぶが、後者は自分の力で食べているイメージがある。自分の努力・考えを主体的に表すように感ずるがどうだろうか。たまに、公共放送で「ら抜き言葉」が出ると大体「らあり言葉」のテロップが流れる。“よかった、ホッとする”。
近藤 嘉之
エコムジャーナル No.52
青森担当のIです。よろしくお願いいたします。
ネタが思いつかず今回は趣味の話をします。突然ですが、皆さん革製品はお好きでしょうか。革製品は耐久性が高く、大切に使えば’‘’一生モノ‘’となります。革には鞣し方によっていくつかの種類がありますが、私が好んで使用しているのはタンニンで鞣されたヌメ革です。
※鞣し(なめし)とは・・・
生物(なまもの)である動物の皮を樹液や種々の薬品で処理すること
※ヌメ革とは・・・
植物の渋にも含まれる成分のタンニンを使って牛の原皮を鞣し、型押しなどの表面加工をほとんど施さずに仕上げた革。数ある革の中でも最も革らしい雰囲気を持つため’’革の中の革‘’とも呼ばれます。(一部ネット引用)
ヌメ革の特徴としては、
① 素朴な匂いや滑らかな手触り
② 傷痕やシワ・血管や毛穴の痕などの自然の刻印がそのまま残されるため、表情が豊かで個性的
③ 丈夫で長持ち
④ 味わい深い経年変化
が挙げられると思います。
その中でも一番の魅力は④の経年変化にあると、私は思います。最初はベージュ色だったヌメ革が、時間が経つにつれ飴色となり、摩擦や手の脂などにより革の表面に艶が出て色合いが増していきます。最初は硬かった革が使ううちに段々と柔らかくなり、使えば使うほど個性が出て愛着が湧きます。
だがしかし!!革製品はちょっとお高いです。また、オーダーメイドでなければ、自分の求めるモノを探すのもなかなか難しいです。
それならば自分で作ってしまえ!ということで、数年前から趣味でレザークラフトをしています。(あくまで趣味なので上手下手は抜きです)
けれども、始めるとなっても何からしたら良いのか・・・次回へ続きます
青森 I
エコムジャーナル No.51
【3種の高級魚】
今ではなかなか食べられない高級魚、3種。「ハタハタ・ホッケ・サンマ。」これらを幼少時、“またかー”というほど食べたような気がする。しかし、今では高級魚、贅沢品だ。
ハタハタ
代表的な秋田民謡、秋田音頭、♪秋田名物八森ハタハタ男鹿で男鹿ブリコ・・・と歌われるハタハタ。日本海側の南は島根まで生息しているという。特に秋田では11月あられが打ち付けるころ産卵のために大挙して海岸によって来る。荒波の中、何艘も船にあふれるだけ積んで櫓をこぐ写真をよく見た。時として転覆し新聞一面にその悲しみも報じられた。
このハタハタ、うろこがなく身も柔らかく淡白なことで好き嫌いもあるようだが、秋田県民にとっては冬の大事なたんぱく源。塩焼き・みそ焼き・ハタハタ漬け、さらには塩漬けした汁「しょっつる」にと大活躍した。豊漁になれば、“箱代でいい”とトラックで売りに来て各屋やで舌鼓をうったものだ。しかしこの20数年前から激減し、今では1匹ブリコで800円もする。2~3匹は食べないと食べた気はしない。今ではめったに食卓には上らない。たまに、時季外れに底引きで痩せたハタハタにお目にかかる。“おー、ハタハタだ”
ホッケ
ホッケも身が柔らかで、あまり好きになれなかった魚だ。単価もずいぶん安かったようで我が家の食卓にはよく並んだ気がする。当時の国鉄に勤務していた父親の給料では分相応だったのであろう。ある時、遠足でおにぎりに塩ホッケが入っていたことがあった。匂いが今でも気になる。すっかり高級魚となった「ホッケの開き」を食べるとそのことを思い出す。それにしても「ホッケの開き」はうまい。
サンマ
秋田ではとれない魚だが、秋といえばサンマ。気仙沼からくるのか八戸からくるのかわからないが秋にはよく食べた。私は定番の塩焼きより、しょうが醤油できっちり煮たものが好きだ。サンマは「秋刀魚」と書くように細身だが結構身がしまりおかずになる。ただ、内臓あたりの小骨を取るのが面倒だ。最近はめったにお目にかかれない。
近藤嘉之
エコムジャーナル No.50
今年も暑いですね、文書を書いている8月中旬も朝夕は少し過ごしやすくなりましたが日中はまだまだ暑いです。
8月2日から8月7日までねぶた祭が開催されました。今年の運行方式は2箇所からスタートするもので、観客の待ち時間の短縮と時間内に全てのねぶたが運行することを目的に試験的に実施されました。ニュースでは、「待ち時間が少なくて良い」、「昔の吹き流し方式のほうが待っている時間がワクワクして良い」、「数年前に実施していた一斉スタートのほうが良い」という意見も紹介されており、今後の課題となっております。ちなみにねぶた運行については全日時間内に回れたので効果はあったそうです。
令和6年は、ねぶた師の竹浪比呂央先生が第7代名人となって初めての出陣です。青森菱友会の題材『新天地 海峡の先へ』は外ヶ浜町三厩地区の義経伝説です。源頼朝から追われ奥州(岩手)から蝦夷地(北海道)に逃げる途中、津軽海峡が大荒れで渡れず神仏に風波を静めるよう祈っていたところ、老翁が現れ神通力を持った龍馬(麒麟)三頭を義経に授け、無事蝦夷地に渡ることができた、という伝説です。
7月12日の開眼式(魂入れ)では、外ヶ浜町の山﨑町長、竹浪先生、関係者が出席し、ねぶた製作とねぶた運行の安全を祈願し、ねぶたに魂を入れてもらいました。
開眼式の後、アスパム14階の「夜のMUSIC BAR うみとひかり」で決起大会を行いました。右上の写真の左端の人が竹浪先生、右端の女性が山﨑町長です。
夜空のMUSIC BAR うみとひかり|青森県観光物産館アスパム (aomori-kanko.or.jp)
会場からの眺めもよく、夕暮れには夜景もきれいで、おしゃれな空間です。
菱友会ねぶたは昨年まで、最高賞のねぶた大賞、竹浪先生は最高優秀製作者賞を4回連続で受賞しており、連覇を期待されましたが惜しいことに商工会議所会頭賞でした。
竹浪先生はJRねぶた『足柄の公時 頼光に随う』も作成しており、こちらで知事賞と優秀ねぶた賞を受賞いたしました。おめでとうございます!
そして、今年のねぶた大賞は、北村麻子さん製作の市民ねぶた『鬼子母神』がねぶた大賞を受賞しました。このねぶたは、賞が決まる前から大阪万博に展示されることが決まっていたため、「ねぶたの家 ワラッセ」には展示されないそうです。残念ですね。
ねぶた師は来年に向け、既に走り始めているそうです。
ねぶたにご興味のあるかた、是非以下のホームページも是非ご覧ください!
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト (nebuta.jp)
ねぶたの家 ワ・ラッセ (nebuta.jp)
青森H
エコムジャーナル No.49
【三色の涙】
パリオリンピックの序盤戦で多くの人が「三色の涙」を見たと思う。柔道女子48キロ級の角田選手、同52キロ級の阿部詩選手、そして競泳女子バタフライ池江選手の三人の涙だ。言葉で書けるほど生易しい涙色ではない。
最初の色は柔道界では異色ともいえるともえ投げを極めた角田選手。東京オリンピック選考会で最後まで代表を争った高校生の阿部に敗れた。思いを断ち切れず階級を落として今回31歳で金メダルとなった。挫折を克服するには代表から押し出された屈辱、押しつぶされる悔しさ、減量の大変さも本人から話が出たが金メダルの涙は、“うれしい”の言葉とは裏腹に見返した涙であったろう。奇襲の技で金メダル獲得。悔しさはまだ残る。
二人目の阿部選手は前回東京で金メダル。今回は押しも押されぬ金メダル候補。さらに兄妹でオリンピック金メダル連覇の期待が話題となっていた。しかし、衝撃的な2回戦敗退。決して油断はなかっただろうが、一瞬の出来事。兄妹での連覇がなくなった。この重圧から号泣は体育館に響き渡り、畳を降りてもやまず、会場を抱きかかえられ退場につくもなおつづいた。兄は金メダル獲得、次のオリンピックで兄妹の金メダルを妹に誓った。
池江選手は白血病で一時選手活動を断念したが、病魔を克服し今大会出場を勝ち得た。しかし、個人バタフライは全体12位で決勝には残れなかった。インタビューで「今までなんのために頑張ってきたのかわからない・無駄だった」と震える声で大粒の涙を流した。体も一回り小さくなった彼女にはこれが精いっぱいの「挑戦」と思う。次回のロスに戻るとは言うが、これ以上望むのは酷であろう。というか世界の難病を抱える患者へ勇気を与える活動がのぞましいのではないだろうか。
翻って自分が流す涙はまさしくセピア色の涙だ。ドラマで親子が和解するようなシーンになると、うっかりと涙がにじんだり、うかつにもポロリと落とすことが多くなった。この歳になればただ追憶に浸り、三人の涙をうらやましく肯定してしまうだけだ。
近藤 嘉之
エコムジャーナル No.48
北上担当のKです。皆様方にはいつもお世話になります。
拙い文ではありますが、暫しの間お付き合いいただけましたら幸いです。
みなさん、ジャムセッションというものをご存知でしょうか。これはジャズだけではなくいくつかのカテゴリーのロックやR&Bなどでの音楽の現場でも行われているのですが、オープンなライブハウスやバー、又はクローズドなサークル内などで行われている即興演奏を主体とした音楽交換会です。ウィキペディアには「本格的な準備や、予め用意しておいた楽譜、アレンジにとらわれずに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏をすること」とあります。
私もいろいろな土地のセッションに参加してきましたが、今思い起こしてみると参加したセッションの一つ一つについて案外はっきりと覚えているものだなと思います。私がセッションに参加するに関して、音楽の修行の中での課題を持ち込んで何らかの成果を得るころを目的とすることも当然あります。個人的に練習したことが人前でどの程度実践できるかなどといったことです。
ただ、私がそれ以上に重要視しているのは、自分がプレイすることによってその場にいる他の人に何らかの反応を作ることができるかどうかということです。褒められ称賛されたいというのではなく、自分がプレイすることによって自分以外の人が何らかの具体的な行動を起こしてくれるかどうかということが自分にとって大切なことなのです。例えばプレイ中に一緒に演奏しているドラムやベースの反応が変わるなどして音楽全体に影響を与えてくれたなどといったことも記憶に残りやすいですし、プレイの後にそれまで見知らぬ人と思わぬ会話をしてそれがずっと心に残ったりすることもあります。
上の画像は少し以前に参加した盛岡でのセッションです。曲が終わった後に初対面お店のマスターが奥からアルトサックスを持ち出してきて、ステージに上がってきてくれました。私からすれば手合わせをお願いされたということでして、これは私にとって一番うれしい類の「反応」なのです。大げさな言い方になりますが、鉄火場での心持と言ってしまった方がしっくりするくらいに好戦的になったりするところが正直言ってあります。
先日実家に帰省した際に、夜の空いた時間にかつてお世話になったジャズバーでのセッションに参加しました。色々な土地のセッションに参加してきた中で、ここで開かれるジャムセッションが一番アットホームな雰囲気なのです。久しぶりにご対面した常連の面々と軽く演奏などをしつつ、インバウンドの外国の団体客が入店したのをきっかけにバカ騒ぎをしていましたら、以前所属していた古巣のバンドから後輩が数人、楽器を片手に会いに来てくれました。
後輩とはいっても私からすれば1周り位年下ですので、それぞれが年齢相応に仕事や生活での悩みを持って日々を過ごしているのを私は知っています。それが楽器を持つとまるで吹奏楽部の中学生の様に目をキラキラさせているのですよね。そんな彼らの有様をみて、なぜか無性に一人一人の頭を撫でたくなっている自分がそこにいるのです。さすがに我慢しましたけど。鉄火場も良いけど、プレイはそれだけではない。こういうことにも幸せを感じます。
音楽を演奏することについて「生涯自己研鑽」と言ったりもするのですが、こうして振り返ってみると音楽を自分の中だけに留めるのではなく、受け止める方がいてこそだと思うのです。
本日はこれまでにさせていただきます。
北上市担当のKでした。最後まで読んでいただきありがとうございます。
エコムジャーナル No.47
【鳥たち】
この頃朝の4時ごろ鳥の声で起こされるというか、目が開いたら鳥たちが“今日の予定は”、とやかましく、じっと聞かされる羽目になる。特に今時分、新緑も深緑になると彼らの朝会議はやかましい。と言っても鳥たちの名前がわからない。かろうじて、ムクドリ、シジュウカラぐらいは分かる。ムクドリは遠慮がないというか大きな声で際限なく話しているからよくわかる。たまに鶯がなくと、思わず“あのくらいにしてくれよな”と思う。
たまに「かっこう」も聞く。自分が山にいるような錯覚を感ずるが、入りの悪い劇場などをさしてよく、「閑古鳥が鳴く」とたとえるので、なんとなく寂しく聞こえる。単独行動の鳥なのであろう。この閑古鳥、「あの独特の鳴き声をカンコウと聞いてなづけたのだろう*」。小学生のころ、合唱と言えば『静かなこはんで、もう起きちゃいかがとかっこがなく』と輪唱で歌ったことを今でも思い出す。それが年取ったことだよと、92歳の従弟が言う。
もう一羽、雲雀。これもにぎやかな鳥だ。畑に向かうと畔から湧き出すように出てくる。横に逃げればいいのに、車の前を飛ぶのだから“馬鹿だなー”といつも思ってしまう。そして日も上がってくると真上で自分の縄張りに入るなとばかりにさえずる。本当に”よく息が続く“。彼らは疲れないのだろうか。寝床は決まった畔の中にあるのだろうか。
反対に声は出さないが、ちょこまかとせわしない鳥がいる。セキレイだ。畑を起こすと決まってどこからともなく出てくる。大抵はつがいだ。餌はあるのだろうかと思うが、意外に人なつこく、2メートルぐらいまで寄ってくる。ミミズでもいればいいのになー。
*ことばの歳時記 6月3日 金田一春彦 新潮社
エコムジャーナル No.46
拙宅で春のおなじみとなったツバメの飛来―――例年ただいまの鳴き声は4月になってから聞きますが、記録的な暖冬少雪の影響か今春は3月下旬におかえりと迎えました。
11年前、最初にやって来たツバメが番となって巣をつくり生活がスタートしました。2週間が経過した頃に抱卵がはじまります。そして数日後、地面に卵の殻が落ちているのを見つけた時はもう少しで雛の顔が見られると家族で胸を躍らせました。しかし、親ツバメが出かけた隙を見計らって天敵が現れます。気づいた親ツバメが倍以上も対格差がある天敵と必死に戦ったと思われる跡を見て、何とも悔しい気持ちになりました。
「もう来てくれないだろう」―――家族でそう口を揃えながらも壊された巣があった箇所をきれいにして迎えた翌年、同じツバメかどうかは判断できませんが帰って来てくれた時はほっと胸を撫でおろしました。1年越しに雛の顔を見られた時は感動しかありません。以来11年間、欠かすことなく訪れてくれています。最初の数年は1シーズン1世帯でしたが、3~4世帯の巣立ちを見守った年もありました。環境の変化により生態系も変わり日本の野鳥は減少傾向にあると聞きますが、これまで何羽のツバメが巣立ったでしょうか。
親ツバメは日中ほとんど休むことなく夕方まで飛び回って巣作りに必要な泥土や食事となる虫をせっせせっせと運び、夜は静かに羽根を休めます。天候も土日祝日も関係なく毎日早朝から働き続けて家族を守る姿には本当に感心させられます。親ツバメと見た目で変わらないくらいになると天敵に狙われる心配も薄れ、まもなく飛行訓練が始まります。しかし、また試練が訪れます。親ツバメからの食事を待ちきれず身を乗り出しすぎること、兄弟が多いと成長につれて巣が手狭になること、うまく飛べずに地面でじっとしていること。こういったシーンも毎年のように見掛けます。親ツバメが助けることもできなければ、人間が容易く手を出すこともできません。毎シーズンきびしい背景を目の当たりにしながら、新たな雛ツバメの成長と巣立ちを見守り続けています。
春と言えば、花見も楽しみのひとつです。秋田地方気象台は今年4月10日に秋田市の桜が開花したと発表し、その翌週には当社がある団地の桜も見頃を迎えました。空気も澄んで、秋田市内から残雪の鳥海山を眺められる日も増えています。今年は登山開始から10周年。記念の年に「燕岳」への登山もいいかもしれません。
秋田担当A(10回目の投稿)
エコムジャーナル No.45
【偶 然】
心の底にずうっと何か引っかかるものがあって、それがたまたま現実に見えるものになったときを「偶然」と解しているが、いいだろうか。
先日、東京の某デパート10階にある蕎麦屋を出たら、一回り上の先輩とばったり。今回の上京で、秋田を出るときから電話をしようかと何度も思いながら“迷惑だろうな”と逡巡した結果であっただけにその偶然には驚かされた。8年ぶりだった。
先輩は今年91歳のはず。大方の同年代の方は腰が曲がったり、杖をついたり、大体外出そのものをしないものだろう。しかし、先輩はしゃっきりと背筋ものび、どう見ても十歳は若く見える。
“Tさん、Tさん”、恐るおそる声をかける。怪訝そうに私を見つめる。“近藤さん!”私もマスクをしていたので、Tさんも不安そうに私の名を呼ぶ。”どうしてここにいるの、どうして電話をしてくれないの”と不満げに声を続ける。私がなぜここにいるのか手短に話すが、さらに畳みかけるように話してくる。何とも驚いた。
それから1週間、また「不思議な出会い」があった。家内の買い物アッシーで時間があるようなので、近くの“床屋さんに行く、車で待っていてくれ”、と向かった。時間もよかったのか4人が長椅子で待っていた。“早く終わるな、よかった”、と腰を沈めた。周りを見ると全員がスマホをじっと見つめている。東京出張でも乗客の多くがスマホを見ている。“秋田も同じだな”。
実は長椅子に座わるとき、“あれ、Mさん?M教授”、と頭をかすめたがいつもの眼鏡がない。確信が持てず声もかけず少し離れて座った。気になる、あの髪型、大学院の教授にしては珍しいスポーツ刈り、体もがっしりしている。間違いない。M教授だ。声をかけてみようかと思ったが近いうちにお会いすることになっている。話も筒抜けになるのでやめた。Mさんにはまだ世の中で確立されていない研究をお願いしている。少し灯りが見えてきたところだ。
毎日でもせっついて研究を進めてほしい。しかし、そうもいかない。心だけがはやる。お目にかかったとき、床屋の一件を話したらどんなお顔をされるだろう。うまくつながればいい、と思う。これも望んでいた、偶然か。
近藤嘉之
エコムジャーナル No.44
2回目の投稿になります、青森担当のIです。まだまだ不慣れですが頑張ります。
今年の青森は例年に比べ雪が少なく、各市町村や団体で行われる雪祭りやイベント等が中止や延期となっている状況です。住んでいる者としては雪片付けの必要が無いので快適ですが、観光面を考えると複雑な気持ちになります。
先日、青森市にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」西の広場にて行われた「もつけ祭り」を観覧しに行きました。もつけとは、津軽弁で「お調子者、熱中する人」という意味で、祭り開催は今回で12回目とのことです。
祭り当日は、前日からの雪が降り続き、会場は一面真っ白です。夕方に開会宣言が行われ、祭りがスタートしました。もつけ祭りのメインイベントは雪上での綱引きです。12チームが参加しており、トーナメント形式で一本勝負となります。寒い中、薄着姿や褌姿の男性達が懸命に綱を引っ張っています(薄着での参加が原則となっています)。上着を着て観覧していても寒いですが、参加者の皆さんは頑張っています!
結果は、アームレスリングチーム武竜(ぶりゅう)が優勝し、五連覇を達成しました。
雪上綱引き終了後は、夜空に色とりどりの花火が打ち上げられ、フィナーレを彩りました。打ち上げ数は多くはないものの、八甲田丸と花火のコントラストが非常に良かったです。寒くはありましたが、雪の舞う中の花火というのもなかなか素敵なものですね。
会場横の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」では、実際に祭り本番に出陣した大型ねぶたの常設展示や、ねぶたの歴史を紹介しています。2024年春には青森駅東口ビル(&LOVINA)が段階的に開業し、その他にも「青森市民美術展示館」等、新施設がオープン予定となっております。駅前が今後さらに発展していくのが非常に楽しみです。
今後も青森の情報を発信していきたいと思います。
以上、青森のIでした。
エコムジャーナル No.43
【春めく】
今年は暖冬の予報であったが、今のところ予報が当たっている。朝新聞を取りに門扉まで出ても身震いするということもない。わずかに残った雪を踏んでも「ぶすっ」と気の抜けた音。春が近いのかなと錯覚するが、例年今が一番寒く、雪もあるはず。そういえば、昨年末から“季節労働者”の「2代目青野掻き太郎」が来た。今年は今のところ出番が2回しかない。裏庭を回っても枝が折れそうな木も見えない。しかし、それにしても茶色に枯れた石楠花3本は目につく。彼らには本当に気の毒をした。まさか日照りが続いたからと言って地植えしたものが枯れるなどとは思いもしなかった。
車を走らせて、太陽が出ていると春が来たと思う日が何日もある。「春めく」を感じ、心がはねる。まだ寒い時候にどことなく春めいた艶めかしい匂いが窓から漂うのを感じとっているのだろう。「春めく」というのは『まだ冬のうちに春を感じ取ることなのか、あるいは早春になって寒いうちにも春を感じるということなのか。その点はあいまいだがそれは日本人が今日、幾段にも春の襲来を感じ分けていることになる。*』
毎日食べても大好きな七草が過ぎ、節分が過ぎて暦の上では春だが、本当はこれから寒の季節に入る。本来はまだ酷寒は続き、「春遠し」「余寒」とか「冴え返る」という季語が2月ごろの寒さを強調している。しかし今日の最高気温は9度だそうだ。
*言葉の歳時記 「春めく」 山本健吉
エコムジャーナル No.42
コロナが第5類となったことで今年は跳人の事前登録もなくなり、ねぶたも盛り上がりました。例年であれば夜になると涼しいので、一枚羽織るものを準備しなければならないのですが、今年は猛暑で夜も暑く、跳人や運行関係者も熱中症対策をしなければならないほどでした。
今年は、私たちの団体にとってとても大切な年でした。なぜなら、ねぶた師の竹浪比呂央先生が第7代名人に認定されましたので、是非とも良い結果を出し、お祝いに花を添えたかったからです。
参加団体は細かく採点されて賞を授与されるので、入賞を目指ししのぎを削ります。賞の種類には、総合賞(ねぶた・運行・跳人・囃子の総合的に優れた団体)、部門賞(運行・跳人、囃子の優れている団体)、製作者の部(優れた製作者)があり、下記の通りです。
総合賞:1位ねぶた大賞、2位知事賞、3位市長賞、
4位商工会議所会頭賞、5位観光コンベンション協会会長賞
部門賞:運行・跳人賞、囃子賞
制作者の部:最優秀制作者賞、優秀制作者賞(2名)
結果、私たちの団体はねぶた大賞を、竹浪先生は最優秀製作者賞を受賞することが出来ました。
コロナによりねぶた祭が開催されない年を除くと、ねぶた大賞と最優秀製作者賞を4回連続での受賞です。運行関係者、跳人、囃子方、そして竹浪先生には計り知れない重圧の中での受賞でしたので喜びもひとしおだったと思います。
祝賀会は、囃子方の迫力ある演奏にはじまり竹浪先生の感謝のお言葉、今後の抱負と決意を聞き、大いに盛り上がりました。そして、休む間もなく2024年のねぶたに向け新たな挑戦が始まっています。
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト (nebuta.jp)
竹浪比呂央ねぶた研究所 公式サイト (takenami-nebuken.com)
菱友会ねぶた (ame.co.jp)
ねぶたも終わり、各地で秋祭りが開催されました。写真の人物は 今年の3月23~26日に米ミズーリ州で開かれたエルビス・プレスリーのそっくりさんコンテスト「ブランソン エルヴィス フェスティバル」で見事優勝を果たした、青森市の歌手「エルヴィス・トキ」こと土岐豊一さんです。炎天下のなか、とある町の農協のステージで熱傷しておりました。普段は都市部に出稼ぎしております。阿部サダヲ、菅野美穂が出演した映画「奇跡のりんご」にもちょっと出ておりました。
エルビィスも良いですが、西城秀樹、チェッカーズもなかなかです。応援をよろしくお願いいたします。
エルヴィス・トキ/Elvis.toki/エンターテイメント/ミュージック/ダンス/東京中央区 (elvistoki.com)
LALALA USA | 青森が生んだスター・土岐豊一さん「Elvis Toki」
青森 H
エコムジャーナル No.41
【しぐれ】
『庭一杯に散った落ち葉を濡らして、時雨の秋の名残を惜しむように降るころだ(*)』、
と書けばいかにも瀟洒な庭にもみじが散り、歩けばかさかさとしっとり落ち着く風情があるように聞こえる。
しかし、この頃我が家の庭木は長年面倒見てもらった庭師さんが亡くなり荒れ放題に近い。私も以前に比べ選定もほとんどせず、落ち葉も裏山から飛んできたものだ。ただただ面倒で片づけてないだけだ。
今年は暑さが居残り、秋はそさくさと過ぎてゆく。
時雨と聞くと「北山しぐれ」が浮かんでくる。降る範囲は非常に狭く、京都がよく似合う季語だ。浮世絵に北山杉に降る時雨の絵がなかったろうか。傘をすぼめて急ぎ足の旅人の絵がなかったろうか。時雨は本来急に雨がパラパラと短時間降る雨だが、9月10月の時雨は木の葉を色づかせ、今時分の時雨は秋の終わりから冬の初めの雨で木の葉をちらす。
芭蕉の有名な句に「初しぐれ 猿も小蓑(こみの)を 欲しげなり」がある。
秋田での時雨は雪が降るまでのわずかな時間だ。天気をにらんで雪囲いに精を出す時だ。しかし、冒頭にも書いたが、何事にも面倒が先に立ち、雪囲いも棒や縄など材料を出すだけで、「疲れた」と先送りとなる。今年は玄関前の庭だけは屋根からの落雪もありなんとかかんとか終わった。
父は生前、雪囲いが終わると母に「やめ ほろった」と言っていた。『やめは病(難儀) ほろうは衣服についたごみなどを払う』、「毎年のことだが難儀な雪囲いが終わった」という意味だったんだろう。この歳になるとよくわかる。
今年は初雪が11月24日にあった。例年、11月の雪は20センチぐらい降る。「これから雪かきが始まるぞ」と覚悟を決めさせる雪だ。昨年ヤマハから我が家に来た冬の出稼ぎ、“青のかきたろうさん”、元気で頑張ってください。今年の雪は多いのだどうか。気がもめる。
(*山本健吉 言葉の歳時記 しぐれから引用)
エコムジャーナル No.40
北上担当のKです。大変に御無沙汰をしております。
この文を目にしていただきまして、ありがとうございます。よろしければではありますが、最後までお付き合いを頂けましたら幸いです。
私がこの文を書かせていただくときは、趣味のジャズについてのものになるのですが、ここしばらくは私個人の周辺にまつわる内容だったので、今回は世界のミュージシャンに関しての雑感をと考えておりました。実のところいったん別の原稿を上げさせていただいたのですが、先日10月17日にカーラ・ブレイ氏の訃報が入りまして、急遽原稿を差替えさせていただきました。
私の学生時代からの友人にプロのベース奏者がいるのですが、お互い19歳の時分に一緒に行った三軒茶屋の居酒屋で、すっかり酔っ払った彼が「カーラはいいよー、カーラは。」とあまりにしつこく言い続けるもので、2日後くらいに「Night Glo」というCDを購入したのが、私にとってのカーラ・ブレイ氏との出会いでした。
その時代、80年代のカーラ・ブレイのスタイルはフュージョン+クラシック音楽の下地も感じさせるとても美しいメロディにあふれた、4人編成ないしは管楽器を含んだ8人編成のバンドを率いていたことが多いのですが、帝王マイルス・デイヴィスを同様に彼女もキャリアの進展と共に、自己のスタイルを大きく変遷させていくタイプのジャズミュージシャンでした。
私が持っているCDから選びまして3点ばかり紹介させていただきます。
「THE BALLAD OF THE FALLEN」(邦題 戦士のバラッド)
ベース奏者のチャーリー・ヘイデンが主催するレベレーション・ミュージック・オーケストラという小編成ビッグバンドの第2作。カーラ・ブレイ氏が音楽監督を務めており、チャーリー・ヘイデン氏の原曲のビッグバンドアレンジ及びコンサートマスターとしての音作りを担当している。スパニッシュモードを土台としてフリージャズ的な即興演奏の要素が強い内容となっており、「La Pasionaria」などの名曲は日本のミュージシャンにも多大な影響を与えています。ジャズ史においても重要な一枚と考えます。
「FLEUR CARNIVORE」
カーラ・ブレイ自ら編成したビッグバンドによるアルバムです。先に挙げました「戦士のバラッド」とは打って変わって荘厳ともいうべきメロディと構造美にあふれた音楽となっています。標題となっているFLEUR CARNIVOREという大曲は、彼女の美意識が惜しむことなくあらわされている美しいジャズオペラなのですが、他の作品ではむしろそういった美的感覚をダイレクトに表さない傾向があるのも、彼女の表現する人としての多面性を表していると思います。
「SONG WITH LEGS」
これまで上げてきたアルバムとは打って変わって、変則的な3人編成の作品です。私はドラムレストリオ(ドラムなし)であると考えます。メンバー構成はカーラ・ブレイ(ピアノ)、スティーブ・スワロー(ベース)、アンディ・シェパード(テナー&アルトサックス)。ドラムがいないということは、自分の中で熟成されたリズムをいかにして同調させるかというのがこういうドラムレス編成の肝でもあるのですが、それ故に三人三様のリリシズムが浮き上がっていると思うのです。特に一番最後の曲である「Crazy With You」は名演です。
先程少しふれましたプロベーシストの友人は、SNS上でこのように語ります。
サントリーホール小ホールで体験した演奏は確実に僕の人生を変えたと思っています。
本当にありがとうございました。
本当に素晴らしいメロディメーカーでした。そしてそれはこれからも変わる事は無いと考えます。ありがとうございました、そしてこれからもよろしく。
以上、北上市のKでした。最後まで読んでいただきありがとうございました。
エコムジャーナル No.39
【今年のマイ畑】
長雨と高温で全般的に出来が良くなかった。特に芋類と豆類がよくなかった。ジャガイモは小粒で、今年初めて腐った芋が出てきて驚いた。サツマイモもごろっとした焼き芋用がほとんどない。ネズミも食糧難を察してか今年は巣作りをしていなかった。里芋も同じ、正月は小さなものが重箱に入っているだろう。今までほおっておいてもそれなりにできていたのに。やはり手入れだと家内と意見が一致している。
豆類も同様というよりさやが膨らまない。時期が前のほうにずれている。特にきぬさやは例年飽きるほど食べているのに今年はお飾のていだ。来年用の種も取れなかった。悲惨なのが枝豆だ。「浴衣娘や秘伝」がからっきしだ。毎年平塚の友人に送るのだが、量がなく、なすとオクラで調整をした。向こうからの電話では、「奥方がなす大好き人間、喜んでいます」という。そして博多の有名なスープが送られてきた。まさしくエビで鯛を釣ったというのはこのことだ。恐縮します。
かぼちゃ・スイカ・きゅうりなどつるものもがっかりだ。水もやらないで、豊作を期待するのがそもそもおかしい。大根のすぐりなの味噌汁を食べながら家内と「来年は水やりと草取りの管理をしっかりやろう」と誓うのは恒例の行事だ。今家内が心配しているのはキャベツのうねにカリフラワーを間違って植えたことだ。そのうちカリフラワーは防虫網にひっかかるだろう。これから移植して大丈夫だろうか。
畑ものは来年があるから諦めもつく。本ジャーナル8月号に100年も経つ「のうぜんかづら」が折れたことを書いた。1か月たってやっとどう修復するか決めた。結果は同じ、折れたところから切ることにした。長い髪の女性をおかっぱにしたようなもの。慣れるには時間がかかる。
そして、向こうに行って、おやじにはもう一つお詫びをしなければならないことがある。石楠花だ。本当に申し訳ない。庭に地植えしているのだから日照りでも大丈夫だろうとたかをくくっていた。気づいたら葉は外側に丸まって枯れてしまった。のどが渇いていたんだろう。かわいそうなことをした。お茶の木に次いで宝物であったミカンも涸らしているからさぞかしがっかりしているだろう。
昭和21年編集の日本植物歌集に
夕やみの中に一むら咲きむれてしゃくなぎの花ほのぼの白し 金澤種美(ためとみ)がある。
もう見ることはできない。
エコムジャーナル No.38
山頂でのご褒美は「大雪渓」か「ホワイトホース」か―――相棒と北アルプスを目指そうと決めたのは2019年のことでした。時世を鑑みて延期しては、天候の影響で行き先を変更(エコムジャーナルNo.30ご参照)して早4年、初めての北アルプス登山はこれまでの鬱憤を晴らすかのように好天に恵まれました。
白馬岳(標高2932m)―――白馬三山(白馬岳・杓子岳・白馬鑓ヶ岳)の盟主であり、後立山連峰の最高峰。北アルプス北端にある百名山のひとつで、白馬連峰を含めると長野・富山・新潟の3県に跨ります。春の雪どけにより露出した黒い山肌が馬のように見えたことから、この馬の形が現れると苗代を作る時期の目安としたことから古くは「代掻き馬」と呼ばれ、それがやがて「白馬」に転じたという説があるようです。
夜明けと同時に白馬村へ到着すると、朝陽を照り返して気高い輝きを放った白馬三山が迎えてくれました。猿倉登山口をスタートして歩を進めること1時間、大雪渓に到着します。最長時で長さ2km・標高差600mに及ぶ白馬の大雪渓はまるで天然の冷蔵庫。ひんやり肌寒さを感じながら登山者が列をなして進みます。
大雪渓を登り切ると彫刻で仕上げたかのような鋭い形の岩肌が広がり、北アルプスの迫力を間近で感じることができます。一方で「花の白馬」とも呼ばれることから高山植物が豊富であり、登山中の足元も楽しませてくれます。猛暑の影響により体力的に苦しい登山となりましたが、山頂手前にある白馬山荘へ無事到着。荷物を降ろして頂上へ向かいます。
日の入りの約30分前、白馬岳てっぺんに到着。待ちに待ち焦がれた瞬間です。山頂からは劔岳や立山連峰をはじめ北アルプスの名だたる高峰を一望できます。富山湾・能登半島の向こうの水平線が夕陽色に染まっていく景色を、周りにいた多くの登山者が息を呑んで静かに見守ります。黄昏時、白馬山荘デッキでのご褒美「ホワイトホース」は登山の疲れを癒してくれる至福の一杯となりました。
先日、白馬大雪渓の閉鎖が発表されました。今期は雪が少なかった上、雨や猛暑の影響で雪どけが急速に進んだことが影響したとのこと。これまでも早期に通行止めとしたことはあったものの、8月中の閉鎖は初めてのようです。今夏の豪雨や猛暑を物語った報道に感じました。秋田市では8月9日にそれまでの最高気温(観測史上)に並ぶ38.2度、2週間後の8月23日には記録を塗り替える38.5度をマークしました。まだまだ残暑が続いております。夏の疲れが出始める頃です。皆さまお身体ご自愛の上、お過ごしください。
秋田担当A(9回目の投稿)
エコムジャーナル No.37
【父の思い】
我が家はここ高清水に引っ越しをしてちょうど40年。その時父が一緒に連れてきたのが「のうぜんかづら」。私は訛らないで“かつら”と呼ぶ。このかつら、例年土崎神明社大祭後(7月20・21日)の7月末に咲くのだが、今年はお祭りの前に咲き出し、今も次から次と咲く。父はよほどこのかつらに愛着があったとみえ前の家から、絡みついた銀杏ごと現在地に移植をした。おそらくかつらの樹齢は100年以上であろうと庭師は言っていた。
金田一京助氏の「言葉の歳時記」に、“かづら”がある。『かづらは「葛」の字を当てた蔓草(つるくさ)のこと、それを頭髪にさして飾りにしたところから、頭につけるものはみな、“かづら”と言っていたが、いつの時にか大木の「桂」と取り違えて、すべてかつらと澄んで呼ぶようになった』とある。さすれば私がかつらと呼ぶのもあながちむべなるかなであるが、言われるまでもなくとんちんかんな我田引水である。
このかつら、からみつかれていた銀杏が折れてしまい、写真の通り垂れ下がっている。このままでは下を通れない。父の形見みたいな「かつら」。どうなおしてやるか悩んでいる。
レイテ沖海戦で空母蒼龍が撃沈された際、船倉の窓から生還したという父。相当荒療治になるだろうが、思い出は残しておきたい。そして、このかつらを見ると、いつも孫の長女に“桂子とつけてほしかった”と母から聞いたことを思い出す。しかし、私はこの『ひかばいろ』、そんなに好きな色でもないのだが大事な色になってしまった。
エコムジャーナル No.36
初めまして。青森担当のIです。普段ブログやSNSをやっていないため、経験値0ですが頑張ります。
先日、青森県五所川原市にある「津軽金山焼」の春の陶器祭りに足を運びました。
津軽金山焼とは、1985年の登り窯の完成とともに誕生した焼き物です。良質な粘度を使用して成形したものを窯でじっくり焼き締めるのが特徴とのことです。
この日は天候が良く、またコロナウィルスの感染状況も落ち着いてきていることもあり、数年前に訪れた時と変わらない、多くの人出と感じました。
会場に入ると馬が出迎えてくれました。こちらも金山焼とのことです。焼き物とはこの大きさまで出来るのかと驚きますね。「乗れる動物園」ということなのですが、さすがに私は無理だと判断し諦めました。
馬の他にもキリン、ライオン、象など様々な動物をモチーフにした焼き物があり目を楽しませてくれます。
続いては陶器祭りの目玉!大半値市です。屋外のテントにたくさんの食器が並んでいます。
コップや湯呑、お皿に茶碗など様々なデザインの食器類があり目移りしてしまいます。半値ということもあり、カゴにいれてたくさん買っているお客さんもいました。こんな素敵な食器で食事をしたら美味しさ倍増ですね。私は、以前に色々買いましたので、今回は眺めるだけで我慢です。
屋外の大半値市の次は、窯場での「窯出し即売会」です。こちらも屋外同様、たくさんの食器が並べられています。なかには画像のような小物や置物もありました。金山焼で作られたダルマにうさぎ、りんごモチーフの小皿などあります。実にめんこいですね。ちなみに「めんこい」とは北海道や東北地方で使われる方言で可愛いという意味です。
こちらが、私が金山焼を好きな理由です。「使い手が育てる器
です!」なんて素敵な言葉でしょう。まるで革製品を扱うような感覚ですね。現在使っている食器類も、大事に育てていこうと思います。
焼き物を選ぶ際も、数か月後・数年後を思い浮かべながら選ぶのも楽しいですね。
窯場を出ますと、第一・第二工房があります。陶器祭り開催中のため、子供も楽しめる
ようスーパーボールすくいや輪投げ、また陶器購入者が参加できる抽選会場となっており、そちらも大勢のお客さんで賑わっていました。
そちらを通り過ぎると「ギャラリー 和土」があります。こちらは漆絵とコラボした作品や、釉薬(陶磁器の表面に付着したガラス層のこと)とコラボした作品など様々なコンセプトの焼き物が販売・展示されています。2階には、日常生活に金山焼が溢れるライフスタイルを紹介しているコーナーがあり、洗面鉢や表札など完全オリジナルの金山焼製品のオーダーが可能とのことでした。
ギャラリーを出ると最初の動物園に戻ります。ピースする猿(こちらも金山焼です)に見送られ、会場を後にしました。
会場内には他にも製作体験コーナーやクラフト市、レストランがあります。レストランでは、金山焼の食器を使用して料理を提供しているのはもちろんのこと、店内の壁や床などにも金山焼が使用されており雰囲気が良いと評判です。料理は窯焼きピザが美味しいということなので次回は訪問してみようと思います。
皆様もお時間のある時に足を運んでみてはいかがでしょうか。
以上、青森のIでした。
エコムジャーナル No.35
【堂堂】
小学館の新選国語辞典に堂堂を「つつみかくしのないようす」、例として『正々堂々』とある。これをまさしくマイ畑で体験した。
家内と車から降り靴を履き替えていた時、二人の足元から2メートルもないところを、ネズミをくわえたキツネが何のてらいもなく、一瞥もなく二人を無視して悠々と歩いてゆくではないか。しっかりとした体つきだ。畔に入りなおもネズミを探しながら南へ約50メートルは進んだろうか。左に折れて相変わらず悠然と歩いてゆく。こんな光景はNHKの「北海道、おおいなる自然」あたりで、隠し撮りでもなければ決して見ることはできないだろう。今でも夢ではないかと思っている。
小学生のころ、父に国鉄の安月給で、名前は忘れたが「小学5年」とかの月刊誌を買ってもらっていた。私の狙いは付録にあった。今も忘れられないものに、東京タワー・当時世界最大のタンカー日章丸?がある。東京タワーは組み立てると高さは優に1メートルはあったろう。日章丸も両手で抱えなければ動かせない大きさであった。まさに堂々たる付録だった。完成したときの満足感がたまらなかったことを覚えている。もちろん素材は紙だ。今は月刊誌が残っているのだろうか。そして、日章丸のような付録があるのだろうか。
この歳になり、今までの過ごし方を見て、正々堂々たる生き方であったろうか。よく「我が人生に悔いなし」と冊子に書いてあるものを見かける。うらやましい限りだ。翻り、目をつむってやり過ごしてきただけではないか。ないものねだりの人生ではなかっただろうか。日経の「交遊抄」を読んで、毎回、飾らない人生に人の何たるかを気づかされる。
あのネズミをくわえたキツネの正々堂々たる歩き姿、“どんなもんだい”と歌舞伎役者にも似た大見栄を切ったあの光景は忘れられない。
エコムジャーナル No.34
昨年夏、地区の消防団から声がかかり入団いたしました。20年前にも声がかかったのですが、年齢を伝えたところ年齢制限があるとのことで逆に断られました。消防団員の高齢化、新規入団者不足で加入要件が緩和されたそうです。少子高齢化、若年層の流出がどんどん進んでいるのが実感できますね。
コロナウイルス感染状況が落ち着いて来ていることもあり、各種行事が工夫を凝らし復活しております。町内会でも花見を久しぶりに開催いたしました。
1月、2月は寒く雪が連日降り続き、除雪が間に合わなかったり、流雪側溝に水を供給する水路が凍結し流雪側溝に雪を捨てることができず、とても大変な思いをしました。一方、年間降雪量が少なかったことと、3月からの好天のおかげで雪解けが早く、桜の開花も例年より2週間位早かったです。例年ですとGW前が開花時期ですが今年は4月中旬に開花し、町内の花見も丁度良い時期の4月16日に開催されました。しかし、15日、16日の土日は残念ながら雨が降ったり、強風が吹いたりと花見には向かない天候でした。
町内会の花見では毎回消防団に花見の手伝いの依頼があるそうです。私は町内会の花見には一度も参加したことがなかったのですが、手伝いではありますが初めて参加いたしました。予定では消防団が公園内にテントを建て、焼き鳥と焼きそばを焼くことになっていましたが、強風のためテントを止め、公民館玄関からブルーシートを公園の方へ渡し、その下で調理しました。公民館では婦人部の方々が豚汁、味噌ショウガおでん、炊き込みご飯を作り、参加者に振舞っておりました。
参加者は高齢者が多く、子供は数人しかおりません。町内の人達と顔なじみの人は焼き鳥をもらいに来たり、公民館に入り食事をしたりしますが、公園に来ても公民館に近づかない大人や子供もおりました。多分、普段から町内の人達との関りが少ないのではないでしょうか。実は私もよそ者であり、知らない人達ばかりの所に入るのは苦手で、そのうえ、高齢の方がほとんどで同年代や若い人がほとんどいない状況であればなおさらだと理解します。
花見の来場者を200人と見込んでおりましたが、周知不足なのか天候のせいなのかわかりませんが100人は来ていなかったと思います。
地域に若い人達が住み、子供たちが増えるような取り組みをしないといけないのでしょう。同様に会社も、入社したい、長く働きたい、と思えるよう規則や制度を変えていかなければならないのではないでしょうか。
昼過ぎには雨も上がりました
青森 H