秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

カテゴリー : エコムジャーナル
2024.06.04 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.47

【鳥たち】

この頃朝の4時ごろ鳥の声で起こされるというか、目が開いたら鳥たちが“今日の予定は”、とやかましく、じっと聞かされる羽目になる。特に今時分、新緑も深緑になると彼らの朝会議はやかましい。と言っても鳥たちの名前がわからない。かろうじて、ムクドリ、シジュウカラぐらいは分かる。ムクドリは遠慮がないというか大きな声で際限なく話しているからよくわかる。たまに鶯がなくと、思わず“あのくらいにしてくれよな”と思う。

たまに「かっこう」も聞く。自分が山にいるような錯覚を感ずるが、入りの悪い劇場などをさしてよく、「閑古鳥が鳴く」とたとえるので、なんとなく寂しく聞こえる。単独行動の鳥なのであろう。この閑古鳥、「あの独特の鳴き声をカンコウと聞いてなづけたのだろう*」。小学生のころ、合唱と言えば『静かなこはんで、もう起きちゃいかがとかっこがなく』と輪唱で歌ったことを今でも思い出す。それが年取ったことだよと、92歳の従弟が言う。

もう一羽、雲雀。これもにぎやかな鳥だ。畑に向かうと畔から湧き出すように出てくる。横に逃げればいいのに、車の前を飛ぶのだから“馬鹿だなー”といつも思ってしまう。そして日も上がってくると真上で自分の縄張りに入るなとばかりにさえずる。本当に”よく息が続く“。彼らは疲れないのだろうか。寝床は決まった畔の中にあるのだろうか。
反対に声は出さないが、ちょこまかとせわしない鳥がいる。セキレイだ。畑を起こすと決まってどこからともなく出てくる。大抵はつがいだ。餌はあるのだろうかと思うが、意外に人なつこく、2メートルぐらいまで寄ってくる。ミミズでもいればいいのになー。

*ことばの歳時記 6月3日 金田一春彦 新潮社

2024.05.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.46

拙宅で春のおなじみとなったツバメの飛来―――例年ただいまの鳴き声は4月になってから聞きますが、記録的な暖冬少雪の影響か今春は3月下旬におかえりと迎えました。

11年前、最初にやって来たツバメが番となって巣をつくり生活がスタートしました。2週間が経過した頃に抱卵がはじまります。そして数日後、地面に卵の殻が落ちているのを見つけた時はもう少しで雛の顔が見られると家族で胸を躍らせました。しかし、親ツバメが出かけた隙を見計らって天敵が現れます。気づいた親ツバメが倍以上も対格差がある天敵と必死に戦ったと思われる跡を見て、何とも悔しい気持ちになりました。

「もう来てくれないだろう」―――家族でそう口を揃えながらも壊された巣があった箇所をきれいにして迎えた翌年、同じツバメかどうかは判断できませんが帰って来てくれた時はほっと胸を撫でおろしました。1年越しに雛の顔を見られた時は感動しかありません。以来11年間、欠かすことなく訪れてくれています。最初の数年は1シーズン1世帯でしたが、3~4世帯の巣立ちを見守った年もありました。環境の変化により生態系も変わり日本の野鳥は減少傾向にあると聞きますが、これまで何羽のツバメが巣立ったでしょうか。

 親ツバメは日中ほとんど休むことなく夕方まで飛び回って巣作りに必要な泥土や食事となる虫をせっせせっせと運び、夜は静かに羽根を休めます。天候も土日祝日も関係なく毎日早朝から働き続けて家族を守る姿には本当に感心させられます。親ツバメと見た目で変わらないくらいになると天敵に狙われる心配も薄れ、まもなく飛行訓練が始まります。しかし、また試練が訪れます。親ツバメからの食事を待ちきれず身を乗り出しすぎること、兄弟が多いと成長につれて巣が手狭になること、うまく飛べずに地面でじっとしていること。こういったシーンも毎年のように見掛けます。親ツバメが助けることもできなければ、人間が容易く手を出すこともできません。毎シーズンきびしい背景を目の当たりにしながら、新たな雛ツバメの成長と巣立ちを見守り続けています。

 春と言えば、花見も楽しみのひとつです。秋田地方気象台は今年4月10日に秋田市の桜が開花したと発表し、その翌週には当社がある団地の桜も見頃を迎えました。空気も澄んで、秋田市内から残雪の鳥海山を眺められる日も増えています。今年は登山開始から10周年。記念の年に「燕岳」への登山もいいかもしれません。

秋田担当A(10回目の投稿)

2024.04.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.45

【偶 然】

 心の底にずうっと何か引っかかるものがあって、それがたまたま現実に見えるものになったときを「偶然」と解しているが、いいだろうか。
先日、東京の某デパート10階にある蕎麦屋を出たら、一回り上の先輩とばったり。今回の上京で、秋田を出るときから電話をしようかと何度も思いながら“迷惑だろうな”と逡巡した結果であっただけにその偶然には驚かされた。8年ぶりだった。

 先輩は今年91歳のはず。大方の同年代の方は腰が曲がったり、杖をついたり、大体外出そのものをしないものだろう。しかし、先輩はしゃっきりと背筋ものび、どう見ても十歳は若く見える。
“Tさん、Tさん”、恐るおそる声をかける。怪訝そうに私を見つめる。“近藤さん!”私もマスクをしていたので、Tさんも不安そうに私の名を呼ぶ。”どうしてここにいるの、どうして電話をしてくれないの”と不満げに声を続ける。私がなぜここにいるのか手短に話すが、さらに畳みかけるように話してくる。何とも驚いた。

 それから1週間、また「不思議な出会い」があった。家内の買い物アッシーで時間があるようなので、近くの“床屋さんに行く、車で待っていてくれ”、と向かった。時間もよかったのか4人が長椅子で待っていた。“早く終わるな、よかった”、と腰を沈めた。周りを見ると全員がスマホをじっと見つめている。東京出張でも乗客の多くがスマホを見ている。“秋田も同じだな”。

 実は長椅子に座わるとき、“あれ、Mさん?M教授”、と頭をかすめたがいつもの眼鏡がない。確信が持てず声もかけず少し離れて座った。気になる、あの髪型、大学院の教授にしては珍しいスポーツ刈り、体もがっしりしている。間違いない。M教授だ。声をかけてみようかと思ったが近いうちにお会いすることになっている。話も筒抜けになるのでやめた。Mさんにはまだ世の中で確立されていない研究をお願いしている。少し灯りが見えてきたところだ。
 毎日でもせっついて研究を進めてほしい。しかし、そうもいかない。心だけがはやる。お目にかかったとき、床屋の一件を話したらどんなお顔をされるだろう。うまくつながればいい、と思う。これも望んでいた、偶然か。      

                                          近藤嘉之

2024.03.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.44

2回目の投稿になります、青森担当のIです。まだまだ不慣れですが頑張ります。
今年の青森は例年に比べ雪が少なく、各市町村や団体で行われる雪祭りやイベント等が中止や延期となっている状況です。住んでいる者としては雪片付けの必要が無いので快適ですが、観光面を考えると複雑な気持ちになります。
先日、青森市にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」西の広場にて行われた「もつけ祭り」を観覧しに行きました。もつけとは、津軽弁で「お調子者、熱中する人」という意味で、祭り開催は今回で12回目とのことです。
               
祭り当日は、前日からの雪が降り続き、会場は一面真っ白です。夕方に開会宣言が行われ、祭りがスタートしました。もつけ祭りのメインイベントは雪上での綱引きです。12チームが参加しており、トーナメント形式で一本勝負となります。寒い中、薄着姿や褌姿の男性達が懸命に綱を引っ張っています(薄着での参加が原則となっています)。上着を着て観覧していても寒いですが、参加者の皆さんは頑張っています!
  
結果は、アームレスリングチーム武竜(ぶりゅう)が優勝し、五連覇を達成しました。
雪上綱引き終了後は、夜空に色とりどりの花火が打ち上げられ、フィナーレを彩りました。打ち上げ数は多くはないものの、八甲田丸と花火のコントラストが非常に良かったです。寒くはありましたが、雪の舞う中の花火というのもなかなか素敵なものですね。
            

会場横の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」では、実際に祭り本番に出陣した大型ねぶたの常設展示や、ねぶたの歴史を紹介しています。2024年春には青森駅東口ビル(&LOVINA)が段階的に開業し、その他にも「青森市民美術展示館」等、新施設がオープン予定となっております。駅前が今後さらに発展していくのが非常に楽しみです。
 今後も青森の情報を発信していきたいと思います。

以上、青森のIでした。

2024.02.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.43

【春めく】

 今年は暖冬の予報であったが、今のところ予報が当たっている。朝新聞を取りに門扉まで出ても身震いするということもない。わずかに残った雪を踏んでも「ぶすっ」と気の抜けた音。春が近いのかなと錯覚するが、例年今が一番寒く、雪もあるはず。そういえば、昨年末から“季節労働者”の「2代目青野掻き太郎」が来た。今年は今のところ出番が2回しかない。裏庭を回っても枝が折れそうな木も見えない。しかし、それにしても茶色に枯れた石楠花3本は目につく。彼らには本当に気の毒をした。まさか日照りが続いたからと言って地植えしたものが枯れるなどとは思いもしなかった。

 車を走らせて、太陽が出ていると春が来たと思う日が何日もある。「春めく」を感じ、心がはねる。まだ寒い時候にどことなく春めいた艶めかしい匂いが窓から漂うのを感じとっているのだろう。「春めく」というのは『まだ冬のうちに春を感じ取ることなのか、あるいは早春になって寒いうちにも春を感じるということなのか。その点はあいまいだがそれは日本人が今日、幾段にも春の襲来を感じ分けていることになる。*』

 毎日食べても大好きな七草が過ぎ、節分が過ぎて暦の上では春だが、本当はこれから寒の季節に入る。本来はまだ酷寒は続き、「春遠し」「余寒」とか「冴え返る」という季語が2月ごろの寒さを強調している。しかし今日の最高気温は9度だそうだ。

*言葉の歳時記 「春めく」 山本健吉

2024.01.05 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.42

コロナが第5類となったことで今年は跳人の事前登録もなくなり、ねぶたも盛り上がりました。例年であれば夜になると涼しいので、一枚羽織るものを準備しなければならないのですが、今年は猛暑で夜も暑く、跳人や運行関係者も熱中症対策をしなければならないほどでした。

今年は、私たちの団体にとってとても大切な年でした。なぜなら、ねぶた師の竹浪比呂央先生が第7代名人に認定されましたので、是非とも良い結果を出し、お祝いに花を添えたかったからです。

参加団体は細かく採点されて賞を授与されるので、入賞を目指ししのぎを削ります。賞の種類には、総合賞(ねぶた・運行・跳人・囃子の総合的に優れた団体)、部門賞(運行・跳人、囃子の優れている団体)、製作者の部(優れた製作者)があり、下記の通りです。

総合賞:1位ねぶた大賞、2位知事賞、3位市長賞、
4位商工会議所会頭賞、5位観光コンベンション協会会長賞
部門賞:運行・跳人賞、囃子賞
制作者の部:最優秀制作者賞、優秀制作者賞(2名)

 結果、私たちの団体はねぶた大賞を、竹浪先生は最優秀製作者賞を受賞することが出来ました。
コロナによりねぶた祭が開催されない年を除くと、ねぶた大賞と最優秀製作者賞を4回連続での受賞です。運行関係者、跳人、囃子方、そして竹浪先生には計り知れない重圧の中での受賞でしたので喜びもひとしおだったと思います。

祝賀会は、囃子方の迫力ある演奏にはじまり竹浪先生の感謝のお言葉、今後の抱負と決意を聞き、大いに盛り上がりました。そして、休む間もなく2024年のねぶたに向け新たな挑戦が始まっています。

青森ねぶた祭 オフィシャルサイト (nebuta.jp)
竹浪比呂央ねぶた研究所 公式サイト (takenami-nebuken.com)
菱友会ねぶた (ame.co.jp)

 ねぶたも終わり、各地で秋祭りが開催されました。写真の人物は 今年の3月23~26日に米ミズーリ州で開かれたエルビス・プレスリーのそっくりさんコンテスト「ブランソン エルヴィス フェスティバル」で見事優勝を果たした、青森市の歌手「エルヴィス・トキ」こと土岐豊一さんです。炎天下のなか、とある町の農協のステージで熱傷しておりました。普段は都市部に出稼ぎしております。阿部サダヲ、菅野美穂が出演した映画「奇跡のりんご」にもちょっと出ておりました。
 エルビィスも良いですが、西城秀樹、チェッカーズもなかなかです。応援をよろしくお願いいたします。

エルヴィス・トキ/Elvis.toki/エンターテイメント/ミュージック/ダンス/東京中央区 (elvistoki.com)
LALALA USA | 青森が生んだスター・土岐豊一さん「Elvis Toki」

            青森 H

2023.12.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.41

【しぐれ】

 『庭一杯に散った落ち葉を濡らして、時雨の秋の名残を惜しむように降るころだ(*)』、

と書けばいかにも瀟洒な庭にもみじが散り、歩けばかさかさとしっとり落ち着く風情があるように聞こえる。
しかし、この頃我が家の庭木は長年面倒見てもらった庭師さんが亡くなり荒れ放題に近い。私も以前に比べ選定もほとんどせず、落ち葉も裏山から飛んできたものだ。ただただ面倒で片づけてないだけだ。

 

 今年は暑さが居残り、秋はそさくさと過ぎてゆく。
時雨と聞くと「北山しぐれ」が浮かんでくる。降る範囲は非常に狭く、京都がよく似合う季語だ。浮世絵に北山杉に降る時雨の絵がなかったろうか。傘をすぼめて急ぎ足の旅人の絵がなかったろうか。時雨は本来急に雨がパラパラと短時間降る雨だが、9月10月の時雨は木の葉を色づかせ、今時分の時雨は秋の終わりから冬の初めの雨で木の葉をちらす。
芭蕉の有名な句に「初しぐれ 猿も小蓑(こみの)を 欲しげなり」がある。

 秋田での時雨は雪が降るまでのわずかな時間だ。天気をにらんで雪囲いに精を出す時だ。しかし、冒頭にも書いたが、何事にも面倒が先に立ち、雪囲いも棒や縄など材料を出すだけで、「疲れた」と先送りとなる。今年は玄関前の庭だけは屋根からの落雪もありなんとかかんとか終わった。
 父は生前、雪囲いが終わると母に「やめ ほろった」と言っていた。『やめは病(難儀) ほろうは衣服についたごみなどを払う』、「毎年のことだが難儀な雪囲いが終わった」という意味だったんだろう。この歳になるとよくわかる。
 今年は初雪が11月24日にあった。例年、11月の雪は20センチぐらい降る。「これから雪かきが始まるぞ」と覚悟を決めさせる雪だ。昨年ヤマハから我が家に来た冬の出稼ぎ、“青のかきたろうさん”、元気で頑張ってください。今年の雪は多いのだどうか。気がもめる。

(*山本健吉 言葉の歳時記 しぐれから引用)

2023.11.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.40

 北上担当のKです。大変に御無沙汰をしております。
 この文を目にしていただきまして、ありがとうございます。よろしければではありますが、最後までお付き合いを頂けましたら幸いです。

 私がこの文を書かせていただくときは、趣味のジャズについてのものになるのですが、ここしばらくは私個人の周辺にまつわる内容だったので、今回は世界のミュージシャンに関しての雑感をと考えておりました。実のところいったん別の原稿を上げさせていただいたのですが、先日10月17日にカーラ・ブレイ氏の訃報が入りまして、急遽原稿を差替えさせていただきました。

 私の学生時代からの友人にプロのベース奏者がいるのですが、お互い19歳の時分に一緒に行った三軒茶屋の居酒屋で、すっかり酔っ払った彼が「カーラはいいよー、カーラは。」とあまりにしつこく言い続けるもので、2日後くらいに「Night Glo」というCDを購入したのが、私にとってのカーラ・ブレイ氏との出会いでした。

 その時代、80年代のカーラ・ブレイのスタイルはフュージョン+クラシック音楽の下地も感じさせるとても美しいメロディにあふれた、4人編成ないしは管楽器を含んだ8人編成のバンドを率いていたことが多いのですが、帝王マイルス・デイヴィスを同様に彼女もキャリアの進展と共に、自己のスタイルを大きく変遷させていくタイプのジャズミュージシャンでした。

 私が持っているCDから選びまして3点ばかり紹介させていただきます。

「THE BALLAD OF THE FALLEN」(邦題 戦士のバラッド)
ベース奏者のチャーリー・ヘイデンが主催するレベレーション・ミュージック・オーケストラという小編成ビッグバンドの第2作。カーラ・ブレイ氏が音楽監督を務めており、チャーリー・ヘイデン氏の原曲のビッグバンドアレンジ及びコンサートマスターとしての音作りを担当している。スパニッシュモードを土台としてフリージャズ的な即興演奏の要素が強い内容となっており、「La Pasionaria」などの名曲は日本のミュージシャンにも多大な影響を与えています。ジャズ史においても重要な一枚と考えます。

「FLEUR CARNIVORE」
カーラ・ブレイ自ら編成したビッグバンドによるアルバムです。先に挙げました「戦士のバラッド」とは打って変わって荘厳ともいうべきメロディと構造美にあふれた音楽となっています。標題となっているFLEUR CARNIVOREという大曲は、彼女の美意識が惜しむことなくあらわされている美しいジャズオペラなのですが、他の作品ではむしろそういった美的感覚をダイレクトに表さない傾向があるのも、彼女の表現する人としての多面性を表していると思います。

「SONG WITH LEGS」
これまで上げてきたアルバムとは打って変わって、変則的な3人編成の作品です。私はドラムレストリオ(ドラムなし)であると考えます。メンバー構成はカーラ・ブレイ(ピアノ)、スティーブ・スワロー(ベース)、アンディ・シェパード(テナー&アルトサックス)。ドラムがいないということは、自分の中で熟成されたリズムをいかにして同調させるかというのがこういうドラムレス編成の肝でもあるのですが、それ故に三人三様のリリシズムが浮き上がっていると思うのです。特に一番最後の曲である「Crazy With You」は名演です。

 先程少しふれましたプロベーシストの友人は、SNS上でこのように語ります。
 サントリーホール小ホールで体験した演奏は確実に僕の人生を変えたと思っています。
 本当にありがとうございました。

 本当に素晴らしいメロディメーカーでした。そしてそれはこれからも変わる事は無いと考えます。ありがとうございました、そしてこれからもよろしく。

以上、北上市のKでした。最後まで読んでいただきありがとうございました。

2023.10.02 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.39

【今年のマイ畑】

 長雨と高温で全般的に出来が良くなかった。特に芋類と豆類がよくなかった。ジャガイモは小粒で、今年初めて腐った芋が出てきて驚いた。サツマイモもごろっとした焼き芋用がほとんどない。ネズミも食糧難を察してか今年は巣作りをしていなかった。里芋も同じ、正月は小さなものが重箱に入っているだろう。今までほおっておいてもそれなりにできていたのに。やはり手入れだと家内と意見が一致している。
 豆類も同様というよりさやが膨らまない。時期が前のほうにずれている。特にきぬさやは例年飽きるほど食べているのに今年はお飾のていだ。来年用の種も取れなかった。悲惨なのが枝豆だ。「浴衣娘や秘伝」がからっきしだ。毎年平塚の友人に送るのだが、量がなく、なすとオクラで調整をした。向こうからの電話では、「奥方がなす大好き人間、喜んでいます」という。そして博多の有名なスープが送られてきた。まさしくエビで鯛を釣ったというのはこのことだ。恐縮します。
 かぼちゃ・スイカ・きゅうりなどつるものもがっかりだ。水もやらないで、豊作を期待するのがそもそもおかしい。大根のすぐりなの味噌汁を食べながら家内と「来年は水やりと草取りの管理をしっかりやろう」と誓うのは恒例の行事だ。今家内が心配しているのはキャベツのうねにカリフラワーを間違って植えたことだ。そのうちカリフラワーは防虫網にひっかかるだろう。これから移植して大丈夫だろうか。

 畑ものは来年があるから諦めもつく。本ジャーナル8月号に100年も経つ「のうぜんかづら」が折れたことを書いた。1か月たってやっとどう修復するか決めた。結果は同じ、折れたところから切ることにした。長い髪の女性をおかっぱにしたようなもの。慣れるには時間がかかる。
 そして、向こうに行って、おやじにはもう一つお詫びをしなければならないことがある。石楠花だ。本当に申し訳ない。庭に地植えしているのだから日照りでも大丈夫だろうとたかをくくっていた。気づいたら葉は外側に丸まって枯れてしまった。のどが渇いていたんだろう。かわいそうなことをした。お茶の木に次いで宝物であったミカンも涸らしているからさぞかしがっかりしているだろう。
 昭和21年編集の日本植物歌集に
 夕やみの中に一むら咲きむれてしゃくなぎの花ほのぼの白し 金澤種美(ためとみ)がある。
もう見ることはできない。

2023.09.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.38

 山頂でのご褒美は「大雪渓」か「ホワイトホース」か―――相棒と北アルプスを目指そうと決めたのは2019年のことでした。時世を鑑みて延期しては、天候の影響で行き先を変更(エコムジャーナルNo.30ご参照)して早4年、初めての北アルプス登山はこれまでの鬱憤を晴らすかのように好天に恵まれました。

 白馬岳(標高2932m)―――白馬三山(白馬岳・杓子岳・白馬鑓ヶ岳)の盟主であり、後立山連峰の最高峰。北アルプス北端にある百名山のひとつで、白馬連峰を含めると長野・富山・新潟の3県に跨ります。春の雪どけにより露出した黒い山肌が馬のように見えたことから、この馬の形が現れると苗代を作る時期の目安としたことから古くは「代掻き馬」と呼ばれ、それがやがて「白馬」に転じたという説があるようです。

 夜明けと同時に白馬村へ到着すると、朝陽を照り返して気高い輝きを放った白馬三山が迎えてくれました。猿倉登山口をスタートして歩を進めること1時間、大雪渓に到着します。最長時で長さ2km・標高差600mに及ぶ白馬の大雪渓はまるで天然の冷蔵庫。ひんやり肌寒さを感じながら登山者が列をなして進みます。

 

 大雪渓を登り切ると彫刻で仕上げたかのような鋭い形の岩肌が広がり、北アルプスの迫力を間近で感じることができます。一方で「花の白馬」とも呼ばれることから高山植物が豊富であり、登山中の足元も楽しませてくれます。猛暑の影響により体力的に苦しい登山となりましたが、山頂手前にある白馬山荘へ無事到着。荷物を降ろして頂上へ向かいます。

 

 日の入りの約30分前、白馬岳てっぺんに到着。待ちに待ち焦がれた瞬間です。山頂からは劔岳や立山連峰をはじめ北アルプスの名だたる高峰を一望できます。富山湾・能登半島の向こうの水平線が夕陽色に染まっていく景色を、周りにいた多くの登山者が息を呑んで静かに見守ります。黄昏時、白馬山荘デッキでのご褒美「ホワイトホース」は登山の疲れを癒してくれる至福の一杯となりました。

 

 先日、白馬大雪渓の閉鎖が発表されました。今期は雪が少なかった上、雨や猛暑の影響で雪どけが急速に進んだことが影響したとのこと。これまでも早期に通行止めとしたことはあったものの、8月中の閉鎖は初めてのようです。今夏の豪雨や猛暑を物語った報道に感じました。秋田市では8月9日にそれまでの最高気温(観測史上)に並ぶ38.2度、2週間後の8月23日には記録を塗り替える38.5度をマークしました。まだまだ残暑が続いております。夏の疲れが出始める頃です。皆さまお身体ご自愛の上、お過ごしください。

 秋田担当A(9回目の投稿)

2023.08.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.37

【父の思い】

 我が家はここ高清水に引っ越しをしてちょうど40年。その時父が一緒に連れてきたのが「のうぜんかづら」。私は訛らないで“かつら”と呼ぶ。このかつら、例年土崎神明社大祭後(7月20・21日)の7月末に咲くのだが、今年はお祭りの前に咲き出し、今も次から次と咲く。父はよほどこのかつらに愛着があったとみえ前の家から、絡みついた銀杏ごと現在地に移植をした。おそらくかつらの樹齢は100年以上であろうと庭師は言っていた。

 金田一京助氏の「言葉の歳時記」に、“かづら”がある。『かづらは「葛」の字を当てた蔓草(つるくさ)のこと、それを頭髪にさして飾りにしたところから、頭につけるものはみな、“かづら”と言っていたが、いつの時にか大木の「桂」と取り違えて、すべてかつらと澄んで呼ぶようになった』とある。さすれば私がかつらと呼ぶのもあながちむべなるかなであるが、言われるまでもなくとんちんかんな我田引水である。

 このかつら、からみつかれていた銀杏が折れてしまい、写真の通り垂れ下がっている。このままでは下を通れない。父の形見みたいな「かつら」。どうなおしてやるか悩んでいる。
 レイテ沖海戦で空母蒼龍が撃沈された際、船倉の窓から生還したという父。相当荒療治になるだろうが、思い出は残しておきたい。そして、このかつらを見ると、いつも孫の長女に“桂子とつけてほしかった”と母から聞いたことを思い出す。しかし、私はこの『ひかばいろ』、そんなに好きな色でもないのだが大事な色になってしまった。

2023.07.03 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.36

 初めまして。青森担当のIです。普段ブログやSNSをやっていないため、経験値0ですが頑張ります。
 先日、青森県五所川原市にある「津軽金山焼」の春の陶器祭りに足を運びました。
津軽金山焼とは、1985年の登り窯の完成とともに誕生した焼き物です。良質な粘度を使用して成形したものを窯でじっくり焼き締めるのが特徴とのことです。

 この日は天候が良く、またコロナウィルスの感染状況も落ち着いてきていることもあり、数年前に訪れた時と変わらない、多くの人出と感じました。
 会場に入ると馬が出迎えてくれました。こちらも金山焼とのことです。焼き物とはこの大きさまで出来るのかと驚きますね。「乗れる動物園」ということなのですが、さすがに私は無理だと判断し諦めました。
 馬の他にもキリン、ライオン、象など様々な動物をモチーフにした焼き物があり目を楽しませてくれます。

 続いては陶器祭りの目玉!大半値市です。屋外のテントにたくさんの食器が並んでいます。
 コップや湯呑、お皿に茶碗など様々なデザインの食器類があり目移りしてしまいます。半値ということもあり、カゴにいれてたくさん買っているお客さんもいました。こんな素敵な食器で食事をしたら美味しさ倍増ですね。私は、以前に色々買いましたので、今回は眺めるだけで我慢です。

 屋外の大半値市の次は、窯場での「窯出し即売会」です。こちらも屋外同様、たくさんの食器が並べられています。なかには画像のような小物や置物もありました。金山焼で作られたダルマにうさぎ、りんごモチーフの小皿などあります。実にめんこいですね。ちなみに「めんこい」とは北海道や東北地方で使われる方言で可愛いという意味です。

 こちらが、私が金山焼を好きな理由です。「使い手が育てる器
です!」なんて素敵な言葉でしょう。まるで革製品を扱うような感覚ですね。現在使っている食器類も、大事に育てていこうと思います。
 焼き物を選ぶ際も、数か月後・数年後を思い浮かべながら選ぶのも楽しいですね。


 

 窯場を出ますと、第一・第二工房があります。陶器祭り開催中のため、子供も楽しめる
ようスーパーボールすくいや輪投げ、また陶器購入者が参加できる抽選会場となっており、そちらも大勢のお客さんで賑わっていました。
 そちらを通り過ぎると「ギャラリー 和土」があります。こちらは漆絵とコラボした作品や、釉薬(陶磁器の表面に付着したガラス層のこと)とコラボした作品など様々なコンセプトの焼き物が販売・展示されています。2階には、日常生活に金山焼が溢れるライフスタイルを紹介しているコーナーがあり、洗面鉢や表札など完全オリジナルの金山焼製品のオーダーが可能とのことでした。

 ギャラリーを出ると最初の動物園に戻ります。ピースする猿(こちらも金山焼です)に見送られ、会場を後にしました。

 会場内には他にも製作体験コーナーやクラフト市、レストランがあります。レストランでは、金山焼の食器を使用して料理を提供しているのはもちろんのこと、店内の壁や床などにも金山焼が使用されており雰囲気が良いと評判です。料理は窯焼きピザが美味しいということなので次回は訪問してみようと思います。

 皆様もお時間のある時に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 以上、青森のIでした。

2023.06.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.35

【堂堂】 

 小学館の新選国語辞典に堂堂を「つつみかくしのないようす」、例として『正々堂々』とある。これをまさしくマイ畑で体験した。

 家内と車から降り靴を履き替えていた時、二人の足元から2メートルもないところを、ネズミをくわえたキツネが何のてらいもなく、一瞥もなく二人を無視して悠々と歩いてゆくではないか。しっかりとした体つきだ。畔に入りなおもネズミを探しながら南へ約50メートルは進んだろうか。左に折れて相変わらず悠然と歩いてゆく。こんな光景はNHKの「北海道、おおいなる自然」あたりで、隠し撮りでもなければ決して見ることはできないだろう。今でも夢ではないかと思っている。

 小学生のころ、父に国鉄の安月給で、名前は忘れたが「小学5年」とかの月刊誌を買ってもらっていた。私の狙いは付録にあった。今も忘れられないものに、東京タワー・当時世界最大のタンカー日章丸?がある。東京タワーは組み立てると高さは優に1メートルはあったろう。日章丸も両手で抱えなければ動かせない大きさであった。まさに堂々たる付録だった。完成したときの満足感がたまらなかったことを覚えている。もちろん素材は紙だ。今は月刊誌が残っているのだろうか。そして、日章丸のような付録があるのだろうか。

 この歳になり、今までの過ごし方を見て、正々堂々たる生き方であったろうか。よく「我が人生に悔いなし」と冊子に書いてあるものを見かける。うらやましい限りだ。翻り、目をつむってやり過ごしてきただけではないか。ないものねだりの人生ではなかっただろうか。日経の「交遊抄」を読んで、毎回、飾らない人生に人の何たるかを気づかされる。

 あのネズミをくわえたキツネの正々堂々たる歩き姿、“どんなもんだい”と歌舞伎役者にも似た大見栄を切ったあの光景は忘れられない。

2023.05.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.34

 昨年夏、地区の消防団から声がかかり入団いたしました。20年前にも声がかかったのですが、年齢を伝えたところ年齢制限があるとのことで逆に断られました。消防団員の高齢化、新規入団者不足で加入要件が緩和されたそうです。少子高齢化、若年層の流出がどんどん進んでいるのが実感できますね。

 コロナウイルス感染状況が落ち着いて来ていることもあり、各種行事が工夫を凝らし復活しております。町内会でも花見を久しぶりに開催いたしました。
 1月、2月は寒く雪が連日降り続き、除雪が間に合わなかったり、流雪側溝に水を供給する水路が凍結し流雪側溝に雪を捨てることができず、とても大変な思いをしました。一方、年間降雪量が少なかったことと、3月からの好天のおかげで雪解けが早く、桜の開花も例年より2週間位早かったです。例年ですとGW前が開花時期ですが今年は4月中旬に開花し、町内の花見も丁度良い時期の4月16日に開催されました。しかし、15日、16日の土日は残念ながら雨が降ったり、強風が吹いたりと花見には向かない天候でした。

 町内会の花見では毎回消防団に花見の手伝いの依頼があるそうです。私は町内会の花見には一度も参加したことがなかったのですが、手伝いではありますが初めて参加いたしました。予定では消防団が公園内にテントを建て、焼き鳥と焼きそばを焼くことになっていましたが、強風のためテントを止め、公民館玄関からブルーシートを公園の方へ渡し、その下で調理しました。公民館では婦人部の方々が豚汁、味噌ショウガおでん、炊き込みご飯を作り、参加者に振舞っておりました。

 参加者は高齢者が多く、子供は数人しかおりません。町内の人達と顔なじみの人は焼き鳥をもらいに来たり、公民館に入り食事をしたりしますが、公園に来ても公民館に近づかない大人や子供もおりました。多分、普段から町内の人達との関りが少ないのではないでしょうか。実は私もよそ者であり、知らない人達ばかりの所に入るのは苦手で、そのうえ、高齢の方がほとんどで同年代や若い人がほとんどいない状況であればなおさらだと理解します。
 花見の来場者を200人と見込んでおりましたが、周知不足なのか天候のせいなのかわかりませんが100人は来ていなかったと思います。
 地域に若い人達が住み、子供たちが増えるような取り組みをしないといけないのでしょう。同様に会社も、入社したい、長く働きたい、と思えるよう規則や制度を変えていかなければならないのではないでしょうか。

昼過ぎには雨も上がりました

                                   青森 H

2023.04.03 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.33

【黄色の花たち】

 三原色の中でも、黄色はやわらかくて暖かい感じを与える。幸せの色と言ってもよい。子供の名前にある花の名をいただいた。まだ、私と一緒に寝ていた時、しきりに自分の名前の由来を聞かれたことがあった。『人の気持ちがわかる、心がほんわかする優しい人間になってほしい、と願ってつけたんだよ』、と話した。その時は私の思いも伝わらなかっただろう。今はどうか聞いたことはない。私はその花の前を通る時、いつもそのことを思い出す。

       マンサク

 2月になると、3種の黄色い花たちをひそかに待ち望んでいる。
 雪も消えやらぬ早春にマンサクが咲く。錦糸卵のような1センチぐらいの縮れた花(がく)が開く。つい見とれてしまう。父が鉢植えしていたものを下したものなので1メートルぐらいで樹高が止まっている。
 少し遅れて蝋梅(ろうばい)が咲く。字の通り、蝋細工のような薄黄色で下向きに恥ずかしそうに咲く。本当に目立たない花だ。そばに行くとほのかに柑橘系の香りが漂う。“おや、咲いていたのか”、と言葉をかける。
 そして、フクジュソウ。拙稿が掲載されるときは花が終わっているだろう。植え替えが面倒なので昨年庭に下した。フクジュソウの根はまるで細い針金が絡まったような異様な根だ。そこからあの黄色の花が出てくるのだから不思議だ。

 「和の色辞典*」を見ると、色の微妙な違いに名をつけて、言い分けていることにおどろく。「向日葵色(ひまわり色)・うこん色(絵画を包んでいる布)、サフラン色(アヤメ科・日本には明治時代に輸入された・春咲きの黄色の花をクロッカスと呼ぶ)*」など多くの色名が日常の生活に深くとけこんでいる。日本人はけばけばしい原色を好まない。きっと温和な風土の中で草花の染色技術が相まって中間色に対する色彩感覚を磨いた結果なのだろう。

 20年近くも前に、金沢市立美術館にふらりと入ってあの『黒船屋』に出会ったことを今も鮮明に覚えている。黄八丈と思しき着物をまとい、「黒船屋と書かれた縦長の箱に腰を掛け、黒い猫を膝に乗せて両手で抱きかかえる*」、だれもが知る武久夢二の最高傑作だ。伊豆八丈島特産の刈安で絹地を染めた色と言われる。

 *引用 和の色辞典 ㈱視覚デザイン研究所

2023.03.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.32

 北上担当のKです。この度もよろしくお願いいたします。

 2か月半ほどに以前になりますが、私が現在所属しております花巻市のビッグバンド、花巻リズムヤンガーの75周年記念コンサートに参加しました。当時はコロナウィルスの流行が盛んな時期でしたが、発売当初からチケットが慢性的に不足するという状況でして、大変盛況のうちに終えることができました。コロナ禍の影響で1年延期しての開催になりますので、正確には創立76周年です。これは現在確認されている中では、日本最長の歴史を持つ社会人アマチュアビッグバンドとなります。

 太平洋戦争終結後、進駐軍により花巻城跡に地区の駐屯本部が置かれ、花巻温泉の旅館ホテルが同時に接収されます。今では想像するのが困難なのですが、当時の花巻温泉は温泉施設だけでなく、ゴルフ場や動物園、遊園地などの施設が隣接していた総合レジャー施設だったそうです。当時を知る方の話では花巻温泉を「温泉」とは呼ばずに、「遊園地」と呼ばれ親しまれていたのだそうです。旅館ホテルを接収した進駐軍の中から、次第にではありますが花巻温泉内にある小学校の講堂でバンド演奏をする者が現れ、やがてアメリカ兵の娯楽を目的として定期的なライブ活動を行うようになったそうです。

 日本国内は戦後まもなく、第一次ジャズ黄金期としてこの時期を表現する識者もいるほど、進駐軍が持ち込んだジャズの一大ブームが発生していました。その流れもあってか身内の娯楽として行われていた米兵のライブ活動は、ほどなく日本人にも開放されることとなり、当時は市内の足となっていた花巻電鉄の鉄道線沿線各所で演奏活動は拡大していきました。本場のアメリカンジャズに接した若者の反応は早く、日本人によって結成されたジャズバンドが次第に活動を始めることとなり、花巻リズムヤンガーもアメリカ兵のライブに触発されて生まれたバンドの一つだったそうです。

 今回の75周年記念コンサートのパンフレットに、過去の歴代所蔵メンバー名鑑というコーナーがありまして、76年前の創立メンバーから現在に至る動静を伺うことができます。このページを眺めていると、見知らぬ同好の方々の息吹を身近に感じられるようで、なぜか妙にエモーショナルな気持ちになります。こうして受け継がれる歴史を可視化することで、ある種の責任感といいますか使命感の様なものまで自分の中に湧き上がってくるのです。
ページの末尾に、岩手から遠く離れた土地からやってきた私の名前がクレジットされているのを見ると、本当に不思議に気持ちになります。人はそれぞれ無自覚な中で歴史の一員なのだと思います。

今回の1枚
山下洋輔 「クレイ」

 若き日の山下洋輔さんのエネルギーそのものともいえる名盤。日本フリージャズの最高傑作との呼び声が高いです。先程戦後間もなくのジャズブームを第一次ジャズ黄金期と表しましたが、その流れをくむ形で1960年代半ばから1970年代にかけての、渡辺貞夫さんや日野皓正さん、そしてこの山下洋輔さんなどをはじめとする伝説級のプレーヤを多数輩出したこの時代を、第二次ジャズ黄金期と表します。最近東京の知己より、東京のライブシーンにおいて20代の才能が次々と発掘されているともしかしたら近い将来、第3次黄金時代がやってくるかもと期待しているのです。

 北上担当のKでした。今回もありがとうございました。

2023.02.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.31

【温泉】

 さきがけ新報に「新・地図のない旅」という五木寛之氏のコラムが掲載されている。ある時、氏は一日に5回風呂に入るとあった。大分ご高齢のはず。それも毎回かはわからないが入浴中に本を読んでいるとのこと。私も風呂好きだが、脱いだり着たりが面倒だから就寝前の1回でいい。
 しかし、泊りがけで温泉に行けば、こちらのもの。早く布団を敷いてもらい、夕食前に2回、就寝までに2回、翌朝一番風呂と5回入浴となる。浴衣の下はもちろん最低限の下着、湯上りは布団に潜り込む。今時分はうとうとしながら窓越しで墨絵を見ている。

 文豪が伊豆や熱海などに投宿・長逗留したという旅館がテレビに紹介される。自分にもそんな馴染みの旅館があればとひそかな憧れがある。家内と一緒に年に1・2回しか投宿しないが、“秋田の近藤”だけで“どうぞ”、と言ってもらえる温泉宿がある。ひっそりした山間(やまあい)、家族3人できりもみしている。最近長男が後を継ぎそうな気配があるものの、料理・帳場は親任せ、おかみさんは、どうしたものかと私にため息をつく。

 跡継ぎは別にして、宿の料理はいわゆる田舎料理だが人柄をあらわす丁寧な仕事だ。味は濃いめ、定番は牛のたたき、もちろん家内へ回される。山なのに魚料理がうまい。前もって何々を焼いてくれとか、煮つけにしてほしいというとはずれがない。塩加減といい、煮つけの照りといい、絶品だ。ひれまでしゃぶりつくす。言葉も出ない。一流料亭ほどの派手さはないが来てよかったと舌鼓をする。

2023.01.05 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.30

 健やかに初春をお迎えのことと存じます。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。

 自身の健康づくりのために始めた山登り。富士登山(エコムジャーナルNo.1ご参照)後は北アルプスの名峰を目標にしましたが、翌年から県外移動の自粛を受けて北東北の山々を巡りました。移動が緩和された昨年、3年越しで北アルプス行きの計画です。2ヵ月前から某山荘の宿泊予約を取り、登山口までの交通手段を調べ、準備も行程も万全でした。しかし、天気予報には一向に晴れのマークがつきません。

 出発を翌日に控えても登山指数が回復することはなく、当日は目的地を決めずに出発。国道7号を南下しながら候補地をあげ、天気を確認しながら絞り込みます。秋田を発って7時間、北アルプス付近にかかる雨雲を通り抜け、いよいよ新しい目的地に到着です。

 木曽駒ケ岳―――山体のほとんどが花崗岩でできている標高2956mの木曽山脈(中央アルプス)最高峰。しらび平駅から乗車する駒ヶ岳ロープウェイは日本一の高低差(950m)を誇り、終点の千畳敷駅は日本最高所の駅として知られます。

 千畳敷駅に降りてものの数分、早くも見どころを迎えます。標高2612mに広がるカールは、2万年前に氷河期の氷で削り取られたお椀型の地形です。畳を千枚敷いた広さがあることから、千畳敷カールと呼ばれています。眼前に広がる荒々しい岩肌に、日本アルプスの迫力を感じました。

 山頂に向かって進みカール上部に到達すると、巨大な岩々を近くで見ることができます。天を衝くように立つ岩々の存在感もまた、アルプスらしさを感じます。岩の向こうには南アルプスの稜線を眺望でき、稜線の上には3年前に登った富士山が顔をのぞかせます。

 初アルプスは思いもよらず日本アルプスの中腹での登山となりました。天候に恵まれることを願いながら、本年も計画から楽しみたいと思います。

秋田担当A(8回目の投稿)

2022.12.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.29

【今年の総括】

 といえば堅苦しく、何事かと身構えるが、そうではない。我が家の野菜達の活動結果である。
春先の好天、そして長雨と、世界的な異常気象はわが野菜達にも影響があった。と言っても、適切な対策も特にせず、土日2時間程度のお世話で、その大半は草取り。管理などとは程遠い。毎年のように課題を多く抱えた総括となった。

 今年初めて被害にあった長ネギは病気で一畝に10数本しか残らなかった。土の中で溶けてしまった。しかし、残ったねぎはおかげで下仁田のような太いネギになった。玉ねぎはもっとひどかった。大小不出来はいつものことながら、収穫量は凡そ五分の一。しかも干してからの腐りがひどく、結局数個しか食卓には上らなかった。ニンニクも大きくなれなかったなあ。
 人為的な被害は大根だ。いつものように耕したつもりであったが、先端が割れているものが続出。楽しみなビール漬けには相当に難儀したようだ。来年はもっと深く耕そう。そして聖護院カブ。例年とはうって変わり、大小混在もいいところ。がっかりだった。

 一方、心配したジャガイモは豊作で、よく言うホクホクの上出来上。味噌汁でも型くづれすることもなく私好みの固さだ。サトイモは葉がかつてないほど大きくなり、イモがつくか心配であったが、取り越し苦労。味噌汁ではとろみが澄まし汁のようになり、初冬ならではの逸品だ。そして、我が家の3大芋の一角、サツマイモ。味はまあまあだが、収穫量が少ない。どうも植え方に問題があるようだ。来年は畝を高くして1本づつ並べて植えてみよう。今年はハツカネズミの巣・被害がなかった。途中で畝間に管理機をかけたせいかもしれない。さぞかし驚いただろう。

 次に葉物。初夏のキャベツ・白菜は例年通り。白菜の漬物はよく食べた。毎日小丼をたいらげた。農薬の心配がないから安心だ。ほうれん草は石灰を多くまいた成果があり、例年よりは収穫があった。チンゲン菜は地質にあまりこだわらないようだが、固かった。水やりだけのせいではないようだ。
 枝マメは、浴衣娘と秘伝、まずまず。黒豆は半年になってもまだ黒くならない。どうしてだ。小豆は枯れ始めたものから次々に収穫するが、天候に左右される。お正月お汁粉に出てくるだろう。
きゅうり・トマト・なす・かぼちゃの定番は毎日食べた。飽きずに食べた。今もお世話になっている。

 今年も皆さん、ありがとう。そうそう、みょうがもよくいただいた。来年もよろしくお願いします。

 朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人    本居宣長
 物見れば 見る物事に 喰はむと思ふ むべわが幸も 食ふに   釈迢空 (しゃく ちょうくう)

2022.11.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.28

 3年ぶりに各地でイベントが開催され活気が戻りつつありますね。青森市でも、いつもと違うやり方ですが、ねぶた祭が行われました。

 ねぶたの運行方式は2種類あります。
 一つは、もともとの運行方式で、出発地点から順番にねぶたが出陣する「吹き流し方式」。出発地点から離れた場所では、しばらく待たないとねぶたは来ませんが、遠くからの小さなお囃子がだんだん大きくなるにつれて、感情も高ぶるのがたまらないと言う人もおります。津軽弁の「じゃわめぐ」ということでしょうか。
 もう一つは「一斉スタート方式」。予めコースにねぶたを配置して運行を始めるので、先頭、最後尾が無く、どこにいてもねぶたをすぐに見ることができます。
 「吹き流し方式」時代、最後尾に「カラス跳人」と呼ばれる黒ずくめの跳人が付いて回り、暴れたり喧嘩をしたり社会問題となっていたので、この人達を排除するために考えられた方式です。
 前回までの10年間は「一斉スタート方式」でしたが、今年は跳人の参加者を予約制にし、人数を制限して「吹き流し方式」に戻しました。また、歩道上の桟敷席を無くし歩行者の密を防いだり、歩道上での露店販売も無くしたりと少し活気に欠けましたが、無事に終わり良かったです。祭期間中は雨もほとんど降らず奇跡としか言いようがありません。

 うれしいことに協賛しているねぶたが「ねぶた大賞」、製作者の竹浪比呂央先生が「最優秀製作者賞」を受賞いたしました。また、竹浪先生はJRねぶたも製作し、こちらは「県知事賞」を受賞しております。

 伝統のある祭でも、ねぶた師の先生はじめ実行委員会や各団体の皆様は、伝統を守りながら毎回新しい取組にチャレンジしております。
 その一例として、ねぶたの光源ですが蝋燭から電球、そしてLEDと変わってきており、青白い鮮やかな光を放っています。また、見えない部分では発電機を低騒音、低公害型にしたり、発電機から充電式バッテリーにしたりと、排ガス、CO2、騒音等、環境に配慮した取り組みをしております。
 大型ねぶたの電気は沢山使うため発電機でなくては賄えませんが、前ねぶたという小さなねぶたの電源は、発電機から充電式バッテリーに代わって来ております。更に充電式バッテリーも小型、高性能、利便性の良い物を試したりしております。

 前ねぶたには大きな充電式バッテリー(後ろの紫色)が2台使われておりましたが、途中で電気が無くなってしまうことがあったそうです。今年は試しに1台を高性能な充電式バッテリー(手前の黒色)を使ったところ、小さいにもかかわらず電気が無くなることはなかったそうです。そのうえ、同程度の他社製品は満充電時間が8時間のところ、これは95分と非常に短いので使い勝手が良かったそうです。(製品名:ボルタンク)
 ねぶた製作中もコンセントの無い場所に、この充電式バッテリーと扇風機を置いて暑さをしのいだそうです。ねぶた小屋はとても狭いので、電源ケーブルがあると足を引っかけて危ないので安全面にも優れていたとのことです。
 災害時の非常用電源として採用が多い充電式バッテリーですが、家庭用電源や発電機の代わりに普段使いできることをねぶた祭で知ることができました。

 コロナ感染や自然災害などで困ったことや不便なことが出てきますが、やり方を工夫することで何とか克服できるかもしれないですね。
                                          青森 H