秋田東北商事株式会社

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2018年06月の記事一覧
2018.06.01 | 事務美貌録

第二十九回投稿 新・“い”なささなかまだ日記

★いなささなかまだ日記★ 6月号

 ☆祝☆ 秋田ノーザンハピネッツ※B1昇格
やったぁ~!バンザ~イ!!!おめでとう!!!
いきなり盛り上がってすみません。
 昨年B2に降格してからというものB1昇格だけを目指して1試合1試合を戦ってきたハピネッツ。最短で昇格できて本当に嬉しいです。1年前のB1残留プレーオフ。延長戦の末にブザービーターで横浜ビー・コルセアーズに3ポイントを決められ劇的逆転負けしたあの瞬間。場内がシーンと静まり返ったこと、横浜の歓喜、膝から崩れ落ちた田口選手、そんな場面を思い出すと感慨無量です。
 B2優勝決定戦では惜しくも負けてしまいましたが、今シーズンの勝率9割(54勝6敗)はB2ナンバー1です。最後まで諦めずに戦う姿にいつも元気をもらいました。選手の皆さん本当にお疲れ様でした。
 ちなみに秋田ブースターは、応援が熱狂的なことで知られ、「クレージーピンク」とも言われています。まだ試合を見たことの無い方は是非会場に足を運んでみて下さい。その迫力に圧倒されること間違いなしです。 ※B1・・・バスケットボール男子Bリーグ1部のこと

話は変わりますが、皆さんラート競技をご存知ですか?
ドイツ発祥のスポーツで、2本の鉄の輪を平行につないだ器具を用いて、様々な体操を行う競技だそうです。先月のハピネッツの試合会場で見る機会があり、初めてその存在を知りました。5月にスイスで行われた第13回世界ラート競技選手権大会の男子個人総合で優勝した高橋靖彦さんという方が演技をしていたのですが、鉄の輪を自由自在に操る姿はスポーツというより芸術に近いように思いました。いろんな種類のスポーツがあるんですね~。今年は平昌オリンピックに始まり、今月開幕のFIFAサッカーワールドカップとスポーツ熱は高まりそうです。その先2020年の東京オリンピックに向けてまだまだスポーツ熱は止みそうにありませんね。“い”でした。

2018.06.01 | 社長だより

社長だより vol.42

【ふたたび小さな疑問】

 尺貫法は中学生の時廃止されたと思うが、今もってメートル法でしっくりこないものがいろいろある。特に面積や量的なものに多い。100 m2といっても3.3で割って、“ふーん30坪か”、100ℓは1升が1.8ℓだから、“50本ちょっとか”、となる。また、田畑での一反歩のイメージはあるが「アール」などが出てくると固まってしまう。換算は認知症防止にはいいのだろうが、いやはやピンと響く頭には程遠い。秋田高校校歌と太平山の地図
 拙宅近くの高清水小学校も今年140年、校歌に「山きよらかな 太平の そびえる姿 映しつつ・・・」とあり、作詞は秋田高校と同じく土井晩翠さんです。
 秋田市のほぼ全域から見られるピラミッド型の『太平山』。深田久弥氏の名著「日本百名山」にはないが、山の深さや信仰の対象として山岳関係者は「日本三百名山」の一つにあげている。春夏秋冬異なる趣きをはっきりとみせる。高清水からも稜線がくっきりとよく見える。また、“マイ畑”からもピークが見える毎日の暮らしに欠かせない風景だ。
 私はこの歳まで自分にずっと太平山は前岳・中岳・奥岳の総称だと思わせてきた。そっとしておきたかったが、“念のために調査”してみると手前から、前岳・中岳・鶴ケ岳・剣岳・宝蔵岳・弟子還り岳・太平山・旭岳とある。山連なりは当然知っているが、太平山への呼称、「3岳で太平山」はここに60年の思い込みの歴史が途切れることとなった。

 しかし、私の本来の疑問は依然として未解決だ。その標高差にある。太平山の標高は1,171m、前岳は774m、どこから見てもこの標高差を感じられないのである。みた感じ、前岳は9合目、よく見て8合目ぐらいにしか見えない。写真上は秋田市外旭川から撮ったもの。前岳と太平山の標高差は約400m。写真下はもっと近づいて秋田市仁別からみたもの。(両方とも8時前後方向から見ているので中岳は見えない)いつも太平山を見るとこの標高差に悩まされている。400mの差といえば、優に男鹿半島の寒風山(377m)を凌ぐ。距離や見る位置(角度)からその差を感じさせないのだろうが、足も不自由になり、走破してこの疑問を解決・納得することは永遠にできなくなった。今となれば中学2年の夏、クラスの数人で前岳から奥岳まで縦走する計画があったが参加しなかった。なぜ参加しなかったのかがそもそもの疑問だ。

 1812年7月16日、菅江真澄は「太平山(おろちのたけ)にのぼって、“居待ちの月(十七夜の月)を見ましょう。16日は月蝕があって月見にはふさわしくないので・・・”*」と、出発し19日に登頂している。翌年、晩春に再度秋田市仁別を訪れ、次の和歌を残している。
 『花はいつ 桜のこずゑ 梅の苑(その) また夕凝(ゆうこ)りの 霜のおく山』。
一昨年まで仁別から『ザブーン』へのT字路角にこの和歌を記した「菅江真澄の道」の標柱があった。
(*菅江真澄遊覧記5、月のおろちね、内田武志:東洋文庫、平凡社)

平成30.6月