秋田東北商事株式会社

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2017年08月の記事一覧
2017.08.03 | 社長だより

社長だより vol.32

今年も土崎神明さん、曳山(やま、写真左)が終わった。ユネスコ無形文化遺産登録となった今年、ことのほか熱気でごったがえした。私は御幸曳山(みゆきやま)出発地、穀保町(こくぼちょう)の隣町、新城町(しんじょうまち)で産まれた。現住居は旧寺内6区(高清水)で神明さんとは関係ないが、7月20・21日は盆暮れ一緒に来たようなものだ。6月に入るとお囃子が聞こえ、新年を迎えるように気分が高揚してくる。そして21日の夜、戻り曳山(もどりやま)。つぶれた声の音頭上げ、引手の荒声、きしむ木の車、油の焼けるにおいで『やま』は最高潮に達する。

【夏の家庭菜園】

  この時期、“食べたくなる”のが「うり」。うまいのに当たった時のあの感激、ハズレへのぼろくそ。今ではハズレのないメロン。美味しいのだが何かもの足りない。昭和30年代初頭、まだまだ果物も少なく、スイカは高くて1年に2回ぐらいしか食べられなかった。その点、「うり」は手軽な夏の人気もの。フンフンにおいをかぎ、指先でやわらかさを確かめたり、包丁を入れてもらった時の緊張、スプーンで食べる?そんなことはまずなかった。即、かぶりつきだった。果汁を垂らし、怒られながら食べた。
 都では「瓜田に履を入れず、李下に冠をたださず」という中国のことわざが賑わっている。「ウリ」はなくても言葉はしっかり残したいものだ。

 トマトもそうだ。畑の真っ赤に熟れた大きなトマト。ガブリ!青臭いというか、畝に腰を下ろして、日差しを遮り、青いへたのところまでモクモク食べた。子供のおなかはたちまち満足する。我が家の家庭菜園もこのトマトを食べたいがために始めたものだ。
 先日、我が家のトマトをじっと見ていた顔見知りの専業農家の人が、「これさ肥料やったか?」、「もちろんやったすよ!」、「あのよ、トマトは肥料やらねくてもえなだや」、と言う。実は毎年夢に見た大きなトマト、実がつかない・ついても大きくならない。今年こそはと思って肥料もたっぷりやった・・。葉もちぢれ、幹ばかり太く、“病気ではないか?・いやいや石灰が足りないのでは”と家内と悩んでいた・・・

 今年はもう一つ大きな失敗をやらかしてしまった。とうきびだ。野菜や果物はもぎたてが最高。毎年、向かいの家からもぎたて5本をいただくのだが、とにかくおいしい。真似をして植えてみた。肥料もたっぷりやった。順調に大きくなり、茎から“とうきび”が2~3本出てきた。ところが何を思ったか、少し抵抗はあったがことごとくトマトよろしく“芽かき”をしてしまった・・・。数日後、青森で助手席から何気なく沿道の畑を見ていたら、“あれ?うちのとうきびと何か違う?”。直ぐわかった。“うちのとうきび、裸だ!” “芽かき”をしたときは穂(花芽)にとうきびがなるんだと錯覚していた・・、子供が帰省したら食べさせてやろうと思って丹精込めていた。がっかりした。家内に言葉はなかった。

 今年の畑、春先の低温で作況は全体的に不良だ。あとの望みは枝豆か。写真は雑草がいっぱいの豆畑。右からてんこ豆(後ろは赤大豆と紅虎豆)、ささぎ豆、黒豆、小豆、枝豆。東京の友人W氏はことのほか枝豆に目がないという。播種をずらした枝豆。うまくいったら朝採りで送ろう。
 お盆過ぎればそろそろ秋野菜の準備だ。それまで休もう。しかし、そうもゆかない。強敵、日照りと雑草が待っている。

平成29.8月

2017.08.02 | 事務美貌録

第十九回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 8月号

 2度目の登場になります“か”です。

 新年の挨拶をしたのが、ついこの間のように感じられますが、季節が巡るのは早いもので今年も半年以上が過ぎてしまいました。梅雨が明ければ、あっと言う間に夏が終わり、また厳しい冬が近づいてくると思うと少し憂鬱な気分です。

 1月号では昨年の熊本地震・新潟県糸魚川市の大火について書きましたが、今年は「九州北部豪雨」など日本列島各地で大雨の被害が発生しています。今回、秋田県内でも記録的大雨が降り大きな被害を受けました。他県の惨状を気の毒に思うしか出来ませんでしたが、まさか身近に起こるとは夢にも思いませんでした。
 7月22日・土曜日は午前中から強い雨が降り、我家の近くを流れる川の水位が驚くほど上昇していました。23日朝には市内いたるところに非難勧告が出されましたが、「まだ避難指示ではないから」と自分の気持ちを落ちかせようとしていました。川の近く、低いところから水がだんだん流れてきて、すぐ近くの道路が冠水するさまは本当に恐ろしい光景でした。普段、静かな住宅街ですが、道路脇へ次々に住民が現れ不安げに話こんでいました。「まさか、ここまで水が来るとは思わなかった。」誰もが話していたのは、ニュースの中で被災した方が言った言葉と同じだと思いました。
冠水した道路はしばらくの間、片方の入り口が通行止めされなかったため車が何台も入ってきます。「わざわざ足首までの水位の中を通らなくても」と周りの人達と話していたのですが、あの人達も誰かの所に行くため必死だったのでしょうか。

 幸い夕方には、少しずつ水は引いてゆき、冠水した道路も夜には水が無くなっていました。朝からハラハラしどおしの一日でしたが、結局我家に近づいてきた水もあまり水位が上がらずにすみました。でも、川沿いでは床上浸水した家もあり、また県内各地では大変な被害を被り、農業被害も甚大だと聞きます。本当にお気の毒です。改めて、災害は突然やってくるもので、いつ自分が被災者になってもおかしくないものだと感じました。