秋田東北商事株式会社

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2023年03月の記事一覧
2023.03.01 | 社長だより

社長だより vol.96

 あっという間に3月です。今年の冬は過ぎてみれば(まだ冬は終わってないかもしれません、、、)積雪が少ない冬でした。筋トレという名の除雪を行なう事も少ないシーズンでした。そして既に道路の積雪もほとんど無く、日々春に近づいていると感じています。もしかしたら“なごり雪”があるかもしれません。気を抜くことなく、安全運転には注意して日々お過ごし下さい。

 今回はニューヨークタイムズ紙「2023年に行くべき52ヶ所」で世界2番目に“岩手県盛岡市”が選ばれた事について、ご紹介したいと思います。

 今年の1月12日、ニューヨークタイムズ紙の電子版に「2023年に行くべき52ヶ所」が掲載されました。日本から選出されたのは、盛岡市と福岡市(19番目)の2ヶ所でした。因みにこれまでに国内で選ばれたのは、東京、大阪、京都など世界的にも有名な大都市ばかりだったそうです。盛岡市【R5,1,1時点:285,407人(公式HP調べ)】は、人口規模で見ると秋田市【R5,2,1時点:301,984人(公式HP調べ)】より少ない都市です。私も江戸時代には南部藩の城があった歴史ある城下町だった事、“わんこそば”や“冷麺”や“じゃじゃ麺”が有名など、業務上で訪問する機会が多いので多少の知識はあります。そんな盛岡市を「東京から新幹線ですぐ、混雑とは無縁の歩きやすい街」と、ニューヨークタイムズ紙に作家で写真家のクレイグ・モドさんが推薦文を寄せた事が今回の掲載に繋がったとの事です。中山道を歩き街道沿いの喫茶店文化について、記述した著書もあるクレイグ・モドさんが2021年に全国の地方都市を歩き、その価値を見出したのが盛岡市だったそうです。クレイグ・モドさんは「岩手県盛岡市は、しばしば見過ごされ、無視されがちである。(中略)市街地は、非常に歩きやすい。大正時代に建てられた西洋と東洋の建築美が融合した建物、近代的なホテル、いくつかの古い旅館、曲がりくねった川が街中にあふれている。古代の城跡が公園になっているのも魅力のひとつだ」と盛岡市の魅力を記載していました。


 このニュースをご存じの方も多いと思いますが、皆さんはどのように感じて何を考えましたか?私は最初にこのニュースを目にした時は、大変恐縮ですが「えっ!なんで盛岡市?」と思いました。(盛岡市の皆様、大変申し訳ございません。) 更には「秋田市だって江戸時代には佐竹藩の久保田城があった歴史ある城下町だったし、今では千秋公園として整備もされている。日本酒やきりたんぽ鍋や稲庭うどんなど飲食でも全国的に美味しいと有名だし、、、確かに東京からは新幹線で少しだけ遠いけど、、、(4時間前後は遠いかもしれませんね。)」と少しだけ悔しさを感じました。と同時によく考えると盛岡市内をしっかり歩いて観て回った事がない事にも気付きました。いつも繁華街(大通りや映画館通り)しか歩く事がないので、今度は是非ゆっくり盛岡市内を歩いて観てクレイグ・モドさんが伝えた魅力をしっかりと感じてみたいと思います。


 関連した事項になりますが、宝島社が年1回創刊している「田舎暮らしの本」で「2023年版第11回“住みたい田舎”ベストランキング」において、全国ランキング“人口20万人以上のまち”で秋田市が「総合1位(若者・単身者が住みたいまち1位、シニア世代が住みたいまち1位、子育て世代が住みたいまち4位)」に選出されました。これは移住定住の推進に積極的な自治体を対象に、移住支援策、医療、子育て、自然環境、就労支援、移住者数などについて、自治体からの回答をもとに田舎暮らしの魅力を数値化し、ランキング形式で紹介しているものだそうです。「空路1時間で上京出来てアクセスが良く、テレワーク施設や国際教養大、秋田公立美術大など教育環境が充実している。又、医療福祉施設がバランス良く立地し、65歳以上の市民は一律100円でバスに乗車出来るなど、シニア世代も安心して暮らせる環境がある。」と理由が記載されていました。


 “空路1時間で上京出来てアクセスが良く(秋田市)”“東京から新幹線ですぐ(盛岡市)”どちらも個人的感覚にはなりますが「遠いようで近い」「近いようで遠い」ですね。盛岡市と秋田市は往来するのに「遠いようで近い」「近いようで遠い」約2時間かかりますが、お互いに魅力がある事は間違いないと思います。

 最後になりますが、今年も「新型コロナウイルス」の経過について記載致します。秋田県内の感染者確認は減少傾向に転じており、独自の警戒レベルも「レベル1」に引き下げられました。病床使用率も20%前後を推移しています。全国的にも減少傾向となっていますが、未だに感染者確認がある事は事実です。そのような状況の中ではありますが、3月13日以降はマスクの着用は個人の判断に委ねられる事になりました。“個人の判断に委ねる事”について賛否両論ですが、少しずつコロナ禍以前の生活スタイルに戻っていきます。しかし今はまだ基本的な感染防止対策を確実に行なう事が必要です。更に感染した場合や可能性がある場合は適切な行動や対応を行なう事も重要です。

 そして毎回記載していますが、約3年以上に渡り「新型コロナウイルス」と戦い続け、感染者を日々支えて救い続けて頂いている医療従事者並びに関係者の皆様、治療薬やワクチンの開発に尽力して頂いている研究者の皆様、本当に敬服致します。くれぐれもご自愛下さい。

 長いようで短い1ヵ月。又1ヵ月後に更新致しますので、お付き合いを宜しくお願い致します。

令和5年3月

2023.03.01 | 事務美貌録

第86回投稿 事務美貌録 3月号

 先月2月は、秋田県内各地で冬まつりや小正月行事が開催されました。新型コロナウイルスの影響を受け、3年ぶりに開催される行事も多く、各地で盛り上がりを見せていたそうです。私も今回初めて、男鹿の真山神社で行われた【なまはげ柴灯(せど)まつり】に行って来ました。日中は比較的穏やかな天気でしたが、やはり夜ともなれば厳しい寒さに包まれます。雪がちらほら舞うなか、厳かにまつりは始まりました。前半は、「鎮釜祭・湯の舞」、「なまはげ入魂」といった儀式が行われ、中盤では「なまはげ行事再現」、「なまはげ踊り」、「なまはげ太鼓」で観光客を楽しませてくれました。「なまはげ踊り」では、藁を羽織った赤鬼と青鬼が柴灯火の前で踊りを披露してくれました。素足のかんじきがとても印象的でした。用事があって、祭りのクライマックスである「なまはげ下山」を見ることが出来なかったので、今度行く機会があったら最後まで観覧してみたいと思います。

   
 その真山神社とほど近い地域に、あじさい寺と呼ばれる雲昌寺(うんしょうじ)があります。副住職さんが丹精を込め育て、少しずつ増やしたあじさいが、6月~7月頃見頃を迎えます。昨年行ってきたのですが、境内を見事に埋め尽くすあじさいに圧倒されました。「日本の絶景2017ベスト絶景」にも選ばれたそうです。まだまだ見頃には早いですが、行ってみたいスポットに加えてみてはいかがでしょうか。以上(I)がお届けしました。

2023.03.01 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.32

 北上担当のKです。この度もよろしくお願いいたします。

 2か月半ほどに以前になりますが、私が現在所属しております花巻市のビッグバンド、花巻リズムヤンガーの75周年記念コンサートに参加しました。当時はコロナウィルスの流行が盛んな時期でしたが、発売当初からチケットが慢性的に不足するという状況でして、大変盛況のうちに終えることができました。コロナ禍の影響で1年延期しての開催になりますので、正確には創立76周年です。これは現在確認されている中では、日本最長の歴史を持つ社会人アマチュアビッグバンドとなります。

 太平洋戦争終結後、進駐軍により花巻城跡に地区の駐屯本部が置かれ、花巻温泉の旅館ホテルが同時に接収されます。今では想像するのが困難なのですが、当時の花巻温泉は温泉施設だけでなく、ゴルフ場や動物園、遊園地などの施設が隣接していた総合レジャー施設だったそうです。当時を知る方の話では花巻温泉を「温泉」とは呼ばずに、「遊園地」と呼ばれ親しまれていたのだそうです。旅館ホテルを接収した進駐軍の中から、次第にではありますが花巻温泉内にある小学校の講堂でバンド演奏をする者が現れ、やがてアメリカ兵の娯楽を目的として定期的なライブ活動を行うようになったそうです。

 日本国内は戦後まもなく、第一次ジャズ黄金期としてこの時期を表現する識者もいるほど、進駐軍が持ち込んだジャズの一大ブームが発生していました。その流れもあってか身内の娯楽として行われていた米兵のライブ活動は、ほどなく日本人にも開放されることとなり、当時は市内の足となっていた花巻電鉄の鉄道線沿線各所で演奏活動は拡大していきました。本場のアメリカンジャズに接した若者の反応は早く、日本人によって結成されたジャズバンドが次第に活動を始めることとなり、花巻リズムヤンガーもアメリカ兵のライブに触発されて生まれたバンドの一つだったそうです。

 今回の75周年記念コンサートのパンフレットに、過去の歴代所蔵メンバー名鑑というコーナーがありまして、76年前の創立メンバーから現在に至る動静を伺うことができます。このページを眺めていると、見知らぬ同好の方々の息吹を身近に感じられるようで、なぜか妙にエモーショナルな気持ちになります。こうして受け継がれる歴史を可視化することで、ある種の責任感といいますか使命感の様なものまで自分の中に湧き上がってくるのです。
ページの末尾に、岩手から遠く離れた土地からやってきた私の名前がクレジットされているのを見ると、本当に不思議に気持ちになります。人はそれぞれ無自覚な中で歴史の一員なのだと思います。

今回の1枚
山下洋輔 「クレイ」

 若き日の山下洋輔さんのエネルギーそのものともいえる名盤。日本フリージャズの最高傑作との呼び声が高いです。先程戦後間もなくのジャズブームを第一次ジャズ黄金期と表しましたが、その流れをくむ形で1960年代半ばから1970年代にかけての、渡辺貞夫さんや日野皓正さん、そしてこの山下洋輔さんなどをはじめとする伝説級のプレーヤを多数輩出したこの時代を、第二次ジャズ黄金期と表します。最近東京の知己より、東京のライブシーンにおいて20代の才能が次々と発掘されているともしかしたら近い将来、第3次黄金時代がやってくるかもと期待しているのです。

 北上担当のKでした。今回もありがとうございました。