エコムジャーナル No.45
【偶 然】
心の底にずうっと何か引っかかるものがあって、それがたまたま現実に見えるものになったときを「偶然」と解しているが、いいだろうか。
先日、東京の某デパート10階にある蕎麦屋を出たら、一回り上の先輩とばったり。今回の上京で、秋田を出るときから電話をしようかと何度も思いながら“迷惑だろうな”と逡巡した結果であっただけにその偶然には驚かされた。8年ぶりだった。
先輩は今年91歳のはず。大方の同年代の方は腰が曲がったり、杖をついたり、大体外出そのものをしないものだろう。しかし、先輩はしゃっきりと背筋ものび、どう見ても十歳は若く見える。
“Tさん、Tさん”、恐るおそる声をかける。怪訝そうに私を見つめる。“近藤さん!”私もマスクをしていたので、Tさんも不安そうに私の名を呼ぶ。”どうしてここにいるの、どうして電話をしてくれないの”と不満げに声を続ける。私がなぜここにいるのか手短に話すが、さらに畳みかけるように話してくる。何とも驚いた。
それから1週間、また「不思議な出会い」があった。家内の買い物アッシーで時間があるようなので、近くの“床屋さんに行く、車で待っていてくれ”、と向かった。時間もよかったのか4人が長椅子で待っていた。“早く終わるな、よかった”、と腰を沈めた。周りを見ると全員がスマホをじっと見つめている。東京出張でも乗客の多くがスマホを見ている。“秋田も同じだな”。
実は長椅子に座わるとき、“あれ、Mさん?M教授”、と頭をかすめたがいつもの眼鏡がない。確信が持てず声もかけず少し離れて座った。気になる、あの髪型、大学院の教授にしては珍しいスポーツ刈り、体もがっしりしている。間違いない。M教授だ。声をかけてみようかと思ったが近いうちにお会いすることになっている。話も筒抜けになるのでやめた。Mさんにはまだ世の中で確立されていない研究をお願いしている。少し灯りが見えてきたところだ。
毎日でもせっついて研究を進めてほしい。しかし、そうもいかない。心だけがはやる。お目にかかったとき、床屋の一件を話したらどんなお顔をされるだろう。うまくつながればいい、と思う。これも望んでいた、偶然か。
近藤嘉之