2024.06.04 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.47

【鳥たち】

この頃朝の4時ごろ鳥の声で起こされるというか、目が開いたら鳥たちが“今日の予定は”、とやかましく、じっと聞かされる羽目になる。特に今時分、新緑も深緑になると彼らの朝会議はやかましい。と言っても鳥たちの名前がわからない。かろうじて、ムクドリ、シジュウカラぐらいは分かる。ムクドリは遠慮がないというか大きな声で際限なく話しているからよくわかる。たまに鶯がなくと、思わず“あのくらいにしてくれよな”と思う。

たまに「かっこう」も聞く。自分が山にいるような錯覚を感ずるが、入りの悪い劇場などをさしてよく、「閑古鳥が鳴く」とたとえるので、なんとなく寂しく聞こえる。単独行動の鳥なのであろう。この閑古鳥、「あの独特の鳴き声をカンコウと聞いてなづけたのだろう*」。小学生のころ、合唱と言えば『静かなこはんで、もう起きちゃいかがとかっこがなく』と輪唱で歌ったことを今でも思い出す。それが年取ったことだよと、92歳の従弟が言う。

もう一羽、雲雀。これもにぎやかな鳥だ。畑に向かうと畔から湧き出すように出てくる。横に逃げればいいのに、車の前を飛ぶのだから“馬鹿だなー”といつも思ってしまう。そして日も上がってくると真上で自分の縄張りに入るなとばかりにさえずる。本当に”よく息が続く“。彼らは疲れないのだろうか。寝床は決まった畔の中にあるのだろうか。
反対に声は出さないが、ちょこまかとせわしない鳥がいる。セキレイだ。畑を起こすと決まってどこからともなく出てくる。大抵はつがいだ。餌はあるのだろうかと思うが、意外に人なつこく、2メートルぐらいまで寄ってくる。ミミズでもいればいいのになー。

*ことばの歳時記 6月3日 金田一春彦 新潮社