秋田東北商事株式会社

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2019年11月の記事一覧
2019.11.05 | 事務美貌録

第四十六回投稿 事務美貌録 11月号

 朝晩と日中の寒暖の差が激しく、急に寒さを感じるようになった今日この頃です。ホームページの更新が11月なので、更新される頃にはぐっと気温も下がり、紅葉も見ごろをむかえているのかもしれません。
 車を替えてから、ドライブ(乗っているだけですが)に出かけることが増えたのですが、今まであまり外出してこなかった為、どこに出かけていいのか分からず、近場にある道の駅から始めてみました。数ヶ所道の駅を回ってから知ったのですが、道の駅のスタンプを集めて回るスタンプラリーの本(スタンプブック)がある事を知り、少しずつスタンプを押しながら道の駅巡りをしたいと考えております。スタンプブックには、スタンプを押すスペースだけではなく、道の駅の説明や名産品なども書かれており、レストランで使える食事のクーポンなども付いておりますが、まだクーポンを使用した事はありません。
 道の駅について調べたところ、道の駅は安全で快適に道路を利用するための道路交通環境の提供と地域のにぎわい創出を目的とした施設で、地域とともにつくる個性豊かなにぎわいの場を基本コンセプトにしているそうです。全国には1,160ヶ所の道の駅があり、東北には163ヶ所の道の駅があるそうです。秋田は33番目の道の駅がH30.7月に男鹿に出来たようです。

道の駅スタンプ


 先日、新米をもらいに実家に行って来た事もあり、五城目町の道の駅(悠紀の国 五城目)に寄り、スタンプを押してきました。五城目町といえば「朝市」が有名ですが、最近キイチゴにも力を入れているらしく写真はありませんがキイチゴソフトを食べました。甘酸っぱい感じですが、さっぱりしていて食べやすかったです。道の駅では、新鮮な野菜や果物やきのこなどが売られていましたが、実家から野菜をもらっていた為、なにも買わずに帰って来ました。まだ食べた事はありませんが、道の駅のレストラン(だまこ庵)では、1年中だまこ鍋が食べられるようです。
 道の駅の裏には『もみのき広場』がありました。少し歩いただけで帰って来てしまいましたが、今度ゆっくり歩いてみたいと思います。

もみのき広場
 少しずつ寒くなって来ましたが、雪が降る前にもう少し道の駅巡りをしたいと考えている“ま”でした。

2019.11.05 | 社長だより

社長だより vol.59

【身に入む(みにしむ)】

 台風15号・19号の爪痕はただただ凄まじい限りで、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。自然の仕返しなどとは思いたくもないが、「災害は忘れたころにやってくる」というのは昔の言葉になったかもしれない。次から次と襲ってくる『過去に経験したことのない』という気象庁の表現に体が強ばる。自然は嘲笑っているのではないだろうが、どうしたものだろう。

チョッキ

 あの暑い夏が去って、過ごしやすい天候になると夜も長くなる。灯火親しむ侯となるのだが、特別読み残している小説を読むでもなく、母親が古毛糸で編んでくれたチョッキを着て、定番の粗大ごみ、“ごろっ”とよこになってテレビのチャンネルを回している。
 チョッキは3枚あり、1枚はUさん、そして私と家内に遺された。女性用は腰までの長いものだ。三枚共ボタンが左前で女性向けである。着るときはいつも勝手が違うので着にくい。この頃はボタンを外さず、かぶることにしている。大きめに“だぶっと”編まれて着心地もよく、今の時期手ばなされない。毛玉もだいぶ目に付くようになった。

 Uさんの夫君は元国語教師。早期退職して読書(と散歩)三昧の生活だ。月に1~2回は老々介護というわけでもないがご高齢の二人暮らしの様子見を兼ねて遊びに行く。いつお邪魔をしても“はい、どうぞ”と嫌な顔もせず歓待していただく。何かを相談するというのでもなく、“ガッコ漬けた”とか“草むしりをした”とか、ただ毎日の生活を話している。最近、Uさんは“腰が痛い”などを繰り返すようになった。その度に夫君は“それが歳をとったということ、嘆く必要もないよ”とさらっと返している。今まで何度か言われても聞き流していたせいもあるが、この頃“嘆く必要もない”を聞くと素直に腑に落ちるようになった。

ブナの紅葉

 このご夫婦、日常生活、買い物、旅行など一切飾ることをしない。会話でもお互い気兼ねなく喋っているように見える。ただ、Uさんは夫君とすれ違いがあるときは、“私はわたし、お父さんはおとうさん”が口癖なのでその時を察知したときは家内と話を聞くことに徹している。Uさんは最近耳が遠くなったせいか大きな声で話す。すれ違いの時も、そしてよく笑う。誠に羨ましい自然体である。

カラスへの贈り物

 最近、夫君から身につまされるような話があった。いわゆる『断捨離』に話が及んだ時のこと。“死んでから残された人への思いやりで、生前に身の回りを整理しておく必要はない”というのだ。そして、重ねて言う。“死んでから自分がどうされようと分かる訳もなく、家族がやりやすいようにしてくれればいい。最近の断捨離が当たり前のような風潮には辟易する”という。

 私もそう思うが、遺族への思いやりというのではない。ただ単に、身の回りの整理がつかず、ものに囲まれているような生活なので、大事なものはきちんと残すことが必要だと思うだけだ。淡々としたU夫妻を見て羨ましく、中途半端な自分に嫌気がさすときもある。この期に及んでだ。きっと日々の生活に素直に感謝する心がないからだろう。秋風は身に入むばかりだ。

令和元年.11月