カテゴリー : エコムジャーナル
エコムジャーナル No.35
【堂堂】
小学館の新選国語辞典に堂堂を「つつみかくしのないようす」、例として『正々堂々』とある。これをまさしくマイ畑で体験した。
家内と車から降り靴を履き替えていた時、二人の足元から2メートルもないところを、ネズミをくわえたキツネが何のてらいもなく、一瞥もなく二人を無視して悠々と歩いてゆくではないか。しっかりとした体つきだ。畔に入りなおもネズミを探しながら南へ約50メートルは進んだろうか。左に折れて相変わらず悠然と歩いてゆく。こんな光景はNHKの「北海道、おおいなる自然」あたりで、隠し撮りでもなければ決して見ることはできないだろう。今でも夢ではないかと思っている。
小学生のころ、父に国鉄の安月給で、名前は忘れたが「小学5年」とかの月刊誌を買ってもらっていた。私の狙いは付録にあった。今も忘れられないものに、東京タワー・当時世界最大のタンカー日章丸?がある。東京タワーは組み立てると高さは優に1メートルはあったろう。日章丸も両手で抱えなければ動かせない大きさであった。まさに堂々たる付録だった。完成したときの満足感がたまらなかったことを覚えている。もちろん素材は紙だ。今は月刊誌が残っているのだろうか。そして、日章丸のような付録があるのだろうか。
この歳になり、今までの過ごし方を見て、正々堂々たる生き方であったろうか。よく「我が人生に悔いなし」と冊子に書いてあるものを見かける。うらやましい限りだ。翻り、目をつむってやり過ごしてきただけではないか。ないものねだりの人生ではなかっただろうか。日経の「交遊抄」を読んで、毎回、飾らない人生に人の何たるかを気づかされる。
あのネズミをくわえたキツネの正々堂々たる歩き姿、“どんなもんだい”と歌舞伎役者にも似た大見栄を切ったあの光景は忘れられない。
エコムジャーナル No.34
昨年夏、地区の消防団から声がかかり入団いたしました。20年前にも声がかかったのですが、年齢を伝えたところ年齢制限があるとのことで逆に断られました。消防団員の高齢化、新規入団者不足で加入要件が緩和されたそうです。少子高齢化、若年層の流出がどんどん進んでいるのが実感できますね。
コロナウイルス感染状況が落ち着いて来ていることもあり、各種行事が工夫を凝らし復活しております。町内会でも花見を久しぶりに開催いたしました。
1月、2月は寒く雪が連日降り続き、除雪が間に合わなかったり、流雪側溝に水を供給する水路が凍結し流雪側溝に雪を捨てることができず、とても大変な思いをしました。一方、年間降雪量が少なかったことと、3月からの好天のおかげで雪解けが早く、桜の開花も例年より2週間位早かったです。例年ですとGW前が開花時期ですが今年は4月中旬に開花し、町内の花見も丁度良い時期の4月16日に開催されました。しかし、15日、16日の土日は残念ながら雨が降ったり、強風が吹いたりと花見には向かない天候でした。

町内会の花見では毎回消防団に花見の手伝いの依頼があるそうです。私は町内会の花見には一度も参加したことがなかったのですが、手伝いではありますが初めて参加いたしました。予定では消防団が公園内にテントを建て、焼き鳥と焼きそばを焼くことになっていましたが、強風のためテントを止め、公民館玄関からブルーシートを公園の方へ渡し、その下で調理しました。公民館では婦人部の方々が豚汁、味噌ショウガおでん、炊き込みご飯を作り、参加者に振舞っておりました。

参加者は高齢者が多く、子供は数人しかおりません。町内の人達と顔なじみの人は焼き鳥をもらいに来たり、公民館に入り食事をしたりしますが、公園に来ても公民館に近づかない大人や子供もおりました。多分、普段から町内の人達との関りが少ないのではないでしょうか。実は私もよそ者であり、知らない人達ばかりの所に入るのは苦手で、そのうえ、高齢の方がほとんどで同年代や若い人がほとんどいない状況であればなおさらだと理解します。
花見の来場者を200人と見込んでおりましたが、周知不足なのか天候のせいなのかわかりませんが100人は来ていなかったと思います。
地域に若い人達が住み、子供たちが増えるような取り組みをしないといけないのでしょう。同様に会社も、入社したい、長く働きたい、と思えるよう規則や制度を変えていかなければならないのではないでしょうか。
昼過ぎには雨も上がりました

青森 H
エコムジャーナル No.33
【黄色の花たち】
三原色の中でも、黄色はやわらかくて暖かい感じを与える。幸せの色と言ってもよい。子供の名前にある花の名をいただいた。まだ、私と一緒に寝ていた時、しきりに自分の名前の由来を聞かれたことがあった。『人の気持ちがわかる、心がほんわかする優しい人間になってほしい、と願ってつけたんだよ』、と話した。その時は私の思いも伝わらなかっただろう。今はどうか聞いたことはない。私はその花の前を通る時、いつもそのことを思い出す。

2月になると、3種の黄色い花たちをひそかに待ち望んでいる。
雪も消えやらぬ早春にマンサクが咲く。錦糸卵のような1センチぐらいの縮れた花(がく)が開く。つい見とれてしまう。父が鉢植えしていたものを下したものなので1メートルぐらいで樹高が止まっている。
少し遅れて蝋梅(ろうばい)が咲く。字の通り、蝋細工のような薄黄色で下向きに恥ずかしそうに咲く。本当に目立たない花だ。そばに行くとほのかに柑橘系の香りが漂う。“おや、咲いていたのか”、と言葉をかける。
そして、フクジュソウ。拙稿が掲載されるときは花が終わっているだろう。植え替えが面倒なので昨年庭に下した。フクジュソウの根はまるで細い針金が絡まったような異様な根だ。そこからあの黄色の花が出てくるのだから不思議だ。
「和の色辞典*」を見ると、色の微妙な違いに名をつけて、言い分けていることにおどろく。「向日葵色(ひまわり色)・うこん色(絵画を包んでいる布)、サフラン色(アヤメ科・日本には明治時代に輸入された・春咲きの黄色の花をクロッカスと呼ぶ)*」など多くの色名が日常の生活に深くとけこんでいる。日本人はけばけばしい原色を好まない。きっと温和な風土の中で草花の染色技術が相まって中間色に対する色彩感覚を磨いた結果なのだろう。
20年近くも前に、金沢市立美術館にふらりと入ってあの『黒船屋』に出会ったことを今も鮮明に覚えている。黄八丈と思しき着物をまとい、「黒船屋と書かれた縦長の箱に腰を掛け、黒い猫を膝に乗せて両手で抱きかかえる*」、だれもが知る武久夢二の最高傑作だ。伊豆八丈島特産の刈安で絹地を染めた色と言われる。
*引用 和の色辞典 ㈱視覚デザイン研究所
エコムジャーナル No.32
北上担当のKです。この度もよろしくお願いいたします。

2か月半ほどに以前になりますが、私が現在所属しております花巻市のビッグバンド、花巻リズムヤンガーの75周年記念コンサートに参加しました。当時はコロナウィルスの流行が盛んな時期でしたが、発売当初からチケットが慢性的に不足するという状況でして、大変盛況のうちに終えることができました。コロナ禍の影響で1年延期しての開催になりますので、正確には創立76周年です。これは現在確認されている中では、日本最長の歴史を持つ社会人アマチュアビッグバンドとなります。
太平洋戦争終結後、進駐軍により花巻城跡に地区の駐屯本部が置かれ、花巻温泉の旅館ホテルが同時に接収されます。今では想像するのが困難なのですが、当時の花巻温泉は温泉施設だけでなく、ゴルフ場や動物園、遊園地などの施設が隣接していた総合レジャー施設だったそうです。当時を知る方の話では花巻温泉を「温泉」とは呼ばずに、「遊園地」と呼ばれ親しまれていたのだそうです。旅館ホテルを接収した進駐軍の中から、次第にではありますが花巻温泉内にある小学校の講堂でバンド演奏をする者が現れ、やがてアメリカ兵の娯楽を目的として定期的なライブ活動を行うようになったそうです。
日本国内は戦後まもなく、第一次ジャズ黄金期としてこの時期を表現する識者もいるほど、進駐軍が持ち込んだジャズの一大ブームが発生していました。その流れもあってか身内の娯楽として行われていた米兵のライブ活動は、ほどなく日本人にも開放されることとなり、当時は市内の足となっていた花巻電鉄の鉄道線沿線各所で演奏活動は拡大していきました。本場のアメリカンジャズに接した若者の反応は早く、日本人によって結成されたジャズバンドが次第に活動を始めることとなり、花巻リズムヤンガーもアメリカ兵のライブに触発されて生まれたバンドの一つだったそうです。

今回の75周年記念コンサートのパンフレットに、過去の歴代所蔵メンバー名鑑というコーナーがありまして、76年前の創立メンバーから現在に至る動静を伺うことができます。このページを眺めていると、見知らぬ同好の方々の息吹を身近に感じられるようで、なぜか妙にエモーショナルな気持ちになります。こうして受け継がれる歴史を可視化することで、ある種の責任感といいますか使命感の様なものまで自分の中に湧き上がってくるのです。
ページの末尾に、岩手から遠く離れた土地からやってきた私の名前がクレジットされているのを見ると、本当に不思議に気持ちになります。人はそれぞれ無自覚な中で歴史の一員なのだと思います。
今回の1枚
山下洋輔 「クレイ」

若き日の山下洋輔さんのエネルギーそのものともいえる名盤。日本フリージャズの最高傑作との呼び声が高いです。先程戦後間もなくのジャズブームを第一次ジャズ黄金期と表しましたが、その流れをくむ形で1960年代半ばから1970年代にかけての、渡辺貞夫さんや日野皓正さん、そしてこの山下洋輔さんなどをはじめとする伝説級のプレーヤを多数輩出したこの時代を、第二次ジャズ黄金期と表します。最近東京の知己より、東京のライブシーンにおいて20代の才能が次々と発掘されているともしかしたら近い将来、第3次黄金時代がやってくるかもと期待しているのです。
北上担当のKでした。今回もありがとうございました。
エコムジャーナル No.31
【温泉】
さきがけ新報に「新・地図のない旅」という五木寛之氏のコラムが掲載されている。ある時、氏は一日に5回風呂に入るとあった。大分ご高齢のはず。それも毎回かはわからないが入浴中に本を読んでいるとのこと。私も風呂好きだが、脱いだり着たりが面倒だから就寝前の1回でいい。
しかし、泊りがけで温泉に行けば、こちらのもの。早く布団を敷いてもらい、夕食前に2回、就寝までに2回、翌朝一番風呂と5回入浴となる。浴衣の下はもちろん最低限の下着、湯上りは布団に潜り込む。今時分はうとうとしながら窓越しで墨絵を見ている。

文豪が伊豆や熱海などに投宿・長逗留したという旅館がテレビに紹介される。自分にもそんな馴染みの旅館があればとひそかな憧れがある。家内と一緒に年に1・2回しか投宿しないが、“秋田の近藤”だけで“どうぞ”、と言ってもらえる温泉宿がある。ひっそりした山間(やまあい)、家族3人できりもみしている。最近長男が後を継ぎそうな気配があるものの、料理・帳場は親任せ、おかみさんは、どうしたものかと私にため息をつく。
跡継ぎは別にして、宿の料理はいわゆる田舎料理だが人柄をあらわす丁寧な仕事だ。味は濃いめ、定番は牛のたたき、もちろん家内へ回される。山なのに魚料理がうまい。前もって何々を焼いてくれとか、煮つけにしてほしいというとはずれがない。塩加減といい、煮つけの照りといい、絶品だ。ひれまでしゃぶりつくす。言葉も出ない。一流料亭ほどの派手さはないが来てよかったと舌鼓をする。
エコムジャーナル No.30
健やかに初春をお迎えのことと存じます。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。
自身の健康づくりのために始めた山登り。富士登山(エコムジャーナルNo.1ご参照)後は北アルプスの名峰を目標にしましたが、翌年から県外移動の自粛を受けて北東北の山々を巡りました。移動が緩和された昨年、3年越しで北アルプス行きの計画です。2ヵ月前から某山荘の宿泊予約を取り、登山口までの交通手段を調べ、準備も行程も万全でした。しかし、天気予報には一向に晴れのマークがつきません。
出発を翌日に控えても登山指数が回復することはなく、当日は目的地を決めずに出発。国道7号を南下しながら候補地をあげ、天気を確認しながら絞り込みます。秋田を発って7時間、北アルプス付近にかかる雨雲を通り抜け、いよいよ新しい目的地に到着です。
木曽駒ケ岳―――山体のほとんどが花崗岩でできている標高2956mの木曽山脈(中央アルプス)最高峰。しらび平駅から乗車する駒ヶ岳ロープウェイは日本一の高低差(950m)を誇り、終点の千畳敷駅は日本最高所の駅として知られます。
千畳敷駅に降りてものの数分、早くも見どころを迎えます。標高2612mに広がるカールは、2万年前に氷河期の氷で削り取られたお椀型の地形です。畳を千枚敷いた広さがあることから、千畳敷カールと呼ばれています。眼前に広がる荒々しい岩肌に、日本アルプスの迫力を感じました。

山頂に向かって進みカール上部に到達すると、巨大な岩々を近くで見ることができます。天を衝くように立つ岩々の存在感もまた、アルプスらしさを感じます。岩の向こうには南アルプスの稜線を眺望でき、稜線の上には3年前に登った富士山が顔をのぞかせます。

初アルプスは思いもよらず日本アルプスの中腹での登山となりました。天候に恵まれることを願いながら、本年も計画から楽しみたいと思います。
秋田担当A(8回目の投稿)
エコムジャーナル No.29
【今年の総括】
といえば堅苦しく、何事かと身構えるが、そうではない。我が家の野菜達の活動結果である。
春先の好天、そして長雨と、世界的な異常気象はわが野菜達にも影響があった。と言っても、適切な対策も特にせず、土日2時間程度のお世話で、その大半は草取り。管理などとは程遠い。毎年のように課題を多く抱えた総括となった。

今年初めて被害にあった長ネギは病気で一畝に10数本しか残らなかった。土の中で溶けてしまった。しかし、残ったねぎはおかげで下仁田のような太いネギになった。玉ねぎはもっとひどかった。大小不出来はいつものことながら、収穫量は凡そ五分の一。しかも干してからの腐りがひどく、結局数個しか食卓には上らなかった。ニンニクも大きくなれなかったなあ。
人為的な被害は大根だ。いつものように耕したつもりであったが、先端が割れているものが続出。楽しみなビール漬けには相当に難儀したようだ。来年はもっと深く耕そう。そして聖護院カブ。例年とはうって変わり、大小混在もいいところ。がっかりだった。
一方、心配したジャガイモは豊作で、よく言うホクホクの上出来上。味噌汁でも型くづれすることもなく私好みの固さだ。サトイモは葉がかつてないほど大きくなり、イモがつくか心配であったが、取り越し苦労。味噌汁ではとろみが澄まし汁のようになり、初冬ならではの逸品だ。そして、我が家の3大芋の一角、サツマイモ。味はまあまあだが、収穫量が少ない。どうも植え方に問題があるようだ。来年は畝を高くして1本づつ並べて植えてみよう。今年はハツカネズミの巣・被害がなかった。途中で畝間に管理機をかけたせいかもしれない。さぞかし驚いただろう。
次に葉物。初夏のキャベツ・白菜は例年通り。白菜の漬物はよく食べた。毎日小丼をたいらげた。農薬の心配がないから安心だ。ほうれん草は石灰を多くまいた成果があり、例年よりは収穫があった。チンゲン菜は地質にあまりこだわらないようだが、固かった。水やりだけのせいではないようだ。
枝マメは、浴衣娘と秘伝、まずまず。黒豆は半年になってもまだ黒くならない。どうしてだ。小豆は枯れ始めたものから次々に収穫するが、天候に左右される。お正月お汁粉に出てくるだろう。
きゅうり・トマト・なす・かぼちゃの定番は毎日食べた。飽きずに食べた。今もお世話になっている。
今年も皆さん、ありがとう。そうそう、みょうがもよくいただいた。来年もよろしくお願いします。
朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人 本居宣長
物見れば 見る物事に 喰はむと思ふ むべわが幸も 食ふに 釈迢空 (しゃく ちょうくう)
エコムジャーナル No.28
3年ぶりに各地でイベントが開催され活気が戻りつつありますね。青森市でも、いつもと違うやり方ですが、ねぶた祭が行われました。
ねぶたの運行方式は2種類あります。
一つは、もともとの運行方式で、出発地点から順番にねぶたが出陣する「吹き流し方式」。出発地点から離れた場所では、しばらく待たないとねぶたは来ませんが、遠くからの小さなお囃子がだんだん大きくなるにつれて、感情も高ぶるのがたまらないと言う人もおります。津軽弁の「じゃわめぐ」ということでしょうか。
もう一つは「一斉スタート方式」。予めコースにねぶたを配置して運行を始めるので、先頭、最後尾が無く、どこにいてもねぶたをすぐに見ることができます。
「吹き流し方式」時代、最後尾に「カラス跳人」と呼ばれる黒ずくめの跳人が付いて回り、暴れたり喧嘩をしたり社会問題となっていたので、この人達を排除するために考えられた方式です。
前回までの10年間は「一斉スタート方式」でしたが、今年は跳人の参加者を予約制にし、人数を制限して「吹き流し方式」に戻しました。また、歩道上の桟敷席を無くし歩行者の密を防いだり、歩道上での露店販売も無くしたりと少し活気に欠けましたが、無事に終わり良かったです。祭期間中は雨もほとんど降らず奇跡としか言いようがありません。
うれしいことに協賛しているねぶたが「ねぶた大賞」、製作者の竹浪比呂央先生が「最優秀製作者賞」を受賞いたしました。また、竹浪先生はJRねぶたも製作し、こちらは「県知事賞」を受賞しております。

伝統のある祭でも、ねぶた師の先生はじめ実行委員会や各団体の皆様は、伝統を守りながら毎回新しい取組にチャレンジしております。
その一例として、ねぶたの光源ですが蝋燭から電球、そしてLEDと変わってきており、青白い鮮やかな光を放っています。また、見えない部分では発電機を低騒音、低公害型にしたり、発電機から充電式バッテリーにしたりと、排ガス、CO2、騒音等、環境に配慮した取り組みをしております。
大型ねぶたの電気は沢山使うため発電機でなくては賄えませんが、前ねぶたという小さなねぶたの電源は、発電機から充電式バッテリーに代わって来ております。更に充電式バッテリーも小型、高性能、利便性の良い物を試したりしております。

前ねぶたには大きな充電式バッテリー(後ろの紫色)が2台使われておりましたが、途中で電気が無くなってしまうことがあったそうです。今年は試しに1台を高性能な充電式バッテリー(手前の黒色)を使ったところ、小さいにもかかわらず電気が無くなることはなかったそうです。そのうえ、同程度の他社製品は満充電時間が8時間のところ、これは95分と非常に短いので使い勝手が良かったそうです。(製品名:ボルタンク)
ねぶた製作中もコンセントの無い場所に、この充電式バッテリーと扇風機を置いて暑さをしのいだそうです。ねぶた小屋はとても狭いので、電源ケーブルがあると足を引っかけて危ないので安全面にも優れていたとのことです。
災害時の非常用電源として採用が多い充電式バッテリーですが、家庭用電源や発電機の代わりに普段使いできることをねぶた祭で知ることができました。
コロナ感染や自然災害などで困ったことや不便なことが出てきますが、やり方を工夫することで何とか克服できるかもしれないですね。
青森 H
エコムジャーナル No.27
【彼岸花】
日ごと空が高くなる秋彼岸の頃、赤く燃えるように咲くのが彼岸花。この花を“はっきりと意識したのは今から15年前”、伊勢からの帰りの特急列車だった。幸運にも最前列で文字通りくぎ付けになった。線路際に延々と群生し目を奪われた。今もこの時期になるとあの車窓のことを思いだす。

彼岸花といえば仏花とも言われ、墓地の卒塔婆の周りにあるようなイメージがあり、知らんぷりしていた。ただ、仏花と言われる割に色といい形といい、実に艶やかな花である。曼珠沙華ともいうがこちらの呼び方がいいのかもしれない。より仏様に由来する語源を感じる。戦後歌謡曲で渡辺はまこがつやっぽく歌っていたと思うがはっきりしない。
この花の根には毒があり、その毒を松くい虫退治用の薬品にしたらどうかと提案をした友人がいた。しかし、相手にされなかったという。県内で羽越本線と7号線が平行して走るところが所々ある。特に由利本荘市、道川付近のJR側、まだ10年生ぐらいだろうか、いたるところに枯れているのを見る。痛々しい。何か松枯れを防ぐ手がないのか、空の高さにお願いしたくなる。
彼岸最終日、おはぎを食べたくなり目覚めてすぐ“行こうか”となり、山形最上川戸沢まで走った。ここのぼたもち屋、どれもが甘さ控えめでおいしい。ことのほか黄な粉は、車の中にふわっと香りがひろがる。来た甲斐がある。帰りに近くの「ぬるぬる温泉」につかり、鳥海山をドライブして所要時間約7時間の心地よい一日だった。
エコムジャーナル No.26
岩手県北上担当のKです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
この度も私のジャズなど音楽にまつわる、個人的な小さな出来事から感じたことを書いていこうと思います。しばらくの間お付き合いいただけましたら幸いです。
2週間ほど前のことです。北上市にはさくらホールという、素晴らしく設備が整ったリハーサルスタジオが併設されている施設がありまして、その日もいつもの休日の過ごし方としての楽器練習をと来てみたのですが、ホール入り口あたりを中心に何やら人だかりができていました。後で聞いたところでは施設主催の盆踊り大会だったそうです。
これは何だろうなと訝しげに思いながら人や出店を回り込みながら歩いていると、顔見知りである隣接市のスーパートランぺッター氏がいらっしゃるのを発見。あいさつがてらに「これは何をしているの?」と聞いてみたところ、氏、満面の笑顔で「Kさんコソ練ですか?注:コソ練とはこそこそ練習するという意で、アマチュアビッグバンド界隈ではなぜか個人練習をこう表現することが多い。いいからこっちへ来てください。」と連れていかれた先がステージ脇の楽団ブースということでして、そこには見知った顔もちらほらと見られました。言われるがままケースから楽器を出し、結局飛び入り参加ということで急遽盆踊りの生演奏をさせて頂くこととなりました。

岩手県に生活拠点を移す以前はこういった夏祭りバンドの演奏というのはちょくちょくと参加させていただいていましたので、当時を思い出しながら楽しく参加させていただきました。盆踊りなどの参加型のお祭りは皆さんノリがよく、何をやってもウケやすいので、演奏する側もついつい羽目を外した演奏をやりがちです。自分もやりすぎないようにと気を付けてはいたのですが、後になって思い起こせば、うんちょっとやりすぎました。
音楽に限らず人前で自己表現をするという行いは、そのイベントの趣旨や規模の大小にかかわらず、その行為自体が地域の文化活動の一端を担うことになるという側面を避けることはできないと私は考えています。
コロナウイルス以降、こういった生産性に直結しない文化行為の価値が少しずつではありますが確実に低下していることを日々感じています。直接体験ではないリモート体感が価値を日々重くしていくということは、結果的として何かに自分の意志で何かに直接的に参加するという機会を阻害することになるのではないのかと私は感じるのです。

以前取り上げさせていただきましたジャズ喫茶のマスターがこの春にお亡くなりになられました。体調がよろしくないことは私も承知していましたが、直前までほぼ毎月お店に伺わせていただいては少しの時間だけお話をさせていただいていまして、訃報に接してから今日まで、時々そのことを思い出したりもします。
自分なりに大事にしていた場所ではあるのですが、お店も閉じられることとなりました。
岩手には、別の土地から移ってきた私が驚くほどにポテンシャルが高いジャズ文化があります。先達が育ててくれた豊かな森を守りつつ、新しく木を植えていくのが後に続く世代の責務なのだと思います。
今回の一枚

「In a Sentimental Mood」 本田竹広
本田竹広(ピアノ) 井野信義(ベース) 森山威男(ドラム)
曲目:①Mr. P C ②Misty ③チェニジアの夜 ④Body&Soul ⑤枯葉 ⑥Once I Loved⑦In a Sentimental Mood ⑧Everything Happens To Me
岩手県宮古市出身、2006年に若くして逝去された伝説のピアニスト本田竹広さんによる
1985年の作品です。この3人の組み合わせは日本ジャズの頂点の一角を占めると言って
も大げさではないと思います。⑥はアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲ですが、この
演奏には特に圧倒されました。
本田竹広さんと直接接点があった方が私の周囲にもいらっしゃり、日々お話を伺っては耳
に親しんでいます。
今回はここまでとさせていただきます。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
エコムジャーナル No.25
夏が来れば思い出す
【カスべとそうめん】

夏の食べ物といえば、象潟の岩ガキ、六郷のニテコのサイダー、土崎のカスべ、そしてお決まりのそうめんとなる。中でも土崎のカスべ煮は逸品だ。カスべはあのエイだ。マンタの小さい奴だ。鰻を気持ち悪いの一言で食べない者が、あのエイを食べるのである。エイはカチカチに乾燥して店頭に並ぶ。押切のようなもので3~5センチ角近くに切ってあり、一晩水で戻し、醤油と砂糖で甘辛くぐつぐつと煮詰めるのである。身は数層にも重なりかみごたえは充分だ。時に歯に挟まり、人前では難渋する。ひれの部分はあの羽のように動かす部分でコリコリと軟骨をかむのは好きではない。損した気になる。しかし、値段が高いからひれの部分も食べる。私はゲテモノと言われるものは食べないことにしている。特に動物系は一切食べない主義だがカスべだけは違う。子供のころからカスべは土崎の港まつり(ユネスコ文化遺産の一つ)に欠かせず、舌があの味を覚えている。我が家のカスべ煮は写真のような上品さはない。もっと色濃く、いってみれば照りのある八丁味噌のような色合いだ。土崎の家庭はみんなそうだと思う。
ところで、濃厚な味からそうめんになるが、そうめんの嫌いな人はいないと思う。が、素そうめんでは寂しい。薬味があると食欲をそそるというか豊かな日本文化になる。わが菜園では早生と遅れて出てくる2種のミョウガがある。ふんだんに食べられる。店で買うほど太ってはいないが、味は変わらない。
薬味はミョウガのほかショウガでもネギでもいい。最近まで、ねぎは下の方に伸びるものと思っていた。どうしても白いところが伸びない。栽培は難しいものと思っていたが、ねぎというのは上に伸びるから土かけをするということが最近わかった。ついでに、もう一つ、トウモロコシだが、始めたころ、実は花が咲いたところになるものと脇芽は全て一生懸命摘んでいた。ところがある時残った脇芽にトウモロコシがなったのである。それまでは何で実がならないのか不思議だと家内と言っていたのが夢のようだ。我が家の菜園、今年は36種植え付けた。ジャガイモ・なす・ささげ・ほうれん草・きゅうり・きぬさや、たらふく食べた。いつまで続くか。
※出典 : 農林水産省Webサイト(かすべ煮 秋田県 | うちの郷土料理:農林水産省 (maff.go.jp))
エコムジャーナル No.24
「バスタオル持ってきたか?」朝6時、登山口駐車場に到着。3時間前に自宅を発ち、目をこすりながら移動するも駐車場に着いて間もなく、相棒の言葉で途端に目が覚めました。
この日は八幡平鏡沼ドラゴンアイの「開眼」(エコムジャーナルNo.13ご参照)を見ることが目的でしたが、その前に同じく八幡平国立公園内にある一座を登ることに。登山口は後生掛温泉の敷地内にありますが、バスタオルの出番は下山後ではありません。
秋田焼山―――秋田県の北東部に位置し、鹿角市と仙北市の境界にある活火山。50万年前に古焼山溶岩流の流出で形成が始まったと言われています。山頂付近は硫黄気質が著しいため「硫黄山」とも呼ばれ、山頂火口や山麓に多くの温泉(東側に後生掛温泉、西側に玉川温泉)が存在します。
朝6時半、登山スタート。山にも春が訪れたことを知らせるかのように林道ではウグイスの鳴き声が響き渡ります。木漏れ日を浴びながら歩を進めること約1時間半、峠に到着すると一気に視界が開け、活火山らしい荒々しい地形が現れます。

中央火口丘である鬼ケ城を越えて山頂が近づくと硫黄臭が漂い始め、乳白色の湯沼(直径700mほどの火口湖)に到達します。周辺ではボコボコと音を立てながら盛んに水蒸気が湧き上がっており、地熱活動の臨場感が伝わってきます。ガス濃度が高いため湯沼周辺は立入禁止区域ですが、かつては硫黄の採掘場として毎月1000t近くが精鉱されていたそうです。

登頂(標高1366m)を遂げ、名残峠の稜線から湯沼の外輪を周って下山に入ります。しばらく沢を伝って歩きますが、「湯の沢」と呼ばれるように沢を流れるのは硫黄たっぷりの温泉。上流の湯温は50度以上ありますが、下流に進むにつれ徐々に湯温が下がります。入浴に適した湯温になった頃、湯の華や湯泥が沈んだ湯だまりがあり、傍らにはご親切にバスマットや風呂桶が用意されています。これまで浸かった方が目印とばかりに置いていったのでしょう。焼山の景色を眺めながら浸かることができる正真正銘の天然温泉は、皮膚病や傷所等への癒し効果があるようです。

さて、エコムジャーナルは今回の投稿より3年目に突入しました。現在、定期連載は隔月(奇数月)の投稿としておりますが、これからも読み応えある投稿の継続に努めて参ります。ますますのご愛読、よろしくお願いいたします。
秋田担当A(7回目の投稿)
エコムジャーナル 特別号Vol.4
【駅】
2022年3月1日の日本経済新聞、コラム「春秋」に『「駅」という言葉は、どこかもの悲しい。これまで、どれほどの人びとの出会いや離別の場になったのか。古里の駅から戦地に出征する親族を見送った。でも、それが今生の別れになってしまった。セピア色のつらい記憶を持つ戦中世代の方も、おられるかもしれない。』とある。私から平和の3駅をご紹介する。
駅といえば、ベニスを舞台としたキャサリン・ヘプバーンの「旅情」、あの最後のシーン。アメリカに帰る婚期を逃した彼女を乗せた汽車が動き出す。ホームにやや小柄な中年の恋の相手が白い花を掲げて走ってくる。窓から大きく身を乗り出し懸命に手をふる、あのシーンだ。さすがお国柄、イタリアだ。ゴンドラのシーンでは「オーソレミヨ」、いたるところで「カタリ」・「パッショーネ」などカンツオーネの名曲がながれた。
小生の浪人生活は仙台であり、仙台駅で苦い思いの洗礼を受けた駅だ。当時の駅舎の正門は大きなぎーぎー鳴る木製のガタガタ扉。実家から連絡のあった時間にこの扉の前で叔父を待った。ほどなくニコニコ顔で近づいてきて、元気か?ぐらいの話はしたと思うが詳細な記憶はもちろんない。しかし、母から下宿の電話に叔父の話として、“着ていたものはさもしいものとの印象”で、力を落とした声が今も耳に遺る。
今年91歳になる従兄の新婚旅行。結婚式を当時の国鉄宿泊所で挙げ、その足で従兄たちが秋田駅に集まった。勿論見送りだ。記憶ははっきりしないが、“夜行急行つがる”だったと思う。今ではNHKアーカイブに登場するようなホームで“頑張れ、頑張れ”などと大声を張り上げた記憶がある。何を頑張れと言ったのかわからないが、後にも先にもホームでの新婚旅行の見送りはこれ1回しかない。
春秋の最後は『ウクライナ国境に近いポーランド南東部の街、プシェミシルの駅舎の光景を現地入りした記者が伝えた。戦乱を逃れた女性の肉声が胸に迫る。一方、この駅に向かうウクライナの男たちの姿も、メディアは報じる。近隣国での出稼ぎを中止し、祖国防衛に赴くのだ。映画ではない。この世界の現実である。』、と伝える。あのひまわり畑は大丈夫なのだろうか。
エコムジャーナル No.23
青森Hです。
今年の冬は大雪で大変でしたね。昨年12月28日は青森市内入る道路が全て通行止めとなり、市内から郊外に向かう道路は大渋滞となり大変でした。
一方、3月に入り暖かな日が多く雪解けも早く進み、4月には初夏のような日もあり、岩手県久慈市では30℃になったとテレビで報道されていましたね。
今日(4月21日)、弘前公園の桜は去年より2日遅いものの平年よりも6日早く満開となり、過去7番目の早咲きとのことです。
本丸では満開のソメイヨシノの他に三分咲きのヤエベニシダレもあり、色の対比を楽しんだり、天守と桜を一緒に写真で撮ったりしている人もいるそうです。
西堀の桜のトンネルは七分咲きで、西堀ではボートに乗り桜を見ることができます。また、外堀の花いかだは4月27日あたりからとニュースで話しておりました。
ということで、以前撮影した弘前公園の写真を載せますので桜の余韻に浸っていただければと思います。上手く撮れてなくて申し訳ございません。
移動前の天守(2014年)

天守から岩木山(2014年)

お堀と桜(2017年)

水面に映る桜(2021年)

コロナで左側通行(2021年)

来年、弘前公園にいらしてみてはいかがでしょうか。
以上
※今後のエコムジャーナル定期連載は隔月(奇数月)の投稿とさせていただき、次回は7月に掲載いたします。これからもご愛読いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
エコムジャーナル No.22
岩手県北上担当のKです。皆様いかがお過ごしでしょうか。ほんの少しの間だけお付き合いいただけましたら幸いです。
いきなりではありますが、今のコロナの時代というのは音楽演奏を趣味としている人にはつらいものです。私は幸いにも引っ越して生きた北上市には素晴らしいリハーサルスタジオがあり、又こちらで知り合ったドラマーの方が所有している、趣味のスタジオの無制限利用許可と言いますか、ご厚意で使用させていただいているおかげもありまして何とか個人修練を不自由なく継続することができています。とてもありがたいことです。
ジャズ漫画「ブルージャイアント シュープリームス」にジャズは個人に特化した音楽、という言葉があったのを憶えています。ジャズはその根幹にアドリブプレイがあります。その瞬間毎にその人だけのオリジナルの音楽を創造することを優先順位の最上位と位置づけ、楽譜上のテーマやコードなどの曲の枠組みはアドリブのためにあるイメージの投影だと私は考えるのです。
私にとってジャズを演奏するときの幸福というのは、リズムセクションや他のフロント楽器の方々と一緒に演奏することで、人それぞれの音楽を体感できることです。みんなで一緒に一つの物を作ろう、というのとは少し違っていて、ボクシングや格闘技みたいにお互いにスパーリングや試合をしてお互いを高めあうというイメージなのです。試合が終わったらお前と俺はトモダチだって感じになれたら最高ですね。
つい先日、私の学生時代の大先輩でもあり師でもあるジャズトランペット奏者が出演するライブ演奏を山形市で拝聴できる機会に恵まれました。コロナ禍に入る少し前に、一度体を壊されたと聞いていましたのでずっと心配していたのですが、お元気そうな姿を拝見して安心しました。

こういったプロフェッショナルな演奏を生で聴くこと自体もタイミングを計らなければならない、ましてはセッションやバンド活動で自分自身を試しあい、親しくなった遠方の方々と旧交を温めるといった日常で大切にしていたことを行うこと自体がなかなかにして難しい時代ではあります。それでも来るべき時は必ず来ると思い、その日のための精進は日々変わることなく、これからも続けていくことと思われます。
今月の一枚

上記で書きました私の師、と書いたら怒られそうな感じもしますが大先輩、日本を代表するジャズトランペット奏者の一人である高瀬龍一さんのアルバムです。これは身びいきでも何でもなく、私が2018年に購入した音楽アルバムの中でのベストバイです。本当におすすめします。この写真の背景は山形県鶴岡市の加茂水族館です。クラゲの水族館ですね。
北上担当のKでした。この拙い一文へ辿り着いていただきました皆様、最後までありがとうございました。
エコムジャーナル No.21
昨年、晩秋のある日のこと。冬の到来を間近に感じる肌寒い夜、出張から戻ると自宅のリビングがいつも以上に明るく感じます。何の前触れもなく突如として目に飛び込んできた約30センチ幅の水槽の中を見覚えのない華やかな魚たちが泳ぎ回っています。
以降、週末は毎週のように子どもたちからペットショップ行きをリクエストされ、どこへ出掛けても近場の店に寄っては新しい仲間が増えていきます。まるで長めの英単語を話しているかのようなカタカナの魚の数々。一度耳にしただけではなかなか覚えられない魚の名前を、子どもたちはすらすらと口にします。子どもの頭の柔らかさ、吸収力には日々感嘆させられ羨ましさを覚えます。
水槽が手狭になった頃にクリスマスを迎え、子どもたちは祖父に大きめの水槽をねだり、サンタクロースにはライトをお願いして現在のアクアテラリウムが完成しました。

年が明けて間もなく、水槽内に見覚えのない動きを見つけ、目を凝らすと水草に数匹の稚魚を発見します。すぐさまネットを用意して、いつの間にか誕生していた家族の安全を確保。成長を見守ること約1ヵ月、水槽に戻した頃は遠慮深く水草に隠れていた稚魚たちでしたが、すくすく育って今では縦横無尽に水槽内を行き来します。
生き物を育てるには責任と覚悟が必要になります。子どもたちには餌やりや水換えをはじめいろいろな経験を通じて命を守ることについて学び、何かを感じてくれたらと思っています。
本日3月を迎え、寒さ厳しい今冬の出口が見えてきました。春になると我が家の軒下にはツバメが飛来して巣作りを始めます。番となってヒナを守り、巣立っていくまでの流れもまた子どもたちには良い勉強になります。春の訪れはもうすぐです。
秋田担当A
エコムジャーナル No.20
青森に引っ越してきて、あっという間に3年が過ぎました。
毎年来る「冬=雪」。最初の頃は雪なげを楽しんでいたり、休みに入れば長靴で出歩いて買い物をしたりと、これまで経験のないことに新鮮さを感じ楽しかったのですが今では雪を見る度、もーホントにウンザリしてします。
でも今年は3年間出来なかったことに挑戦しようと思います。
毎年、大晦日は家に閉じこもりテレビを見るだけで過ごしていましたが、今年は自家用車をもう一台(中古の軽自動車で4輪駆動)購入したので、初めて年をまたいでの初詣に行く事にしました。これまで2駆(FF)でひきこもりだったのですが、思い切って今回は青龍寺に行き昭和大仏を見に行こうかと思っていましたが、意外と雪が多く今回は断念し廣田神社に初詣に行くことにしました。
23時頃に到着するも出店は1件しか出ていない、参拝する方々も0人。お守りは授与所にあったのですが、「年が変わってから授かったほうがいい」と自分に言い聞かせながら約1時間葛藤していました。そうこうしているうちに時間が立ち、若干場所を間違えた感はありましたが午前0時に近づくにつれて参拝客も多くなり無事に初詣をすることができました。

あとは友達にお守りをいただくのみ。このお守りに毎日手を合わせて今年を過ごして行こうと思います。
青森のOでした。

エコムジャーナル No.19
青森Hです。
皆さん、りんごの種類がどの位あるかご存知でしょうか。世界では約15,000種、日本では約2,000種類、青森県内では約50種類が栽培されていて、その内約40種類が市場に出荷されているそうです。
小学生の頃、学校からりんごの下敷きをもらい使っておりました。それには世界一、紅玉、国光、スターキング、印度など15種類程度が写真付きで紹介されていました。それが今では、ふじを筆頭にサンふじ、王林、ときなどの主力品種から、聞いたことがないものまで販売されております。道の駅や物産館に行くとその土地で、その時にしか食べることができない珍しい品種を見かけることができます。
11月下旬、青森県民手帳を購入しました。3、4ページには青森で主に栽培されているりんごの品種が紹介されております。

余談ですが1、2ページには世界遺産登録された北海道・北東北の縄文遺跡が紹介されております。
話しをりんごに戻しましょう。
主力品種のふじとサンふじは、国光×デリシャスの掛け合わせです。シャキシャキした食感で、果汁が多く、甘さと酸味のバランスが取れていると思います。外観の特徴としては赤が大半をしめますが、黄色の縦じまがうっすら入っています。ふじは一個一個丁寧に袋掛けをして育てますが、サンふじは無袋(袋掛けをしない)なので太陽の光をいっぱい浴びて育ち密がはいりやすいそうです。青森県藤崎町の試験場で育成され、昭和37年に命名されました。

ふじ
テレビで活躍中のりんご娘のリーダー名でおなじみの王林は、青森県で2番目に生産量が多い品種で、ゴールデンデリシャス×印度の掛け合わせです。果汁が豊富で酸味ほとんどなく、甘みと独特の香りがします。外観の特徴は緑黄色で、見た目が爽やかです。福島県の大槻さんが育成し、昭和27年に命名しました。

同じくりんご娘のメンバーが名乗っているときは、王林×ふじの掛け合わせです。果汁が多く、甘さと酸味のバランスもよく、香りもあります。外観の特徴は黄色で少し赤色が混ざることがあります。五所川原市の土岐さんが育成し、平成16年に品種登録をしました。

他にも、長野で誕生したシナノゴールド、シナノスイート、群馬で誕生したぐんま名月も美味しいです。
たまには聞いたことが無いりんごを眺めて、味わってみるのも面白いと思います。以下のホームページで、りんごの紹介をしておりますので興味のある方は、お暇なときにのぞいてみてはいかがでしょうか。
青森りんご 公式サイト(一社)青森県りんご対策協議会 (https://www.aomori-ringo.or.jp/)
そして、11月に青森県のニュースで紹介されました「りんごぷよぷよ」というゲームがあります。赤いりんごを消していくゲームですが品種による違いを見分けられないと消せないので、非常に難しいと評判になっておりますので、そちらも試してみてはいかがでしょうか。
以上
エコムジャーナル No.18
北上担当のKです。北上市も最近は朝夕冷え込み、冬の到来間近であることを日々実感させられます。皆様方もお体ご大切にお過ごしください。
2021年はジャズテナーサックス奏者のジョン・コルトレーン生誕95周年に当たるそうで、「ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン」というドキュメント映画が12月から順次全国公開されます。コルトレーンという名前は私の中では特別でして、ジャズという音楽との出会いが、大学受験期間中に彼のアルバムを偶然聴いたことなので、この若い時分の気まぐれがなかったとしたら、私の個人生活の中で今現在繋がっている方々の大半と出会うことはなかったという事になります。
今回は手元にある3つのアルバムを紹介することで、チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスとスケールを同じくする伝説の巨人の足跡を、ほんの少しだけ辿ってみます。
「COLTRANE」(PRESTAGE盤)

恐らくはマイルス・デイビスに抜擢されてメインストリームで取り上げられる以前の作品。フロントの共演者の人材に恵まれているとは言い難いが、リズムセクションが一流で固められているおかげで、コルトレーンのサックス奏者としての特性がすでに見て取れる。1曲目の「BAKAI」からは最も語られる特性としての「攻撃性」の萌芽が見て取れ、2曲目の「VIOLETS FOR YOUR FURS」から溢れ出る抒情性を感じることができます。コルトレーンに匹敵するバラード演奏家は存在しますが、コルトレーンを超えるバラード演奏家の名を挙げることは、私には難しいです。
「MY FAVORITE THINGS」

若き日の私を天国に誘ってくれたアルバムです。見直してみるとオリジナル曲は1曲もなく全曲スタンダードナンバーなのですが、コルトレーンによる新解釈により演奏されており、曲自身のオリジナリティは希薄です。 「シーツ・オブ・ミュージック」と呼ばれる、韻律やスウィング感よりも空間を自分の音で埋め尽くすというスタイルはすでに確立しており、標題曲「MY FAVORITE THINGS」でも存分に発揮されているが、それはただの音律の羅列ではなく全体で一つのリリシズムの結晶として昇華している稀有な一例だと思います。このアルバムに収録されている4曲すべてが文句なく美しい。
「LOVE SUPREME(至上の愛)」

マイルス・デイビスの黄金クインテットに匹敵するモダンジャズの一つの到達点であり、アメリカ音楽全体における歴史的レコーディング。後進のジャズミュージシャンは当然、カルロス・サンタナやU2などジャンル外のミュージシャンにも多大な影響を与えた。コルトレーンはこのアルバムを発表したのち、アバンギャルド路線を歩むこととなる。
求道者という呼ばれ方をコルトレーンはよくされますが、インタビューでも「私の人生にはレジャーは存在しなかった。」と語っていたことを 彼のアルバムを聴いているときによく思い出します。そんな時にはこの人をここまで駆り立てたものはなんだったのだろうとつらつらと考えたりもします。
語りたいことが多すぎて、ここまで短くするのに大変苦労致しました。ジャズについて語ったりすること、聴いたり演奏したりすること、それぞれにあきることはこれからもなさそうです。
冒頭で記載しました「ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン」は来年1月7日に仙台市で公開されます。年を越してからの最初の楽しみなのですが、コロナウイルスよる影響がなければよいがと今から心配しています。
最後まで拙い文書にお付き合いいただきましてありがとうございました。北上担当のKでした。
エコムジャーナル No.17
フィンランドの小説家であるトーベ・ヤンソンの代表作「ムーミン」―――作品の舞台となるムーミン谷は「緑豊かな、どこよりも美しい谷」と表現され、長閑な時間の中で多くの物語を生んできました。ここ秋田には日本のムーミン谷と形容される場所があるのです。
秋田と岩手の県境にそびえ、いくつもの火口丘と外輪山が峰を連ねる活火山・秋田駒ヶ岳。北日本一と言われる高山植物の宝庫であり、花の名山としても知られています。紅葉シーズンは「錦秋の秋田駒」と称され、多くの登山者で賑わいます。活火山によって生まれた自然の造形美が錦秋に染まる光景をこの目で見たく、山頂付近の色づきが確認できた本年10月上旬、いざ秋田駒ヶ岳へ―――
朝6時前、まだ薄暗い8合目登山口駐車場に到着。辺りはガスに覆われているものの、天気予報を信じて身支度を済ませ登山開始。紅葉のピークが過ぎたのか色づいた落葉が敷かれた登山道、その両側に生茂るヤブの露に身体を冷やされながら歩を進めます。歩くこと1時間、阿弥陀池(標高1530m)に到着。霧雨の阿弥陀池は北欧を思わせるような幻想的な風情が漂います。

最高峰の男女岳(標高1637m)に登頂後、山小屋で朝食をとっていると予報通り晴れ間が見え始め、いよいよカルデラに囲まれた火口丘地帯へ。しかし、気まぐれな秋の空。お目当ての馬場の小路(通称ムーミン谷)に辿り着いた途端に再び天候が崩れ、冷たい雨に遭います。本峰の男岳(標高1623m)を登頂しても天候は回復せず、ガスの切れ間から麓にある田沢湖の一部が見えるのがやっと。さすがに予報が外れることもあるか―――予定を早め男岳の稜線を下りながら、秋雨で冷えた身体を乳頭温泉郷で癒して帰ろうと考えていたその時、それまでの天候がまるで嘘だったかのように空が一挙に晴れ渡り、活火山の女岳、それに寄り添うように並ぶ小岳がその全景を現します。女岳の山肌には50年前の火山活動による溶岩流跡が生々しく残ります。

天候が良転したことで、急いで谷間へ戻ります。ようやくお目にかかることができた日本のムーミン谷の全景。右手には蜜ヤブのくっきりとした緑色の中に点々と浮かぶ灌木の紅葉、左手には活火山・女岳の溶岩流跡、その間にはゴツゴツとした岩壁―――異なる表情のピークに囲まれながら長閑な時間が流れるムーミン谷は、この登山のハイライトとなりました。

それからはすっかり晴天に。カルデラを隔てる外輪を登りながら錦秋の秋田駒を満喫します。火口丘とムーミン谷、その奥に田沢湖を望みます。

2019年の富士登山(エコムジャーナルNo.1ご参照)後、次年以降は北アルプスの山々を目標としましたが、昨年~本年は時世を鑑み近郊の山々の魅力に迫りました。少し気は早いですが、来年はどんな年になるでしょうか。北東北の山々からは初冠雪の便りが聞こえ始めました。11月を迎え、これから日に日に寒さが増します。どうか皆様お身体ご自愛の上、お過ごしください。
秋田担当A(5回目の投稿)