カテゴリー : エコムジャーナル
エコムジャーナル No.16
青森Oです。青森県に引っ越ししてきて早3年が過ぎました。神奈川県にいたときはベランダのプランターでいろいろな野菜を栽培していましたが、青森県に来てから庭で毎年ミニトマトを作っています。
今年は「こあまちゃん」という品種を植えてみました。昨年、一昨年は「アイコ」「純あま」などを植えていたのですが、思うような味に育てられませんでしたので、今年は少し冒険し「こあまちゃん」と「こあまちゃんオレンジ」にしてみました。
「こあまちゃん」は甘さと酸味のバランスが良く、食味が良いのが特徴の様です。実際食べてみると味が濃くトマトトマトしていました。「こあまちゃんオレンジ」は甘味がとても強い樹勢が強く、収穫量が多いのが特徴の様です。こちらも食べてみるとかなり甘くトマトの感覚はまるでなくフルーツの様でした。トマトが嫌いな私でも食べられました。
今年はいいものが出来、自分の腕が上がったものだと思っていたのですが、よくよく調べてみるとカゴメ家庭園芸品種の中で1番人気の品種の様で、コメントには栽培がとにかく簡単、収穫量も多い、初心者におすすめだそうです。

栽培がとにかく簡単の言葉に少しショックでしたが、実際コメント通り成長がよく 収穫量もかなり多かったです。2000個以上は採れたような気がします。(こあまちゃん1株 こあまちゃんオレンジ2株 中玉トマト1株)
妻が万能ねぎと長ねぎを植えていて(写真右)、今年はトマトとねぎは店で買わずに済みました。来年用に草刈りした草を壁際にまとめていて(写真左)、それが土になり、その土で来年もまたよく育ちそうです。
家の周りと職場関係にもおすそ分けで配ったのですが、皆さんから甘い美味しいと評判が良かったので来年も同じ品種でいこうと思います。

これからミニトマト作りをされる方がいらっしゃれば、是非「こあまちゃんオレンジ」をおすすめします。とにかくとにかく栽培が簡単ですので・・・青森のOでした。
エコムジャーナル No.15
青森Hです。
今年の青森、6月は雨が少なく、7月は暑く、オリンピックが終わるとともに大雨となり各地で大きな被害が出ました。全国的にみると大雨、土砂崩れ、河川の氾濫と地球温暖化によると思われる被害が多く出ております。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
コロナ禍で1年遅れのオリンピックでは、若手、新種目の選手の活躍により数多くのメダルを獲得、ボランティアの皆様の心遣いで外国人から信頼と感謝を受け取りました。私は何もしていませんが誇らしいです。
一方、コロナに対する警戒感の薄れから感染者が急激に増え、医療現場はひっ迫、ワクチンは不足と、まだまだ平穏な日常には程遠いでので、皆様気を付けましょう。
さて、今回は春からやっている週末の作業についてお話をさせていただきます。
私の住んでいる町内は郊外で、田んぼや畑がたくさんあります。そして、農地や空き地と家屋敷地の境界には風よけに杉の木が植えられ、高さが10m位のものあります。
今年の2月、自宅裏の空き地とその空き地の向こう側の家との境界にある杉の木が、風によるのか、枝の着雪によるのか倒れてしまいました。
我が家と裏の空き地の境界にも倒れた木と同じくらいの高さの木があるため、いつ倒れるか危険を感じました。そのため、これ以上高くならないよう頭頂部を切落としたり、風や雪の影響を受けないように枝を切らなければと考え、週末に作業をすることにしました。

手始めに、屋根の上に覆いかぶさる枝を伐採することにしました。枝の高さまで梯子で上り、安全帯を掛け、足を掛ける長さを残し、枝を鋸で切ります。

清掃工場で受け入れてくれる枝の太さは10㎝以下です。切り落とした枝には小枝や葉がたくさんついているので、数本集めただけで結構嵩張ります。

これらの枝を長さ60cm以下にし、紐で束ねるのですが、細い枝は剪定鋏で切り、剪定鋏で切れないものは鋸で切ります。
古い鋸刃に加え、生の木は水分があり滑りが悪く、固いので切るのが一苦労です。
後日、新品の鋸刃に変えたら、切りやすくなりました。写真のものは60㎝より少し長いですね。
紐で束ねるのも嵩張らないよう、一度仮締めし、二度目でキツク締め込みます。

何度か清掃工場に持ち込みましたが、車に積み込める量は1回で60~100kgです。
さすがに30℃以上の日にはやる気にならなかったので、涼しくなったら作業回数を増やさなければなりません。しかし、木の本数が多いうえ、梯子は木の高さの半分以下なので全然はかどらないでしょうし、清掃工場に持ち込むために長さを揃え、束ねるのも結構手間なので気が重いです。
もたもたしていると冬になり、風雪で木が倒れ、家を壊すかもしれません。若くないので、梯子を踏み外し落下する可能性も大いにあります。早々に業者にお願いするのが賢明かもしれないですね。
以上
エコムジャーナル 特別号Vol.3
【不思議、2題】

このセミどこから来たのか
我が家の玄関前ブロック塀の角にセミがとまっている。すぐに逃げるか思ったら、車から降りてもとまっている。死んでいるとか、脱皮とは考えなかった。そばでよく見ると抜け殻だ。下の道路はコンクリートなのでどこから来たのか全く謎だ。おかしい。まさか裏側からよじ登って来たわけでもないだろう。しかも上から降りてきて体を反転させて脱皮するものだろうか。1週間ほどしがみついていた
なぜ小豆がここに生えてくるんだろ
家内の証言ではひと畝にオクラの種を3粒ほど5か所に蒔いたはず、という。芽が出たときに、真ん中が何かおかしい。雑草ではないので水をかけ、そのままにしていたところ、最近になってやっとわかった。小豆だ。どうしてよりによってこんなところに生えてきたのかわからない。黄色い小さな花がいっぱいついている。中秋以降の収穫となるが、オクラの種は小豆と全く違う。謎生えてきたか分らないが来年の種に大事に育てることにしよう。(近藤嘉之)
エコムジャーナル 特別号Vol.2
【現代の花形職業】

7号線本荘からの帰り、道の駅岩城に近づくと2台の風車が見える。手前の風車が今日は止まっている。よく見るとプロペラの先に何か絡んでいるようだ。ビニールではない、なんだろう。車を走らせるとはっきりしてきた。人だ。それも二人だ。横に最接近で見ると、ロープを使ってプロペラの先端を点検しているようだ。こんなシャッターチャンスは滅多にない。車をわき道に止め、スマホで撮った。しかしあいにく天気が良く、画面が全くと言っていいほど反射して見えない。しかも、走って風車のそばに駆け寄ったので手振れがひどく、だめもとで何回か撮った。望遠というのか拡大しても二人の姿は見えない。しかし、運良く写っていた。格好いい!まさに現代の花形職業だ。
テレビで風車の点検は一度見たことがある。高所恐怖症の私。映像を見ても足がすくむ。40年も前のこと。秋田市の八橋焼却炉(撤去)の煙突補修で頂部の傷みが特にひどいと言われ、おだてると何とかやらで、てっぺんまで登ったことがある。中にいるときはさほどでもないが、高さ50メートルの外に出ると、ゆったりとコンクリートの煙突が揺れていた。今思い出しても気持ちが悪くなる。(近藤嘉之)
エコムジャーナル No.14
岩手県北上市担当のKです。暑中お見舞い申し上げます。
この文を書いている時点では今年の夏は始まったばかりなのですが、東北においても今年の夏は厳しそうですね。皆様方におかれましても、くれぐれもご健康に留意しつつご自愛頂きたくお願い申し上げます
今回もまたジャズという音楽にまつわる話をさせて頂きます。よろしければではありますが、少しの時間お付き合いいただけましたら幸いです。
岩手県一関市には日本一のジャズ喫茶と呼ばれ、全国的にも有名なベイシーというお店があります。その影響もあってなのでしょうか、日本独自の昭和の文化として、残念ながら全国的にはかなり廃れてしまったと言ってもよいジャズ喫茶という文化が、岩手県では比較的健在です。
岩手県に越してきた当初、若き頃よりジャズ喫茶の薫陶を受け、その巨大スピーカーから発せられる爆音を体に刷り込んで育った私としましては、車で広い岩手県内を運転しつつ夢中になって聖地巡礼したものでした。

写真は私が巡ったお店のうちの一つで、北上市の隣の奥州市にあるお店です。マスター御自身が設計して建てられたお店との事です。お店に入って見てみるとなるほど、これだけの巨大スピーカーを生かすための(JBLのパラゴンという伝説のスピーカーです)天井高さと奥行き。本当によく考えられていると思いました。
お店のマスターとは当初あまりお話などはしていませんでしたが、最初にした会話はお店のレコードブース横に置いてあった、委託販売のLPレコードを購入した時だったことを憶えています。

会計の際に「これ女性ボーカル?」といぶかしげに聞かれて、「これジャズじゃないのだけれど、若かったころによくこのアルバムを聴いていたのです。つい懐かしく連れて帰ることにしました。」と、私の長々しいそのレコードの説明を小さくうなずきながら聞いていただいていたのを思い出します。
それからマスターとは会計の時などに少し言葉を交わすようになったのですが、昨今のコロナ禍もあり去年の冬からお店を閉められています。休みの日に体が空いていると、再開していないものかとお店に車を走らせますが、現在に至るまで休業状態のままとなって久しい状態です。

リッキー・リー・ジョーンズ 「PIRATES」
上に書いた、私がお店で買ったレコードアルバムというのがこのアルバムです。
1980年代の英ポップシーンを代表する女性ボーカルで、このアルバムは2作目のアルバムとなります。この「PIRATES」発表の後、ジャズ方面への傾倒を深めていったことからジャズファンの中でも認知度が高いミュージシャンだと思います。今ライナーノートを見ているのですが、知っている共演者を書き出してみると、スティーヴ・ルカサー/ニール・ラーセン/スティーヴ・ガッド/ドナルド・フェイゲン/ランディ・ブレッカー/デビッド・サンボーン/ヴィクター・フェルドマンetc・・・これはすごい。
どれも大好きの曲ばかりですが、特に「We Belong Together」と「A Lucky Guy」は名演だと思います。YOUTUBEで検索していただけましたら、聴くことができると思いますので、よろしければではありますが、お試しいただければと思います。
たとえそれが小さいものではあったとしても、大事にしていた日常の一コマを失いことなく、一日も早く取り戻す日が来ることを願ってやみません。
北上市担当のKでした。ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
エコムジャーナル No.13
ドラゴン―――不思議なボールを集めないと目にすることができないと思っていました。長いようで短い4ヵ月、4度目の投稿となります秋田担当Aです。
秋田と岩手の県境にそびえる日本百名山のひとつ八幡平。雪の回廊と言われるアスピーテラインでご存知な方も多いと思いますが、近年ある自然現象が賑わいを呼んでいます。
山頂付近にある鏡沼―――冬の間に降り積もった雪が、春になると周辺部と中心部が雪解けすることで沼がドーナツ状になります。そこに陽の光・空の色など自然条件が重なった時、鏡沼が龍の瞳のように見えることから「ドラゴンアイ」と呼ばれており、毎年5月下旬から6月上旬の限られた時期に見ることができる神秘的な光景です。中心部の雪解けが進み「開眼」の知らせを聞いた某年6月上旬、いざ八幡平へ―――
午前中に近くにある秋田焼山の登山を終え、昼前に八幡平山頂レストハウス駐車場に到着。十和田八幡平国立公園内に位置する山を1日で続けざまに登るダブルヘッダー登山ですが、八幡平は山頂レストハウス駐車場から約30分のハイキング感覚で登頂できます。
そしてお目当ての鏡沼は登山口から10分ほど歩いたところにあります。ようやくお目にかかることができたドラゴンアイ。しかし、この年は淵の雪がせり上がり、ひび割れもあって例年とは違った瞳を見ることができました。

どうやら5月中旬の大雨の影響を受けて水位が上昇して水面が雪を押し上げ、開眼前に形が崩れてしまったようです。自然の造形物であるドラゴンアイ。その年の積雪量や気温変化など、気象条件によってその姿が変わります。

画像2枚目は別の年のドラゴンアイです。※秋田県公式サイトより
2座目の登頂を達成した安堵感から、山頂で腹ごしらえ。晴れの日は山頂展望台から岩手山・鳥海山・月山まで一望できるそうですが、この日は南東の岩手山のみ見ることができました。山頂で自然の景観を楽しみながらドリップして飲むコーヒーは、登山の疲れを癒してくれます。

さて、エコムジャーナルは今回の投稿より2年目に突入しました。現状は少数精鋭の持ち回りで担当しておりますが、それぞれの個性あり、特別号もあり、これからも読み応えある投稿の継続に努めて参ります。ますますのご愛読、よろしくお願いいたします。
エコムジャーナル No.12
久々の投稿になります、青森のOです。
今年初めに体を壊し入院してしまい、このエコムジャーナルも書くことが出来ず、順番で投稿している方々にご迷惑おかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。このまま当分の間、投稿は無いと思いきや秋田のAさんより「次、順番ですよ」と引導渡され少し具合がわるくなった感じがします。
先日、八戸市にある櫛引八幡宮(くしひき)に行った友人からお守りをもらいました。人からお守りをもらったのは初めてかもしれません。普段は神頼み等興味がなく、初詣に行ってもお守りを買うこともない私が友人からお守りをもらい、毎日手を合わせています。
友人いわく「やらないよりかはやった方が悪い方には行かないかもしれない」と言われ、病気にかかり体がボロボロになった今、その言葉がきいています。「やらないよりかはやった方が・・・」なんだか情けない感じですが、何かにすがり希望をもつことに意味があると実感しています。

何気に櫛引八幡宮を調べたところ、病厄除けのご利益が有名なところではなく「勝負運」「安産」のご利益で有名なところの様です・・・病との勝負に勝つという意味でもらったのでしょうか。男の私には、後者はかなり無理がある様に思えます。
ちなみに病厄除のご利益で有名なのは青森市にある廣田神社の様です。自宅から近くて行きやすいところですので、今度はこちらのお守りを友人にリクエストしようと思います。
私以上に私の体を心配してくれる友人に感謝をしている青森のOでした。
エコムジャーナル No.11
青森Hです。
今年の青森の冬は寒いうえ雪が降る日が続き大変でしたが、いつもより早く桜が咲きました。一部を除いては桜まつりが今年も中止となり残念な限りです。
オリンピックの聖火ランナーは走っているものの、開催されるものかどうか、コロナウイルスには困ったものですね。医療崩壊にならないよう気を付けましょう。
今回は、これまで出会った人から影響を受けたことについて書かせていただきます。
Kさんはパチンコ、ゴルフ、ギター、釣り、カラオケ、お酒と趣味が多い方です。話題はたくさんあると思いますが、営業先のひな壇の皆様の前では、挨拶の後固い話をし、突然無口になるのです。隣にいる自分は間が持たないと思い、冷や冷やしながら様子を窺っていると、沈黙に耐えられなくなったお客様が「そう言えば、・・・」と、重要な話しをしてくれたものです。Kさんにしか出来ない沈黙の営業を何度も見せてもらいました。自分では到底出来ない技です。ちなみにKさんは、会社で初となる案件をよく受注していたので「初物のKさん」と呼ばれておりました。
夜、そのKさんと飲み屋さんに行くのですが、飲み屋さんに行く道すがら花やプリンなどを飲み屋さんのお土産としてよく買って行きました。高価なものではないですが、お店の人は喜んでいました。お店の人に対する気遣いと楽しい飲
み方を見させてもらいました。仕事を引退して数年経ちますが、いまだにお店の人から「元気かな?」と聞かれます。

Sさんはバイタリティーがある方で、ある製品の開拓営業を少しお手伝いさせていただきました。私がリストアップした会社に飛び込み営業をしたのですが、挨拶をするやいなや「メーカーの努力不足だから国の制度が変わらず、この業界は大変なんだ」と、立たされたまま苦言をいただきました。それでも、次から次へと飛び込み、県内情報や業界情報を聞いて回りました。ビジネスマンの逞しさを見させていただきました。
いろいろな人と交流があり、面倒見がよく、人望が厚かったこともあり、関係会社の取りまとめ役を任されたりしておりました。人脈の大切さ、信頼関係の作り方も勉強させていただきました。
Oさんは仕事と趣味をバランスよくする人で、歴史とお酒と温泉が大好きな方です。車移動の途中、城跡があると車を停め石垣や地形をじっくり観察し、銭湯のような温泉を見つけると、10分で入浴し温泉成分を記録していました。
宿泊となると、出来る限り温泉宿に泊り、お酒をたしなみながら何度も温泉につかっていました。それまで私はあまり温泉に興味が無かったのですが、Oさんと一緒に仕事をするようになって興味がわき、その雑学が資格試験に役立ちました。
温泉に入ると、色、肌触り、味を確認し成分を推理していました。そして、温泉のうんちくを聞かせてくれました。
御存知の方も多いと思いますが、少し紹介させていただきます。
石鹸が泡立たないのは、酸性の温泉とアルカリ性の石鹸が中和反応を起こすためです。だから酸性の温泉には石鹸ではなく中性のボディソープを置いています。
美人の湯と言われるのはアルカリ性の温泉で、肌の表面を少し溶かし整えるとか。聞いたことがあると思いますが、苛性(かせい)ソーダという薬品はアルカリ性です。そして、「苛性」の言葉の意味は、簡単に言うと、肌(タンパク質)を溶かす(分解する)ということのようです。
硫黄泉のイメージは乳白色だと思いますが、実は湧き出たときは透明のようです。空気に触れ酸化されていくと段々白く濁るそうで、更に酸化され水分が減ると硫黄などの温泉成分が析出し「湯の花」になるとか。

テレビで見ましたが、確かに草津温泉の湯畑は、お湯を浅い水路で長く空気に触れるように流し「湯の花」を作っていました。

これからもいろいろな人と出会うと思いますので、いろいろ学ばせていただきます。
おわり
エコムジャーナル No.10
1月の終わりごろだったと思いますが、所属しているフルバンドのバンドマスターからサポート演奏の依頼がありました。2月の終わりに沿岸の方でイベントがあって、そこに出演するビッグバンドで人手が足りないのでサポートにいってくれないか?というのです。
どうやら震災10周年の関連イベントらしいのですが、あいにく出演する相手方のビッグバンドが人手不足でトランペットセクションにあと2人必要とのことで、こちらに援助依頼が来たようです。まだ岩手県での他バンドなどジャズプレーヤーとの繋がりが薄いので、同好の士を得る良い機会だと考え参加することにしました。
当日の2週間くらい前であったでしょうか、バンドマスターが「NHKの取材が来るらしいよ」とポロリと一言漏らしたのを聞き逃しませんでしたが、その時はああローカルニュースの取材が入るのだとあまり気にも留めなかったのです。

当日朝、会場の陸前高田市に向かう途中で立ち寄った朝日を浴びた大船渡の海は静かで眩しく、空気は内陸部とは違い春を想わせるほど暖かでした。

他のサポートメンバーと合流して今回の現場である奇跡の一本松ホールに到着。このホールは去年の暮れにオープンしたばかりの新しいホールで、大きさもコンパクトで天井も高く、自分たちのようなアコースティック音楽をやるにはとても丁度良いステージです。サポートメンバーの面々と「音抜けよさそうだし、ビッグバンドだったらPA(音響装置)はいらないんじゃ?」などと舞台袖で雑談していたところ、大船渡のビッグバンドのバンマスが挨拶に来られたのですが、後ろにテレビカメラとでっかいマイクを持ったNHKのスタッフを引き連れている。その時は、もう収録始まっているのかと不思議に思っていたのです。
が、バンマスの説明によると、
① イベントではなくて震災10年特集番組の1コーナーになっているドキュメ ンタリー収録である。
② 全国放送の音楽番組である。総合司会は渡辺謙さん。
③ 私たちの任務は平原綾香さんとボブ・ジェームスさんのリモート演奏におけるバックバンドである。
④ 最後に渡辺貞夫さんのリモート演奏のバックで「花は咲く」を唱和。

セッティング済みのステージに既に設置してある、譜面台に1本1本セットされている高価そうな集音マイクを、バンマスの説明を聞いた後に見つけたところでようやく認識しました。「これはシリアスなやつだ。」
音響装置で収録した音量を調節するので、音の大きさなどは問われることは少ないかもしれないけど、ピッチ(音程)やアンサンブルタテの細かい部分までかなり厳しいところを要求されることを覚悟しなくてはならない、といいますか昔知人のトランペット吹きからNHKさんの収録は厳しいって話をしていたのを今さらながら思い出していました。
そこからの動きとしては、場所を変えてのセクション練習の後にステージでのリハーサルで午前中を終え、午後から収録という流れでしたが、四六時中カメラが付いてきていまして落ち着かなかったです。仕方のないこととは十分に承知しているのですが、私が個人でおさらいしているところにカメラとでっかいマイクを至近距離にて向けられて、カメラマンの方に「吹きにくいですかー?」と振られた時はもはや苦笑するしかありませんでした。
収録は1曲だけだったのですが、その内容は結局3時間6テイクにも及びました。1つ1つの収録の中で自分が出来なかったことというのは自分自身がよく分かりますので、1回の収録後にプロデュース担当の方に心当たりを指摘されると、さすがに申し訳なく思います。サポートが足を引っ張ってはさすがにまずいですから。
それでも何とかOKをもらう事が出来てほっとしていた矢先、NHKのスタッフの方から今度は一人ずつ自己紹介を収録するとの事で、すぐに自己紹介が始り多くの方が震災にまつわる想いと今回の収録に対する意気込みを兼ねて短く語られていました。私が陸前高田市に初めて伺ったのがちょうど1年ほど前でした。当時はさすがに瓦礫や破壊の痕跡は跡形もなく消えていましたが、箱物の施設以外は未だ何も戻らない地の真ん中に立った時、その破壊のあまりの広大さを感じて慄然とした思いを持ったことを憶えています。
そうこうしているうちに私の順番が回ってきました。この手の人前での一人語りが大の苦手である私なので、ドキドキを通り越してかなり目が泳いでいたと思いますが、自分なりに正直な気持ちを口にしたつもりです。「まだお会いしたことのない岩手のジャズプレーヤーの方と一緒にプレイできることを本当に楽しみにやってきました。」私自身もほんの微細ではあるにしても、取るに足らないながらも岩手の方に少しでも好ましい変化でありたい、という気持ちをそこに込めました。
今回のサポート演奏について私が選ばれたのは、所属バンドのバンドマスターの推薦だと大船渡のバンドマスターから聞きました。それもあって北上市に戻ってからこちらのバンドマスターにメールで報告を入れたところ、返信に「他のバンドのメンバーと交流できてよかった」とありました。随分と私に気配りをしていただいたのだなと感謝した次第です。
岩手県北上担当のKでした。御拝読いただきありがとうございました。
エコムジャーナル No.9
2年前の春先は、土日を迎えると地元の街中を奔走していました。長いようで短い4ヶ月、3度目の投稿となります秋田担当Aです。
平成30年の晩秋、中学2年時にクラスメイトになってから四半世紀に渡って交流のなかった同級生が我が家を訪ね、「厄年祓・年祝祭の実行委員メンバーに」と思いがけない声を掛けてくれました。
厄年祓・年祝祭とは、地元の4地区で厄年を迎えた方々(数え61歳の男女・42歳の男性・33歳の女性)が神社で揃ってお祓いを受けると同時に、白寿・米寿・喜寿の年祝を迎えた男女も一堂に会し、6世代の出席者で今後の人生の多幸を祈願する地元の伝統的な大祭です。毎年GW前半に開催していますが、おそらく全国的にほとんど類のないスタイルでしょう。
この大祭の運営を42歳が務めるのが習わしとなっており、開催の約半年前に1学年先輩(前年の実行委員)から引き継ぎを受けて、開催に向けた段取りを進めます。
まずは出席者の確認からスタートです。各世代の代表者へ開催要項を伝えて呼び掛けしていただくとともに、4地区にある39町内会長を訪ねて開催案内を町内回覧していただくよう依頼します。そして、同期生へは案内状を発送して出席者を募り、開催の約2ヵ月前となる3月初旬に大体の出席人数が決まります。
人数が決まれば、次は式典・直会の段取りに入ります。印刷屋にプログラムや席札の製作オーダー、集合写真の撮影に備えて写真屋と打ち合わせ、直会での折箱・飲み物・御神酒・記念品の手配など、できるだけ地域の活性に貢献しようと地元の個人商店あるいは地元に縁のある会社にお願いに歩きます。
そんな中、ひとつ問題が発生します。先輩方から引き継いだ準備リストに載っている「餅」について、前年まで利用していた地元の和菓子屋が店を畳んでしまったため、それまで「毎年の」と注文していた餅の姿・形が迷宮入り。諸先輩に聞くと、「あんこ入りでねがったが?」「祝事だから紅白だべ?」「鶴の子だったような…」「いや、豆入ってだはずだ」と色とりどり。根強く確認していくと、式典で餅まきに使う直径5センチ程の白い生餅であることがわかり、全員に渡るよう出席者分の個数を用意して一件落着。
幼少の頃、地元には4~5店の和菓子屋がありましたが、唯一のお店が平成の終わりとともに商売の歴史に幕を閉じました。それぞれのお店に名菓があり、幼少の頃の思い出の味でもあります。大祭が脈々と引き継がれていく一方で、時の流れとはいえ地元の味を次世代に伝えられないことに寂しさを感じた出来事でもありました。
当日は晴天に恵まれ、集合写真は屋外にて全員で撮影することができました。(雨天時は神殿で2~3組に分かれて撮影します。)式典では120人の出席者が生餅を片手にお祓いを済ませ、直会では世代を越えて酌を交わします。開催にあたって多くの方々から温かいご支援をいただいたお陰もあり、平成最後の厄年祓・年祝祭は賑やかな時間を過ごしながら締め括ることができました。

大祭後日、実行委員は額の制作を進めます。人ひとりでは持てない大きさの木製の額をやはり地元の建具屋へ依頼し、出席者全員の名前と当日撮影した集合写真を載せた板を額に入れ、6月下旬に神社へ奉納します。神社の神殿には過去19年分の額が飾られています。新しい額が納められると最も古い額(還暦を迎えた世代が42歳の厄年祓で納めた額)と入れ替わる仕組みです。つまり、私たちが納めた額は令和20年の開催をもって取り外されますが、その年に還暦として出席するのが私たちの世代となります。
額の奉納も終えて秋口を迎えた頃、1学年後輩(翌年の実行委員)に引き継ぎを行い、およそ1年に渡る実行委員の務めは終わります。大正15年にはじまったと言われる地元の伝統的な大祭は、こうして脈々と引き継がれています。しかし、昨年(令和2年)の第95回は状況を鑑みて、やむなく中止となりました。
これからの実行委員は時世に応じた様式を模索しながら、開催を検討していくことになるでしょう。我慢の時期が続きますが、節目となる4年後の第100回開催を盛大に迎えられるとともに令和以降の世代にも引き継がれ、生まれ育った地元の活性に繋がっていくことを願っております。
エコムジャーナル 特別号Vol.1
【しが(すが)】
朝新聞を取りに郵便受けまで外に出る。珍しくバケツに氷が張っていた。こぶしで軽く突いたが割れない。ひしゃくもがっちりと固まっている。そう言えばこの数日寒かった。バケツをひっくり返しておけば傷まないのにと思いながら無精者はまたもそのままにしておいた。
子供のころ、朝起きて洗面器に『あるかなきかの薄い氷*』が張っていることがよくあった。そっと指を触れれば、カサカサと弱い音を立てて割れてしまう。湯を入れると“さっ”となくなる。大人になってこの氷を「薄氷」(うすらい)と呼ぶことを知った。「うすらい」は文字通り薄い氷だが、昭和30年代後半だったろうか、八郎潟残存湖でワカサギ釣りをしていた氷がよく割れ、その救出劇が度々ニュースになった。新聞にほっかぶりの古老が祈りにも似た姿で沖を見つめ、立ち尽くす姿があった。昔から『危険なことをたとえて薄氷を踏むというが、薄氷はハクヒョウであってうすらいとは言わない。*』
冬の漬物に、「なたづけがっこ」がある。私は漬かり過ぎのあめ色になったものが大好物だ。今は現代流「なたづけがっこ」をいただく。子供の時分、母親が桶の「しが」(氷)を割ってどんぶりに盛っていた。今も口元の冷たさが忘れられない。(HD近藤嘉之)
*ことばの歳時記より うすらい 金田一春彦 新潮出版
エコムジャーナル No.8
青森Hです。
早いもので新年を迎え1ヶ月が過ぎてしまいました。何もしていないのに時間だけが過ぎてしまい、歳を重ねるごとにその速さは増し驚くばかりです。
昨年はコロナウイルス感染防止のため、全国で軒並みお祭り、イベントが中止となり、青森ねぶた祭も中止となりました。今回のお話しは、そのねぶた製作についてです。

青森ねぶた祭は、祭りが終わったら直ぐ次回にむけ題材、構想等準備が始まるそうです。一般の人が作業の進行を実感するのは観光物産館アスパム(△形のビル)の横に「ねぶた団地」が出現する4月頃だと思います。大きなテントが立ち並び、その中でねぶたが作られます。
木材の骨組み、手指や刀などの細部を針金で作り、骨組みと組合せ、電気配線を施し、紙を貼っていきます。私は製作途中を見たことはほとんどありません。所属する団体では7月中旬に「開眼式」という神事を行い、その時に初めてその年のねぶたを見ることになります。
「開眼式」とは作業・運行全般での安全祈願を行うもので、この時ねぶたの眼に墨を入れ、本格的な色付け作業に入ります。そして完成したねぶたを、7月下旬に台車に載せる「台上げ」をします。この代車には照明用に発電機を2台(1台はバックアップらしいです)積んでいます。ここから更に代車を綺麗に化粧し、スポンサーの名前入り提灯を飾り付け完成となり、出陣の準備が整います。
令和2年のねぶた祭が中止となったため、ねぶた師はねぶた創作の場が無くなり、経済的にも精神面でも非常に厳しい状況に陥りました。そこで、青森ねぶた祭実行委員会では創作の場と収入面を支援しようと、14人のねぶた師合作での特別ねぶたのクラウドファンディングを立上げ、6月24日~8月7日の期間で2,500万円を目標とし、約3,500万円が集まり特別ねぶたを製作することになりました。
ねぶた師14人が1人1体ずつ制作し14体を一つに組み合わせたもので、題材は薬師如来や玄奘三蔵などで幅約9メートル、高さ約5メートル。新型コロナの早期収束を願い、今後のねぶた祭開催への思いを表現しているとのこと。
昨年12月、特別ねぶたは無事完成し青森市の文化観光交流施設「ねぶたの家ワ・ラッセ」に展示されました。今年のねぶた祭りでは運行されるので楽しみです。

おわり
エコムジャーナル No.7
あれは数年前に経験した出来事です。当時から私はトランペットという楽器を嗜んでおりまして、ジャズというジャンルを選択して現在に至るまで演奏しています。ジャズという音楽は、アドリブとかインプロビゼーションなどといろいろな呼ばれ方をしますが、その場でプチ作曲と言いますか、フレーズを作って演奏するという、いわば即興演奏を行う事を根幹としている音楽です。その自由と言いますか自分の感性や感情などをストレートに表現できるところに惹かれて、若くから現在に至るまでその習得に励んでいるのですが、その即興演奏にまつわる少し奇妙な経験についてのお話をします。
当時は現在所属しているバンドとは違ったビッグバンドに所属していまして、そのバンドは楽団の技量として甚だ分不相応ではあったのですが、毎年ゴールデンウィークにアメリカから世界的なジャズミュージシャンを招聘して定期演奏会を開いていたのです。これからお話する出来事が起きたその年のゲストは、ボブ・シェパードさんというテナーサックス奏者です。日本での知名度はそう高くありませんが、本物のワールドクラスの一線級奏者でした。その日のステージで、そのボブ・シェパードさんと私が「Just In Time」という曲の中で、アドリブソロでマッチアップする機会を頂きまして、その時の演奏中でのことです。
曲の中盤に入り、ボブさんのアドリブ中にバックグラウンドを吹いている我々のバンドが、リハーサルで打ち合わせていた段取りを間違えてしまいまして、曲の構成自体がちょっとおかしいことになってしまいました。ボブさんはソロの最中だったのですが、それでもジェスチャーで私にコミュニケートを試み、私も耳元で拙い義務教育英語を駆使して何とか「ごめんなさい。あれこれこうしてください、ぷりーず(泣)」とかステージ上で連携を図っていたわけです。そうこうしているうちにバックのバンドが何とか状況を立て直してその場は事なきを得たのですが、この一連のやり取り、特にボブさんのアメリカ人らしいユーモアあふれるジェスチャーが本当におかしくて、ステージのソリスト用マイクの前に立つ緊張感というのがその時には完全に吹っ飛んでいました。
そんな完全リラックス状態で私のアドリブの番になったのですが、緊張感もへったくれもありませんので構想も今日はこんな感じに吹こうとかというのも全部吹っ飛んだ状態でファーストノート、最初の音を吹いたのですが。
そしたら、あれ?
私が頭の中でなにも歌っていないのに、指が勝手に動いているのです。曲自体はハイテンポ君の曲で、息のコントロールを自分の意思でしていない状況ですので、音域は中音域に留まっていましたが、これまで自分の指癖としても考えたフレーズの中から考えても、嘗て使用したことがないフレーズを駆使して、結構早いパッセージを私の指が勝手に奏でている。リズムにもきちんと乗っていてコード(和音)からも結局一度も破綻は起こしませんでした。それを私は息だけを止めないように気を付けて、あとはただ茫然と眺めているだけでした。
そうこうしているうちに担当していた2コーラスのうち、1コーラスが終わろうとしており、そこで息を送るのを一旦止めました。そうしたところ、ちゃんと指の方も止まったのです。「さあ、ここからは俺の時間だ」と深々と息を入れて、自分の意識に立ち返ってソロを再開したところ・・・力が入り過ぎて音が裏返ってズッコケましたというオチです。

この演奏会を見に来ていた私の音楽仲間が撮ってくれたのですが、これがその時の現場写真です。なんだか後ろのボブさんがフォースとかのエネルギーを発していて、その影響で自分の指が私の意思から離れて勝手なことをしたのではないかと、何かそんな風にも理由をつけて納得を試みようとすることもあります。これだけの達人だったらあるいはそういうことがあってもおかしくはないかと。正味のところでは、この時自分に起こったことは何だったのかというのは今でもわかりません。ただ、自分が一つだけ確信に近い思いを持っている事は、自分の中には自分自身でも知らない音楽やメロディが流れているのだなということです。音楽、またはそれ以外の事でも悩んだりする事が日々ございますと、しばしばこの時のことを思い出して自分自身に対して内観を試みることもあります。自分自身というのは一種の深淵のようなものではないでしょうか。
以上が、どんな平凡な日常をおくる人間であっても、自分でも説明がつかない不思議な出来事というのが人生の中にはいくつか起こるというお話でした。

ライル・メイズ カルテット「The Ludwingsburg Concert」
ライル・メイズ(ピアノ)マーク・ジョンソン(ベース)ボブ・シェパード(テナーサックス)マーク・ウォーカー(ドラム)
折角ですので、今回登場していただいたボブ・シェパードさんの参加アルバムで、私の愛聴盤を紹介させていただきます。このアルバムは今年亡くなられた名ピアニストと言いますか、私がジャズという音楽を聴くきっかけとなった3人のミュージシャンの一人であるライル・メイズ氏のリーダーアルバムで、ドイツのルードヴィヒスブルグで1993年に収録されたCD2枚組のライブアルバムです。ライル・メイズ氏自らのオリジナル曲の世界観に対する緻密な再現力とメンバーの特性が見事にマッチングしたライブ盤でして、名曲揃いの中でも2枚目の1曲目に演奏されている「High Eight」は私的にはとても好きな名演と言って憚りがありません。このアルバムの出演者の一人と、ほんのわずかな時間でありますが一緒のステージに立てたのは、何やら不思議な感じといいますか、今振り返ると現実感がありません。
今回はこれまでに致したいと思います。お付き合いいただきました皆様に感謝申し上げます。岩手県北上市担当のKでした。ありがとうございます。
エコムジャーナル No.6
早くも2回目の投稿が廻ってきて落ち葉を見る回数が多くなった青森担当のOです。
今年はコロナウィルスの影響で毎年楽しみにしていた弘前城、紅葉山の紅葉を見に行く事が出来ず残念な年になってしまいました。全国的にもそうですが、青森県でも10月から感染者数が増えています。少しでも早い収束を願うばかりです。
題材に困ってしまいましたので ひとつ絵画を紹介しようと思います。
ヨハネス・フェルメールをご存じでしょうか。「真珠の耳飾りの女(青いターバンの女)」「天文学者」「地理学者」「絵画芸術(画家のアトリエ)」など生涯30数点の作品を描いたオランダの画家です。その中で私が初めて美術館に見に行き、趣味とは偉そうに言えませんが絵画に関心を持ち美術館に通うようになった絵を1枚紹介しようと思います。

「レースを編む女」
女性が窓際で編み物している様子が描かれている風俗画です。一見なんの変哲もない絵の様に見えますが 私が以前に読んだ本の中でこの絵に意味があることを教えてもらいました。
・若い女性
・作業を始めると時間がかかる編み物をしている
・右側の窓より光が差し込んでいる
読み解くことが出来たでしょうか。当時女性は結婚が決まると家に閉じこもり編み物をする風習があったそうです。フェルメールはそれに右側から暖かい光を照らし祝福しているかの様に描いているそうです。
私はこのように絵画を読み解くことに興味を持ち、これからもいろいろな有名な絵を読み解いて行こうと思っています。青森の美術館でも企画展の開催を願うOでした。
エコムジャーナル No.5
「鳥海山さ登ったごどある?」5年前に学生時分の同級生が集った忘年会にて、ふと交わした会話が登山を始めるきっかけとなりました。長いようで短い4ヵ月、2度目の投稿となります秋田担当Aです。
30代も終盤に差しかかったことで、その夜は「何か新しい楽しみを見つけよう」という話題に。「温泉めぐり?島めぐり?いや、身体を動かせる方がいいんでねべが?」話が盛り上がり、そろそろ日本酒をオーダーしようとお店の黒板を見ると、この日のオススメは“鳥海山“の生酒でした。その刹那、これまでなかなか縁がなかった秋田・山形の県境にそびえる名峰を一度は登ってみたくなり、冒頭の会話へ。木の葉が色づき始めた2016年の秋、いざ鳥海山へ―――
午前9時、鉾立口駐車場に到着。身支度をしていると、隣に駐車していた関西弁の年配ご夫婦が声を掛けてきました。「お兄さんたち日帰り?スーパーマンやねぇ。」聞くと全国の山々を登っており、前日は山形県にある月山を登ってきたという。そんな登山経験が豊富なご夫婦の言葉の意味をこの時はまだ知る由もありません。
振り返ると1座目となるこの登山から天候に恵まれず、この日も小雨まじりの曇り空。晴れの日は標高が上がるにつれて西側に日本海を見渡せるはずが、ネットや雑誌で予習してきた見晴らしはどこへやら。ガスの中を4時間半ひたすら登るだけか・・・しかし、まるでご褒美が待っていたかのように山頂を目前にして空の色が変わりはじめ、新山に着くころにはすっかり青空に。新山は立っていられるのもやっとなくらいの強風でしたが、それが幸いして目の前の薄い雲がよく流れ、切れ間から雲海を眺めることができました。
山頂の小屋で昼をとり、体力も天気も回復した15時に下山をスタート。日本海の上に広がる雲海を見ながら歩を進めます。太陽は少しずつ赤みを帯びはじめ、夕暮れの支度を進めます。黄昏時を迎えたのは8合目まで戻ったころ。秋は夕暮れ―――疲れを忘れて雲海に陽が沈んでいく光景を眺めながら、聞き覚えのある作品の一部が頭を過りました。
夕陽に先を越され、気がつけば禍時となり空は藍色に。辺りはみるみる暗くなるも、まだ7合目を過ぎたばかり。それからは鉾立口の灯りを頼りに、1歩ずつ足元を確かめながら真っ暗な登山路を進みます。「今朝の言葉はそういうことか・・・」1年後の同日、鳥海山は2017年の初冠雪を記録しました。山はもう冬支度が始まっているとも気に留めず、朝9時から素人マル出しの日帰り山登り。山の魅力と怖さを知った鳥海登山となりました。
あれから4年、鳥海山を見る度<飲む度、当時のことを思い出します。思い出しては、「いつかまた登りたい」という気持ちに駆られます。
まだ残雪のある6月頃から、鳥海の夜空に天の川がかかるとも言われます。次回は初夏、年配ご夫婦のように山頂の小屋に泊り掛けでしょうか。
※ 画像3枚目は「鳥海山・飛島ジオパークHP」より
エコムジャーナル No.4
青森2人目のHです。
お盆を過ぎても暑い日が多かったですね。酷暑とコロナウィルスとのWパンチで疲れていると思いますがお付き合いください。
コロナの影響で軒並みお祭り、イベントが中止、不要不急の外出自粛を余儀なくされました。それでも、6月上旬から感染拡大も緩やかになり、移動制限の解除、go to travel、go to eatキャンペーンで経済活動の立て直しにかかっております。
このような状況で、訪問したところ、食べたものを紹介いたします。
◎十和田市現代美術館(十和田市)
「アートを通した新しい体験を提供する開かれた施設」として、道百選に選ばれた官庁街通りにあり屋内外に楽しい作品が展示されております。十和田市はB1グランプリのバラ焼きや桜と松の官庁街通り、十和田湖の入り口として知られております。
春には市庁舎展望デッキからきれいな景
色を楽しむことができます。
https://www.towada.travel/ja/index
◎森の果樹園(弘前市)
弘前市の岩木山麓あり、新鮮果物の直売、季節の果物狩りを時間無制限食べ放題で楽しめます。
お盆に出かけたときには、ブルーベリー、桃、プルーン、プラムが旬で、青空のもと美味しくいただきました。季節によりいろいろな果物が楽しめますので、ホームページで何が食べごろか確認してから行くとよいでしょう。
http://www.morikaju.jp/
◎海鮮丼(青森市 ?八)
弊社から徒歩5分にある食堂の海鮮丼です。昼は日替り定食、刺身定食等メニューが豊富で、いつもお客さんが並んでおります。ここのメニューは美味しくボリュームがあり、リーズナブルでとてもありがたいです。寒くなると「鱈づくし」もラインナップされます。弊所Mさんはほとんどこれしか注文しません。
秋田市にもあるスーパーのオリジナル商品で、「エビとほたての海鮮カレー」です税抜き 298円でしたが、ほたてが期待以上入っており、自分好みの味で満足できました。青森県産ベビーほたてを使用しているので微力ながら地域経済に貢献しております。
いかがだったでしょうか。
今回紹介した以外にも近場で良い所、美味しい食べ物が沢山あると思いますので、これからも紹介できればと思っております。
おわり
エコムジャーナル No.3
はじめまして。北上担当のKと申します。自由テーマでとの事でご依頼を頂いたのですが、いやそういうのが一番難しいのだなと痛感しています。拙い文章ではありますがよろしくお願いします。
本来であれば私の生活と音楽との関わりについての身近な話を書こうと思い、あれこれと頭をひねっておりましたが、参考にと開いたSNSの中に「チャーリー・パーカー生誕100年」という文字を見つけてしまいまして、ジャズ創成期の伝説的なアルトサックス奏者チャーリー・パーカーをテーマにしました。チャーリー・パーカーの奏法などを研究している方のように多くの知識を持ち合わせていませんが、それでもなんとか自分の中にあるチャーリー・パーカーに思いを巡らせてみます。なるだけ手短にいたしますので、よろしければではありますが少しだけお付き合いください。
チャーリー・パーカーJr
1920年アメリカ最盛期に、当時の一大歓楽都市カンザス・シティに生を受ける。
チャーリー・パーカーがアルトサックス奏者としてニューヨークでのキャリアをスタートしたのは、1940年前後あたりになりますが、チャーリー・パーカーとトランペット奏者のディジー・ガレスビーが、当時の実験的セッションの場であったニューヨークハーレムのミントン・プレイハウスで出会ったことによって生まれたスタイル、それは後の世にビ・バップと称される新しいスタイルとして確立されました。ビ・バップによる即興演奏を最重要視したスタイルの提示を受けた多くのジャズミュージシャンによって、それは以降クール・ウエストコースト・ハードバップ・モードなどの多様なスタイルへと同時多発的に発展してき、それら多種多様なスタイルはモダンジャズと総称されるようになるのです。
「バード(パーカーのあだ名)のやっていること自体は凄すぎて何が何やらわからなかった。だから俺はディズ(トランペット奏者のディジー・ガレスビー)のプレイを研究することが多かった。」ジュリアード音楽院を中退後にチャーリー・パーカーから直接指導を受け、一時期共同生活もしていた帝王マイルス・デイビスは語る。それでも今現在においてもなお、ジャズにおける即興演奏の技術研究は、チャーリー・パーカーのフレーズパターンを研究することとイコールであるという声は根強い。私も3曲ばかりパーカーのアドリブプレイをコピーしたことがありますが、フレーズの中で使われている音が移動する上下の幅や数がものすごく、本当に大変だった記憶があります。
本当にきりがなくなりますので、最後に私の手持ちのアルバムの中からお気に入りを1枚紹介して最後としたいと思います。
このアルバムは「ジャズ・アット・マッセイホール」というライブ盤です。このライブが収録されたのはチャーリー・パーカーが亡くなる2年前ほどだったと思います。すでに技術面の全盛期は過ぎている晩年の作品ですが、恐らくパーカーの体調がよかったのでしょう、ベテランらしく抑えが効いた、非常に安定したプレイを聞かせてくれます。音楽性は=演奏能力だけではないのだと気付かされるのです。ディジー・ガレスビーをはじめとする共演者の演奏内容もほぼパーフェクトといってよい内容ではないでしょうか。この時のライブに望み、パーカーは自分のアルトサックスを持参しておらず(楽器を質屋に入れていたという説が有力です)、現場にたまたまあったプラスチック製のアルトサックスでプレイしたそうです。レコードを聴いた限りでは全く問題なく、弘法筆を選ばずとはまさにこのことです。
当時のライブ録音なので音質はアレなのですが、共演はディジー・ガレスビー(TP)チャーリー・ミンガス(B)バド・パウェル(P)マックス・ローチ(Dr)と当時のベストオブベスト、といいますか全員神話の世界の方々です。
ここまで拙い一文を読んでいただきました方、ありがとうございました。自分なりに上手くまとめたかったのですが、あまりに対象が大きすぎて取り止めにないものになったと反省しています。次回からはもっと身近な部分に焦点を当ててみたいと思いますので、よろしければではありますが、よろしくお願い致します。
エコムジャーナル No.2
「エコムジャーナル」No.2は指名を受けた青森担当Oです。普段ブログやSNSはやっていないため経験値ゼロなのですが、よろしくお願いいたします。
私は2018年8月に神奈川県川崎市より家内の実家がある青森市に引っ越して来ました。これから青森のいいところを紹介していきたいと思います。
先日、青森市にある青龍寺の昭和大仏を見に行ったのですが衝撃的な光景が・・・賽銭箱の横にまさかの両替機が置いてありました。とても親切なお寺ですね。
気を取り直して参道を歩いていると大きな鐘を突く音が聞こえてきたので、私も力いっぱい突こうと思い近づいてみると、まさか「二打 百円」・・・悪くはないのですがさすがに何をしに来たのかわからなくなりそうなのでスルーをしてしまいました。
再度気を取り直して参道を進んで行くと年間フリーカードの案内が・・・年間1,000円ですので3回目からお得になる様です。ここはお寺?でもさすがに大仏様はとても大きく迫力があり素晴らしいものでした。
いろいろありましたが初詣の期間は入場無料との事ですので、来年の初詣にまた来ようと思います。アトラクションが多いテーマパークのような青龍寺さんでした。
これからも青森の素晴らしいところがあれば紹介していきたいと思います。
青森担当Oでした。

エコムジャーナル No.1
弊社には青森市と北上市に関連会社があり、公共ごみ焼却施設において維持管理業務の一翼を担わせていただいております。今月から社員が持ち回りで日頃の出来事や日常で感じたことなどを綴っていきたいと思います。ひとりでも多くの方にご愛読いただけるよう読み応えある投稿の継続に努めて参りますので、どうかよろしくお願いいたします。
記念すべき?「エコムジャーナル」No.1は秋田担当Aです。世間では健康志向が高まっていますが、心身の健康づくりに趣味は欠かせないと思います。私はひょんなことから2016年に登山をはじめ、厄年に日本のてっぺんから御来光を拝むことを目標に掲げました。3年間で登ること7座、迎えた2019年7月いよいよ富士山へ―――
当日は生憎のくもり空。富士山のふもと富士吉田市に到着しても、あの美しい円錐形も赤褐色の山肌もまったく見えません。本当に富士山に着いたのか?実感もないまま吉田口をスタート。それでも時折ほんの少しの晴れ間がのぞくこともあり、翌朝の天候回復を願って初日は8合目山小屋で身体を休めました。
しかし願いとは裏腹に、午前1時に雨音で起床。一縷の望みにかけ山頂を目指すも、雨足は強くなるばかり。午前3時半過ぎ、なんとか登頂するも待っていたのは5℃以下の気温と20km以上の風速。御来光を拝むこともできなければ、お鉢巡りで剣ヶ峰到達も浅間大社奥宮への参拝も叶わず、無念にも予定を早め下山することに。
これが厄年の洗礼か・・・だがしかし、山の神は粋な演出を用意してくれていました。冷えた身体で愕然と赤褐色の傾斜面を下り8合目まで戻ったその時、それまでの天候が嘘のように空が一挙に晴れ渡ります。そして一面に広がる雲の海。おそらく下山を早めていなければ、この景色に立ち会うことはできなかったでしょう。くもり空だからこそ見ることができた大パノラマをただただ眺め至福のコーヒ-タイム。山登りは人生の縮図なり―――身も心も温まる最高のひと時に、ある冒険家の言葉が浮かびました。
例年でしたら本日7月1日が富士山の山開き。しかし、今年は山梨県側・静岡県側ともすべての登山路が閉鎖となり、噴火時を除いては史上初の閉山となりました。富士山は言わずと知れた世界遺産に登録された山で、年間20万人以上の登山者が訪れます。残念ですが、今年は富士山から御来光も雲海も見ることができません。1日も早く事態が収束し、多くの登山者にまた自然の絶景を見せてくれることを願っております。
さて、来月の第2回は、長距離移動が多い私の身を案じ?奥さん
手づくりの山柄マスクをくださった青森所属Oが投稿いたします。
令和2年7月
青森だより vol.15
早いもので7月中旬となっております。青森も梅雨で蒸し暑い日や雨の日が多いような気がします。全国各地で台風の被害が出ており、被害を被った皆様にはお見舞い申し上げます。
また、十和田市の皆様、B1グランプリ開催地決定おめでとうございます。是非グランプリを!
さて、短い夏の青森県では、各地で様々なイベント・祭りが予定されております。
◎7/26.27 階上町 いちご煮祭り(三陸復興国立公園)
いちご煮(ウニとアワビのお吸い物:お吸い物の中のウニが、朝露に濡れた野イチゴのよう
だからと言うので名前がついたとか)、海藻ラーメンなどを味わいながら、イベントや
花火があるそうです。いちご煮、おいしいですよね~
◎ 7/31~8/4 八戸市 八戸三社大祭(掛け声:ヤーレ、ヤーレ)
約290年の伝統があるお祭りで、おがみ神社、新羅神社、神明宮の神輿行列と豪華絢爛な
山車の合同運行です。
10,20年位前は、近隣の市町村で山車を借りてお祭りをしていました。八戸の山車は
その頃から進化して、とにかく綺麗、仕掛けが施され圧巻です。
◎8/1~7 弘前市 弘前ねぷた祭り(掛け声:ヤーヤドー)
記録では1722年にすでに行われていたとか。八戸と並び歴史があります。
三社大祭、青森ねぶたとも違い、ねぷたは扇型をしており、前側は水滸伝などを題材にした
勇壮な武者絵ですが、後側は幽霊画などで全然趣が違います。とても綺麗ですが、
交差点ではかなり激しい動きが見られるかも。
◎8/2~7 青森市 ねぶた祭り(掛け声:ラッセラー、ラッセーラー)
全国的に名前が売れていますので、詳しく知りたい方は上記のホームページへ。
ねぶたを製作、囃子、跳人、運行、観客が一体となって楽しめます。“燃える夏”という
言葉がとにかくピッタリです。
◎8/4~8 五所川原市 立佞武多(たちねぷた)(掛け声:ヤッテマーレ、ヤッテマーレ)
100年位前に行われていた祭りで、平成8年にその頃の写真をもとに復活させたものです。
高さ22メートル、重さ16トンの立佞武多は近くではカメラに収まりません。
どぎもを抜かれる大きさです。そのため、動きはゆっくりですが、勇壮な姿を遠くからも
見ることができます。
黒石、平川でも一味違うねぷたがあったり、三沢の七夕、南郷ジャズフェス、南部サマーフェス、東北町湖水祭りなどなど、いっぱいありますので、どうぞ楽しんでください。(T.H)
H26.7月