2021.01.05 | エコムジャーナル

エコムジャーナル No.7

 あれは数年前に経験した出来事です。当時から私はトランペットという楽器を嗜んでおりまして、ジャズというジャンルを選択して現在に至るまで演奏しています。ジャズという音楽は、アドリブとかインプロビゼーションなどといろいろな呼ばれ方をしますが、その場でプチ作曲と言いますか、フレーズを作って演奏するという、いわば即興演奏を行う事を根幹としている音楽です。その自由と言いますか自分の感性や感情などをストレートに表現できるところに惹かれて、若くから現在に至るまでその習得に励んでいるのですが、その即興演奏にまつわる少し奇妙な経験についてのお話をします。

 当時は現在所属しているバンドとは違ったビッグバンドに所属していまして、そのバンドは楽団の技量として甚だ分不相応ではあったのですが、毎年ゴールデンウィークにアメリカから世界的なジャズミュージシャンを招聘して定期演奏会を開いていたのです。これからお話する出来事が起きたその年のゲストは、ボブ・シェパードさんというテナーサックス奏者です。日本での知名度はそう高くありませんが、本物のワールドクラスの一線級奏者でした。その日のステージで、そのボブ・シェパードさんと私が「Just In Time」という曲の中で、アドリブソロでマッチアップする機会を頂きまして、その時の演奏中でのことです。

 曲の中盤に入り、ボブさんのアドリブ中にバックグラウンドを吹いている我々のバンドが、リハーサルで打ち合わせていた段取りを間違えてしまいまして、曲の構成自体がちょっとおかしいことになってしまいました。ボブさんはソロの最中だったのですが、それでもジェスチャーで私にコミュニケートを試み、私も耳元で拙い義務教育英語を駆使して何とか「ごめんなさい。あれこれこうしてください、ぷりーず(泣)」とかステージ上で連携を図っていたわけです。そうこうしているうちにバックのバンドが何とか状況を立て直してその場は事なきを得たのですが、この一連のやり取り、特にボブさんのアメリカ人らしいユーモアあふれるジェスチャーが本当におかしくて、ステージのソリスト用マイクの前に立つ緊張感というのがその時には完全に吹っ飛んでいました。
 そんな完全リラックス状態で私のアドリブの番になったのですが、緊張感もへったくれもありませんので構想も今日はこんな感じに吹こうとかというのも全部吹っ飛んだ状態でファーストノート、最初の音を吹いたのですが。

 そしたら、あれ?

 私が頭の中でなにも歌っていないのに、指が勝手に動いているのです。曲自体はハイテンポ君の曲で、息のコントロールを自分の意思でしていない状況ですので、音域は中音域に留まっていましたが、これまで自分の指癖としても考えたフレーズの中から考えても、嘗て使用したことがないフレーズを駆使して、結構早いパッセージを私の指が勝手に奏でている。リズムにもきちんと乗っていてコード(和音)からも結局一度も破綻は起こしませんでした。それを私は息だけを止めないように気を付けて、あとはただ茫然と眺めているだけでした。

 そうこうしているうちに担当していた2コーラスのうち、1コーラスが終わろうとしており、そこで息を送るのを一旦止めました。そうしたところ、ちゃんと指の方も止まったのです。「さあ、ここからは俺の時間だ」と深々と息を入れて、自分の意識に立ち返ってソロを再開したところ・・・力が入り過ぎて音が裏返ってズッコケましたというオチです。

 この演奏会を見に来ていた私の音楽仲間が撮ってくれたのですが、これがその時の現場写真です。なんだか後ろのボブさんがフォースとかのエネルギーを発していて、その影響で自分の指が私の意思から離れて勝手なことをしたのではないかと、何かそんな風にも理由をつけて納得を試みようとすることもあります。これだけの達人だったらあるいはそういうことがあってもおかしくはないかと。正味のところでは、この時自分に起こったことは何だったのかというのは今でもわかりません。ただ、自分が一つだけ確信に近い思いを持っている事は、自分の中には自分自身でも知らない音楽やメロディが流れているのだなということです。音楽、またはそれ以外の事でも悩んだりする事が日々ございますと、しばしばこの時のことを思い出して自分自身に対して内観を試みることもあります。自分自身というのは一種の深淵のようなものではないでしょうか。

 以上が、どんな平凡な日常をおくる人間であっても、自分でも説明がつかない不思議な出来事というのが人生の中にはいくつか起こるというお話でした。

ライル・メイズ カルテット「The Ludwingsburg Concert」
ライル・メイズ(ピアノ)マーク・ジョンソン(ベース)ボブ・シェパード(テナーサックス)マーク・ウォーカー(ドラム)

 折角ですので、今回登場していただいたボブ・シェパードさんの参加アルバムで、私の愛聴盤を紹介させていただきます。このアルバムは今年亡くなられた名ピアニストと言いますか、私がジャズという音楽を聴くきっかけとなった3人のミュージシャンの一人であるライル・メイズ氏のリーダーアルバムで、ドイツのルードヴィヒスブルグで1993年に収録されたCD2枚組のライブアルバムです。ライル・メイズ氏自らのオリジナル曲の世界観に対する緻密な再現力とメンバーの特性が見事にマッチングしたライブ盤でして、名曲揃いの中でも2枚目の1曲目に演奏されている「High Eight」は私的にはとても好きな名演と言って憚りがありません。このアルバムの出演者の一人と、ほんのわずかな時間でありますが一緒のステージに立てたのは、何やら不思議な感じといいますか、今振り返ると現実感がありません。

 今回はこれまでに致したいと思います。お付き合いいただきました皆様に感謝申し上げます。岩手県北上市担当のKでした。ありがとうございます。