2017.12.29 | 社長だより

社長だより vol.37

【一富士二鷹三茄子】

 今年は年神様に何をお願いしようか、暮れの大掃除もせず、障子の張替えもしなかったが考えてみた。もしかしたら、両親の仏壇はきれいに掃除をしたのでそのおかげはあるかもしれない。
 初夢は何にしよう。家族の健康や子供の活躍は順当なところだろう。次は何だろう。あれこれと思いめぐらす。一方、昨年の目標は確か海坂藩の地図作成であったはず。今も枕元に短編集が10数冊はある。布団の上で読み終わるまでなんども顔に本を落とし、地図作りは到底先の話、いやできないだろう。しかし、灯りを消すと音を包んでしまう雪の中、ふっと視界に軒を寄せ合う町屋が見えてきたり、だらだら坂が見えたり、夜のとばりに人影がチラついたりと作成への意欲だけは消えていないようにも見える。

 私の冬景色は秋田県立美術館にある「藤田嗣治の大壁画」。伽羅橋(きゃらばし)から左の四分の一ほどだが、お正月がしっくりとおさまる。何度見ても飽きずにこの壁画を見ていると懐かしい語らいがある。右のほうに目を移すと“三吉さんのぼんでん奉納”があるので左の雪景色は自然とお正月に見えてしまう。かまくらのそばには角巻を着た大人の女性が数人話し込んでいる後ろに馬(ば)そりが来ており、奥に雪囲いの板塀を配置してある。吹雪になれば”虎落笛(もがりぶえ)”も聞こえるのだろう。秋田にこの大壁画があることを誇りに思う。

「藤田嗣治の大壁画

  もう一つ、お正月というと、かどづけの万歳(まんざい)があった。正月といっても小正月だろう。将軍野にあった家の前の家、玄関から上がり框まで2間位土間があった時のこと。入ってくるとパパンパンと鼓の音が家中に響く。秋田万歳*(ねぶり流し館、民俗芸能・行事開設シート2)によれば、「明治25年ごろが秋田万歳の最盛期で、25組もの万歳師がいて組合を結成、地域を決めて活動」し、「訪問先の家をたたえ、人々の長寿を祝福する文言を掛け合いで唱えながら舞いを演じる」とある。
 挿絵は、平凡社の世界大百科にある「万歳」。二人とも烏帽子姿だが、我が家に二人で来ていた時は、大黒頭巾と烏帽子だったろう。右手で黒の角巻(マント風)を跳ね上げ、指のない軍手で鼓をもち、パパンパンと打っていた。頃合いを見て母親からおひねりを渡され、“はい”と手渡していたんだろう。
 中村 草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」どころか「昭和も遠くなりにけり」で、来年には元号も変わる。初夢に寂寥感への沈積だけは見るまい。歳月の流れには逆らえない。
*秋田県無形民俗文化財:民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

いただいたみかん

 年末、東京のW氏からみかんをいただいた。奥様の実家が湯河原のミカン農家と聞く。10㎏入りとあるが、持ったらずしりと重い。開けてびっくり、びっしりと整然と並んでいる。見たこともない箱詰め、感動した!ストーブの側で駿河湾を眺めながらごちそうになろう。

平成30.1月