2019.08.01 | 社長だより

社長だより vol.56

【あるもんでね!】

 秋田にはほぼ60歳後半以降の人が使う“あるもんでね”という言葉がある。例えば播種から、植え替え、追肥、水遣り・草とりと、丹精込め、あともう少しで、収穫というときに、何者かが根元から踏み倒しているような状況を見たとき、本人は声を失い、暫くして語気強く “ひでっ!あるもんでね!”と一気に吐き捨てる。その虚脱感は信頼した人との口論でやり場のなくなった焦燥感とも似通う。

サトウキビ

 昨年カラスの被害で全滅させられた「とうきび」。今年は対策に万全を尽くしていたつもりが右のような惨劇を繰り返してしまった。9本植えたので、2本ずつとして18本食べられると楽しみにしていた。同じ轍を踏まないように小屋風に柱を立て、天井も防鳥網で囲み、足りないところはテグスを張り巡らしていたのに、何故だ。家内の推測はこうだ。“防鳥網の下の部分を全部止めていなかったから、そこから侵入したのではないか”という。ということは、カラスは風が吹いてふわふわしたところを見つけ、片足で網をつまみ、頭から防鳥網をくぐり、“こんにちわ”と言って入ったということになる。はたしてそんな芸当がカラスにできるのだろうか。そして、出てくるときも“畑を荒らして、ごめんなさい。失礼します”と言って出てきたことになる。私は他に侵入した方法がないかと考えるのだが、推理小説大好き家内の言うことなので反論はかなり難しい。

 これもマイ畑の本当に“あるもんでね”話。ことしは畑仲間から枝豆の生育が良くないと話が出る。私のところもなかなか芽が出ず、不揃いでおかしいなと思っていた。特に黒豆は全く音沙汰無し。こんなことはかつてない。そんな中で、家内は一畝だけ、一袋6百円もする枝豆を植えていた。背丈は高くはならないものの、実をびっしりつけて豆も太ってきていた。これはなんとかなるかもしれないと楽しみにしていたところ、数本残して全部なぎ倒されてしまった。家内は“ひどい”と絶句してしまった。これ、本当にカラスの仕業だろうか。大きそうな殻を引っ張ったために根元から倒されたのだと思う。よく見ると豆の殻が数個散らばっており、実に器用だと思うが、3つ豆が入った殻を脚でおさえ、端の豆の試し食いをしているのだ。一株試してダメだったら何も他の株まで倒したり、引き抜くようなことはしなくてもいいのではないかと思うのだが、それこそカラスの勝手でしょうか。本当に“あるもんでね”。大慌てで、土盛りをしてぐるっとネットで囲み水をたっぷりかけたが果たしてどうだろう。「とうきび」の倒し方を見ていると枝豆倒しはより簡単だったろう。

切絵の青森ねぶた

 今年は、少雨のせいか鼠の被害も大きかった。カボチャは大半かじられ、慌てて収穫したがわかかった。もう少しだった。ジャガイモは掘り起こしていると、二十日鼠のような大きさの鼠が4匹も出てきた。足元を走ったので追いかけたがよたよた足で逃がしてしまった。結局のところかじられたのはレジ袋2枚分となった。“鼠、お前もか!あるもんでね” 今年は農家出身の父の13回忌。報告しておこう。

 しかし、“あるもんでね”は、それなりにこれからの対応もできるが、過去にこの海域に活動の歴史があるから「自国の領土だ」と宣言している某国がある。これは“あるもんでね”に問答無用の理不尽さと嫌悪感が伴う。先人は「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」といっているではないか。かの国も、自国ファーストという。あっちこっち突っついている。カラスに悪いではないか。更にかつて七つの海を制したポケットに手を突っ込んだ新手のカラスも出現した。これら新種のカラスは突然変異なのか遺伝子操作でできたのか、現代科学は解明できるだろうか。「今後の対応については予断をもって答えることは差し控えたい」と繰り返すカラスよ、周りは手強いぞ、頑張れ。

令和元年.8月