2019.09.02 | 社長だより

社長だより vol.57

【秋の気配】

 9月の古い呼び方は、長月(ながつき)だが、菊月とも言うそうだ。9月は30日あるが、他の奇数月、もちろん例外もあるが1日少ない。なのに長月だ。何となく秋の夜長を連想させるがその由来はわからない。このまま思い続けていればそのうち何かの文章に出て、にんまりと秘かな満足を味わうことだろう。
母親から日にちの多い月、少ない月を覚えるのに、“左のこぶしを上にして、第三関節を右から1月、次のへこみ(凹)を2月と順々に数えてゆくと左端が7月となる。そして折り返し、その7月を8月として右に数えると、でっぱり(凸)が長い月(31日)、へっこみは少ない月と分かる”、と教えられた。小学校の1・2年だったろう、テストの時などいろんなことに母親が出がけに忘れないようにと小指か薬指に赤い糸を結んだことを思い出す。先月、父の十三回忌に合わせて母の分も引っ張り法要を営んだ。

09_69①

秋雨  今年は西日本を中心に、大変な豪雨に見舞われたが、当地は雨が少なかった。秋田の水がめ、玉川ダムの貯水率が27パーセント以下になり、放流制限がかかるという。又、戦時中玉川毒水の影響を受け、魚の棲まない湖となった日本一深い田沢湖は最低水位を超え、遊覧船の発着がままならないそうだ。
「篠突く雨(しのつくあめ)」という言葉がある。安藤広重の東海道53次『庄野』に傘をすぼめた浮世絵がある。見た感じ、驟雨(しゅうう)かなと思うが、「篠突く雨」は驟雨よりさらに猛烈な雨のようだ。春雨は、“濡れて帰ろう”、だが、秋雨はオホーツク海気団が控えているので濡れて帰る気にはならない。

かりのわたり  空も高くなると、「かりのわたり」がはじまる。シベリア・樺太・北海道・竜飛・十三湖・八郎潟・高清水の丘・新潟中越がわたりのコースの一つである。唱歌にある「さおになり かぎになり」が思わず口をついて出てくる。100羽ぐらいの大編隊もあれば、小ぶりの編隊もある。白鳥などもそうだがどうしてあんな形の編隊になるのだろう。時々先頭が交代しているように見える。声にならないが“頑張れよ”、と声をかける。しかし、夜中に飛来して鳴かれるのはなんともやるせない。布団の中で『雁風呂』を思い、目をつむる。

虫を聞く  朝起きて窓を開けるとひんやりした涼風が入ってくる。秋はそ知らぬふりして側に寄っていた。二度目の家には、よく、「すいっちょん」とか「コオロギ」が入りこんで気になって眠れないこともあった。子供時分、生け垣にろうそくを持ってキリギリスそっくりの「うまおい」とりに出かけ、腕によく擦り傷を作った。難儀をした割に直ぐに死んでしまい、かわいそうなことをした。やはり、虫の音は、秋草の根元ですだく声がいい。

09_69②

  昨年、松島の瑞巌寺に参詣したおり、山門の奥まったところに小さな池があった。そのわきに萩が数株植えられていた。ふわっとまくようにしなだれている。朝の雨で露をしっとり包み、うら若き女性が涙をためているような風情にも見える。萩というと、「宮城野萩」、そして、あの『伊達騒動』が出てくる。秋の夜長に「樅木は残った」をもう一度読んでみようか。柄にもなく萩はそんな気にもさせる。

令和元年.9月