秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

2019.01.07 | 社長だより

社長だより vol.49

【守れない一年の計】

 以前、友人から何かのはずみで、“お正月の色は?”と聞かれたことがあり、「真っ白な湯気の色」と言ったことがある。物心がついた時(昭和25年頃)、生家は土間で餅つきをしていた。当時、まだかまどがあり、年末はせいろで米を蒸かし、母親や叔母が、時折つまんでは、“まだだ!”とか、“もう、えべ!”などと忙しく立ち回っていた。せいろはよくテレビなどでみる丸型ではなく、がっしりした四角の木枠でできたもち米専用のせいろだった。石臼に目の粗い丈夫な蒸かし布ごと“どん”と入れると、もうもうとした湯気で土間が真っ白になる。父親が半殺しまで、“ふうふう”とこねる。子供ながら蒸かしたての米の匂いを思いっきり吸い込み幸せを感じていた。その頃から、湯気の色がお正月の色、というよりも、新年を迎える色になった。いつか、餅つきを再開したいと感傷に浸ってきたが、もう到底できる歳でもなくなった。我が家の餅つき行事は昭和38年ごろに途絶えた。

あけぼの(ブルートレイン)

 もう一つ忘れられない色に、『東雲色(しののめいろ)』がある。私にとって上京は“あけぼの”(ブルートレイン)が当たり前。大宮を通過する頃、東の空がしらばみ、やがて東雲色がどんどん濃くなる。この色も忘れられない。今、秋田港にブルートレインたちが集結している。皆でどこに向かおうとしているのだろう。

 ところで、お正月、と聞けば「初日の出・年始・初詣・おとそ・おせち料理・書き初め・初夢」などいろんなしきたりみたいなものが格別な意味を持ったような面持ちになる。特段に変わる道理もないが、季節の移り変わりを大事にした祖先が節目節目に自然へ感謝してきたものが我々の生活に息づいてきたのであろう。その変わり種に「一年の計は元旦にあり」と言われるものがある。
 昨年は『海坂藩の地図を作る』というものであったが、いつものことながら全然できなかった。まだ、時間もあると構えたが、この歳になれば時間も異様に速く進み、「2月頃に、『立花登 青春手控え』にはまったせいがあるかもしれない」などと、できない理由も食えなくなる。何せ布団での勉強。15分と持たず、頭では、“あの辻を曲がれば旅籠、番屋はあそこで、太物屋はここ”などと毎晩同じように下書きをしていた。NHK放映(12月21日)の「立花登 青春手控え」最終回、登とちえは言葉でない約束をした・・・。

 今年は長年の夢、認知症予防を兼ねて、ピアノを習おうと秘かに思っている。子供が習っているのを聴いて、自分もやりたかったことを思い出す。しかし、節くれだった指をじっと見つめ、左右の指を一本おきに交互に動かしてみるがなんともぎこちない。鍵盤に指の番号を書いてもどうにもならないだろう。絡まるのも容易に想像がつき、数日後の挫折がみえる。トルコ行進曲?馬鹿なことを言うな!

 これまで、運よく家内ともども若年性アルツハイマーにはならなかったようだ。できるならぽっくりと逝くまで認知症にならないのが目下の願い、そして私が先に待っている、これが理想だ。
長い間、主のいないピアノに向かう準備、調律はいいのか、などと心配をせず、いつもの通り緩やかに心構えを問い、先ずやってみるか!
“そうだ、ピアノにお供えをしていなかった・・・”

平成31.1月

2019.01.07 | 事務美貌録

第三十六回投稿 事務美貌録 1月号

 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

猪

 今年は「亥年」になります。インターネットで調べてみると、十二支の中で亥年は最後の年、子年から始まった一つの流れがいったん終わりを告げ、次の始まりの向けて新たなエネルギーを蓄える年でもあります。
 また、動物の「猪」のイメージから「無病息災」の意味もあるそうです。病気になりにくい年とはされていますが、無茶なことをすれば当然病気になる可能性はありますので、無理はしないようにしましょう。

福袋

 さて、今年の年末年始は、みなさんどのように過ごされましたでしょうか。例年よりも長いお休みで、ゆっくりと過ごしたのではないでしょうか。年明けといえば、初売り。初売りといえば『福袋』です。福袋は中身が見えないので、開ける時のドキドキ感が何ともいえません。中身も選ぶことができないため、全て気に入る商品が入っているとは限りません。でもなぜか買ってしまいます。
 数年前に、某コーヒーショップの福袋が欲しくて、元旦の朝早くからショッピングモールに並んだ記憶があります。(残念ながら買えませんでしたが)。ここ数年はネット抽選で当選した人だけが買えるというシステムになり、当選する気満々で申し込むも落選という結果で終わりました。当選も落選もネット上で分かるというのは、とても便利なのですが、元旦の朝早起きをして寒い中並び、やっと手に入れるのが福袋の醍醐味ではないかと思い、ちょっと寂しい気持ちになりました。

 今年は新しい年号に変わる記念すべき年です。どんな年になるのかは自分次第だとは思いますが、みなさんとその家族がいつも笑顔で元気に過ごすことができる年になることを願います。

2018.12.03 | 社長だより

社長だより vol.48

【確率】

 “えっ、当たってる?まさか?”。早鐘のように心臓がドキドキする。“本当?”、息を詰めて『1等宝くじの番号』に紙を当て、新聞に照らし合わせ、左から一つづつずらして数字を確認してゆく。思わず“わー”と叫び、めまいがし、卒倒しそうになる。数日後、気持ちを落ち着かせ、もう一度確認して銀行へ乗り込む・・・

 大暮(おおぐれ)は何かと気忙しいが、お正月をひかえ、何となくウキウキもする。その高揚させる一つに宝くじがある。雑踏の中で宝くじ売り場に出会うと、“これは神様の引きあわせだ。当たるかもしれない”と、かすかな幸運へ心が躍り、家内から白い目で見られながらもついつい連番20枚、バラ10枚などと買ってしまう。典型的な衝動買いだ。もちろん今まで300円以上のくじに当たったことはない。しかし、買ったその夜だけは、もし当たったら、『純数寄屋で建て直すか、しかし、この歳だ。好きな温泉場に引っ越ししようか』などと一瞬膨らんだ夢を見る。しかし直ぐに、『いやいや、まずは自宅で終末を迎えるために、訪問医師・看護師・介護士と相談しよう』などと、一気に現実に押し戻され、夢見ることさえ虚しくさせられる。

宝くじ売り場

 よく、高額当選くじが出ると噂がある売り場は、購買者が引きも切らない。果たして高額当選が多く出る売り場があるのだろうか。あるとすれば勿論その売り場に並ぶ。しかし、常識的に考えても1ユニット1000万枚に1等が1本、2等が5本とか言われているようだが、 特定の売り場に当たりくじが出るということはないはず。ただ、発売枚数が多い売り場であれば当選の確立が高くなるのは当然だろう。
 滅多にテレビで抽選会をみることもないが、0から9までの数字が等間隔で割り付けられている円盤風車に音楽が終わると同時に“ビシッ・ビシッ“と矢が放たれ、“組番号、100の位、10の位、1の位、・・・”と左から順に発表されてゆく。かすったためしもない。冷静に考えると、当たる確率は一桁ごとに10分の1の確率であり、組番号も入れると9倍となる。1等1本だけでみれば実に1億分の1の確率?本当かな?車の登録ナンバーは自分で選べるが、宝くじのあたりは全くの人任せ。一喜一憂することもないほどの冷酷な確率であり、結果、否応なく「当りと外れ」しかないことに気づかされる。

09_60②

 帰宅した私に、家内が“テレビで聞いた”と明るい響き。“過去高額当選者の星座は、ふたご座、さそり座、みずがめ座、おとめ座だそうよ”、と。なんと、我が家の長男・長女・妻・私でどんぴしゃりだ!こんな偶然があったのだ。1等当選確率は複雑な確率計算になるが、なんだか高確率にみえてきた。しかし、冷や水も待っていた。“当選者の年代は60台、50代、そして40代の順”とのこと。「富久(とみきゅう)」や「芝浜」のようにうまくゆくはずもない。“いや、この際膨らんだ確率だ。信じてあの噂の売り場へ、大安の日を忘れずに買いに行こう!

平成30.12月

2018.12.03 | 事務美貌録

第三十五回投稿 事務美貌録 12月号

 11月18日に行われた、ブラウブリッツ秋田のホーム最終戦に行って参りました。当日は晴天に恵まれ、絶好のサッカー観戦日和となりました。これまでサッカーにはあまり興味がなかったのですが、息子がサッカーを始めるようになってから次第に興味を持ち、試合会場まで足を運ぶようになりました。会場には飲食店やグッズ販売などたくさんの屋台が並び、その他にも遊具の置いてあるキッズパークがあって、それだけで十分に楽しめます。ちなみに私のオススメは、“SUMMIT”のフライド ポテトです。           ⇒
2度揚げしているだけあって、外はカリカリ中はホクホク。塩加減も丁度良くとても美味しいです。

 肝心の試合結果は、カターレ富山に2-2で引き分けましたが、子供たちはくじ引きで当たったTシャツとタオルを手にとてもご満悦の様子でした。いつもは室内のスポーツ観戦が多いので、たまに外での観戦も開放感があって気持ちいいものだなと感じた1日でした。

 スポーツといえば、今秋田でホットな話題が、金足農業高校の吉田輝星投手です。ご存知の通り、ドラフト会議で日本ハムから1位指名され、11月15日に秋田市で仮契約を結びました。その会場となったのがポートタワー・セリオンです。その際、吉田投手が窓ガラスに残したサインをお目当てに、セリオンは連日多くの人で賑わっているようです。ご多分に漏れず私もサインを拝みに行って参りました❗ライトアップされたセリオンに負けないくらいサインが輝いて見えました。今月下旬に行われる入団会見が楽しみな I なのでした。

2018.11.05 | 事務美貌録

第三十四回投稿 事務美貌録 11月号

 早くも二回目の担当が廻ってきました、♂の「さ」です。朝晩が冷え込むようになり早くもストーブの出番がやってきました。日が落ちるのもすっかり早くなってしまい、まだ先ではありますが冬の到来が近付いているのを感じます・・。雪が少ないことを願うばかりです。

 先日、旅行ではないのですが奈良と京都に行きました。高校生時の修学旅行を思い出します。時間もあまりなかったため、ゆっくりはできなかったのですが奈良公園周辺を歩きながら少し観光気分を味わいました。奈良公園といえば鹿でしょうか。定番の鹿せんべいをあげましたが、せんべいをもっていると後ろからも服を引っ張られるので何度かびっくりしました。違う土地に来ると車の中から見る町並みや、ただ歩いているだけでも新鮮でどこかワクワクします。次に来る時は1日かけてゆっくり廻ってみたいです。

 京都では、一乗寺のラーメン通りと呼ばれるラーメンの激戦区に行ったのですが、想像以上にラーメン屋が多く立ち並んでいます。また、連休だったということもあると思いますが、どの店も外まで行列ができており圧倒されました。秋田でも人気の店では行列ができていることはありますが、周辺の徒歩圏内に何店舗も行列ができているのは初めて見る光景です。やはり、列んでいるとどこの店も興味がわきます。事前に行きたい店を決めていたわけではなかった為、かなり迷いましたが、「高安」というお店へ行ってみました。豚骨のような見た目ですが、鳥ベースのスープであっさりとした中華そばです。1時間近く並びましたが、待ったかいのある美味しい一杯でした。

2018.11.05 | 社長だより

社長だより vol.47

【反省】

菊

 朝ごはんに昨日摘んだ菊のおひたしが出てきた。薄口醤油を少したらし、初物を味わった。酢を入れてさっと湯がくだけとのことだがサクサク感がたまらない。また、いつからかセリとも違う苦みにも虜になってしまった。間もなく“もってのほか(右写真の赤紫)”も咲きそうだ。当分楽しめる。
 味噌汁は、里芋と豆腐と油揚げ。“ずずっ”と飲めば、とろみがなんともやさしく喉をくだる。じわっと染み込んでゆくような快感がそこにある。箸でつまむと、“さあ、食べてくれ、食べてくれ”と言わんばかりだ。芋だけでなく茎も入れてある。これは特に“とろとろ”で、逃げる茎をつまむのも楽しく、噛めば少しだけ歯にさわるが「生産者」が食べられる一品だ。これに茗荷(みょうが)を刻んで入れればよりすっきりした味に引き立ち、どこに出しても恥ずかしくない汁物になる。ついでだが、おひたしの脇に焼きニンニクもひとかけ添えてある。これは麹味噌(東由利の親戚から毎年いただく)をつけて食べるのだが、ほかほかご飯に少しのせて口に運ぶと舌が小躍りする。加えて定番の噛み応えのある黒豆やサンマの自家製佃煮で朝から食は進む。あとは今や遅しと『かぶの“がっこ”』を待っている。

 子供時分、母親は年配の来客にお茶うけとしてよく菊とエゴのやまかけを出していたことを思い出す。エゴは夕食にも並ぶがあっさりした食感が大好きだ。今は高級品かな?父はその頃、種苗交換会につがいの「白色レグホン」を毎年出展していた。数週間前から羽をお湯で拭いたり、尾羽を「こて」で伸ばしたりと忙しかった。特に雄の口の下にあるトサカと同じ赤い、なんというのか垂れている周辺が黄ばんでいて一生懸命拭いていたことを思い出す。くちばしの周りが汚れるのは仕方ないのではと思うのだが、今となれば懐かしい。

 秋田県種苗交換会は今年第141回めを迎える。農家の救済や農業振興に一生を捧げた石川理紀之助翁が34歳の時に創設したもの。県内の各市が持ち回りで開催する長い歴史と伝統を持つ農業祭典は全国でも珍しいのではないだろうか。稲作・野菜・花卉・果物と農作物全般の総合展示審査会だが、担い手不足・TPP協定など農業を取り巻く環境は様変わりをしている。今は鶏など家畜の展示はしていない。

旧奈良家

理紀之助翁の実家は今年の甲子園を沸かせた金足農業高校のすぐそばにある、旧奈良家の別家。勝つたびに全身をうしろに反らす校歌の歌いだしが『♪可美しき郷(うましきさと) 我が金足・・・』。そして教育方針は理紀之助翁の「寝て居て人を起こすこと勿れ」で、その教訓が今も脈々と受け継がれていると聞く。

09_59③

 手入れを怠った“わが農園”、今年はさんざんであった。特にカラスに悩まされた。網はかけていたが、5センチぐらいになったきゅうりを引っ張り出し、私の腰かけまで持ってゆき、皮を残して食うとか、カボチャやメロンをくりぬくように食うとかは当たり前。特に悲惨だったのがトウモロコシ。明日、もぐかという時、人よりも丁寧に皮をむき実を一つ残さず全部やられた。20本ほぼ全滅。あるもんでない!枝豆もがっかりした。高級な品種の発芽は遅いと勝手に思い、一生懸命水遣りをしていた。しかし、とっくに芽をやられたことを知らずに水遣りをしていたのだ。アホウ・アホウ。鼠もひどかった。サツマ芋の半数は写真のような被害に遭った。来年はしっかりと対策をとるぞ!

平成30.11月

2018.10.01 | 社長だより

社長だより vol.46

【人違い】

 先日、市内の総合病院でのこと。二階の廊下にある診察待合の長椅子に腰を下ろして間もなく、“コンドウヨシユキさん”と看護師が呼ぶ。“随分と早いな”と思いながら、「ハイ!」と腰を上げたところ、筋向かいの男性がすっと立ち上がり診察室に入ってゆく。“へえ、同姓同名か本当かな、ヨシユキはどう書くんだろう。こんなところで偶然があるんだなあ”と、コンドウヨシユキサンが座っていたところを見ながら目を閉じた。
 『コンドウヨシユキさんは大柄で180センチはあるだろう、がっちりした体形だ。上下黒のジャージーに黄色のストライプ、白黒模様のNメーカーのスニーカー、歳は42・3位か、眼鏡はなく、顔は四角で眉毛は太く、髪は短い。パーマはかかっていない。何やら書類のようなものを持っていた。沈んだ感じで、話しかけにくい雰囲気もあり、その筋の人か、今日は非番なんだろうか』などと思いながらうとうとしてしまった。

09_58①

 先月、この総合病院の採血センターで聞き覚えのある名前が耳に入った。「〇〇キヨカツ」さん、“キヨさんだ”。私がまだまだ駆け出しのころ業界でお世話になった方だ。偶然同じ診療科のようで、同じ名前をまた聞いた。2回こんなことが続いた。2回目に悟られないようじっくりと“観察”した。七十半ば過ぎと見える。体つきも当時に似ており、何よりはにかむような表情に懐かしさを感じた。
 私は当時この方から、『ナショナルのげんこつ』、2はつを入れた自作のスピーカを2台譲り受けていた。箱は20ミリのパーチクルボードで黄色い断熱材をぎっしり入れてあった。見てくれはともかく、音割れもせず、奥行きのある高音から重低音まで幅広く音色が伸びる優れもの。全体として柔らかい音色であり、感覚としてはダイヤトーンモニターの厚みにも劣らない20センチスピーカであった。

 キヨさんの消息は当時の関係者に尋ねてもようとして知れなかった。“これは偶然のチャンスだ「キヨさん!」、そう呼びかければピンとくるはず”と思って声をかけてみた。「失礼ですが、キヨさんですか?」、キヨさんは何か怪訝な面持ちで「この前も来てだすな!」と私の顔を覗き込む。私も見られていたのだ。“キヨさんだ!”しかし、返答は意外。少し笑みを含んで「いや、違うよ」という。仕方なく、「ああそうですか、失礼しました」と謝り、じっと看護師の呼び出しを待った。“過去を聞かれたくないかもしれない”とそれっきりにした。ただ、そんなに間の悪そうな表情にも見えなかったので、あの時の“キヨさん”に間違いない。
 2回も会えば単なる偶然とは思えない気もするが、長い人生から見ればそれほど低い確率ではないように思う。普段街で気づかずにすれ違っているのかもしれない。

09_58②

  そして昨日、同病院で嘘みたいなことに出会った。あの『コンドウヨシユキ』さんを会計で見つけた。服装も同じだ。これも偶然か。呼び名をじっと耳を凝らして聞いていたら “◇◇ドウヨシユキさん”と呼ぶではないか。“えっ”、「今の人、◇◇ドウヨシユキさん?」、思わず、窓口に確かめようとしたがやめた。これは同姓同名でなく、単に聞き違いのようだ。帰って電話帳で調べたら本名字はなく私も初めて出会う名字だった。 

平成30.10月

2018.10.01 | 事務美貌録

第三十三回投稿 事務美貌録 10月号

 最近、朝晩めっきり涼しくなり、秋の気配を感じます。つい先日お盆休みだったのに、もうお彼岸をむかえる季節となり、早いなあと感じます。

 お盆等の帰省から帰ってきた人にどのようなお土産を買ってきましたか?と聞いているテレビを見ました。その中に秋田からの帰省客で、秋田犬のぬいぐるみを持っていた子供がインタビューされており、秋田空港の職員の方もザギトワ選手効果で秋田犬のぬいぐるみが大人気だと言っておりました。
 秋田に住んでいながら秋田の事をあまり知らない事に改めて気付かされました。
 そこで、秋田空港のお土産ランキングを調べてみました。

秋田空港セレクション売り上げランキング

(秋田空港 おみやげ広場 あ・えーる より)

 バターもちが2つも入っておりました。私の中では、きりたんぽ鍋セットも入っていてほしかったです。(これから鍋の季節になる為)
 秋田のお土産をいろいろ調べてみたところ、ジローの「秋田プリン」をお勧めしている人が結構おりました。私はまだ食べたことがないので、今度食べてみたいと思います。

 食欲の秋ですが、私が良く見ているホームページには ~脱”早食い”で健康アップ~という記事が載っておりました。(http://merumaga.kyoukaikenpo.or.jp/r/c.do?Aj_8A_12_dky)
 早食いの人は、満腹感が得られる前に多くの食事をとってしまいがちになり、摂取エネルギー量が多くなるため、肥満につながると考えられているようです。よく噛んで(1口30回)ゆっくり食べることで、
○脳の働きを活性化します。
○食べ物本来の味がわかります。
○唾液がたくさん出て、口の中をきれいにします。
○消化酵素がたくさん出て、消化吸収を助けてくれます。
等、体にさまざまな良い影響があるようです。
 おいしいものは、ついついたくさん食べたくなりますが、よく噛んで、よく味わって食べてみようと思いました。

2018.09.03 | 事務美貌録

第三十二回投稿 事務美貌録 9月号

 先月の竿燈祭りに続いて、今月もお祭りのお話です。といっても、マンホール女子『な』がお送りするのは、お祭りが柄になっているマンホールのお話です。
 マンホールには各地のお祭りがデザインされているものが多くあります。秋田県でも、秋田市の竿燈祭り、能代市の能代七夕、横手市のかまくら、仙北市角館地区の曳山行事、湯沢市は犬っこまつりに七夕絵灯篭と大名行列がギュギュッとデザインされています。そして、この夏、秋田市に新しく国指定重要無形民俗文化財でもあります土崎港曳山まつりのデザインマンホールがお目見えいたしました!!
 7月20日21日のお祭りに合わせて、カラーのマンホールも登場しているとのことで、息子と二人でマンホール探しに出掛けてみました。いやー、探すとなかなか見つからないものですね。カラーのマンホールは歩道に多く、特に、インターロッキングブロックで舗装されているような駅前通りや公共の施設の近くにあるのですが、探せども探せども見つかりません。諦めかけて寄ったコンビニの近くに普通のマンホールを発見。しかも合流!!!
※マンホールは管路の分岐点や合流点に設置されており、蓋には「雨水」「汚水」「合流(雨水と汚水の合流)」などと文字が書かれております。

2018.9月.マンホール①

 
 「今日はこれで終わりにしようね」と写真を撮ると、

2018.9月.マンホール②


 そのすぐ近くにカラーのマンホールも発見!!こっちも「合流」!!土崎港曳山まつりと北前船がデザインされたこのかっこいいマンホール、8月11日、秋田市で第二段となるマンホールカードになりました。

2018.9月.マンホール③


 秋田市土崎みなと歴史伝承館にて配布しています。曳山の展示はもちろん、マンホールも展示してありました。真新しいマンホール、探してみてはいかがでしょうか?マンホール女子『な』でした。

2018.09.03 | 社長だより

社長だより vol.45

【うかつだった】

09_57①


  今年 4月20日過ぎにKHさんから葉書がきた。“あー、頑張っているんだな”と妙な安心感がかえって不安を募らせた。家内に“こんな葉書が届いたよ”とみせたら、“大丈夫かしら”と言う。彼の病状のことは以前から話してあるのできっと私と同じ思いだったのだろう。

 葉書にある作陶二人展開催の当日、まだ準備中の彼を訪ねた。ガラス越しだがいっそう痩せたように見える。やがて外にいる私を見つけ、あの人なつこい目で恥ずかしそうに“来たか”と見ている。外に出てきた彼は黒のハットをかぶっていた。“今回はギャラリー個展をやめ、普段興味のない人にも気軽に見てもらいたくてウインドーショップ的なミニ展覧会にした”と言う。しかし、声に張りもなくいつものあの開催意欲を伝えられないもどかしさを感じた。

09_57②

 二人で店の前のベンチに座り、作品を見ながら彼は病状のことやら展示作品のことを話し始めた。私が制作依頼している「小ぶりの天目茶碗」に話が及んだ時、私の手を握り、“わかってる、わかっているよ、頑張る”、という。私は励ますつもりだったが、つい “今回の展示作品は華やかさがないな”と、うっかり言葉に出してしまった。彼から一瞬“そんなことはない”と、声にならない強い語気を感じた。私も慌てて、“深みが凄みに見える”と口ごもったが彼に届いたろうか。独特な釉調を端正な形に現す芸術家に対し、たとえ本音であったとしても、まして今使えるはずもない言葉であった。それにしてもうかつだった。

 6月27日の朝にKHさんから『今日〇病院を退院です。次回から外来診療です。元気に頑張ります。ご心配をお掛けしております。ありがとうございました』とのメール。発信時間からして病院での朝食前、ベッドの上で書いたものだろう。私から、『おはようございます。いま千葉のホテルです。メールにKHさんの発信名、正直一瞬緊張しました。しかし、よかったですね。安心しました。そのうちに』、と返信した。
この「緊張」の言葉を使うのにはためらいがあった。正直、危ないのかと感じたからだ。というのは、5年前に四日市在住の二年先輩のWさんから携帯に、絞り出すような声で、“近藤さん、俺、今回はだめかもしれない”と言われ、翌日慌ててお見舞いに伺ったことがある。水も喉を通らない状態であったが意思そのものはしっかりしていた。帰秋して1週間、私の携帯にWさん名表示で電話があった。“えっ”、もしかしてと緊張しながら携帯を耳に当てた。やはりWさんではなかった。“父が亡くなりました。生前の秋田での暮らしが分かりませんので教えてくれませんか”という問い合わせであった。

釣窯釉一輪挿し

 8月8日、地方紙のお悔やみ欄でKHさんの訃報を知った。翌9日、顔写真入りでその業績が2段組みで大きく紹介された。そして、11日、同紙一面のコラムに “理想の街づくりを目指し、芸術文化を熱く語る真剣な表情が今も目に浮かぶ”と生前の活動が称えられた。葬儀には同期を始め、陶芸家・元教授を慕う多くの参列者が道半ばの終いを悼んだ。
 時間がないと覚悟する人の気持ちを知悉(ちしつ)することはできない。メッセージを遺されたものにとっては当惑しかないが、責任を解かれるかもしれないことを悟れば強さになるのかもしれない。私にその覚悟ができるだろうか。近況を知りながら言葉を交わすことなく、メールでのやりとりが最後になってしまったことをただただ申し訳なく思う。

平成30.9月

2018.08.01 | 事務美貌録

第三十一回投稿 事務美貌録 8月号

 8月の秋田といえば竿燈!子供の頃から竿燈祭りに慣れ親しんだ『さ』は竿燈祭りが大好きです。私のDNAを受け継いだのか、子供も竿燈が大好き。7月の練習開始からボルテージが上がって行き、8月の本番まで続きます。
 竿燈妙技会=昼竿燈とも呼ばれ、8月4・5・6日に秋田市にある「エリアなかいち にぎわい広場」で開催されます。大若団体規定・大若団体自由・大若個人・囃子方・小若団体規定・小若囃子方の6つの競技で各町内・企業より選りすぐりの技師達が競います。

 

 差し手と呼ばれる竿燈を上げている人達の真剣な眼差しを間近で感じ、青空に映える竿燈は夜の竿燈とは一味違います。(会場周辺は日影が少ない為、お出掛けの際には熱中症対策をお忘れなく)

 もちろん夜の竿燈も!竿燈本番が楽しみな『さ』でした。
 ※写真は昨年の竿燈まつりのものです。

秋田竿燈まつり公式WEBサイト
http://www.kantou.gr.jp/

2018.08.01 | 社長だより

社長だより vol.44

【父の書付け】

凌霄花

 今年も“のうぜんかずら(凌霄花)”が咲いた。例年、『土崎の港まつり』が終わって7月下旬なのだが今年は1週間以上早い。来年十三回忌の父はこの花が好きで、秘かに孫の長女へ「桂子」と名づけたかったらしい。私もこの花は、嫌いではないが、花の落ち方にしっくりこず、父には悪いなと思いながら別の名をつけた。もっとも、父は“のうぜんかずら”の“かずら”を「桂(かつら)」と思い込んでいたふしがあるので、もし「桂子」と命名して後で長女に説明がつかず困ったことになったかもしれない。

 父は几帳面な人だった。私からは想像もつかない性格だ。庭の草とりなどを見ていてもよくわかる。炎天下、年季の入った麦わら帽子をかぶり、座り込んで1センチにもならないような雑草を端から端まで根気よく抜いていた。よくそんなに丁寧に草とりができるもんだと呆れてもいた。だからと言って“手伝ったわけでもなかったし、自分の仕事あとを見ては真似できないな~”と、今朝、庭の草取りをしながらそんなことを思っていた。
 庭の掃除や草取りに欠かせないものに「蚊取り線香」がある。父から昔「蚊やり線香」と聞いていたが、いつしか「蚊取り線香」になったとも聞いたことがある。昔の白黒映画にはよく登場する「蚊取り線香」。子供時分、窓という窓を開け放ち、畳の匂いを嗅ぎながらの昼寝。風上から流れてくる煙を見て頼りなさを感じたものだが、庭掃除には実にいい仕事ぶりだ。

09_56②

  先日、断捨離ではないが、父の身の回り品を整理していたところ、三回忌後の整理で処分したはずの“書付け”が目に入った。私への最後の申し送りだったのかもしれないこの書付け。また目にしてしまった。父が死んでからの身の回品などの処分、読んで用が済んだらすぐに捨てるか、灰にするのが本当なのかはわからないが、私には捨てられないものとして遺してあったのだろう。
 親父が指に力を入れて書いたであろう書付け。私にこんな書付を遺せるだろうか。言われたことを実行し、まだ墓碑銘には両親の戒名しかないが、おっつけ親父に会って、“来たよ”ということになるだろう。まじめな父は“まだまだはやかったろう!”とたしなめるに違いない。父は全部整理をしてもらうことが希望であったかもしれないが、海軍時代の写真など簡単に灰にもできない。しかし、子供に後を託してもまごつくだけだろう。私が両親へ最後のおつとめをすることに越したことはないが、もしかしたら古いことに興味のある長女が後を継いでくれるかもしれない。

 私は父に不満はなかったが、あまり話したことはなかった。それは母に対しても同じだ。日常の漠然とした事柄について話し合うという習慣がなかったせいかもしれない。ただ県外に出ていた時、数度、国鉄の安月給家庭に無心の葉書を送ったとき、近況を添え書きしたことがある。おそらくこんなことを書いていただろうことは容易に想像できる。いまとなれば赤面するが、三回忌後の整理ではその葉書はなかったのできちんと子供の恥は残さないようにしてくれたんであろう。今、凌霄花の朱色の花が咲くと決まって父のことを思い出す。お盆ももうすぐ、仏壇もきれいにして迎えよう。

平成30.8月

2018.07.02 | 社長だより

社長だより vol.43

【大いなる積み重ね】

 午後11時半は過ぎていただろう。私は「一富士・二鷹・三茄子」 の語源を読みながら、珍しく燈りの付いた寝室で眠ってしまった。家内はまだ小説を読んでいた。ふと目が空き、手探りで枕もとの携帯を見たら午前1時23分。“へー、1・2・3並びか、こんな偶然もあるんだ”、と一瞬思ったがまた寝入ってしまった。

腕時計

 私は中学生になって両親から腕時計を贈られたが、2年ぐらいで机の中にしまいこんでしまった。それ以来、60年もの間腕時計をすることがなかった。といっても近年は携帯を肌身離さず持っているので腕時計と同じことか。時間に追われず仕事をしているなどと気取っているのも滑稽だ。今年になって、思い出したように1か月ほど還暦で亡くなった従兄の形見の音波時計をつけたが、やはり何か大事なものをなくすのではないかと気になり、今は食卓の上に飾っている。

 高校・大学入試・入札など極めて大事な時間も腕時計なしで過ごしてきた。そのせいか、腹時計は意外と当たる。先日、早朝からマイ畑での“農作業”。携帯をなくせばと思い、車に置いているのだが、雑草取り、1時間も経つと疲れる。お日様もあがってくる。一服しながら、家内が“今、何時?”、私は即座に”7時40分ぐらいだよ”と言った。ほどなく車の時計を見た家内は、なにか不思議そうに一言、“当たってる”。それはそうだ。当たる理由は手品と同じで種がある。
 汽笛だ。秋田港に苫小牧からフェリーの到着が午前7時半頃、新潟への出港が1時間後。7時、8時の時間さえ間違えなければ、海風にのって聞こえる汽笛に腹時計を合わせればいいだけのことなのである。偶然でもなく多少腹時計を考える程度だ。6時に出港する船もある。また、近くの秋田陸上自衛隊駐屯地の“起床ラッパ” も聞こえることがある。午後は学校のチャイムも聞こえるので時計代わりに事欠かない。勿論、これらの種は家内にバラしてはいない。

雲昌寺のアジサイ

 ただ、この頃時計を持たないことによって相当に無駄な時間を過ごしてきたのではと思うようになってきた。父親は旧海軍、連合艦隊旗艦『高雄』などに乗船していたと言う。出港時間には大変厳しいものがあったと、子供のころからよく聞かされていた。曰く、“集合には何があっても10分前には現地に到着していること”。これがトラウマというかごく当たり前のことなのだが、時間の約束だけは人にも冷たく当たってきたと思う。それだけに、概ね20~30分前の余裕現地到着が私のセオリーである。
 しかし、仮に週2回の約束などがあれば、月8回で240分。年間では2,880分の待ち時間となり、丸々2日が無駄となる勘定だ。60年とすれば実に120日、4か月分である。実際はもっとあったろう。この時間をただ“ぼ~”と生きてきたわけではなく、もの思いのゆとりの時間と見ればいいのだろうが、この歳になると“もったいなかったな~”と感じる。

平成30.7月

2018.07.02 | 事務美貌録

第三十回投稿 事務美貌録 7月号

 事務美貌録(いなささなかまだ日記)も今月で三十回目を迎えました。メンバーの頭文字から名付けた
「いなささなかまだ日記」ですが、今月号より「事務美貌録」として更新して参ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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 梅雨の真っ最中。
 洗濯物も乾かず、気持ちもジメジメしつつある今日この頃です。

 今回5回目の投稿となりました。

 先日テレビで、前回投稿した『牛久大仏』のお掃除風景をやっていました。定期的に掃除をしているそうですが、あの高い場所をなんと人の手で掃除していてとてもビックリ!!テレビでは、大仏様の耳の部分の掃除をしていました。120mある頭頂部に人が出られる場所があり、そこから命綱一本で耳の場所まで移動。高圧洗浄する人、ブラシでこする人、二人掛かりで行っていました。青銅が変色するため薬品は使用できないそうで、ひたすら水でゴシゴシしていました。見えないところで、こんな命がけの作業が行われていたとは知りませんでした。

 さて本題に戻ります。
 先日、群馬県へ旅行してきました。群馬県というと、有名どころでは草津温泉や伊香保温泉などがありますが、「デカ盛りの聖地」と呼ばれているのをご存知でしょうか?テレビやYouTubeで度々取り上げられており、いつか行ってみたいと思っていた、『パンプキン』というお店に行ってきました。いつも混んでいると聞き、はりきって開店前に到着するも誰もおらず、お店を間違えた??と思いつつ車で待機。その後、徐々に行列ができ、県外ナンバーの車もいて(自分もですが)、やはり有名なお店なんだと実感しました。店内は、昔ながらの懐かしい感じの喫茶店でした。

 写真では大きさが分かりづらいですが、ハンバーグ定食とグラタンスパ(Sサイズ)です。

「パンプキン」ハンバーグ定食

 
「パンプキン」グラタンスパ

美味しいけどまた太る・・・と思いながら二人でやっと完食。

 他には、世界遺産の「富岡製糸場」や群馬名産のこんにゃく製造工場「こんにゃくパーク」、そして何といっても外せない「高崎白衣大観音」に行きました。42mと高さは牛久大仏には劣りますが、名前の通り白衣を着たような白く綺麗な観音様でした。観音様の中には、20体の色鮮やかで表情豊かな仏像が安置されていました。

富岡製糸場
こんにゃくパーク
高崎白衣大観音

最後はまた、観音様ネタになってしまいました・・・。車で行くには遠かったですが、群馬旅行を満喫した”な”でした。

2018.06.01 | 事務美貌録

第二十九回投稿 新・“い”なささなかまだ日記

★いなささなかまだ日記★ 6月号

 ☆祝☆ 秋田ノーザンハピネッツ※B1昇格
やったぁ~!バンザ~イ!!!おめでとう!!!
いきなり盛り上がってすみません。
 昨年B2に降格してからというものB1昇格だけを目指して1試合1試合を戦ってきたハピネッツ。最短で昇格できて本当に嬉しいです。1年前のB1残留プレーオフ。延長戦の末にブザービーターで横浜ビー・コルセアーズに3ポイントを決められ劇的逆転負けしたあの瞬間。場内がシーンと静まり返ったこと、横浜の歓喜、膝から崩れ落ちた田口選手、そんな場面を思い出すと感慨無量です。
 B2優勝決定戦では惜しくも負けてしまいましたが、今シーズンの勝率9割(54勝6敗)はB2ナンバー1です。最後まで諦めずに戦う姿にいつも元気をもらいました。選手の皆さん本当にお疲れ様でした。
 ちなみに秋田ブースターは、応援が熱狂的なことで知られ、「クレージーピンク」とも言われています。まだ試合を見たことの無い方は是非会場に足を運んでみて下さい。その迫力に圧倒されること間違いなしです。 ※B1・・・バスケットボール男子Bリーグ1部のこと

話は変わりますが、皆さんラート競技をご存知ですか?
ドイツ発祥のスポーツで、2本の鉄の輪を平行につないだ器具を用いて、様々な体操を行う競技だそうです。先月のハピネッツの試合会場で見る機会があり、初めてその存在を知りました。5月にスイスで行われた第13回世界ラート競技選手権大会の男子個人総合で優勝した高橋靖彦さんという方が演技をしていたのですが、鉄の輪を自由自在に操る姿はスポーツというより芸術に近いように思いました。いろんな種類のスポーツがあるんですね~。今年は平昌オリンピックに始まり、今月開幕のFIFAサッカーワールドカップとスポーツ熱は高まりそうです。その先2020年の東京オリンピックに向けてまだまだスポーツ熱は止みそうにありませんね。“い”でした。

2018.06.01 | 社長だより

社長だより vol.42

【ふたたび小さな疑問】

 尺貫法は中学生の時廃止されたと思うが、今もってメートル法でしっくりこないものがいろいろある。特に面積や量的なものに多い。100 m2といっても3.3で割って、“ふーん30坪か”、100ℓは1升が1.8ℓだから、“50本ちょっとか”、となる。また、田畑での一反歩のイメージはあるが「アール」などが出てくると固まってしまう。換算は認知症防止にはいいのだろうが、いやはやピンと響く頭には程遠い。秋田高校校歌と太平山の地図
 拙宅近くの高清水小学校も今年140年、校歌に「山きよらかな 太平の そびえる姿 映しつつ・・・」とあり、作詞は秋田高校と同じく土井晩翠さんです。
 秋田市のほぼ全域から見られるピラミッド型の『太平山』。深田久弥氏の名著「日本百名山」にはないが、山の深さや信仰の対象として山岳関係者は「日本三百名山」の一つにあげている。春夏秋冬異なる趣きをはっきりとみせる。高清水からも稜線がくっきりとよく見える。また、“マイ畑”からもピークが見える毎日の暮らしに欠かせない風景だ。
 私はこの歳まで自分にずっと太平山は前岳・中岳・奥岳の総称だと思わせてきた。そっとしておきたかったが、“念のために調査”してみると手前から、前岳・中岳・鶴ケ岳・剣岳・宝蔵岳・弟子還り岳・太平山・旭岳とある。山連なりは当然知っているが、太平山への呼称、「3岳で太平山」はここに60年の思い込みの歴史が途切れることとなった。

 しかし、私の本来の疑問は依然として未解決だ。その標高差にある。太平山の標高は1,171m、前岳は774m、どこから見てもこの標高差を感じられないのである。みた感じ、前岳は9合目、よく見て8合目ぐらいにしか見えない。写真上は秋田市外旭川から撮ったもの。前岳と太平山の標高差は約400m。写真下はもっと近づいて秋田市仁別からみたもの。(両方とも8時前後方向から見ているので中岳は見えない)いつも太平山を見るとこの標高差に悩まされている。400mの差といえば、優に男鹿半島の寒風山(377m)を凌ぐ。距離や見る位置(角度)からその差を感じさせないのだろうが、足も不自由になり、走破してこの疑問を解決・納得することは永遠にできなくなった。今となれば中学2年の夏、クラスの数人で前岳から奥岳まで縦走する計画があったが参加しなかった。なぜ参加しなかったのかがそもそもの疑問だ。

 1812年7月16日、菅江真澄は「太平山(おろちのたけ)にのぼって、“居待ちの月(十七夜の月)を見ましょう。16日は月蝕があって月見にはふさわしくないので・・・”*」と、出発し19日に登頂している。翌年、晩春に再度秋田市仁別を訪れ、次の和歌を残している。
 『花はいつ 桜のこずゑ 梅の苑(その) また夕凝(ゆうこ)りの 霜のおく山』。
一昨年まで仁別から『ザブーン』へのT字路角にこの和歌を記した「菅江真澄の道」の標柱があった。
(*菅江真澄遊覧記5、月のおろちね、内田武志:東洋文庫、平凡社)

平成30.6月

 

2018.05.01 | 社長だより

社長だより vol.41

【小さな疑問】

09_53①

 新青森駅発12時48分の「つがる4号」、進行方向左側の窓から春の陽光。うとうとしながら幾度となく通ったあの7号線(旧羽州街道)。飛ばしている自分を左右に見て秋田へ向かって南下する。右側にお岩木山の真っ白な三つのこぶもはっきり見える。広大なりんご畑、ところどころに剪定した枝を焼く薄い煙も見え、匂いも漂ってくるようだ。弘前では乗降客で結構ざわめく。
 “つがる”は大鰐・碇ヶ関を過ぎ浅緑の山中をはしる。県境青森県側山あいの奥まったところに「湯の沢温泉」がある。どうやら混浴であったあの温泉、いま開いているのだろうか。この一帯はことのほか温泉の宝庫だ。赤い湯・白い湯・あったまる湯、私は特に「日影温泉」の優しい白い湯(陣場)が好きだ。長くつかって上気した顔に玄関前の沢風が硫黄の匂いとともに心地よい。

 “つがる”は大館(早口)・鷹巣・二ツ井と天然秋田杉集積地の面影を残した駅構内を通り、やがて、東能代駅に到着する。“秋田駅からリゾート列車は必ず一旦東能代駅についてから、向きを逆にして絶景の日本海沿いを走るんだよな…。スイッチバックだよな~、東能代を通らずに五能線に入る線路はないよな~。明治?の木材運搬業者が鉄道に反対しなければ、方向転換はなかったはず”などと思い巡らして、またまどろむ。男性車掌は主要駅を通るたびにカチカチと乗客数を確かめている様だ。
 三種町に入れば日本一の“じゅんさい”産地の沼があちこちに光っている。八竜メロンの定植は終わったろう。車内放送で間もなく森岳との案内。今は寂れているが能代の奥座敷的社交場・湯治場でもあった森岳温泉。M館の湯は無色透明でかけ流し、湯口から溢れる様に出てくるしょっぱい湯が自慢だ。秋田北ICから自動車道で約30分、特に入浴客に会わないラッキーな日は温泉独占で家内もニンマリご機嫌だ。

 森岳を出てほどなく、一瞬オレンジと赤の流れる色とすれ違う。“あっ、クマゲラだ、クマゲラも五能線に入るには必ず東能代を通るはずだよな~”と、また、勾配のないスイッチバックを思い出してしまった。次に停車する駅は八郎潟。よそでは見られない「願人踊り(がんにんおどり)」がある。もう間もなく始まる。何とも愉快というか軽快な踊り、決して見逃すまい。この八郎潟駅から東側に車で約10分、朝市・鍛冶・建具職人の五城目町がある。 “奥羽本線が通らないのは能代と同じで木材運搬業者が鉄道に反対したためだよな~、今となれば鉄道が欲しいだろうな~”。五城目には薬効が高いといわれる「湯の越」の湯があるが、私は混雑を避け、もっと手前の高台にあるぬるっとした「小倉温泉」に入る。ここも独り占めのチャンスがある。

 ここから秋田までは一飛び。到着は15時28分。杖をついてゆっくり出たら、カチカチ車掌にバッタり。意外に若く、眼鏡をかけた生真面目そうな感じ。思わず、“リゾート列車は東能代でスイッチバックですよね?”、“・・・のために最後尾を先頭にして五能線に入ります”と、丁寧な説明が返ってきた。間違いなかった。安心した。所要時間2時間40分、今度時間があったら五能線で帰ろう。

切絵の枝垂れ桜

我が家の菜園に作られたカラスの巣。
 (壊さずに下におろした。直径約60センチ)

平成30.5月

2018.05.01 | 事務美貌録

第二十八回投稿 新・いなささなかま“だ”日記

★いなささなかまだ日記★ 5月号

 第26回の3月号より新たに加わった“だ”♂です。事務美貌録の中に男!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんがご容赦下さい・・。

  ようやく暖房を付けずに過ごせるような気温になってきました。団地内にも桜が咲き始め、窓からの景色にも春を感じます。新年度が始まって1ヶ月となりますが毎年この時期になると「入社して○年経ったのだなー」と入社した時のことや、就職活動をしていた時のこと等を思い出します。入社1年目のこの時期は、社会人として右も左も分からない状態で何をするにもとにかく不安があり様々なことに緊張していました。思い出すだけで、緊張してくる気がします・・・。今も緊張する場面は多々ありますが、入社して間もない頃の緊張感というのは、その時にしかない独特のものだなと思います。気付けば入社して5年目を迎え、まだまだ未熟な自分ではありますが「もう5年も経っているのか」と社会人になってからの時間の早さに驚いています。

 話は変わるのですが、4月~5月にかけて私が楽しみにしているものがあります。ラーメンが好きでよく食べ歩きに行くのですが、由利本荘市に「麺饗 松韻」(住所:秋田県由利本荘市石脇田頭100-5)というお店があります。今の時期、期間限定でトッピングメニューにニラが追加され、ニラの香りがスープと非常に相性がよく、一度食べてから毎年この時期を心待ちにしています。
 ラーメンは、「こってり」と「あっさり」の2種類で画像は「こってり」です(ニラのトッピングは「こってり」になります)。とんこつベースに煮干の魚粉が混ざったスープで、麺が自家製麺なのですが「ポキポキ」と噛み切れるような触感で癖になります。是非一度食べてみて下さい。土日は朝営業もしていますが平日は昼営業(11:00~2:00)のみで、毎週水曜日が定休日です。先週末に行った時はニラが売り切れでしたので今週再チャレンジしようと思います!!また、皆さんのオススメのラーメン情報がありましたら是非教えて下さい。

2018.04.02 | 事務美貌録

第二十七回投稿 新・いなささなか“ま”だ日記 

★いなささなかまだ日記★ 4月号

 長かった冬が終わり、ようやく春らしくなったように感じます。4月といえば、入学式・入社式・お花見・桜・新学期・新入社員等々いろいろあります。暖かな気候に誘われて、何か新しい事を始めてみようという気分にもなります。

 当社は会計年度を1月~12月としており、決算が終わったばかりですが、なぜ4月から新年度と言うのか気になり調べてみました。
 新年度の始まりが4月になったのは、明治19年(1886年)。当時日本の主産業は稲作で、政府の主な税金収入源が農家のお米だったそうです。納税はお米ではなく現金だったので、農家が秋にお米を収穫し、それを現金に換えて納税し次の年の予算を組むには、1月では間に合わず、4月からとするのが都合が良かったそうです。又、当時世界一の経済力を誇ったイギリスの会計年度が4月からだった事もあり、当時の日本にとって重要な国であったイギリスに倣って会計年度を4月からにしたともいわれているそうです。新年度が4月に決まったので、税金でまかなわれている学校の新学年(新年度)の始まりも4月になっていったようです。とあり、疑問が一つ解決しました。

 3月は、年度末で忙しい方も多いと思います。私は、健康保険の手続き等している為、全国健康保険協会(協会けんぽ)のHPを参考にしています。(保険料率・健康情報等)
 『3月は、“メンタルヘルスの不調を防いで血管も健康に!”というテーマで
 柔らかい日差しに春の訪れを感じる3月は、人事異動や昇進など、社会生活の面で大きな変化を迎える季節です。年度末ならではの忙しさ等も加わって、普段よりストレスをため込みやすい時期であるとも言えます。そんなときにこそ気をつけたいのが、心の健康(メンタルヘルス)。忙しさや不安は目には見えないストレスとなって、あなたの身体にも悪影響を与えることがあります。
 ストレスというと心労や過労など、嫌なことや辛いことをイメージする人が多いかもしれませんが、嬉しいことや楽しいことも含めて、日常のさまざまな出来事がストレスの要因になります。適度なストレスは人間的な成長を促すものですが、ストレスが過剰になると、メンタルヘルスの不調をまねくだけでなく、身体疾患のきっかけになることもあります。たとえば強いストレスが長く続くと、身体を安定した状態に保つように働く自律神経や内分泌系に異常が生じて血管に負担がかかり、血管病のリスクが高まることが知られています。恐ろしいのは、強いストレスは、時に心筋梗塞や脳卒中といった命にかかわる病気の引き金になることがある点です。
 ストレス対策の基本は、まずは自分のストレスに気づくことです。自分の「ストレス反応」に気づいたら、休養や気分転換をするなど早めのセルフケアでストレス解消を促すことが、メンタルヘルス不調の予防、さらには血管病をはじめとした身体の不調を防ぐことにもつながります。』

とありました。暖かくなったので、ストレス解消の為にも散歩を再開してみようと思う“ま”でした。

全国健康保険協会(協会けんぽ)HP お役立ち情報より抜粋
http://www.kyoukaikenpo.or.jp/

2018.04.02 | 社長だより

社長だより vol.40

【ミソソ ミレド レミソミレ・・・】

  日曜の朝、8時5分、NHK第一放送、『音楽の泉』はシューベルトの「楽興の時」で始まる。おなじみの声で、主題の旋律や演奏者の紹介。どこかで聞き覚えのある旋律が出てくると、途端に思い出への呼び水というのか、遠い人生へスイッチが入ってしまう。 よく知っている曲ともなれば気持ちが高揚する。そして深みのある解説はつとに心地よい。今の解説者は皆川達夫氏だが、いつになっても子供のころの「堀内敬三」さんのイメージが強い。

房総
千葉の友人から房総の花だより

 4月になり桜前線の等高線もずいぶんと上がってきた。もう少しで秋田にも届く。陽光に、つい、がらにもなく“春のうららの隅田川(花)、春の小川”がふっと口をつく。早春の卒業式では「仰げば尊し、蛍の光」などはとうになくなったろう。川沿いの桜並木に子供たちの歓声もモノクロ映画でしか見られなくなった。
 春の付く、春を彷彿させる楽曲は数多くある。早春賦・おぼろ月・メンデルスゾーンの「春の歌」・ヴィヴァルディの「四季/春」・くるみ割り人形の「花のワルツ」、自然の中にゆったりと遊ばせる「田園」もその一つだろう。確か“春を愛する人は心清き人…”という歌もあったな~。

交響曲第九番 新世界から

 春はのどかな情景を思い出させるだけでなく、新天地に向かう役割も演じる。ドヴォルザークもその一人。50歳のころ、ボへミヤからアメリカに渡り、交響曲第九番【新世界より】を作曲している。全編にわたって、どこか懐かしい旋律の【新世界より】。特に広く知られている第2楽章の冒頭序奏後の「家路とか遠き山に日は落ちて」は教科書にも載っていた。 “♪ミソソ ミレド レミソミレ ミソソミレド レミレドド・・・”、遠き山に 日は落ちて 星は空をちりばめぬ・・”。作詞はあの堀内敬三さん、どこか哀歓を帯びたメロディにぴったりの歌詞だ。この部分は木管パート群右側で柔らかく落ち着いたイングリッシュホルンがソロで奏でている。ラールゴとあり、スラーがかかっているので滑らかにゆったりと流れる。この部分になるといつも決まって思うことがある。

 それは指揮者がイングリッシュホルンをどうひかせようとしているのかだ。著名なオーケストラにはきら星のごとく凄腕のソリストたちがいる。指揮者の考えを無視して独り舞台とばかり演奏ということもあるのではないだろうか。協奏曲であれば、お互いの立ち位置ははっきりしているので、安心しているが、【新世界より】など独奏がある場合奏者がどう演奏するのか気になっている。
 写真CDの指揮者はハンガリー動乱で西側に亡命したイシュトヴァン・ケルテス。オーケストラはあのウインフィル。イングリッシュホルンが歌い始めると、いつも“身構える”のだがその違いが分かるはずもない。ただ、ケルテスの緩やかな棒が民族の秘めた思いを支えているのだろうと感じるだけだ。やはり、楽員の心をつかんでいる指揮者あってのオーケストラだと思う。東欧の心をもった天才ケルテス。40歳過ぎ、道半ばでの突然の他界。生存していれば90歳前後だろうか。さぞかし名盤が遺ったろう。残念だ。

平成30.4月