秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

2018.03.01 | 事務美貌録

第二十六回投稿 新・いなささな“か”まだ日記 (今回から“だ”が追加となりました。)

★いなささなかまだ日記★ 3月号

 今年の干支は犬年ということもあって、犬にちなんだ話題が数多く見受けられます。また
空前の猫ブームもおきています。

 一般財団法人 ペットフード協会では毎年、全国の犬と猫の推定飼育数を発表していますが、1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回りました。これは、20歳~79歳の5万人にネット上でアンケートを取り、推計値を出したものです。

 犬の飼育数が年々減少し、猫は横ばい傾向にあります。昔に比べて、現代は平均世帯人員が減り「一人住まいの単独世帯」や「夫婦のみの世帯」が増えるなど世帯構成が細かく分裂する現象がおきています。散歩やしつけ、餌やりなどで手間のかかる犬に比べ、手のかからない猫のほうが飼いやすいということでしょう。また、平均寿命はどちらも14歳台ですが、生涯必要経費は犬のほうが多めにかかるようです。
 ペットの平均寿命も伸びており「十分に世話が出来ない」「お金がかかる」「高齢者は最後まで世話をする自信がない」といった意見も多くありますが、「生活に癒し・安らぎがほしい」という希望もあり、「世話代行サービス」「保険料減額サービス」「引取り斡旋サービス」などのサービスが提供されることが望まれます。

 人間とペットの関係は、犬は1万年以上前から、猫は5千年程前からともに生活していたとされます。少子高齢化・核家族化が進んだ現代社会では、新たな家族の一員として愛情を注ぐことで、「孤独感やストレスが消える」「家族の会話が増える」「子供の情操教育に生かせる」「気持ちに張りが出て規則正しい生活を送れる」などメリットも少なくありません。
飼い主もモラルを守り、仲良く共生していきたいものです。

2018.03.01 | 社長だより

社長だより vol.39

【なごり雪に想う】

汽車

♪汽車を待つ君の横で ぼくは時計を気にしてる
 季節はずれの雪が降ってる
 東京で見る雪はこれが最後ねと
 さみしそうに 君がつぶやく
 なごり雪も 降る時を知り ふざけすぎた 季節のあとで
 今 春が来て 君はきれいになった

 作詞・作曲:伊勢正三

 まだ寒いが春めく気配を感ずると、「なごり雪」という歌が遠い記憶に染み込んでくる。小声で歌うと柄にもなくモノクロ映画の一こまに一瞬の残像を観てしまう。広辞苑では「なごり雪」にどんな解説をしているのかひいてみた。以外にも「なごり雪」は無く、「名残りの雪」として、「春になってから冬の名残りに降る雪」とある。万葉集あたりに使われていそうな感じなので、友人に聞いてみた。数日後に“わからない、4~5年前に気象台に登録されているようだから新しい言葉かもしれない”と「季節の言葉36選」としてメールがきた。
 確かに3月に「なごり雪」があった。他に雪の付く言葉は1月に「雪おろし」、4月に「花吹雪」がある。意外に少ない。選考対象として、11月に初冠雪・新雪・雪つり、12月に地吹雪・雪景色、3月あたりに淡雪・雪柳・雪虫・雪解け、4月は雪の回廊などが思いついた、しかし、豪雪の中で暮らす人々を考えれば「雪おろし」だけでも十分なのかもしれない。毎日の雪かき・除雪はこたえる。

はだれ雪

 私は、どことなく春めいたきざしを感ずる頃、舞って降る雪を「淡雪」、さらっと積った雪を「はだれ雪」と言っている。この「はだれ雪」という言葉をいつ覚えたのか全く記憶にない。
 例の広辞苑に「はだれ」がある。「まばら」という意味だそうだ。使用例として万葉集の『笹の葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ』が載っている。「はだれ雪」の説明は前後したが、“はらはらとまばらに降る雪。また、うっすらと降り積もった雪。まだらになった残雪”としている。これからは「はだれ雪」を“はらはらとまばらに降る雪”としよう。

 その後、友人から第二弾。『笹の葉に・・・』の意味は “うっすらした雪が解けてしまうように私を忘れてしまうという君が一層愛おしくなる”とメールは言う。と、すれば、本万葉集は現代意訳として、『東京で見る雪はこれが最後ねと さみしそうに君がつぶやく』がしっくりくる、と勝手に得心しているがどうだろう。もっと縮めれば、「私を忘れないで」でもいいのかな~。それにしても今時分の「なごり雪」という歌は静かなときめきをのこす詩(うた)だ。春が待ち遠しい。

平成30.3月

2018.02.01 | 事務美貌録

第二十五回投稿 新・いなささ“な”かま日記

★いなささなかま日記★ 2月号

 昨年末、ラジオを聴いていると「2017年流行ったもの」の中に「マンホーラー」という言葉が入っておりました。全国各地で放送されている深夜番組「○○○倶楽部」や「○○○の知らない世界」でも特集されていたとか・・・どんどん広がるマンホール!!2018年もたくさん見つけていきたいと思っております。

 マンホール女子‘な’がお届けする今回のマンホールはお隣青森県特集です。青森といえば、「りんご!!」りんごがデザインされているマンホールがたくさんあります。

 りんごに市章の卍がデザインされている弘前市。この写真はお花見で行った弘前城で撮影しました。
同じ弘前市内でも、旧岩木町のものは、岩木山・稲穂・川とヤマメ・リンゴがデザインされております。(マンホールって旧市町村で変わってくるのも魅力ですよね!?)

 次にご紹介しますのは、北津軽郡板柳町。安心して安全なりんごを食べてもらえるよう「りんごまるかじり条例」というものを設けているりんごの町のマンホールは、かわいいりんごの木がデザインされております。
他にもりんごがデザインされているものは、黒石市(津軽こけしにりんごと稲のデザイン)、つがる市の旧柏村(岩木山と日本最古のりんごの木)、南津軽郡藤崎町(りんごに白鳥)など、たくさんあるようですので、どんどん探しに行きたいと思っています。

 今回最後にご紹介しますのは、ねぶた祭が描かれている青森市のマンホールです。今では珍しいチンドン屋さん(東京 チンドン!あづまやさん。この日はラーメン屋さんの開店の宣伝をしてました)と一緒に写っている、私の2017年ベストマンホール写真です。

2018.02.01 | 社長だより

社長だより vol.38

【春はもう少し先・・・】

 第七版の広辞苑を買った。見た感じは「七」のところが違うだけで、あとは期待通り何の変わりもない。「新村出編」にも安心した。元国語教師の86歳になる従兄は、10年ぶりの改訂版をよほど待っていたらしく、秋田駅前の本屋に注文したとかで、発売日にナップサックを背負って買ってきたそうだ。第二版から毎回買い求めているとのこと。私は広辞苑専用の真っ黒なビニール袋に入れ、車まで運ぶのが“重かった”。
 この広辞苑、傍にあって、ただページをめくって言葉を眺めているのもいい。ネット検索では少々信憑性に欠けるが、その点辞典は安心だ。全く違う言葉にも出会えてついついみてしまう。

広辞苑

  紙質の違いやインクのにおいを感じながら、最初に探した言葉は「如月」。“(草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着る意とするのはあやまり)陰暦2月の異称”とあった。その夜、偶然、布団の中で読んでいた「言葉の歳時記(新潮社、新潮文庫、金田一晴彦氏)」に、“「きさらぎ」というのは余寒が厳しくて衣類をさらに重ねて着なければならない、つまりは「衣更着」の意味だと古くから言われている”とある。広辞苑の初版は昭和30年5月。「言葉の歳時記」は、昭和48年8月の発行、同氏も目にしたと思うが、大寒のころ、「衣更着」はぴったりだと思う。

三菱重工カレンダー

  変わってほしくないものはいろいろあるが、「三菱重工のカレンダー」もその一つ。まだ駆け出しのころ、メーカー担当者から“コンクールで優勝したんだ”と言われたことがある。飾り気のない数字だけのこのカレンダー。今年、表紙(1月の前ページ)に小さくその由来が印刷されていた。『昭和26年以来の“玉”カレンダー。玉とは印刷用語で数字のことを指す。使用している数字は三菱重工でデザインしたオリジナルの字体であり、赤や黒の深みを出すために二度刷りを施す手法と併せ、そのこだわりは発行以来変えずに作成し続けている。この端正かつシンプルでありながら力強いデザインは文部大臣賞や通商産業省繊維局長賞などを受賞した実績もあり宮内省へ献上していたこともあります』、と。当時は和紙ではないかと思えるほどの厚手の真っ白な紙。今も指に感触がのこる。裏に図や表を書くと、妙に立派にみえ、捨てるのには惜しい気持ちが残ったものだ。今も他社で出会うとほっとする逸品だ。

積雪の様子

  節分が終われば翌日は立春。春が立つと書くが、雪解けが進み、「ばっけ」が出始め、ある日「まんさく」の花が“おーい”と声をかけてくれそうな気配も感ずる。 “「立つ」は今まで存在しなかったもの、一般的に神秘的なものが忽然と姿を現した言葉であり、「竜」をタツというのも常に隠れているものが現れる意味だろうと推定される(同、言葉の歳時記)”と金田一晴彦氏はいう。春が待ち遠しい。

平成30.2月

2018.01.10 | 事務美貌録

第二十四回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

  ★いなささなかま日記★ 1月新年号

 新年明けましておめでとうございます。
本年も「いなささなかま日記」をよろしくお願いします。

  日本漢字能力検定協会によると昨年の世相を表す漢字は「北」でした。北朝鮮のミサイル発射、九州北部の豪雨、北海道日本ハムファイターズへの期待、「キタ」サンブラックの活躍に由来しています。今年はどんな一年になるでしょうか。平成であるのもあとわずか。文字通り「平らかに成る」一年であるように大災害など起こらない泰平な年であることを願っています。

 今年の干支は戌ですが、犬は社会性があり忠実で人との付き合いも古く親しみやすい特徴があります。犬はお産が軽いとされることから安産については戌の日が吉日とされています。戌年の人は、勤勉で努力家、正義感が強い、聞き上手、世話好きだそうです。有名人を挙げると漫画家の水木しげるさん、僧侶の瀬戸内寂聴さん、タレントの久本雅美さん、芸人の岡村隆史さん、歌手の宇多田ヒカルさん、フィギュアスケーターの羽生結弦さん、アメリカのトランプ大統領も戌年生まれのようです。

 犬といえば渋谷の忠犬ハチ公が有名ですが、ハチは秋田県大館市出身の秋田犬(あきたいぬ)です。改めて大館市のHPを見ると市を挙げていろいろな取り組みをしていました。市内にいくつかある秋田犬の銅像、キーホルダーやTシャツなどのグッズ販売、秋田犬のマンホール、秋田犬検定というのもありました。ここで秋田犬検定から抜粋して出題します。

Q1.プーチン大統領に送られた秋田犬の名前は何でしょうか?

Q2.映画「HACHI約束の犬」の主演俳優は誰でしょう?

Q3.秋田犬は天然記念物に指定される前は○○犬と呼ばれていたでしょうか?

 10題中8問正解すれば合格です。HPで無料で検定できます。(正解はA1.ゆめ A2.リチャード・ギア A3.大館犬)

 大館市のHPでは110日まで秋田犬の画像を無料で公開しています。年賀状を出し忘れた方は是非ご利用下さい。http://www.city.odate.akita.jp/

2017.12.29 | 社長だより

社長だより vol.37

【一富士二鷹三茄子】

 今年は年神様に何をお願いしようか、暮れの大掃除もせず、障子の張替えもしなかったが考えてみた。もしかしたら、両親の仏壇はきれいに掃除をしたのでそのおかげはあるかもしれない。
 初夢は何にしよう。家族の健康や子供の活躍は順当なところだろう。次は何だろう。あれこれと思いめぐらす。一方、昨年の目標は確か海坂藩の地図作成であったはず。今も枕元に短編集が10数冊はある。布団の上で読み終わるまでなんども顔に本を落とし、地図作りは到底先の話、いやできないだろう。しかし、灯りを消すと音を包んでしまう雪の中、ふっと視界に軒を寄せ合う町屋が見えてきたり、だらだら坂が見えたり、夜のとばりに人影がチラついたりと作成への意欲だけは消えていないようにも見える。

 私の冬景色は秋田県立美術館にある「藤田嗣治の大壁画」。伽羅橋(きゃらばし)から左の四分の一ほどだが、お正月がしっくりとおさまる。何度見ても飽きずにこの壁画を見ていると懐かしい語らいがある。右のほうに目を移すと“三吉さんのぼんでん奉納”があるので左の雪景色は自然とお正月に見えてしまう。かまくらのそばには角巻を着た大人の女性が数人話し込んでいる後ろに馬(ば)そりが来ており、奥に雪囲いの板塀を配置してある。吹雪になれば”虎落笛(もがりぶえ)”も聞こえるのだろう。秋田にこの大壁画があることを誇りに思う。

「藤田嗣治の大壁画

  もう一つ、お正月というと、かどづけの万歳(まんざい)があった。正月といっても小正月だろう。将軍野にあった家の前の家、玄関から上がり框まで2間位土間があった時のこと。入ってくるとパパンパンと鼓の音が家中に響く。秋田万歳*(ねぶり流し館、民俗芸能・行事開設シート2)によれば、「明治25年ごろが秋田万歳の最盛期で、25組もの万歳師がいて組合を結成、地域を決めて活動」し、「訪問先の家をたたえ、人々の長寿を祝福する文言を掛け合いで唱えながら舞いを演じる」とある。
 挿絵は、平凡社の世界大百科にある「万歳」。二人とも烏帽子姿だが、我が家に二人で来ていた時は、大黒頭巾と烏帽子だったろう。右手で黒の角巻(マント風)を跳ね上げ、指のない軍手で鼓をもち、パパンパンと打っていた。頃合いを見て母親からおひねりを渡され、“はい”と手渡していたんだろう。
 中村 草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」どころか「昭和も遠くなりにけり」で、来年には元号も変わる。初夢に寂寥感への沈積だけは見るまい。歳月の流れには逆らえない。
*秋田県無形民俗文化財:民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

いただいたみかん

 年末、東京のW氏からみかんをいただいた。奥様の実家が湯河原のミカン農家と聞く。10㎏入りとあるが、持ったらずしりと重い。開けてびっくり、びっしりと整然と並んでいる。見たこともない箱詰め、感動した!ストーブの側で駿河湾を眺めながらごちそうになろう。

平成30.1月

2017.12.06 | 事務美貌録

第二十三回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 12月号 

 間もなく受験シーズンという事で、宮城県南三陸町の合格祈願の「オクトパス君」というキャラクターをご存知でしょうか? 南三陸町は西の明石・東の志津川と言われる「タコ」の名産地で、【タコ=octopus=置くと(試験に)パス】というタコがモチーフの合格祈願キャラクターです。
 “さ”はまだまだ暑い8月に試験を控える息子にと購入してきました。オクトパス君の置物は手のひらサイズでとても可愛かったのですが、持ってその重さにとても驚きました。鉄製でその重さは600グラム。どっしりと構えて試験に臨みましょうという思いから鋳造という方法で作られているそうです。
 そして工房のすぐ上には入谷八幡神社があります。約400年の歴史を持つ神社で、源義経が祈願成就の御礼として京都の石清水八幡から勧進したと伝えられており、合格祈願スポットになっています。
 長い階段を上ると巨大なオクトパス君が鎮座していました。タコは縁起がよい生き物で、撫でるとご利益が増すそうです。

 気になる?結果ですが、しっかりお願いした成果が出たのか無事に合格できました。これからの受験シーズン、合格祈願にいかがでしょうか?

2017.12.04 | 社長だより

社長だより vol.36

【“ごっこ”がつく】

  「朝から底冷えがして、暗い雲の下に町全体が静まり返っているような刻(とき)が過ぎたが、七つ(午後4時)過ぎになって雪が降り出した。師走に入ってから二度目の雪だった。雪は、夜になると急に勢いを増して、切れ目なく降り続いた。・・・下駄にすぐ雪がくっついて歩きにくい。菊四郎は立ち止まって足踏みをし、下駄の雪を落とした・・・・ご存知藤沢周平短編小説、「雪明り」の冒頭部分。

 “下駄にすぐ雪がくっついて”、とあるが、鶴岡出身の同氏ならではだ。確かに“ごっこ”がつくと歩きにくい。この“ごっこ”、特に気温が低い時についたと思う。子供のころ家にあった箱ぞり、立派にできていてうらやましがられた箱ぞりであったが、そりの部分に鉄板を打ち付けてあった。寒ければ寒いほど、そりにこの“ごっこ”が付いていたと思う。横倒しにして根こそぎ取らないと直ぐに“ごっこ”が大きくなり、真っすぐ進めなくなり、重く煩わしかった。周りの箱ぞりは鉄板の代わりに竹を割って先をあぶって曲げたものを張り付けており軽くてよく滑り、子供ながら羨ましく思ったものだ。

  “ごっこ”の語源を探したがわからない。こぶができて、歩く“とごっ・ごっ”との感触音があることから、この“ごっ”に秋田の語尾に“こ”を付ける癖がついて“ごっこ”になったのではないだろうか。ちなみに、こぶの語源も調べたが、“ごっこ”に近い呼び方はなかった。
 下駄箱に、母親から高校時代に買ってもらった新品の桐の下駄と爪皮(つまかわ)を掛けた足駄がある。しんしんと降る雪の中、音の消えた町を足袋をはき、雪道を歩いてみようか。

  雪が降ればなぜかふっと子供時代がよみがえる。ストーブにあたって切り餅の木口を煙突に当て、上から下へ引くと熱さと力加減もあるがとカンナ屑よろしく“しゅー”と「極薄の餅」ができた。失敗すると焦げたにおいで怒られる。郷土の偉人、アラビア太郎は「おかゆの鍋のふきこぼしが乾いて薄紙のようになっているのにヒントを得てオブラートの製法を発明したという*」。今思えば親の庇護のもと安心した生活があったのだろう。雪が降るとそんな郷愁がよぎる。今年は膝が痛く、窮屈な格好で十分な雪囲いもできなかった。父親は何と思っているだろう。
 *秋田経済11月 特別寄稿 田中玲子 私の尊敬する人より

 先月、【音・色・いろいろ】の拙文に対し、東京のW氏から『ウォークマンから聞こえる印象的な色の歌の一つ「夢一夜」の“紅をひく”がどうにもへばりついてしまった』とあり、2番の歌詞が添えられていました。

09_48②

  ♪恋するなんて 無駄なことだと 例えば人に 言ってはみても 貴方の誘い 拒めない
   最後の仕上げに 手鏡見れば明かりの下で 笑ったはずが 影を集める 泣きぼくろ
   貴方に逢う日の ときめきは 喜びよりも せつなさばかり
   ああ 夢一夜 一夜限りと言いきかせては 紅をひく
   貴方を愛した はかなさで 私はひとつ 大人になった ああ 夢一夜
   一夜限りで醒めてく夢に 身をまかす

     「夢一夜」 作詞 阿木燿子 作曲 南こうせつ 唄 南こうせつ

平成29.12月

2017.11.02 | 社長だより

社長だより vol.35

【音・色・いろいろ】

♪雨は降る降る城ヶ島の磯に 利休鼠の雨が降る
 雨は真珠か夜明の霧か それとも私の忍び泣き
 舟は行く行く通り矢のはなを 濡れて帆あげた主の舟
 ええ 舟は櫓でやる櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
 雨は降る降るひは薄曇る 舟は行く行く帆がかすむ

 心のどこかに引っかかりのある『城が島の雨』。張りのあるテノールはもちろんだが繊細なソプラノもいい。目の前で聞くと、言葉の終わりに余韻が残る。歌詞・旋律、たまらない。私は新聞記者から転身した岡村喬生がひげの姿で朗々としたバスであの旋律を歌いあげるのが何とも心地よい。聞くたびにジーンと胸に沁みこんでくる。何度聞いても飽きることもない。

 そして、この歌に出てくる「利休鼠(りきゅうねずみ)」の色も忘れられない色となった。以前から“きっとこんな感じの色だろうな”、という想いはあったものの、私が初めてこの色を目にしたのは確か昭和52、3年頃の6月の雨降りだったと思う。場所は東京駅。丸の内と八重洲の自由通路が工事改修の時。ちょうど通路の中間位、左右がコンパネ。カツカツと靴の音だけが響く雑踏の中に、一間四方位の色板6枚が丸の内に向かって左側に架けられていた。その中の一枚がこの「利休鼠」。仮名ふりがしてあった。“これが「利休鼠」か”、と目だけが追っていたことを思い出す。

 「利休鼠」を“和の色辞典”(視覚デザイン研究所)で見ると、『緑みの灰。後世の人が、大茶人の千利休の名を勝手につけた色名、とある。利休の名がつく色名は、抹茶の連想から緑みがある。加茂川鼠・淀鼠(よどねず)・松葉鼠(まつばねず)と、緑みの灰色にバリエーションは多いが、利休鼠だけが突出して今日まで親しまれている。大茶人の効果か、役者色と並ぶいわばアイドル色といえる』とある。それ以来、文人の旧家や博物館でこの色を追っている。北原白秋にとっての「利休鼠」は、“侘びだとか寂だとかを通り越したきっとあの事件による失意のどん底の色”なんだろう。

どれかな~

この『城が島の雨』を“ラックス38FDでダイヤトーンモニターを鳴らす”、そんな夢のような組み合わせを1度だけ経験した。内視鏡メーカーの秋田の所長さん宅。白秋の三崎でのやるせない“失意の唸りの風景が”がみえたような気がした。昨今のノイズのない澄み渡る歯切れのいい音とは違う、いわゆる真空管(たま)の魅力。“本当の音(こころ)はこんなんだよー”と言っている。心がゆったりとした。
(「城が島の雨」は1913年、大正2年10月28日にできた、作曲は梁田貞)

平成29.11月

2017.11.01 | 事務美貌録

第二十二回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 11月号
 
 あっという間に秋が終わり、いよいよ冬が近づいてきました
 私は寒がりなので、これから長い冬が始まるかと思うと、ちょっと憂鬱になります。
 さて、今回の投稿が4回目となります。どんな内容にしようかいつも悩みますが、今回は、9月に行った旅行について書きたいと思います。
 まず、旅行先を決める時は、行ったことがない場所や、ご当地グルメなど美味しそうな食べ物がある場所を探します。そして行き先が決まったら必ず、近くに「世界遺産」「神社仏閣」「パワースポット」がないかネットで探してしまいます。
 最近行ったオススメスポットは、茨城県の「牛久大仏」です。
車で行くには若干遠かったですが、一度見る価値アリだと思います。
 
【牛久大仏】
全長なんと120mの大仏様!!1995年に世界一高い「青銅製立像」としてギネスブックに登録されております。
牛久大仏1
※自由の女神像は40m、奈良の大仏は14.9m。
奈良の大仏が手のひらに乗ってしまいます。

大仏様の胎内は、エレベーターで地上85mまで上ることができます。
その日はあいにく天気が悪く、あまり遠くまで見えなかったのですが、天気が良い日は、スカイツリーや富士山も見ることができるようです。

 胎内2Fでは写経体験ができる場所があり、初めて挑戦してみました。
薄い字を小筆で写す(なぞる)だけとはいえ、1枚完成させるのに2030分かかります。簡単そうで難しかったですが、シーンとした空間でとても心落ち着く体験ができ、また機会があったらやりたいなぁと思いました。

牛久大仏を見てきたことを会社で話すと、
大仏好きだねぇ~~。確か前にも(釜石大観音に)行ったよね。」と言われてしまい、
大仏マニアになりつつある“な”でした。

2017.10.02 | 社長だより

社長だより vol.34

【えっ!】

 一面黄金色の田んぼの真ん中に我が家の菜園がある。風もなく豊饒な秋を迎えた夕方、畔の間に例の茶色の猫がいた。この畔が好きらしい。いつも目が合うとすぐ稲の中や草むらに姿を隠してしまうのだが、その日に限って逃げるそぶりも見せず黙ってこちらを見ていた。私も腰を下ろすことにした。

 茶色と言ってもおなか半分上が薄茶で虎模様、おなかのあたりはずいぶんと痩せている、そして“小柄だが顔つきは大人だ”。近くの民家まではどちらを向いても1キロ以上はたっぷりある。会うたびに「家も遠く、野良猫だろうな、何喰っているんだろう、野ネズミか蛙あるいは雲雀ぐらいだろうな」、と気にはなっていた。ちぎれたザリガニの足を時々みるが、これはカラスだろう。

 この日の茶色の猫、私の前でゆうゆうと毛づくろいを始めた。『吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ』という有名な小説の冒頭がある。“何してる?”知らんぷりで、足をなめたかと思えば、おなかをなめる。まるで飼い猫のようにのんびりとしている。というより私にしらんぷりだ。“邪魔をしないでくれよ“とでも言っているみたいだ。空を見ると童話にあるような綿のような雲が浮かんでいる。

 今年も秋のお彼岸がやってきた。周りで稲刈りも始まった。秋の陽に雪が降ってきたようにトンボの羽がきらきら光っている。数を減らしたといわれるスズメもこんなにいたのかを思うほど群れている。ムクドリの群舞のように上下左右に隊列をなしてというのではない。いかにもいたずら小僧が悪戯をしているようなもので、人を見て“わー”と慌てて飛び立つようなものだ。だから、ずっと群舞を見ているということもない。

 “名前もわからない茶色の猫。何を思っているのだろう・・・・・さてこの後なんと書こう。有名な小説では猫が三馬(さんま)を盗んだよな”とか、“見物している人間を描こうか”とか思いながらパソコンの手を止めた。その時だ。左に時計とかペン立があるのだが”えっ”と思わず声が出てしまった。黒豆が出てきたのだ。写真を見ていただこう。左は収穫には早いと思っていた黒豆だ。それが1週間もしないうちに右のように立派な黒豆になっているではないか。一体こんなことってあるのか。テーブルの向かいで切り絵をしている家内も、“小豆もそうなんじゃない、からっからにならなくてもいいんじゃない“と。

 去年の小豆、黒豆同様今もおいしく食卓に出るが、収穫では二人は結構難儀をしていた。茎は細く自立は到底できず、雨が降るたびに鞘が地面につかないように起こして枯れた順に取っていた。地面に長くついていると虫が入るのだ。もし、少し枯れたぐらいで収穫できるのであれば被害は最小限で済む。私の“検査”も大いに簡略化されるというものだ。今度の土曜日試してみよう。
 新米の半殺し、小ぶりな粒あんのおはぎ、とったばかりの小豆はやわらかい。楽しみだな~。『日本海』が現役のころ、関西からの帰り、京都へ一電車先乗りし、駅デパートで老舗の「ゴマ・きなこ・あんこ」のおはぎを買い求め、あのブルートレインをワクワクしながらお出迎えをしたものだ。先ごろ偶然東京のデパートでこのおはぎを見つけ美味しくいただいた。

“ところであの茶色の猫、どうなった?”

平成29.10月

2017.10.02 | 事務美貌録

第二十一回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 10月号

  日中は時折汗ばむことがあるものの、朝晩はめっきり涼しくなりました。稲刈り・新米の声も聞かれるようになり、もうすっかり季節は秋です。先月、“ま”さんが秋について触れていたので、“い”は少し前に暦を戻し、過ぎた夏を振り返りたいと思います。

 今夏は、7月の豪雨を除いて比較的晴れの日が多く(豪雨により被災された方々には心よりお見舞い申し上げます)、体感的に暑い日が多かったように感じます。というのも、例年の夏に比べて我が家ではかき氷と冷やし中華の出番が多かったからです。ここで、夏を感じさせる食べ物My Best 6を挙げてみます。①枝豆 ②ナスがっこ ③とうもろこし ④冷やし中華 ⑤スイカ ⑥かき氷 これを食べないと夏が来た感じがしません。特になすガッコについては、毎年美味しいものを求めてあちこち探し回ります。お薦めは、地元の母さんが漬けて販売している道の駅ですが、今年は近くのスーパーで販売しているナスがっこが抜群に美味いことを発見して何度も購入しました!やっぱりなすガッコにはもち米が入ってないとダメですね。来年こそは自分で漬けるぞ!!! と思いながら何度も夏は過ぎていくのですが・・・。かき氷は、30数年前に購入したかき氷機が現役で活躍しています。正確に言うと、当時私はまだ子供でしたので、実際購入したのは両親です。成長するにつれ出番もだんだんと少なくなり、存在すら忘れて20年余。子供が小学生になった頃、母がこのかき氷機を持って来てくれました。懐かしいやら嬉しいやら。昔はイヤでしょうがなかった電化製品に購入日を書いておく母の癖が、この時ほど微笑ましく感じられたことはありません。使い捨てが当たり前の昨今。物を大切にするって素晴らしいですね!そして、さすがmade in japan いい仕事してくれます♪ 「今年もありがとう、来年も宜しくね。」といいながらそっと戸棚に仕舞いました。

2017.09.05 | 社長だより

社長だより vol.33

【イチジクの思い出】

イチジク

 「あっ、イチジクがなった」。挿し木してから3年目で実がなった。苗木が届いたときは、ただの30センチぐらいの棒切れ、本当に実がなるのか半信半疑であった。冬を越して1年目、あのグローブのような5裂の葉が出てきた。実がなる?しかしダメ。翌年も葉が落ち、寒さで死んでしまったと思い、切ろうかと思った。しかし、せっかくだからこのままにしておこう、とほっぽらかした。そして今年、お盆過ぎて見つけた。実がなっている!雨の中、“ありがとう”、ずぶ濡れで周辺の草刈りをした。

甘露煮

 イチジクには苦い思い出がある。小学校5年の時だったと思う。国鉄土崎工場近くにあった珠算教室に通ってた時のこと。前の組が遅くなり、後の組の生徒たちで教室の前庭にあったイチジクを食べたことがあった。仲間外れも嫌なので食べた。数日後、実行犯として連座したが主犯より厳しいおしかりを受けることとなり、父親に連れられ謝ることとあいなった。先生は、出口さんと言い、目の大きな方で秋田市役所の職員であった。特に読み上げ算の声はどんな会場でも隅々まで響き渡るような素晴らしいバリトンの持ち主であった。いろんな大会に出ても出口先生のような声に出会ったことはなく、誇らしい先生であった。イチジクを見るといつもほろ苦く、そして出口先生のことを思い出す。
  
 私はあの事件以来生食は苦手となった。イチジクを植えたのは、家内ともども甘露煮が食べたくてだ。甘露煮は由利地方が有名だ。自分で買うことはないが、お隣のお土産的なお菓子で、いただくと思わず“わー、イチジク”、そんな主張がある甘露煮。さらりと気の置けない手土産だ。生食にはないあの酸味が甘みを引き締めるのだが、最近は洗練された感じだ。一昨年七回忌だった母の甘露煮はアルマイト鍋でぐつぐつ煮詰めていたが、「かすべ」煮と同じで、柔らかであったり、硬かったりで、今は何となく懐かしい。友人からいただくのもいいが、味は“うーん”だ。そんなこともあって、やはり自家製が一番。5年前、家庭菜園を購入して長年の夢を果たした?格好だ。

 イチジクの伝来は江戸初期、原産地は6千年も前のバビロニア、中国を経て、長崎へ薬樹としてもたらされたという。不老長寿の果物とも呼ばれるが、便秘改善、肌荒れ、痔の出血止めなどに効能があるようだ。リンゴやナシなど多くの果物とは反対に実の中に花があるので何か不思議な効能があるのではないか。旧約聖書のエデンの楽園で食べてはならない禁断の実といわれたあのリンゴ。「南国でリンゴが育つものか、アダムとイブを見ろよ、イチジクだろう」、という人もいる。ま~、そんなことはどうでもいいじゃないか。それより、我が家の甘露煮、10個ぐらいできるだろうか。磐田からいただいたおいしい煎茶で楽しもう。

小玉スイカ
空
アサガオの切り絵


食べごろに少し早すぎた先月の小玉スイカ、栽は難しい。しかし、うまかった。

平成29.9月

2017.09.01 | 事務美貌録

第二十回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 9月号

  お盆休みもあっという間に終り、日中は暑い日が続いておりますが、朝晩は涼しく感じるようになりました。

 先日、社長が朝礼で、「秋の夜」というのは、夜が段々と長くなり、虫の声が聞こえてくる状態の夏の季語ですと話しておりました。最近は、暗くなるのが早くなり、夜は虫の声も聞こえてきており秋の夜だなと感じます。

  秋と言えば「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」等いろいろあります。個人的には、一番縁遠いと感じるのがスポーツの秋です。(運動不足です。)

  そんな時、テレビでねんりんピックが秋田で開催されるというのを見ました。ねんりんピックって何だろう?と思い調べたところ、ねんりんピックとは全国健康福祉祭の愛称の事で、60歳以上の方を中心として、あらゆる世代の人たちが楽しみ、交流を深めることができるスポーツと文化の祭典との事でした。健康や福祉に関する多彩なイベントを通じ、高齢者を中心とする国民の健康保持・増進、社会参加、生きがいの高揚を図り、ふれあいと活力ある長寿社会の形成に寄与するため、厚生省創立50周年を記念して、昭和63年(1988年)に兵庫県で第1回大会が開催されて以来、毎年開催されているそうです。今年は、節目となる第30回大会が秋田県で、9/9(土)~9/12(火)まで開催されるそうです。

 

秋は、「紅葉の秋」「芸術の秋」等まだまだいろいろあります。いろいろな所でいろいろなイベントや行事等あると思います。天気のいい日は近所を散歩してみようかなと思う今日この頃です。手始めに万歩計を買おうと考えている最後の“ま”でした。

 

 

ねんりんピック秋田2017

http://common3.pref.akita.lg.jp/nenrin2017/
2017.08.03 | 社長だより

社長だより vol.32

今年も土崎神明さん、曳山(やま、写真左)が終わった。ユネスコ無形文化遺産登録となった今年、ことのほか熱気でごったがえした。私は御幸曳山(みゆきやま)出発地、穀保町(こくぼちょう)の隣町、新城町(しんじょうまち)で産まれた。現住居は旧寺内6区(高清水)で神明さんとは関係ないが、7月20・21日は盆暮れ一緒に来たようなものだ。6月に入るとお囃子が聞こえ、新年を迎えるように気分が高揚してくる。そして21日の夜、戻り曳山(もどりやま)。つぶれた声の音頭上げ、引手の荒声、きしむ木の車、油の焼けるにおいで『やま』は最高潮に達する。

【夏の家庭菜園】

  この時期、“食べたくなる”のが「うり」。うまいのに当たった時のあの感激、ハズレへのぼろくそ。今ではハズレのないメロン。美味しいのだが何かもの足りない。昭和30年代初頭、まだまだ果物も少なく、スイカは高くて1年に2回ぐらいしか食べられなかった。その点、「うり」は手軽な夏の人気もの。フンフンにおいをかぎ、指先でやわらかさを確かめたり、包丁を入れてもらった時の緊張、スプーンで食べる?そんなことはまずなかった。即、かぶりつきだった。果汁を垂らし、怒られながら食べた。
 都では「瓜田に履を入れず、李下に冠をたださず」という中国のことわざが賑わっている。「ウリ」はなくても言葉はしっかり残したいものだ。

 トマトもそうだ。畑の真っ赤に熟れた大きなトマト。ガブリ!青臭いというか、畝に腰を下ろして、日差しを遮り、青いへたのところまでモクモク食べた。子供のおなかはたちまち満足する。我が家の家庭菜園もこのトマトを食べたいがために始めたものだ。
 先日、我が家のトマトをじっと見ていた顔見知りの専業農家の人が、「これさ肥料やったか?」、「もちろんやったすよ!」、「あのよ、トマトは肥料やらねくてもえなだや」、と言う。実は毎年夢に見た大きなトマト、実がつかない・ついても大きくならない。今年こそはと思って肥料もたっぷりやった・・。葉もちぢれ、幹ばかり太く、“病気ではないか?・いやいや石灰が足りないのでは”と家内と悩んでいた・・・

 今年はもう一つ大きな失敗をやらかしてしまった。とうきびだ。野菜や果物はもぎたてが最高。毎年、向かいの家からもぎたて5本をいただくのだが、とにかくおいしい。真似をして植えてみた。肥料もたっぷりやった。順調に大きくなり、茎から“とうきび”が2~3本出てきた。ところが何を思ったか、少し抵抗はあったがことごとくトマトよろしく“芽かき”をしてしまった・・・。数日後、青森で助手席から何気なく沿道の畑を見ていたら、“あれ?うちのとうきびと何か違う?”。直ぐわかった。“うちのとうきび、裸だ!” “芽かき”をしたときは穂(花芽)にとうきびがなるんだと錯覚していた・・、子供が帰省したら食べさせてやろうと思って丹精込めていた。がっかりした。家内に言葉はなかった。

 今年の畑、春先の低温で作況は全体的に不良だ。あとの望みは枝豆か。写真は雑草がいっぱいの豆畑。右からてんこ豆(後ろは赤大豆と紅虎豆)、ささぎ豆、黒豆、小豆、枝豆。東京の友人W氏はことのほか枝豆に目がないという。播種をずらした枝豆。うまくいったら朝採りで送ろう。
 お盆過ぎればそろそろ秋野菜の準備だ。それまで休もう。しかし、そうもゆかない。強敵、日照りと雑草が待っている。

平成29.8月

2017.08.02 | 事務美貌録

第十九回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

★いなささなかま日記★ 8月号

 2度目の登場になります“か”です。

 新年の挨拶をしたのが、ついこの間のように感じられますが、季節が巡るのは早いもので今年も半年以上が過ぎてしまいました。梅雨が明ければ、あっと言う間に夏が終わり、また厳しい冬が近づいてくると思うと少し憂鬱な気分です。

 1月号では昨年の熊本地震・新潟県糸魚川市の大火について書きましたが、今年は「九州北部豪雨」など日本列島各地で大雨の被害が発生しています。今回、秋田県内でも記録的大雨が降り大きな被害を受けました。他県の惨状を気の毒に思うしか出来ませんでしたが、まさか身近に起こるとは夢にも思いませんでした。
 7月22日・土曜日は午前中から強い雨が降り、我家の近くを流れる川の水位が驚くほど上昇していました。23日朝には市内いたるところに非難勧告が出されましたが、「まだ避難指示ではないから」と自分の気持ちを落ちかせようとしていました。川の近く、低いところから水がだんだん流れてきて、すぐ近くの道路が冠水するさまは本当に恐ろしい光景でした。普段、静かな住宅街ですが、道路脇へ次々に住民が現れ不安げに話こんでいました。「まさか、ここまで水が来るとは思わなかった。」誰もが話していたのは、ニュースの中で被災した方が言った言葉と同じだと思いました。
冠水した道路はしばらくの間、片方の入り口が通行止めされなかったため車が何台も入ってきます。「わざわざ足首までの水位の中を通らなくても」と周りの人達と話していたのですが、あの人達も誰かの所に行くため必死だったのでしょうか。

 幸い夕方には、少しずつ水は引いてゆき、冠水した道路も夜には水が無くなっていました。朝からハラハラしどおしの一日でしたが、結局我家に近づいてきた水もあまり水位が上がらずにすみました。でも、川沿いでは床上浸水した家もあり、また県内各地では大変な被害を被り、農業被害も甚大だと聞きます。本当にお気の毒です。改めて、災害は突然やってくるもので、いつ自分が被災者になってもおかしくないものだと感じました。

2017.07.03 | 事務美貌録

第十八回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

いなささなかま日記 7月号★

マンホール女子”な”には2歳になる息子がおります。最近、マンホールの蓋を見つけると

「かあちゃんの好きなのがあったよ!マホールだよ!!写真撮って!!」と教えてくれるようになりました。とても嬉しいのよ。ただ、マホールじゃなくてマンホールなのよ。もっと言うと、マンホールの蓋なのよ。嬉しいけどね。秋田市の竿燈マークは撮らなくてもいいのよ。家の前で毎回撮ってられないわ。嬉しいけどね。。。

 そんな息子の協力もあり、出掛ける度にマンホールの写真が増えております。今回はその中から宮城県東松島市矢本地区と石巻市で見つけたマンホールの蓋をご紹介します。

奈良かえる

かわいいカエルのマンホールは東松島市矢本地区のものです。マンホールに描かれている表情の異なる4匹のカエルは『きれいな水によみがえる』というフレーズをもとにデザインしたものだそうです。カラーの蓋では、カエルがそれぞれ赤、黄色、緑、青とカラフルになっています。ぜひ見てみたいものです。

奈良石の森

石巻市のマンガロード(サイボーグ009をはじめ漫画家石ノ森章太郎の作品に出てくるキャラクターたちがたくさん出迎えてくれる市庁舎地点から石ノ森萬画館までの約1キロメートルの通り)ではカラーのロボコンデザインを見つけました。ロボコンの上には石ノ森萬画館と花火。私がこのマンホールを撮影したのは、昨年の川開きの時でした。毎年7月31日、8月1日と行われるお祭で、夜には盛大な花火大会があります

 いよいよ7月。秋田市内でも祭りの準備や練習が始まり、夕方になるとお囃子の音も聞こえるようになってきました。秋田市では、ユネスコ無形文化遺産に登録された山・鉾・屋台行事の1つ『土崎港曳山まつり』が72021日に。来月には秋田市のマンホールのデザインにもなっている『竿燈まつり』が83日から6日に行われます。まもなく秋田の短く濃い夏の始まりす。マンホールと同じ位、お祭も大好きな「な」でした。

2017.07.03 | 社長だより

社長だより vol.31

【つばめ】

09_43①

 田植えもとうに過ぎ、来週には夏至だというのに、未だつばめをみていない。秋田地方気象台の「平年つばめ初見」は4月18日とある。今年は4月16日が初見というから、2か月前には戻ってきていることになる。
 60年も前の話だが、父の生家(秋田市高野)につばめが巣をかけていた。太い角の取れた敷居をまたぐと黒光りしたでこぼこの広い土間があり、つばめの巣は右奥の鴨居にあった。“つぱっ、つぱっ”、とせわしない子つばめの口にせっせと餌を詰め込んでいた。「つばめが巣をかけると縁起がよい」とか「つばめが低く飛ぶと雨が降る」とかはその頃覚えたのだろう。

09_43②

  藤沢周平の「玄鳥(げんちょう)」の書き出しに、『「つばめが巣作りをはじめたと、杢平(もくへい)が申しております。いかがいたしましょうか」。路は夫の背に回って裃を着せかけながら、努めて軽い調子で話しかけた。「つばめ?」夫は前を向いたままで問い返した。長身だが肉のうすい背である。「あれは追い払ったはずではないか」「また、戻ってきたそうです」。「場所は同じところか」。「はい、門の軒下です」。「巣はこわせ」・・・わかりましたと路は言った。予想していた返事だったのでさほど落胆はしなかったが、それでも路は、このとき二羽のつばめが嬉嬉として鳴きかわす声が、鋭く頭の中にひびきわたったような気がした』(*1)とある。

  この「玄鳥」は、出奔した藩士を上意討ちの藩命を受けた3人が不意を突かれ失敗。生き残った曾根兵六は嘲笑されることになるが、実はこの兵六が冷淡・傲慢とも言える夫、人を見下す末次忠次郎の妻、路の淡い恋心の相手であった。兵六は下級武士だがやがてその責任を取らされることになると路は知った。路の父親は無外流の使い手。路は父の極意を兵六につたえ、生き伸びることを願う。「玄鳥」最後に『「杢平、来年つばめはこないでしょうね」「へい」今度は来ますまい」。曾根兵六も、だしぬけに巣を取り上げられたつばめのようだと路は思った。生死いずれにしてももはや二度と会うことができないだろうと思った』。(*1)もう戻ることのないつばめに路の恋心を託したのであろう。作品に生活感という現実味があり、どっぷりと遠い昔に引きずり込まれてしまう。

  また、同氏の『夜消える』(文春文庫)に「初つばめ」がある。女として言い知れぬ辛酸をなめ、弟を育てた“なみ”。その弟が表店の太物屋(D)に婿入りすると姉を訪ねてきたときの“なみ”の激情にいろを失う。羨望、諦め、つい“なみ”に共感してしまう。両者対面の直前、“なみ”の心はつばめの俊敏な飛翔にやすらいでいたのだが・・・

09_43③

 私にとって“つばめ”というと、「スマートな渡り鳥」「国鉄スワローズ”(現ヤクルトスワローズ)」そして“特急つばめ”だ。現在、「国鉄スワローズ」は超低空飛行で首位から15ゲーム差。土砂降りだ。“特急つばめ”は最新鋭のEF58型電気機関車にひかれ、最後尾に展望車がついた憧れの列車。2015年に廃止された「トワライトエクスプレス」にその面影が遺っていた。最近デビューした「トワイライトエクスプレス瑞風」も最後尾に展望車を持ち、昔の“特急つばめ”を彷彿させる。EF58型の車体色は「淡緑5号」というらしいが、今も鮮烈に記憶にある。この「淡緑5号」、和の色辞典で色合わせをしてみると感覚的には「草色(くさいろ)」に見え、“くすんでいるので他の色とのバランスがとりやすい”とある。また、時期は過ぎたが春の味、“草餅は邪気を払うという意味が込められている(*2)”との事。1956年、東海道線全線電化で既に戦後が終わり、“特急つばめ“が新たな日本を切り開こうとしたのだろうか。

 *1玄鳥   藤沢周平 文春文庫
  2和の色辞典 視覚デザイン研究所
  3 日本奥地紀行 イザベラ・バード 訳 高梨健吉
         平凡社ライブラリー 平凡社

写真
 A 鳥類の図鑑      小学館の学習百科事典4
 B 玄鳥カバー  藤沢周平 文春文庫
 C 鉄道 機関車と電車 小学館の学習百科事典11
 D 川崎呉服店の看板 「太物屋」
 E 「交流サロンぽすと」の裏庭
  明治11年、山形県金山町にイザベラ・バードが投宿し、『日本奥地紀行』(*3)に“険しい峰を越えて、非常に美しい風変わりな盆地に入った”と紹介している。金山三峰が印象的で、100年かけてつくるという街並、白壁と切妻屋根に考え方の“ロマンチックさ”がある。「川崎呉服店」もその中の一角だ。私が特に時間をゆっくり過ごしたいところが「交流サロンぽすと」の裏庭。旧羽州街道沿いにそのたたづまいが待っている。

平成29.7月

2017.06.01 | 事務美貌録

第十七回投稿 新・いなさ”さ”なかま日記

 ★いなさ”さ”なかま日記 6月号★

 4月フィギュアスケートの浅田真央選手が引退を発表しました。連日テレビや新聞、インターネットで特集が組まれていて、私もフィギュアファンとして大注目していました。浅田選手は、世界選手権3回の優勝、グランプリファイナル4回の優勝、四大陸選手権3回の優勝、全日本選手権6回の優勝など数々の金字塔を打ち立てました。復帰した当初からピョンチャンオリンピックを目指すと公言していましたので、あと1年現役続行すると思っていました。ラストシーズンは怪我の影響でジャンプに苦しんでいましたが、怪我を治せば復活の可能性はありましたので、非常に残念です。結果がどうであれ残り1年の選手生活を見届けたかったです。

 浅田選手の魅力は世界大会で数々の実績を上げていたのにもかかわらず、常に自然体だったことではないでしょうか。世界女王に3度も君臨していながらもおごったところがなく、“普通”なところが共感を呼んだのではないかと思います。

 それは彼女のお母様や指導者の教育の賜物だと思います。浅田選手の母匡子さんからは「みんなから愛されるスケーターに」と愛情を一身に受けて育ちました。決めたことは最後までやり遂げることを教えられ、トリプルアクセルにこだわったのは「練習で失敗しても試合では飛べるかもしれない」「できる技を全部使って勝ちたい」という意志の強さからでしょう。

 時に彼女は語彙が少なく、インタビューの受け答えは幼稚に写りますが、インタビューの質問を悪意に取らない良さがあります。例えば、2011年母匡子さんの葬儀数日後に出場した全日本選手権後のインタビューで、「とにかく試合まで時間がなかったので、余計なことを考えている暇がなかった。選手として、やるべきことをやらなくてはならなかったので」悲しいとか、つらいということは、最後まで一切口にせず、「いつもと違う状況の中で、今までやってきたことを出せればいいなと思って滑りました。」そして、会見の最後にこういう質問が出た。「いろいろあった中で世界の代表に選ばれたことを、お母さんにどのように報告しますか?」ほんの一瞬、関係者の間に緊張感が漂った。トリノ五輪で似たような質問をされた安藤美姫が泣き出してしまった一件が頭をよぎった。だがそれは、杞憂だった。「ずっと近くにいてくれているような気がしていたので、何も報告しなくてもわかってくれていると思います」
Numberより抜粋)

 どんなに調子が悪くても“それを言い訳にしたくないから”と決して明かさず、前向きに受け止めて答える姿勢は日本のアスリートの鏡だと思います。後輩たちもその精神を受け継いでもらいたいです。

 以前テレビで、ある中学生スケーターの一日が放送されていました。早朝5時から登校まで練習、朝8時から夕方まで学校、放課後から午後9時か10時頃まで練習。宿題は車中や学校の休み時間にやり、食事は車中で取るそうです。試合前はリンクを貸切って練習、貸切できる時間は深夜でした。本人の意志だけではなく、家族の協力が無ければ日々の練習は成り立ちません。それだけではなく、衣装、振付、スケート靴、遠征費、月謝などフィギュアスケートをするには年間何百万円という費用が掛かります。その中で、プロとしてやっていけるのは一握りならぬ一つまみ。本人の努力だけではなく才能、環境、家族の理解・協力が不可欠です。親御さんの子供に対する惜しみない愛情には本当に頭が下がります。一ファンとして一人でも多くの真央ちゃんが出てくることを願っています。

以上 2番目の“さ”でした。

(※私事で恐縮ですが、先月結婚し、苗字の頭が“な”から“さ”になりました。)

                   画像:amzon.com様より抜粋

2017.06.01 | 社長だより

社長だより vol.30

【続々、小さなこだわり】

 「キ」へんに春と書いて「椿」、同様に夏は「榎(えのき)」、そしてヒイラギを冬の木とみて「柊」(*1)、ここまでは出てくる。しかし、秋がでてこない。一瞬、「柿!」とひらめいた・・。漢和辞典で探したら「楸」がある。読みは“ひさぎ”で落葉高木の「あかめがしわ」のようだ。
 ついでに、東・西・南・北はどうだろうか。楠(くすのき)はわかる。その他書いてみると、 樹木ではないが棟(とう)、佐賀県の鳥栖の“栖(す)”までは出てくるが、北は皆目思いつかない。目を凝らして探したが無い。また、「キ」へんに上・下・左・右も探してみたがこちらは全滅だった。
 中国では読みは“ちん”で、「長く久しい」という意味に使い、花は日本でいう“センダン”を指しているとのこと。(*2)

椿

 椿は昔から春の さきがけの花とさ れている。
秋田では4月から 5月半ばにかけて 咲く。
 日当たりのいい藪椿は3月中頃には咲き始める。見た目は華やかだが、どことなくそそとした感じだ。その分、散るときは、山茶花などと違い花そのものが“ぼとっ”と落ちたり、茶色に色褪せて主張するところに好き嫌いがあるようだ。

 飯田蛇笏(いいだだこつ)に「花びらの 肉やはらかに 落ち椿」というのがある。意味は、“ぽたりと地に落ちたまま鮮やかな色を失っていないのが美しいのだ”(*3)という。そのような種類もあるが概して散り際に抒情は感じない・・。
 花をかたずけると決まって蟻がいる。ムクドリも来る。自分でも花を“ぷつっ”と引っ張ってなめると“おんこ”の実ほどではないがほのかな甘さはある。生前の父には、自宅を椿屋敷にしたいという夢があった。従妹は“おじさん、よその家から変わり種の枝をもらっては藪椿に接ぎ木をしていた”と言う。今晩はツバキ餅でも食べようか(*4)

能登山

 男鹿駅(旧船川駅)から車で約10分ぐらいだろうか。日本の渚100選「鵜の崎海岸」を左に見ながらほどなく、男鹿半島(*5)南西北端、海が目の前に迫るわずかな海岸にこんもりとした能登山が見えてくる。男鹿市「椿」集落だ。男鹿市教育委員会の案内板に「ヤブツバキが自生する北限地帯として、青森県の夏泊半島とともに国の天然記念物に指定されています。(告示  大正11年10月12日)」とある。対馬暖流に椿の実が流されてきたものだろうか。柳田翁は「青森の椿は“イタコ”が持ち込んだ」(*6)との説。対馬暖流は大間のマグロと同じで津軽海峡にも分岐しているので暖流説に軍配が上がるのでは・・。しかし、“イタコ”が雪に椿の花を見て人の復活を感じ椿の実を持ってきたことも容易に想像できる。
 高校の頃、この集落で夏合宿があり、能登山まで朝、片道20分の散歩をさせられた。また、能登山には「若い男女の椿伝説(*7)」がある。1804年、8月25日に菅江真澄も椿の浦を訪れている。その時も椿伝説があったのだろうか。周辺海岸にははっきりとした隆起の断層があり化石探しに夢中になったこともあった。今となれば懐かしい。

椿餅

*1・2・6 ことばの歳時記 金田一晴彦 「3月4日」 新潮文庫 新潮社
*3 ことばの歳時記 山本健吉 「椿」 文芸春秋
*4 椿餅 横手市K店 真っ白なもちっとした道明寺に光沢のある濃緑の葉。文句なく、うまい。平野庫太郎氏の漆黒の小ぶりな天目茶碗に入れて撮ってみた。“贅沢”だ。
*5 ジオパーク 男鹿市教育委員会 能登山案内板

男鹿半島・大潟ジオパーク

 半島全体が国定公園に指定されているが、「男鹿半島・大潟ジオパーク」にも指定されている。西海岸は目もくらむような絶壁の連続で、クロダイ釣のメッカと言われる。また、北限のトラフグがとれるのでも有名だ。もちろん、“いけす”で下関に運ばれる。「男鹿半島・大潟ジオパーク」の成りたちは今から数万年も前のことらしい。能代の米代川と秋田の雄物川の砂が八郎潟を形づくり、今の形になったのは平安時代のようだ。男鹿半島北西には、噴火口に満々と水をためた国内では珍しいマール、一ノ目潟・二の目潟・三の目潟がある。あたりには静けさしかない。
*7 椿伝説(男鹿市教育委員会 能登山案内板)
  ・その昔、毎年男鹿の椿港から南の国に木材をはこんでいた若い船乗りが、村の娘と恋に落ちました
  ・必ず戻ると約束して別れてから3年が過ぎ、若者が死んでしまったと思いこんだ娘は、悲しみのあまり能登山から海に身を投げた
  ・4年目に村に帰ることができた若者は、娘の死を嘆き、お土産で持ってきたツバキの実を能登山にある娘の墓の周りに植えました。能登山は毎年春に花を咲かせ一面がツバキの花で覆われるようになりました

平成29.6月