秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

2015.10.28 | 社長だより

社長だより vol.14

【今時分、庭の主役】

 我が家の花や木は全部父が育てていたもの。私の代になって大半水遣り・植え替えが大変なので地植えをしたが、その種類や株も少なくなった。特に“残念だ”と思うのは寿命もあったと思うが古いミカンの木がなくなってしまったことだ。金木犀・銀木犀も消えてしまった。

ほととぎす

『杜鵑(ほととぎす)(草)』
 珍しい花ではないが秋のおとづれと共にこの花が待ち遠しい。派手でもなく、かといって地味でもない。品種改良があってか、はっきりとした色合いの品種もある。家の杜鵑は乳飲み子のような柔らかい風合いだ。ビロードのような手触りのある葉は二列に互生し、紫斑のある花を2~3個上向きに開く。ひだまりにうってつけの花だ。

お茶の花

『お茶の花』
椰子の實の殻に生けたる茶の花の ほのかに匂ふ冬は来にけり   北原 白秋
青密柑はみつつさむき冬枯れの 野みちを行きて茶の花を見たり  前田 夕暮
(花岡謙二編 日本植物和歌集より“茶の花”七首より二首抜粋)

 実生のお茶の木。1センチ足らずの小さな白い花が咲く。どの花も恥ずかしそうに、下を向いている。花の命は数日だろう、気がつけば根元に落ちている。先に咲いた分、すでに椿の実より二回りも小さい茶色の丸い実を落としている。娘は子供の頃よくこの種を丹念に拾っていた。

干し柿

『干し柿』
 “百め柿”と父は言っていた。正確な品種名は知らない。私は“身の程知らず”と勝手に呼ぶ。大きなものになると、大人のこぶし大にもなる。干し柿にすると1週間もしないうちにつるした軸がすっぽり抜け、約1割が落ちる。干し柿を始めたころ、夜中に「ぼとっ」と、何の音だ?謎が解けた。気になるので今年から天気をみて庭の梯子につるした。
  青北風(あおぎた)、という言葉がある。「台風シーズンも過ぎると、駆け足に本格的な秋がやって来る。暦の上では晩秋に近い。季節風が交代し、涼気を追って北がかった風が吹く。これが吹くと、まだ逡巡していない夏の気が去り、めっきり秋らしくなる。そして空気は澄み、海も空も美しく青むのである*」。今年は運よく青空にも恵まれた。近づくと和菓子の匂い、どちらが身の程知らずか。(*山本健吉 ことばの歳時記 文藝春秋社)

『むらさきしきぶ』

むらさきしきぶ

 実の色から源氏物語の作者をイメージして名付けられたようだが、何ともいい名前だ。和の色事典に「紫式部」という色名がある。色調は「深く渋い赤」だが、庭の“むらさきしきぶ”は光を浴びると光沢が出、青紫に見える。夏に咲く花も淡い紫だが、こはぜ・ななかまど・まゆみ・なんてんなど、実と同じ色の花木は思いつかない。カリンは薄いピンクだが、黄色の実をつける。

つわぶき

『つわぶき・石路(キク科)』
 花の少ない晩秋、庭を明るくかざるつわぶき。60センチくらいの花茎に春先の黄水仙のような静な黄色の花をつける。つやつやした深緑色の肉厚の葉が花の色を一層引き立てる。今の住居に移転した時、鉢植えのつわぶきを石灯篭のわきに移植したもの。福島以西に自生すると言われるが、極めて丈夫と言われ、我が家のつわぶきも冬の間中雪の下で生きている。

H27.10月

2015.07.23 | 社長だより

社長だより vol.13

【寺内・八橋周辺 その6 最終回 空素沼(からすぬま)のみえる丘】

 子供のころ、父からよく“からす沼には行くな、引っ張られる”と聞いていた。私は泳げないこともあり、せいぜい護国神社裏参道のうっそうとした雑木林の間から“ちらっ”と「からす沼」をみるくらいであった。不気味なというか何か得体のしれない妖怪のようなものが棲んでいるかもしれないと、子供ながら身構えていたものだ。

1“からす沼が見える丘” 2“掲載写真” 3“秋田城跡址政庁跡地” 4“菅江真澄の墓”
1“からす沼が見える丘” 2“掲載写真” 3“秋田城跡址政庁跡地” 4“菅江真澄の墓”

 高清水をぶらぶらする時、『からす沼が見える丘』(私が勝手につけた名称)(高清水丘陵北東部が最高部で海抜62m)は忘れられない処だ。この丘に悲しい記憶がある。子供の頃、我が家に『クロ』という目の周りだけが茶色の黒の雑種のメスがいた。胴長で体長40㎝ぐらい、毛は極短く穏やかな性質だった。この『クロ』、丸まって寝ていても、旧国鉄土崎工場がお昼と夕方鳴らすサイレンにあわせて“うーん”と吠えているというか唸っていた。台風などの災害警報にも使われ、空襲警報(?)みたいに断続してサイレンを鳴らす時も合わせて唸っていた。(土崎は昭和20年8月14日終戦前夜、国内最後の爆撃を受けた一つで250人以上が犠牲になった。私は実際に空襲警報を聞いたことはないが、両親がそのように言っていたので聞いていたつもりでいる)

 ある日の夕方、三和土(たたき)で突然『クロ』が苦しみだした。のた打ち回り、家族は呆然と見守るだけだった。そして何度も体を硬直させ、腹をパンパンに脹らませそのまま息をひきとった。まだ温かい体をさすって涙を流すだけだった。原因は「猫いらず」を食べたみたいだ。父が“何ぼ苦しかったべ”と言いながら、体を拭いてやった。“二人の(兄弟の)身代わりだな”、とぼそっと言い、クロの寝箱におにぎりと煮干しとなぜか硬貨を入れて“明日山に埋めてやろう”と言った。翌日、自転車に寝箱ごとのせて向かった山が『からす沼が見える丘』だった。今は聖霊短大がそばに建っている。高野出身の父の裏山のようなものでもあり、ろうそくを立てお参りをして葬った。身近な動物の断末魔を初めて見た。以来動物を飼ったことがない。

からす沼
 

 中学校に入って地学部に入部したその年にからす沼の調査があった。怖さもあったが興味もあり、なんとなく大人になったような気もした。畔によしずを張った涼み場所のような休屋があり、ボートも数隻繋がれていた。2隻に分乗した我々は透明度やミジンコの量や種類を調べたと思った。また、からす沼の構造なども模造紙にその断面をV字型で書いた記憶がわずかに残っている。“金槌”はやはり近づいてはいけない処だったことを納得したと思った。

 からす沼の生成はいろいろ文献を調べてもわからない。ほとんどが伝説からくるものだが、近年秋田城址の発掘調査から高清水丘陵に「とび砂」の堆積があることがわかってきた。“菅江真澄”が寺内の丘陵を歩いた時は、秋田城址は砂に埋まり伝承でそのことを知ったとある。からす沼については翁の「水の面影」にこんな記述が残されている。
 『*左の方に、生根が沢(おいねがさわ)という広い池がある。ここは近ごろ、雨がないのに岸が崩れ、水をたたえるようになった。十年前に亡くなった、六十歳の老女の物語に、「私が十三歳の頃、その田へ昼飯を持って行った事を覚えている。一枚余りの田がたちまち大池となったというので、大勢で見に行った。田は、私の父が作った田だからよく知っている。木の根っ子のようなものが、水底にあるために生根という。米粒がこぼれ落ち、稲が生えたこともあるので、生稲が沢という」と言った。この生稲ノ池の水が満ち満ちていた時の深さは推し量ることが出来ないようになった。今は湖のようで、魚も数多く、鴨(かも)は餌をさがし、鳰(かいつぶり)も浮巣を作っており、水が広々と見えた』と。

 様々な伝承などをもとに勝手にまとめてみると、元禄の頃(5代将軍家綱)、からす沼は狼沢(おいぬさわ)と呼ばれ、沢水が流れていた。それが日本海からの「とび砂」によって堰き止められてしだいに大きくなった沼と言えそうだ。しかし、『からす沼のみえる丘』が堰き止めた「とび砂」だとしたら、どのくらいの年月を要したか想像もつかない。有史以前の生成と思うのだが、『からす沼のみえる丘』が地震で崩れて堰き止めたかもしれない。あれやこれやと考えるがこの際、翁の説明に浸ろう。
 新国道から裏参道を登りわずか6~7分ぐらいにある「からす沼」。人もあまり近づかず、緑豊かな雑木が生い茂り神秘的ともいえる。「とび砂」を防ぐために、植林に人生を捧げた“栗田定之丞”も秋田にとって忘れられない郷土の偉人だ。親友のAさんは松くい虫で全滅となった海岸に将来の砂防林を夢み、黙々と松の植林をしている。
(*東北縄文文化研究会:菅江真澄「水の面影」現代語訳全文より「生根が沢」を転記)

H27.7月

2015.06.11 | 社長だより

社長だより vol.12

【不思議な縁 その後】

襖の書

 不思議な縁として社長だよりNo.3に「旧家の襖書“石川理紀之助翁の歌二首”裏打ちをし直す」ことを書いた。あれから約2年近くの修復を経て今、我が家の玄関に掛けられた。出会った時はその筆跡から一瞬、「日野切*1」?「佐理*2」?先生にこんな書体があったのかとときめきを感じた。しかし、高揚した気分が落ち着いてくると真にゆったりとした石田白樹先生の筆に戻る。さらに見入れば、目の前で筆を走らせているような息遣いと言うか臨場感を感じ、秋田の偉人、明治の聖農、100年以上続く全国でも珍しい秋田県種苗交換会の創設者、石川理紀之助の心情さえも透けてみえる筆跡だ。遠く、東由利町の山間まで石川翁の教えが届いていたと思うと心も揺さぶられてくる。きっとこの肝いりの旧家に農民が集まって作柄などを話していたのだろう。

襖の書 修復前

 どうしても読み方を知りたく、県立博物館の学芸員から教えていただいた。上段左から『田をつくる家のをしへは 細鍬を右からとるの少なかりけり』、『うねか少 玉よりもなほ田を作る 人にわ国のたからいりけり』とのこと。なお、下段は修復前です。当て字が多いとのことで、私が読めるはずもなかった。
 石川翁は生涯で2万首とも3万首にも及ぶ歌を詠んだと言われる。同じものがないか「石川翁資料館*3」で歌約2千首まで挑戦したものの、探すのはあまりにも膨大で無謀だった。諦めた。ただ、川上富三著に、石川翁の『田をつくる大みたからは 我が国の世の富草の種となりけり』というのがあり、同意義らしき歌に出会ったのは“収穫”であった。

 私が教えをいただいた石田先生は寡黙だが、達文家で書論にも一家言のあった方だ。秋田大学の助教授で県文化功労者。私が言えることではないが、書風は「唐の太宗」にも思えるほど豊かで上品な線質で別格な世界だ。当時のお手本は相当数残っているが、どれをみてもゆったりとした筆遣い。今回の歌二首は筆跡からすれば例外とも見えるが、恐らく筆の種類が違うのではないだろうか。筆はきっと剛毛系、もしかしたら紫毫筆(しごうひつ)かもしれない。
 そんなことを推敲していると心がはやり一端の書家の心持。いざ筆をとって臨めば、話にもならない「書」になるのがわかっている。しかし、私の心は千年余り前に遡り、平和を享受していることを忘れ、満足する豊かさが漂ってくるのである。

離洛帖

 *1日野切は平安末期の歌人藤原俊成の千載和歌集の断簡(撰者自筆本)として有名。
 *2藤原佐理(ふじわらのすけまさ)は三跡の     
  一人で、自由奔放な筆致が特色。左は佐里
  の離洛帖:国宝、“我が家に戻った”歌二
  首もどこ気脈を感じさせるものがある。
   人にはそれぞれ好き嫌いはあるが、
  三筆・は個性あふれる澄んだ線、
  自然な運筆で見るものを飽きさせる
  ことはない。
 *3「石川翁資料館」は現秋田県潟上市昭和
  豊川にあり秋田自動車道、昭和男鹿半島
  ICから約5分。農村の救済と農業振興にその生涯を捧げた石川翁のおびただしい数の
  遺著、遺稿が保存展示されている。

H27.6月

2014.07.31 | 社長だより

社長だより vol.11

【寺内・八橋周辺 その5 八橋の一里塚】

一里塚跡地柱

 秋田市役所から北側に約600メートル、けやき通りのはずれ、中央分離帯に一里塚跡地柱がある。わきの説明版には次のように記されている。『この「えのき」は道の里程を示す道標として一里塚跡に植えられたものであり、後世への証として大切に守っていきたいものである』と。
 江戸から143里、奥州街道の桑折(こおり)宿から分岐した羽州街道を経て、秋田領内31番目の一里塚、それが八橋の一里塚だ。慶長9年(1604)、「日本橋を一里塚のもとと定め、36丁を道1里*」として、西から東の果まで徳川幕府が道路の両側に土を盛り、樹木を植えて目印につくらせたという。その一里塚の大きさは、五間四方(約24坪)と言われ白黒映画の股旅物からするイメージよりも相当に大きい。
*1間は6尺、約1.82㍍、1丁は60間、約109㍍、1里は約 3.9kmとなる。
なお、1間を1.97㍍とする説もある

一里塚

 大正3年、高野(こうや:八橋の北側)生まれの父から、生前「八橋の一里塚は今の場所ではなく、もう少し北側にあってものすごく大きな榎があった」と聞いたことがある。子供の頃、高校野球のメッカは八橋球場であった。決勝戦が秋田の早慶戦と言われた秋田高校と秋田商業となるときまって自転車の後ろに私を乗せ、寺内や八橋界隈の「案内」をしながら球場に向うのが常であった。旧一里塚が道路の拡幅で取り壊され、かろうじて近くに八橋の一里塚があったことを示した勘定だ。しかし、説明板にはないが今ある「えのき」は旧一里塚に補植されたものを現在地に移し保存しているそうなので、なんとなく“そうか”と安堵感もある。

一里塚

 羽州街道につくられた一里塚は64か所といわれている。秋田市より南側は今の国道13号線、北側は7号線と重なる所が多い。というよりほぼ同じだ。64か所のうち現存するのは6か所(*)だそうだ。秋田の人が一里塚というと、まず神岡の一里塚とか六郷の一里塚を思い出すのではないだろうか。六郷の「欅」の巨木は今も道路わきに残る。一里塚は明治以後交通機関の発達や道幅の拡張などによってほとんど取壊されているがよくぞ残ったものだ。いや、よく残したものだ。
私の出生地のすぐそばにも一里塚があった。八橋一里塚の次、土崎一里塚だ。羽州街道を寺内・高清水と下れば、旧幕洗川町を通って御蔵町と穀保町と交差するあたりに一里塚標があったと記憶の彼方にぼんやりとある。この交叉地点と接して新城町。歩いて1分もかからないところに我が家があった。先人達は明治以後便利さや快適になることを旗印に近代的に変貌させる街並みをみてどう思うのだろう。
*県内現存一里塚は、湯沢愛宕町・六郷・神岡・能代鴨巣・鷹巣綴子・大舘長坂の6か所。

(参照:秋田羽州街道の一里塚・飯塚喜市ふる里道しるべ・平凡社秋田県の地名、特に佐藤晃之輔氏の手になる“秋田羽州街道の一里塚”は各地の古文書や地区古老の記憶を紐解き、精緻に位置を割り出しておりその努力には圧倒される)

H26.7月

2014.07.31 | エコムジャーナル

青森だより vol.15

 早いもので7月中旬となっております。青森も梅雨で蒸し暑い日や雨の日が多いような気がします。全国各地で台風の被害が出ており、被害を被った皆様にはお見舞い申し上げます。
また、十和田市の皆様、B1グランプリ開催地決定おめでとうございます。是非グランプリを!
さて、短い夏の青森県では、各地で様々なイベント・祭りが予定されております。

◎7/26.27 階上町 いちご煮祭り(三陸復興国立公園)
 いちご煮(ウニとアワビのお吸い物:お吸い物の中のウニが、朝露に濡れた野イチゴのよう
 だからと言うので名前がついたとか)、海藻ラーメンなどを味わいながら、イベントや
 花火があるそうです。いちご煮、おいしいですよね~

◎ 7/31~8/4 八戸市 八戸三社大祭(掛け声:ヤーレ、ヤーレ)
 約290年の伝統があるお祭りで、おがみ神社、新羅神社、神明宮の神輿行列と豪華絢爛な
 山車の合同運行です。
 10,20年位前は、近隣の市町村で山車を借りてお祭りをしていました。八戸の山車は
 その頃から進化して、とにかく綺麗、仕掛けが施され圧巻です。

◎8/1~7 弘前市 弘前ねぷた祭り(掛け声:ヤーヤドー)
 記録では1722年にすでに行われていたとか。八戸と並び歴史があります。
 三社大祭、青森ねぶたとも違い、ねぷたは扇型をしており、前側は水滸伝などを題材にした
 勇壮な武者絵ですが、後側は幽霊画などで全然趣が違います。とても綺麗ですが、
 交差点ではかなり激しい動きが見られるかも。

◎8/2~7 青森市 ねぶた祭り(掛け声:ラッセラー、ラッセーラー)
 全国的に名前が売れていますので、詳しく知りたい方は上記のホームページへ。
 ねぶたを製作、囃子、跳人、運行、観客が一体となって楽しめます。“燃える夏”という
 言葉がとにかくピッタリです。

◎8/4~8 五所川原市 立佞武多(たちねぷた)(掛け声:ヤッテマーレ、ヤッテマーレ)
 100年位前に行われていた祭りで、平成8年にその頃の写真をもとに復活させたものです。
 高さ22メートル、重さ16トンの立佞武多は近くではカメラに収まりません。
 どぎもを抜かれる大きさです。そのため、動きはゆっくりですが、勇壮な姿を遠くからも
 見ることができます。

黒石、平川でも一味違うねぷたがあったり、三沢の七夕、南郷ジャズフェス、南部サマーフェス、東北町湖水祭りなどなど、いっぱいありますので、どうぞ楽しんでください。(T.H)

H26.7月

2014.06.27 | エコムジャーナル

青森だより vol.14

 5月下旬から6月上旬までは、青森市でも時折30℃を超える日もありましたが、梅雨に入り雨の日が多くなりました。
 6月1日、自衛隊青森駐屯地創立63年記念行事が行われました。訓練展示では、隊員の皆様の統制のとれた動き、戦車、高射砲、ヘリコプターなど多彩な訓練を見ることができました。また、式典後のパーティーには議員、自衛隊、協力企業関係者などが出席し、県内はもとより岩手、秋田の食べ物、地酒が振る舞われ、大盛況でした。関係者の皆様、お疲れ様でした。

戦車の空砲に耳を塞ぐ人たち きびきびした隊員の動き ロープで降りる隊員
 戦車の空砲に耳を塞ぐ人たち きびきびした隊員の動き  ロープで降りる隊員

 6月15日、交通安全協会の支部で安全祈願旅行に参加いたしました。地元の神社で安全祈願を行い、バスで十和田湖に向かいました。八甲田山を抜け、奥入瀬渓流、瞰湖台、休屋へ。バスの運転手さんが丁寧に見どころを説明してくれました。自家用車では見逃すようなスポットを教えてくれるので、非常にためになりました。
 宇樽部から休屋までは数年前にバイパスが開通したため、瞰湖台のある旧道を通る人は少なくなりました。プロの写真家は獣道を通り、旧瞰湖台からの眺めを撮影しているとか。

瞰湖台案内説明図 乙女の像と遊覧船 帰路で寄った蔦温泉
 瞰湖台案内説明図 乙女の像と遊覧船  帰路で寄った蔦温泉 

 ホテルでは、十和田湖で採れたヒメマス、小坂の桃豚などおいしい料理を堪能いたしました。
 震災の翌年、観光客が減ったため多くのお土産屋さんやホテルが廃業し、街並みがとても寂し状況です。皆さん、是非十和田湖においでいただき、盛り上げていただければと思います。
(T.H)

 H26.6月

2014.06.02 | エコムジャーナル

青森だより vol.13

 そろそろ衣替えの季節を迎えようとしております。前回の青森便りでは、「4月23日の夕刊に弘前城の桜が開花したとの記事が載っておりました。」と切り出しましたが、翌日の夕方、釧路からのお客様を弘前城にご案内いたしました。満開には程遠かったのですが、以外と天守閣付近も咲いており、岩木山も見ることができ、喜んでいただけたと思っております。
天守閣

 天守には入ることができ、歴史資料を拝観することができます。また、窓からはきれいな風景も眺めることができます。
 27年度から本丸の石垣の改修工事を約10年間行う予定で、来年の桜祭りまでは天守は現在の位置そうですが、その後は移動するため、しばらくはこれまでのような風景を楽しむことができなくなるそうです。

 釧路からのお客様のお話では、釧路の桜は5月中旬に咲くのですが、葉もいっしょに出てくるので、本州のような花見をほとんどしないそうです。春の楽しみ方が違うかもしれませんね。

猿回し

 青森市合浦公園の花見では、「猿回し」をやっていて、多くの見物人が詰めかけていました。
人混みを発見し、近づいた時にはほとんど芸が終わっておりました。残念!!(T.H)

 

H26.5月

2014.05.16 | 社長だより

社長だより vol.10

【寺内・八橋周辺 その4 八橋人形“おでんつぁん”】

八橋人形

 古くは毘沙門人形ともよばれた八橋人形。代表的な人形にはオイラン・花嫁・鯛乗り・毘沙門天・ニワトリ・鳩笛・翁などがあり、郷土玩具の一つだ。天神さんを私は“おでんつぁん”と呼んでいる。おでんちぁんと書いている本もあるが、私は親譲りの“おでんつぁん”派だ。
 伝承によると天明年間(1781~89)京都伏見の人形師が来て焼いたのが始まりという。素焼きの上に泥絵具で彩色する素朴な人形だが土臭さに魅力がある。実に色鮮やかだ。しかし、壊れやすく段飾りでは桜の花の陰においてある灯篭、実は傘の部分が欠落している。人形は硬いがもろく、ちょっとした衝撃でも簡単に粉々になり、修復はほぼ不可能に近い。

 その昔久保田(秋田市)では男の子が生まれると、必ずこの天神さんを買い求めて飾った、と言われる。我が家の“おでんつぁん”も私が生まれた時に父の実家(秋田市高野、寺内の東に位置する)から贈られたものと聞く。きっと私をかわいがってくれた“祖母”が準備してくれたのだろう。

天神さん

 最上段左は普通にある天神さんだが、それでも結構大型だ。その一回り大きいのが右側の牛に乗った天神さんだ。台を入れれば、高さは優に50センチはある。今までいろんな天神さんをみてきたが牛に乗った天神さんにはお目にかかったことがない。我が家の自慢の一品だ。狛犬や灯篭は見てきたが、右大臣・左大臣は今までみたことがない。こんな段飾りをセットと言えるかわからないが、我ながらほれぼれと眺めてしまう。一人ひとりの表情がみな違うので、5月に入って飽きずに毎日朝晩うっとり顔を眺めている。いい顔でしょう、さすが天神さん!

右大臣左大臣

 残念ながら伝承者が亡くなり、継承者もなく、廃絶になったとのことを魁新聞で知った。県立美術館の郷土玩具展示場にも八橋人形が展示されているが、牛に乗った天神さんや右大臣左大臣はいない。大事に残してほしい。

 母はこの時期、「ササマキ」というちまきに似た笹餅をよくつくったものだ。これは笹を三角形にしてもち米を詰めてトシメカラ(いぐさの一種)で結んで蒸すもので、新潟の笹団子と同じ形だが心もち大きい。また、秋田は餡子ではなく黄な粉をまぶして食べる。笹の香りも心地よく残り、端午の節句を一層強く意識させる。
(参照:飯塚喜市ふる里道しるべ・平凡社秋田県の地名・第一法規日本の民族秋田・秋田市史跡めぐりガイドブック)

H26.5月

2014.04.30 | エコムジャーナル

青森だより vol.12

 4月23日の夕刊に弘前城の桜が開花したとの記事が載っておりました。多分、見頃はゴールデンウィークの前半かもしれないですね。少しでも長く、きれいな姿を留めていて欲しいものです。

 話はガラッと変わりますが、今でも日本国内でいろいろな資源が採取されており、秋田市では今でも油田があり、由利本荘市ではシェールオイルの商業生産がスタートしたようです。
 昔は日本各地で炭鉱があり、盛んに採掘されておりました。しかし、時代の流れとともにどんどん閉山されました。私の大叔父も北海道の上砂川の炭鉱で働いておりましたが、中学生の頃遊びに行った時にはリタイアしていました。既に炭鉱は閉山していたのかもしれません。
 それから数十年、まだ石炭を採掘しているところがあることをご存知でしょうか。 実は私がお付き合いさせていただいている会社が今でも採掘しております。石炭のことはよくわかりませんが、石炭にも品質の良い物、悪い物があるそうで、ここの石炭は燃やしたときに硫黄分が少ないため低公害の良い物とうかがいました。
 炭鉱というと古い映画では山に横穴を開けて掘り進んでいくイメージですが、そこの炭鉱は地上から緩やかな傾斜(5~6°)で掘り進み、坑内は東西約2km、南北約4kmと広く、海底下320m付近で採掘しており、世界でも有数の機械化炭鉱とのことです。

 ちなみに、この会社は、もともとあった会社が炭鉱を閉山したため事業を縮小したうえで、地元企業数社で引き継いだ独立系エネルギー資源会社であると、ウィキペディアに載っておりました。
 ホームページを拝見すると、採掘事業のみならず廃棄物中間処理事業やリサイクル事業なども行い、資源開発から資源の有効活用、廃棄物の適切な処理まで一貫して取り組んでおり、「ゆりかごから墓場まで」というフレーズを思い出しました。
 一貫性をもち、持てる技術や人材をうまく活用し、枝葉をつけていくことで、社会のニーズに対応できているのではないでしょうか。
 また、お話をさせていただいた皆様は、とても親切で暖かい人ばかりでした。中には人事異動で、今日までは接客関係の仕事、明日からは採掘での分析関係の仕事、という方もいらっしゃり、多様な業務に携わることで、人材を育てているように感じました。
 興味のある方、ヒントは釧路です。炭鉱の写真を見ることができますよ!

 普段は気づかないけれども。皆様の周りにもこのような良い企業があるかもしれませんね。

 5/31は青森市で自衛隊の市中パレード、6/1は青森駐屯地で訓練展示がありますよ!(T.H)

H26.4月

2014.04.03 | エコムジャーナル

青森便り vol.11

青 森 便 り (第11回)

 

  3月も下旬となり、2月、3月の大雪が嘘のような良い天気がつづき、道路脇の雪もすっかり少なくなってきました。
 青森県での桜の名所としては、全国的にも知られている弘前公園をはじめ大小たくさんございます。時期は大体4月下旬から5月上旬がシーズンとなります。
まずは青森市内から紹介いたしますと、

青森市合浦(がっぽ)公園

陸奥湾に面した海浜公園に約670本の桜と松の木があり、晴れた日中にはピンクと緑と青のコントラストがきれいです。祭期間中は多くの露店が立並び、雰囲気を盛り上げます。
駐車場は有料で、臨時駐車場もありますが、混雑が予想されるときにはバスなどで行かれるほうが良いでしょう。

青森市野木和(のぎわ)公園

青森市の西部にある野木和湖を取り囲んだ公園に桜が約900本あります。露店の数は合浦公園と比べるとはるかに少ないです。遊歩道を歩きながらの花見やバードウォッチングができます。
駐車場はありますが、有料です。

青森市桜川通り

 公園ではございませんが、1960年代に造成された団地でその時に植えられた桜が通りを桜のトンネルに変えます。市内でも早く桜が咲きます。
車からきれいな桜が見ることができますが、ドライバーは安全第一でお願いします。

弘前市弘前公園

約50種の桜が約2,600本あり、長い期間桜が楽しめます。お堀ではボートを漕ぎながら、下乗橋では写真撮影、本丸で宴会、いろいろな楽しみ方ができます。また、夕方には本丸から岩木山がとてもきれいに見えます。露店の数と種類も豊富です。
駐車場は、周辺に公設、私設ありますが有料です。近くに停めることができるかできればラッキーです。また、市内から現地に向かう道路は城下町のため複雑で一方通行もありますので、運転には注意が必要です。

このほかにも、五所川原市芦野公園(津軽鉄道と桜)、十和田市官庁街通り(道100選と美術館)など、まだまだあります。

 
青森県お花見ガイド2014 ホームページ:http://お花見ガイド.jp/pref02/
弘前市 弘前公園 ホームページ:http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/shisetsu/park/
26年3月 (T.H) 

2014.03.04 | エコムジャーナル

青森だより vol.10

 2月の全国的な大雪の影響がまだ続いております。この大雪で被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。これを書いているのは2月下旬ですが、青森市は3月下旬並みの陽気で、とても暖かい日です。幹線道は乾燥路面ですが、道のわきにはまだ雪が高く積まれております。
  
 2月13日に父親が他界いたしました。葬儀の際には、たくさんの参列、お悔やみを賜り、ありがとうございました。

 今回はこのことについて感じたことを書かせていただきます。

 葬儀の準備で弔辞を父の幼馴染の方に依頼することとなり、父に関しての情報を伯父やいろいろな方から伺いました。父が生まれた頃の家の状況、親戚、友人、学生時代、仕事、結婚、趣味・・・。自分の知らないことだらけでした。このことで、ある程度父の足跡はわかりましたが、そこにいたる父の考えや思いまでは、さすがにわからないものですね。
 父の足跡に大きな影響を与えた祖父や兄弟、どのような考えで旧制中学へ入学したのか、自転車店に就職したのは親戚を頼って就職したのかまたは商売として選んだのか、どのような思いで独立し、取引会社をどのような視点で選んだのか。母との結婚や40歳を過ぎてからどうしてバドミントンを始めたのか・・・
 例えば、家業の場合、事の初めは、他愛もない理由かもしれませんが、小さな田舎町では商売を生業にしている人が多い中、自転車修理・販売からバイク・オート三輪、軽自動車・普通自動車と商材が変わり、事業の大部分を「スズキ」と共に歩み、現在にいたっております。商売のきっかけ、商材の選択、取扱メーカーの選択、資金繰り、顧客とのつながり、設備投資、人材雇用等、どのような考えで、どのように対応してきたか。また、親戚との関係など、詳しく聞いておけばよかったと後悔しております。
 元気な時には気にもとめずに当たり前のことと感じていたことを、父の死によりとてもおろそかにしていたことに気づきました。これからは、いろいろな人からお話を伺い、父の足跡に肉付けをできればと思います。

 お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんがご健在の方は、たまにはこのような家族の歴史について聞いておくことをお勧めいたします。

 話し伝えること、聞き覚えることの重要さを実感いたしました。(T.H)

H26.2月

2014.03.04 | 社長だより

社長だより vol.9

【寺内・八橋周辺 その3 史跡秋田城址】

 “寺内の高清水”と言えば、「奈良朝の秋田城址を中心とした史跡群が点在するところ」とぼやっと浮かぶ程度だ。しかし、史跡メモをみながら歩くと、勅使館・神屋敷・高清水霊泉・東門院跡・四天王寺跡・五輪の塔など当時の史跡があるある・・。地名でも綾小路・大小路・五輪坂、また、時の征夷大将軍の坂上田村麻呂にまつわる将軍野・幕洗川・大刀洗川・幣切山などの地名も数多くみられ、史跡丘陵地“高清水”は歴史好きにはたまらないタイムスリップポイントだ。

高清水丘陵

 この地に中央の勢力が直接及ぶのは、大化の改新後の斉明天皇四年(658)阿部比羅夫が軍船180隻を率い秋田浦にやってきたことに始まる。秋田城が最初に歴史に登場するのは、『続日本紀』の天平五年(733)に「出羽柵を秋田村高清水丘に遷し置く」だそうだ。秋田城は最初『出羽柵』という名称で呼ばれ、山形庄内地方から北の“高清水”に移され北辺拓殖基地となった。 

秋田城址

 “高清水”は起伏の多い独立丘陵で、標高は最も高いところで約50メートル。発掘調査から、秋田城址はこのような丘陵地の標高30メートル以上の高所を中心に構築され、二重の囲いからなっている。外郭と呼ばれる外側の囲いは基底幅約2.1メートル、高さ3メートル前後で粘土や砂を交互に叩きしめながら積み上げ、瓦をのせた土塀、京都・奈良の古刹でよくみられる築地塀だ。出入りのための門が普通四箇所に作られるそうだが、秋田城址では東門だけが発見されている。

政庁跡

 東西南北の最も長い直線距離は約550メートル。この外郭に囲まれたほぼ真ん中に東西94メートル・南北77メートルの築地塀に囲まれたところに政庁がある。秋田城の中心的施設で様々な儀式や国内外の使者などの接待を行ったりした場所で、白壁の正殿跡が確認されている。

 斑鳩の里からはるか辺境の地は蝦夷の抵抗、「元慶の乱(774)・天慶の乱(939)」を経て、中世にはその役目を終え、日本海からの強風に運ばれてきた飛び砂に埋められ、人々の新しい営みにより姿を変え、長大な築地塀も白壁の政庁も記憶から忘れられていった。昭和33年からの発掘調査で、律令制度や『続日本紀』の記述を裏付ける貴重な木簡などが多数出土している。
 外郭内に居住していると、秋田城は「もののふ」の砦というよりか雅の文化を辺境の地にもたらしているような雰囲気に浸ってしまう。ことに地平線からのぼる中秋の名月を背景にした東門は一層その趣をかきたてる。今は、雪に朱の門が映え、歴史の悠久さにすっぽり埋まっている。
(参照:金曜会編 史跡秋田城址・飯塚喜市ふる里道しるべ・あなたの知らない秋田県の歴史・平凡社秋田県の地名)

H26.2月

2014.01.28 | エコムジャーナル

青森だより vol.9

 今年の青森市は、寒い日が時折続きますが降雪量が少ないので、幹線道は路面が見えている部分も多いです。暖かい日には濡れ路面が夕方から凍結しアイスバーンになるため、気をつけなければなりません。それでも、雪かきの手間に比べれば、はるかに助かっております。
  下の写真は事務所付近の道路の状況です。昨年ははるかに雪が多かったのですが・・・

1月22日 時折強い雪が降りました 1月24日 夕方でも濡れ路面でした
1月22日 事務所付近 1月24日 事務所付近

青森市で冬のイベントがぞくぞくと開催されますので、ご紹介いたします。
  あおもり灯りと紙のページェント(~2/28) A-FACTORY~アスパム
  キラりんぐ・あおもり(~1/31) アスパム西側特設会場
  あおもり雪灯りまつり(~2/9) ワラッセ西の広場、青森駅前公園(願いの広場)
  
青森市以外でも、魅力的なイベントがあります。
  十和田湖冬物語(2/7~3/2) 十和田湖畔休屋
  弘前城雪燈籠まつり(2/8~11) 弘前城
  津軽鉄道・ストーブ列車(~3/31)

 青森市内は雪が少ないですが、酸ケ湯温泉では例年より雪が多いとのことです。場所によって雪の量が違うようなので、事前に現地の情報を把握してからが良いでしょう。(T.H)

  青森市観光交流情報センター 電話:017-723-4670  8:30~19:00
  あおもり観光情報センター    電話:017-752-6311  8:30~19:00

H26.1月

2014.01.28 | 社長だより

社長だより vol.8

【寺内・八橋周辺 その2 古四王神社】

古四王神社

 寺内というと「古四王さん」を真っ先にあげる人が多いだろう。土崎方面から幕洗川地内経由で旧国道(羽州街道)を秋田方面へ向かうと、ほどなくして高清水丘陵に差し掛かる。 護国神社表参道を過ぎると左側に古四王神社が見えてくる。大鳥居をくぐり、西向きの切石の階段を上りつめると丘陵上に明治三年に再建された社殿がある。境内を取り囲む雑木林からは、南に旧国道、西に旧雄物川河口(現秋田港)、北側には児桜の家並がかいまみられる。その静けさや時折吹き抜ける烈風が揺らすざわめきをきいていると、はるか昔の鎮守様の夢記憶がかすかにみえてくる。

 古四王神社の創建は出羽柵(国指定史跡秋田城址)当時かと推測もされる程極めて古く、奈良朝の昔にさかのぼるが不明。すでに桓武天皇の延歴年間(782~806)に坂上田村麻呂が蝦夷平定の折に立ち寄り再興したと伝えられている。中世には安東氏・秋田氏に、近世には佐竹氏に武人としての崇敬をうけ、近くの住民や遠くの信者からは、単に武人としてのみだけでなく、産土神として五穀豊穣や眼病平癒についてもひろく崇拝された。明治以後、県内ただ一社の國幣社に列せられたのもその歴史を思えば頷ける。

高清水丘陵

 古四王の名の由来は諸説あるようだ。一説は、祭神として祭る大毘古命は「越の国(今の新潟県)」を平定したことから「高志王・越王」からきたとする説、今一つは秋田城内の四天王寺としだいに結びつき寺内鎮守社的なものとなったともいわれる。中世は四天王寺を別当寺とする修験神社となり江戸時代には古四王権現と称され、明治三年に古四王神社となった。

菅江真澄 歌碑

 境内には、高さ2メートルを超えるような黒御影の歌碑がある。菅江真澄が文政4年(1821)正月に詠んで奉った和歌だ。
『ひろ前の雪のしらふゆそのままに手酬るこしのおほきみのみや』とある。さすれば、菅江真澄は古四王の由来を「越王」と考えていたと考えるのは乱暴だろうか。流麗なかな文字で、もしかしたら本人の筆遣いかと思うとぞくぞくしてしまう。

参照 旧國幣社古四王神社由緒(古四王神社)・平凡社刊秋田県の地名・
    金曜会編史跡秋田城址ふる里道しるべ(飯塚喜市編)・あきた青年公論菅江真澄

H26.1月

2013.12.26 | エコムジャーナル

青森だより vol.8

 12月下旬となり、今年もあとわずかとなりました。11月11日の大雪、12月にも寒波が来て、今冬も大雪で悩まされるかなと思っておりましたが、12月の中旬以降は積雪も少なく大事には至っておりません。しかし、日中に雪が解け、夕方にはアイスバーンになるため、運転に気をつけないといけませんね。

 今回は冬の道路についてお話しをさせていただきます。
 積雪により青森県内の一部道路では道路封鎖が行われます。そのため、車での移動距離と時間が増えることになります。
 例えば、青森市から八戸市に移動する場合、夏は八甲田山を通るルートを使えば、2間位で移動できます。しかし、通常使っている道路は冬には封鎖されます。
 そのため、国道4号線かみちのく有料道路を走ることになります。どちらも市内を抜けるのに30分~1時間はかかりますので、その間の状況をみて、国道4号線かみちのく有料道路を選びます。国道4号線は野辺地町までは迂回路が無ありませんし、みちのく有料道路も吹雪のメッカのため、とても選択に困ります。どちらにしても、冬には八戸まで3~4時間は覚悟しておかなければならないでしょう。
 時間に余裕があるときには、国道4号線を走りますが、平内町は吹雪と凍結路面で流れが悪い時が多いですが、コンビニもあるため休憩をとったりすることもできるので精神的には良いです。
 とても急いでいるときにはみちのく有料道路を一か八かで走ることになります。吹雪のメッカのため、視界が悪く、除雪が間に合わないときが多く、吹き溜まりの雪にハンドルを取られながら走るので非常に怖いです。また、避難する場所も限られているので、できることなら走りたくない道路です。
 雪道情報を掲載しているホームページ、“青森道情報”を紹介します。

 最後に、事務所がある青森市里見は住宅街ですが、近くの川に白鳥や鴨?がいました。(Т.H)

事務所周辺 事務所周辺 事務所周辺

 H25.12月

2013.11.28 | エコムジャーナル

青森だより vol.7

 11月11日は青森市で初雪が降りましたが、記録的な大雪で38センチの積雪がありました。道路はシャーベット状態で、車に掻き分けられた雪が道路の真ん中や交差点の真ん中にたまり、走るのが大変でした。2週間位過ぎた今でも、大きな駐車場には、その時の雪が消えずに残っているところもあります。雪の少ない冬になってくれればありがたいのですが・・・

 大雪の前の11月9日と10日、近所の青森産業会館で「2012ぜ~んぶあおもり大農林水産祭」が開催され、二日目に足を運んでみました。
 屋内では、十三湖のしじみ、りんご、ゼネラルレクラーク、八甲田短角牛などが安く売られ、味噌カレー牛乳ラーメン、十和田バラ焼き、十三湖しじみラーメンなどのご当地グルメの飲食コーナーもあり、おいしいものをその場で食べることができました。また、子供達に人気の“ゆるキャラ”、はじめて見る“ゆるキャラ”、大勢来ておりました。時間が合わず見ることができませんでしたが、マグロの解体・即売会もありました。

にぎわい状況 十三湖のしじみ ゆるキャラ軍団
賑わい状況 十三湖のしじみ ゆるキャラ軍団

 雨の中、屋外では肉の串焼き、イカ焼き、フジツボのついた貝の汁物も売られ、傘をさしながら買い物をする人がたくさんおりました。

雨の中の販売所 イカ焼 フジツボの汁物
 雨の中の販売所  イカ焼き  フジツボの汁物

 私は9日のニュースでこのイベントを知り、八甲田短角牛のお肉目当てで行きましたが、ニュースで紹介されたこともあり、直ぐに売り切れとなり買えませんでしたが、しじみ、りんご、ゼネラルレクラークを買い、おいしくいただきました!(Т.H)

H25.11月

2013.11.28 | 社長だより

社長だより vol.7

【寺内・八橋周辺 その1 菅江真澄の墓】

 旧国道を八橋から面影橋を渡って土崎にむかう途中、寺内に入ると“古四王さん”がある。
鳥居を右に見て土崎側に車1台がやっと通れる下りの小道がある。土地の人は“旧羽州街道だ”と言っている。4、5分歩くと、右手に「高清水霊泉」の案内がある。さらに下り、最低部の小川にかかる「伽羅橋(きゃらばし)」を渡るとすぐ右に急な階段が見える。70段近くもあろうか、矢竹を左に見て、登りきると急に東西の視界が開ける。その北東側に菅江真澄の墓碑がある。

 菅江真澄は三河の人で、「江戸時代後期の国学者、紀行家で日本民俗学の先駆者ともよばれる*1」。天明4年(1784)頃来住、「自然・民族・歴史・考古・文学と学問に幅広く、観察力に富み、絵筆を駆使して紀行文や日記、随筆などを書き残した*2」。秋田市内にも秋田県連合青年会が多くの『菅江真澄の道』として標柱に和歌を添え建立しており、歴史を遺す秋田自慢の「散策道」でもある。

 お墓は門人と言われる鎌田家の墓域にある。墓碑をみていると、多くの門人が菅江真澄を前に各地の風俗習慣などを聞き入っている一人のような錯覚におちいる。モノクロのNHK「新日本風土記」をみているようで、豊かな自然と共存していた往時の営みが、幻とも思えないようにみえてくる。墓碑名の周りには流麗な文字が刻まれている。この“一文”をところどころ指でなぞって模写、読んでいるとなおさら静かなざわめきにときめいてしまう。通りがかった旅人も馬を繋ぎ聞き入ることだろう。碑文のわきには、「文政十二年己丑(1829)七月十九日卒 年七十六七*2」とある。
(*菅江真澄の紹介の*1はあきた青年公論 菅江真澄、*2と“一文”は公人の友社 ふる里道しるべ 飯塚喜市編著 から引用した)

H25.11月

2013.10.28 | エコムジャーナル

青森だより vol.6

 9月下旬、児童室のイベントで、子供達と青森市浪岡の工藤農園でりんご狩りをしました。
早稲種のりんご、梨を子供達が楽しそうにもぎ取っておりました。園内には白ぶどう、黒ぶどう、そして、観賞用なのでしょうか、とても小さなりんごもあり、手の届くところにたくさん実っていました。また、せみのさなぎ抜け殻も見つけました。

 りんご  りんご 梨 
たくさんのりんごが! おいしいのかな? 梨も密集しています
 ぶどう  せみの抜け殻 アップルヒルズ 
ぶどうもおいしそう!  久々見ました! アップルヒルズ高台からの眺め

 10月中旬、海上自衛隊大湊航空基地(青森県むつ市)に、ヘリコプター、消防車、管制塔を見学してきました。関係者の皆様、ありがとうございました。
 ヘリコプターはSH60J(護衛艦に搭載され、潜水艦を探知攻撃)、UH60J(災害での救難活動)の2種類を見学。SH60Jには暗闇でも見える暗視スコープなどが装備され、室内は非常に狭く乗員数は3名です。一方、UH60Jは救難用のため10名(担架11名分)が乗ることができ、東日本大震災でも活躍したそうです。また、少しの時間でしたが、SH60Jに体験搭乗することができ、とても感動いたしました。
 40~50m位まで放水できる消防車や特殊なカッターを装備した車両、離着陸には不可欠な管制塔と、普段では見ることができない設備をわかりやすく説明してもらいました。(T.H)

ヘリコプター ヘリコプター 消防車
軍事秘密満載 S坊キャスターも救出! パワフルな放水

H25.10月

2013.10.28 | 社長だより

社長だより vol.6

しつけということ】

校報

H25.10月

2013.09.24 | エコムジャーナル

青森だより vol.5

 青森県内もゲリラ豪雨や台風18号で被害が出ました。被害を受けた皆様、お見舞い申し上げます。大雨に強いインフラ整備を早く進めて、安心して暮らせる環境を作って欲しいですね。

 9月には青森県の太平洋側の十和田市周辺では秋祭りが行われます。既に終わったところ、これからのところもあります。興味のある方は足を運んで盛り上げていただければうれしいです。
 以前は八戸市の三社大祭の山車を借りてきておりましたが、最近は市町村ごとにオリジナリティあふれる山車を製作するようになりました。お囃子も似ているようでどこか違うという感じで、市町村ごとに趣があります。しかし、どこも同じなのは少子化で山車を引く子供が減り、昔のような賑わいが少なくなり、さびしい限りです。

 秋と言えば、やはり食欲の秋となりますが、今年は猛暑の影響がいたるところに出ており、海水温度が高く、秋刀魚の水揚げも少ないと報道されております。早く秋刀魚や鰯のおいしい刺身が食べたいものです。
 しかし、青森県は海産物だけでなく、おいしい野菜、果物、肉があります。例えば、ニンニク、りんご、ぶどう、長いも、牛蒡、倉石牛に短角牛、県南のブランド豚、西海岸のブランド豚もあります。そして鶏肉、シャモロックなど各地でおいしい食材が作られております。そんな中で、私がお勧めなのが馬肉です。
 馬肉はコレステロールがほとんどない美容食で、生でも、焼いても、鍋でもおいしく食べることが出来ます。私が特にお勧めするのは義経鍋(よしつねなべ)という焼肉です。五戸町近辺で食べられておりますが、近隣の人でも知らない人がいるような料理です。由来はいくつかあり、一説では源義経が兜を逆さにし、縁で肉を焼き、真ん中で野菜などを煮て食べたとか。
 私は、肉の片面を焦げるくらいまで焼き、反対側を軽く鉄板に当てて食べるのが好きです。片面が香ばしくサクサクした食感で、反対側はジューシーで、なんとも言えない美味しい体験ができます。皆様も是非食べてみてくださいね。(青森市内でも食べることができますよ!)
義経鍋

どちらの写真も五戸町のお店での写真です。(T.H)

H25.9月