秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

2016.11.01 | 事務美貌録

第十回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★11月号

「マンホール女子」なことを前回の日記に載せたところ、ほんのちょっとですが反応がありました。新しいカラーの小型マンホールが入っている場所を教えてもらったり、珍しいマンホールの蓋の写真をメールでいただいたり・・・

秋田市マンホールカード
  そんな中、この春から始まった秋田市のマンホールカードを入手いたしました。
  秋田市では上下水道局で貰うことが出来ますが、平日のみの配布ですので、なかなか手にすることが出来ませんでした。

  裏には、デザインの由来が書いてあります。
  秋田県ではまだ秋田市のみの発行となっております。北東北を見ても、まだ秋田市のみですので、貴重かもしれません?!

全国でも少しづつ広がっているマンホールカードです。機会があれば、他の市町村のものも集めたいです。
興味のある方は下水道広報プラットホームHP(http://www.gk-p.jp/mhcard.html)まで。

それではお待ちかね(?!)今回ご紹介しますマンホールの蓋はこちらです。

2013年の4月に撮影しました富山市の汚水のカラーデザインの蓋です。

富山といえば、美味しいきときと(※富山で新鮮という意味の方言)な魚介!!標高3,000m級の立山連峰から、一気に水深1,000mの海底に到達する富山湾は「天然の生簀」との呼ばれる多彩な魚種の宝庫。寒ブリに白えびやホタルイカ、忘れちゃいけないますのすし・・・私のオススメは深海魚「げんげ」です。から揚げが最高に美味しくて、コラーゲンたっぷりなんです。
それと同じ位に有名なのが「越中富山の薬売り」。我が家にも小さい頃には富山の置き薬がありました。今でも「富山やくぜん」として富山市内で薬膳料理を提供しているお店がたくさんあるようです。

富山のマンホール

←富山市のマンホール蓋はそんな「くすりのまち富山」に深く関係しているこちらのデザイン

この蓋が採用された当時の市の草花「アザミ」がデザインされています。アザミは薬用効果を持つ植物として知られています。くすりのまち富山にも合っていますね。
私が何より注目したいのは“受枠”です。
受枠にまでデザインされているものは珍しいのではないでしょうか?

8月からはこの蓋もマンホールカードになっているそうです。ぜひ手に入れたい「な」でした。

2016.11.01 | 社長だより

社長だより vol.23

【象潟へ向かう その2 人それぞれ】

象潟 景色①

「曾良旅日記」によれば、芭蕉たちは酒田を出て吹浦につくころ雨が激しく、そのまま吹浦に泊った。翌日(元禄2年:1689、6月17日陽暦8月2日)も雨が強く船小屋に入って休んだりしながらお昼頃、汐越(しおこし:象潟のある村)に着いている。吹浦から三崎まで一里半、さらに汐越まで三里、この間、馬足不通の難所を雨の中午前中歩いている。4㎞を徒歩約1時間と考えれば難所越えもあり計算はほぼ合う。その日は「佐々木孫左衛門方で濡れた着物を乾かし、うどんを喰い*1」、「象潟橋迄行って雨暮気色をみる*2」とある。おくのほそ道では『・・雨朦朧として鳥海の山かくる。暗中に模索して雨もまた奇なりとせば、雨後の青色また頼もしきと・・』、3月27日に江戸・深川を発ち、およそ2カ月半、おくのほそ道全行程約半分、憧れの象潟に着いた。(写真は象潟ICから見た汐越方面、奥は日本海)

象潟橋


天明4年(1784)9月27日、菅江真澄が象潟に着いたときも雨だった。『やがて汐越の浦についた。まず象潟がわずかばかり見えたので・・家のあいま、橋の上などから島がいくつも見えるのを趣きぶかく思っていると、行く人が“八十八潟、九十九森”とうたう。・・ただきさかたの秋の夕ぐれと空を眺めて、この里に宿をとった*3』・・29日、『雨は昨夜よりこやみなく降って、波の音が騒がしい。障子の向こうで女が盃をとり酔い泣きして、つまらぬ戯れごとを言っている・・と、相宿の旅人が集まってむつまじく語りあった*4』。この後、小舟で島めぐりをする頃には雨も上がった。『・・藻を刈る船の集まっているのは、流れ藻を刈って連ね編み、馬の背にかけて寒さをしのがせ、町の人は夜具とするためである。その名をきさかた蒲団とよんでいる*5』、そして鳥海山は富士山の3月末、4月の初めのような「かのこまだらの白雪」などと暮らしや情景を記している。(写真上は象潟橋、たもとに島めぐりの船着場があった)

象潟 景色②

昨年晩秋、私も雨の象潟をみた。泥湯の帰り枯れ模様の山中を下り、しばらくして突然目の前に島のようなこんもりとした森をみた。“あっ、象潟だ!”周りにも大小の森がぼわっとみえる。薄暗くなった夕刻、島に近づくと、象潟だとは分かっていても裏から見るとまるで景色が違う。色がなく、背中に覆いかぶさるような妖気のようなものを感じた。ざわっとし、“早く出よう”としたことを思い出す。

象潟 景色③

「街道をゆく、合歓(ねぶ)の花」項では、『さて私は道路わきの田畑のあぜ道に入ってみた。その田畑は道路より高い。周りを見わたすと、いくつかの“島”がある。どれが能因島なのかはわからないが、いずれも黒松におおわれていて実に美しい。・・実は芭蕉がこの地を去ってから百十五年後の文化元年(1804)6月4日、大地が盛り上がってしまったのである。・・象潟の海の底が2.4㍍も隆起し、陸地になった。当座は、むざんな沼沢地だったらしい*6』とある。菅江真澄が象潟九十九島(つくもじま)をみた20年後に象潟地震で入り江は陸地になっている。芭蕉は島が浮かんでいた入り江を縦横一里ほどといっている。もう一度昔の入り江に戻せないだろうか、とのんきに思う。菅江真澄は『この浦の眺めにはただ心がいっぱいになって、涙ばかりこぼれて、ひたすら故郷のことを思った*7』と、ある。(写真は能因島。芭蕉一行はまずこの島に船を寄せて九十九島見物をしている)

小豆
小豆の花と、周りを片付けた小豆にご対面

裏庭の通路で頑張っていた「ど根性枝豆」は、一人前に実をつけ、本当かな?などと楽しみにしていた。 しかし、あえない最期を遂げてしまった。庭師がきれいに“草取り”をしていた。かわいそうなことをしてしまった。しかし、オダマキの間に1本だけ小豆がかわいい鞘をつけていたのを見つけた。

*1・2 おくのほそ道をたどる(下)井本農一 角川文庫
*3・4・5・7 菅江真澄遊覧記1、内田武志編訳 東洋文庫
*6 街道をゆく二十九 司馬遼太郎 朝日新聞

平成28年11月

2016.10.03 | 事務美貌録

第九回投稿 新・いなさなな日記

いよいよ10月、冬が少しずつ近づいてまいります。冬季スポーツといえば、やっぱりフィギュアスケート!今年は平昌オリンピックのプレシーズン、各選手はオリンピックを見据えたプログラムを用意してくるでしょう。

  さて、フィギュアスケートの歴史的な戦いといえば、2010年バンクーバーオリンピックの浅田真央VSキム・ヨナでしょう。歴史に残る名勝負でした。2人はジュニアのときから比較され常にライバル視されていました。2人とも19909月生まれ、4人家族で姉が一人、姉と一緒にスケートを始めました。身長・体重も同じで、2人とも国を代表する人気選手。一般的に技術の浅田、表現力のキムと言われています。

  結果はみなさんご存知のとおり、キム・ヨナ選手が金メダリストになりました。10点以上差をつけて圧勝、さらに世界歴代最高得点を更新しました。浅田選手にミスはありましたが、そんなに点差がつくミスでしたでしょうか。なぜキム・ヨナ選手は圧勝したのか、ほんのちょっと(あくまでも一ファンとして)お話したいと思います。

 

 浅田選手はシニアに上がってからすばらしい成績を収めていました。しかし、オリンピックシーズンの2009-2010年は不調でした。体が丸みを帯び、身長が伸びていました。女子は1cmでも体型がかわるとジャンプが飛びにくくなると言われます。ジャンプが飛べないままシーズンに突入、オリンピック出場も疑問視されていましたが、全日本選手権で優勝しギリギリ切符を手に入れました。

 浅田選手の代名詞はトリプルアクセル(=3A)、女子選手では世界で一人しか飛べない最高難度の必殺技。そのジャンプをオリンピックという大舞台で1試合に3回も飛ぶ快挙を成し遂げました。(ギネスブックに登録されています。)具体的には、ショートプログラムの初めの連続ジャンプで10.10点獲得しています。キム・ヨナ選手はトリプルルッツ(=3Lz)の連続ジャンプで12点を獲得。あれ?何かおかしくありませんか?最高難度のトリプルアクセルより難度の低いジャンプに高い得点が出ています。ジャッジのミスでしょうか?いいえ、ジャッジミスではありません。これが現行制度のカラクリなのです。

ジャンプは基礎点に評価点を加算して算出されます。

 基礎点評価点合計
浅田3A+2T

9.50

0.60

10.10

キム3Lz+3T

10

2

12

 トリプルアクセルは最高難度である故に厳しくジャッジされてしまい、得点が伸びにくいのです。では、トリプルアクセルを回避して、トリプルルッツで勝負すればいいのではないかと思いますが、当時の浅田選手はルッツジャンプを苦手としていて、試合に入れていませんでした。だからこそトリプルアクセルに掛けるしかなかったのでしょう。

 対してキム・ヨナ選手はトリプルアクセルを飛ばず、次に得点の高いルッツジャンプで手堅く得点を積み上げ、オリンピックという舞台で完璧な演技をし、優勝しました。つまり、現採点方式を徹底的に分析し、トリプルアクセルを飛ばなくても勝てるプログラムを作り、それを実現したのです。 

まだまだ話したいことは山ほどありますが、そろそろ時間が迫ってきました・・・

昨年、復活した浅田選手。平昌オリンピックを目指すと公言しましたが、一ファンとしては、彼女のスケート、彼女の笑顔を見られるだけで幸せです。今シーズンもテレビの前で応援しています!!以上 2番目のなでした。こちらの書籍を参考にしました。

2016.10.03 | 社長だより

社長だより vol.22

      【象潟へむかう その1 人それぞれ】

海
海2

 酒田から帰る時、吹浦(ふくら)に差し掛かれば、象潟を目指し いた芭蕉がここで風雨にあい、そのまま泊ったことを想う。翌日、 (元禄2168981日)「酒田の湊より東北の方、山を越え、 磯を伝い、いさごをふみて、其の際十里、日陰やゝかたぶく比、汐 風真砂を吹上、・・*1」と“おくのほそ道”にある。“東北の方を 通れば大幅に回り道のはず、そんな道を選ぶわけはない。できるだ け最短であろう、東北とは菅江真澄(*4)の言う剣竜山を指すの だろう”。吹浦を通れば決まってそんな思いになる。写真上は県境にある三崎 山から見た、海沿いの難所。そして象潟へ続く砂浜、下は曾良(そら)と通ったであろう三崎山の峠道。道幅は一人がやっとだ。ここを歩いたんだ・・・

岩
服

実際、芭蕉の時代の旅はどんなものだったのか?古い股旅物映画しかイメージは湧かないが旅支度は「紙子一衣(左)は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ※2」とある。しかし、長旅、それも未知の土地へともなれば細々あるだろう。

 必要最低限のものは身に付けて行くとすれば、「扇子、針と糸、懐中鏡、日記帳、櫛、鬢付け油、提灯、ろうそく、火打ち道具、懐中付木さらに頭巾・  風呂敷・足袋、脚絆、枕、雨具、草履、傘、箸、茶わん*3」など何も持たずにぶらり気ままな旅を楽しむなどは到底できないことは確かだ。雁風呂の心持があったと思う。 

 秋田は日本一多い国指定重要無形民俗文化財を誇るが、菅江真澄がした紀行文のおかげと言われる。『秋田のかりね*4』(天明49 ~12 月)925日(雨)に「剣竜山を下って、しばらくのうちに吹浦という磯の館につく。人の往来が繁かった。ここの関所に入り、田で用意した関手形を改めて旅人を通している。島崎の浜、滝の浦を歩いて女鹿の関に到り、関手形を渡した。椿ばかり生い茂る岩面の道に入り、やがて下って三崎坂に出た。・・*4」とある。この三崎山周辺『有耶無耶の関(うやむや)』があったようだがはっきりとしない。椿ばかりというが、これはタブの木と思う。藪椿も見えるが、北国には珍しいタブの自生の林だ。菅江真澄も芭蕉が通ったこの道をたどったのだろう。それにしても、紀行文にあるその土地の暮らしや習慣・行事など克明な記述と風俗・民具のスケッチには舌を巻く。そして、内田武志の編訳も年表・行程(左)  などが付記され実に編集が丁寧だ。

本

  司馬遼太郎は、秋田空港(旧雄和町)から画家の須田剋太と個人タクシーで、象潟に向っている。「街道をゆく 二十九」に次のように書いている。『・・いっそもっとみなみにゆき、南の県境近くの象潟の蚶満寺(かんまんじ)を訪れようと思った。「よほど距離がありますか」「一時間ほどすこしかかります」「きさかたへゆくか」と、つぶやいた。・・・さらに南下して金浦(このうら)という浜辺の町をすぎるころから、左側の地形が、陸であるのに海であるかの印象をあたえはじめた・・*5』この後、蚶満寺の熊谷住職さんとの話などが始まるが、秋田の人にはことのほかこの風景描写、実によくわかる。

 私にとって初めての名勝象潟は秋田市立土崎小学校5年生、秋の旅行であった。汽車、(SL)で向かったと思う。象潟は羽越本線だからきっと秋田駅で乗り換えしたんだろう。“独特な島”の印象はその時から畏敬の対象として特別な感情が今も続いている。

*1  おくのほそ道をたどる(下)象潟 井本農一 角川文庫
*2,3 國文學 おくのほそ道とは何か 第34号巻6号 森川 昭 學燈社
*4  菅江真澄 遊覧記1、内田武志編訳 東洋文庫
*5  街道をゆく二十九 秋田県散歩 司馬遼太郎 朝日新聞

 

2016.09.01 | 事務美貌録

第八回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★ 9月号

秋田音頭という民謡に『秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ』という歌詞があります。子供の頃から幾度となく聞いた歌詞。思い立って夏休みに大館に行ってきました。
 
大館に行った日はゼロダテ美術展2016(http://www.zero-date.org/index.html)が開催されており、街に石で作った大きな秋田犬がおり、様々なイベントが開催されていました。
そして秋田音頭の歌詞に出てくる『大館曲げわっぱ』の体験工房(http://odate-magewappa.com/)に行きました。
ここでは丸弁当箱、七寸盆、パン皿から選んで実際に曲げわっぱの製作体験ができます。

秋田犬(石造)
曲げわっぱ(体験工房)
曲げわっぱ(体験)

伝統工芸士の先生に教わりながら丸弁当箱の製作体験をしました。底板と蓋板をつける作業なのですが想像以上に難しく悪戦苦闘しながらも楽しく作業をしました。

曲げわっぱ(体験)

曲げわっぱ弁当箱には吸湿性でご飯が美味しくなるという利点があります。しかしよく乾燥をさせないとカビが発生しやすいそうです。製作した次の日に早速炊きたてのご飯を弁当箱に入れお櫃代わりに使いました。冷めてもご飯が硬くならず木の香りがしてとても美味しかったです。
近年、曲げわっぱの良さが見直されており、体験工房には首都圏からも体験にいらっしゃるそうです。先人達の知恵と技に感謝をし、この伝統工芸品を子供達に伝えていきたいなと思った【さ】でした。

By 『さ』

2016.09.01 | 社長だより

社長だより vol.21

ど根性枝豆

【ど根性枝豆】

自宅が丘陵地にあるためか、庭にスズメ・シジュウカラ・ヒワ・キジバト・ムクドリ、春はよくメジロ・ウグイスを見かける。晩秋にはキツツキ類のドラミングも聞こえる。キジも年に何回か裏の椿に泊っているようだ。賑やかな声が聞こえてくる時、そっとガラス戸を開け小豆や大豆の虫食いをまいてやる。その時は一斉に逃げてしまうが、次の日はほとんどなくなっている。ところがある日、庭の通路に枝豆らしきものが生えてきた。もう1か月ぐらいもなったろうか。背丈は伸びないがまだ生きている。名付けて「ど根性枝豆」。この後どうする気なんだろう。興味津々だ。

豆

今年の家庭菜園、“手入れが楽だ”、だけの理由で「豆13種」植えてみた。今のところ上の三段プラス枝豆の収穫が終わったが残りはこれからだ。どんな食べ方をするかもわからず植えたが、しかし、植え付けに大きな問題があった。芽が出てきたときは楽勝のつもりであったが、『背丈の高いもの・低いもの、つる有り・無し、さらに自立するもの・しないもの』と“やちゃくちゃない。”今一番心配なものが紅平豆。この丈が10センチそこそこ。両畝には70センチもあろうかという青黒と秘伝がのしかかっている。草刈りをして初めてそのことを知った。

赤飯に使う天こ豆の花
赤飯に使う天こ豆の花

この紅平豆、さらに実のつけかたが悪い。来年は心して植えてやろう。その他の豆も収穫が待ち遠しい。煮物か塩ふりか、ことこと砂糖で煮ふくめるのか、楽しみだ。と言っても家内に頼むのだが・・・。    

赤門を前に、太平山に入道雲
赤門を前に、太平山に入道雲

今年は真夏日が続く。それでもこの頃、夜更けの虫の音が一段とはっきりとしてきた。時折、顔に涼風が触れると季節の移り変わりを感ずる。『夜の秋』がきた。金田一晴彦の「ことばの歳時記」、8月19日に『けさの秋』がある。“朝起きて、庭におりてみると、もはや夏のものとは思われないような涼風が立ち・・”と、虚子の『土近く朝顔咲くや今朝の秋』を紹介している。俳人ならではの繊細な感覚だ。近寄る秋に思わずほっとするが、過ぎゆく季節に思いが遺っただろうか。

平成28年9月

2016.08.01 | 社長だより

社長だより vol.20

【文房四宝 その3】

 東京在住の方から『おつえと信助の「TO BE CONTINUE」』、続けて、『筆職人信助の作る立派な筆、しかしながら文房四宝のうち使っていくと価値が落ちていくのは筆。鑑賞するには筆毛の管理が大変。墨や硯と筆の違うあやうさ、はかなさを藤沢周平は男と女の間に象徴的に潜り込ませたのでしょうか。はたまた墨に染まった筆毛はもう元には戻れないのか・・』とメールを頂戴しました。

 実は、小説の終盤に「信助の届けた筆をおつえが手入れを怠ったため虫食いでボロボロになり、筆を折ろうとしたこと、信助との間が終わったとして泣きつくしたこと、この筆に“輝くようだった若い時分の残光をみて”過去の思い出として大切に保管しようとした」ことが書かれています。そして、結びは、間もなく人手に渡る『暗く長い廊下を歩きながら、おつえは夫に優しい言葉をかけてやりたい気持ちになっている』で終わっているのです。この時の情景を中一弥の挿絵がすべてを呑み込んだかのようにしっとりとラストを飾っています。

 実際の挿絵は“てぷっとした”夫が行燈の前に紋付羽織を着て力なく後ろ向きで酒を飲んでいる。おつえは立ち上がって背中合わせだが、声をかけようかと切れ長の目で夫の背中を見ている・・・そんな情景を想像してください。引用は昭和54年5月号太陽特集小説 藤沢周平 歳月より。

ムクゲ、クチナシ、のうぜんかずら
今時の花木(左から)  ムクゲ   クチナシ   のうぜんかずら

 ムクゲは八重の赤紫、一重の赤紫と白の3種がある。クチナシは冬囲いをしてやるのだが毎年春に殆ど葉を落とし、心配させるが新芽を吹きだし、甘い香りの真っ白な花を咲かせてくれる。のうぜんかずらは父の大好きな花の一つ、前の家にあったものを銀杏ごと移植したもの。高さは5mもあろうか、土崎の曳山あたりに咲き始め、本格的な夏到来を教える。

印材

 私の文房具の中で心残りの硯がある。厚みが5センチぐらいで何の飾りもない手のひらにすっぽり入るような楕円の端渓だ。艶やかながら深みのある漆黒。目の前から見えなくなって20年にもなる。どこに去(い)ってしまったのだろう。墨色の中を流れてゆく私の思いは届くのだろうか。墨色というと福島弘樹さんの文鎮(氏のオブジェとしての芸術作品だが、勝手に私が文鎮と言っている)がある。鉄と銅の合金だ。印材と一緒に眺めていると金属ながら優しく話しかけてくるような温もりを感ずる。

印影

 印影も実に面白く和やかさを与えてくれる。写真は私と母(夕子)の朱文の印影。どちらも40年近く前、専門家に篆刻してもらったものだが気に入っている。白文もあるが、「嘉」の字が「由」で届けられ、お蔵入りしている。秋田の長い冬の楽しみは篆刻にして印譜でも作ろうか。書もいいが、印影の自由奔放さは人に見せることもなく気楽で楽しい。書や日本画の展覧会に出掛けても白黒と余白に朱の印影はことさら気になる。

文箱

 文箱の蓋を開けて、いざ写経、準備はできているがその気になって心を摩っている。これを幾度となく繰り返しているのだからいやはや何とも滑稽な話だ。印肉は丸い磁器製の印池に入っている。ふたの裏に光明朱砂印泥、一両(四文匁:よんもんめ)とある。水滴・筆洗・筆架・印材・筆筒・鎮紙(文鎮)など眺めて愛らしい文房具は、私のような凡人には憧れへの思索に欠かせない道具たちだ。(文房四宝おわり) 

 平成28年8月

2016.08.01 | 事務美貌録

第七回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★ 8月号

8月に入り、いよいよ夏本番になりました。 熱中症で救急搬送される人も増えているようです。
くれぐれも体調管理には気をつけ、暑い夏を乗り切りましょう。

夏といえば、花火やお祭りが頭に浮かびます。秋田の夏祭りで有名なのが『竿燈まつり』です。
 竿燈まつりは東北三大祭りの一つで、260年以上の歴史をもつ国重要無形民俗文化財です。毎年8月3日~6日の4日間開催され、夜に行われる≪夜本番≫と、昼竿燈と呼ばれている≪妙技会≫があります。妙技会というのは、大若・小若・囃子方それぞれの部門に分かれ、技を競い合うもので、絶妙なバランスで竿燈を手や肩や腰や額などに移し替えたり、花傘や扇子を使ったスリリングな妙技を見ることが出来ます。私は、妙技会を見たことがないので一度見てみたいと思っていました。今年の妙技会は、8月4日~6日まで行われるとのことなので、是非行ってみたいと思います。

竿燈そのものを見るのも楽しいですが、お祭りと言ったら⇒屋台!!ではないでしょうか。美味しそうなものがたくさん並び、どうしてもそちらの方に目がいってしまいます。ご当地グルメフェスティバルも開催されますので、そちらも要チェックです。

秋田竿燈まつり 公式WEBサイト
http://www.kantou.gr.jp/index.htm
ご当地グルメフェスティバル
http://www.akitacci.or.jp/bfes/index.html

観音


話は変わりますが、先日岩手県釜石市にある「釜石大観音」というところに行って来ました。
三陸海岸の海沿いにあるとても大きな観音様。高さ48.5mもあるそうです。
いつか行ってみたいと思っていて、先日それが実現しました。
魚を抱いているので「魚籃観音」とも言われているそうです。
観音様の内部にある、約200段のらせん階段を上っていくと・・・釜石湾を一望できる展望台に着きました。

皆さんも近くに行く機会がありましたら、是非寄ってみてはいかがでしょうか。

上からの眺めは絶景でした。

海

By 2番目の『な』

2016.07.01 | 社長だより

社長だより vol.19

【文房四宝 その2】

信助

 『「こんなことになるんだったら・・・」信助がうつむいて、低い声で言った。「いや、こうなるとわかってたら、あのとき…」「だめよ」おつえは鋭い声でさえぎった。「それを言っちゃだめ、信助さん」町にたそがれ色がたちこめるころ、おつえは妹の家を出た。~ 信助が言いかけた言葉を思いだしたとき、おつえは不意に目に涙があふれ、頬を伝うのを感じた。信助が何を言おうとしたかはわかっている。だが、過ぎた歳月は、もう取り返すことができないのだとおつえは思っていた。』
(昭和54年5月号太陽”特集小説 藤沢周平 歳月より、挿絵:中一弥“)

引用の部分は、おつえが妹のさちと信助が暮らす裏店に初めて出向いた日のこと。さちが二人の関係を知ってか知らずかお茶菓子を買いに出て二人だけになった時の場面だ。おつえが嫁いだ材木商上総屋が間もなく人手に渡ろうとしている間際だった。挿絵は信助。

 墨というと先ごろ亡くなられた富田勲さんの、NHK新日本紀行のテーマソングと共に紀州で裸一貫、真っ黒になり墨を練るあの光景を思い起こす。墨は松煙墨に限ると聞くが、あまりの重労働で昭和の三十年代でほぼ松を燃やす煙は消えたそうだ。手元にある墨は油煙墨だろう。ナタネ油を燃やして煤をとったものだ。しかし、まだ摩っていないこの墨(写真上段の左端)は価格から見て松煙墨かもしれない。購入した時、産地を聞いておけばよかった。

墨

 墨は乾いてから、働き時が30~40年後に最もいい色が出ると言われる。さすれば今がちょうど摩り時だ。しかし文箱から漂う墨の香は何とも落ち着くのである。あと何年生きられるかわからないが心を摩ることに徹したほうがいいのかもしれない。気に入った相性のいい硯でゆったりと紙に向ってこの墨を摩っている自分を思うと楽しくなってくる。墨は摩ればなくなるが墨色として残る。黒色ではあるが様々な墨色に思いを馳せるとますます楽しみになってくる。現代の名工、墨匠 港 竹仙の手になる墨跡を見たいものだ。きっと私はこれからも目肥えを楽しんでゆくのだろう。

紙

 友人からお膳を譲り受けた。お膳を包んでいた袋紙、厚手ながらごわごわ音もせずしなやかで感触は布だ。輪島と「印」があるので地域は離れているものの、越前和紙か若狭和紙と勝手に思っている。一方、この存在感のある「印(6×9センチのほぼ黄金比)」が読めない。気になる。読める人はきっと川連(かわつら)だ。「川面漆器伝統工芸館」に出かけた。訪館は初めてだ。おさえがちの外観とは違い一歩はいると穏やかな華やかさに気分が高揚する。玄関ホールに水滴の入った硯箱が展示してあった。蒔絵もいいがデザインが繊細で透明感がありことのほか上品だ。簡単にお断りされるかなと思いながら「印」を読んでもらった。“詳しいことはわからないので理事長に聞きます”とのこと。日曜にもかかわらず、ものの数分である理事の方に駆けつけていただいた。お膳を一目で“『本物の伝統輪島塗です。時代は大正あたり、読み方は「朱(しゅ)の方が、ろいろ とぎだし、とくさん ぬのきせ ほんかたぢ」』”、併せて製法も丁寧にお話しされた。数週間のもやもやが氷解した。館員の方々にも随分とお世話になった。もう一度ゆっくり訪ねてみよう。

紙束

 左の紙束は茶箱に残された半紙。半切も相当数ある。シミがはいらないようたまに取り出しては眺めている。半紙の中には、画宣紙(がせんし)の他、○○さんからのプレゼントと書いたものがある。懐かしい方の名だ。「手すき、雁皮(がんび)、シミなし」などと書かれたものもある。きっと大事にしまっていたものだろう。『奉書紙』や『鳥の子紙』と思われる紙もある。このまま残してももったいない。寝室の障子に張ったらさぞかし贅沢だろうなあ。

平成28年7月

2016.07.01 | 事務美貌録

第六回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★ 7月号

先日の朝礼スピーチで、気になる話題がありました。小学校の運動会で、住民からの苦情により、狼煙(※)やスターターピストルが使用できなくなったという内容です。都会の住宅密集地であるならまだしも、秋田市といっても田畑も散在する小学校においてそんなことがあるとは思いもよらず驚きました。
子供の頃を思い出すと、朝一番に運動会の開催を知らせる狼煙を聞いて、ワクワク・ドキドキしたものです。徒競走ではピストルの音が恐くて苦手でしたが、観戦している家族にも届く音ですから、そのほうが都合が良かったのだと思います。かの小学校はピストルの変わりに笛を使用するそうですが、グランド全体に音が響くのか気になります。

私の子供が通う小学校では狼煙も上がり、スターターピストルも使用していましたが、今一つ物足りない、盛り上がらないなと思ったら、後でBGMが無かったことに気付きました。“天国と地獄”といった定番のクラシックのBGMが流れていないだけで高揚感が半減するものだなと思いました。なんとも寂しい限りです。

万国旗

これと対照的なのが、息子の通う保育園です。狼煙こそ上げないものの、スターターピストルはもちろん、BGMも流れていますし万国旗も飾っています。保育士による戦隊ショーまであります(写真)。聖火台もありまして点火を園児代表(年長組)が行います。そして一番特徴的なのが、家族揃ってのお弁当です。お昼はグラウンドで皆で一緒に食べるのが園長先生のこだわりなんです。そしてお昼を挟んで午後はリレーで盛り上がるというのが慣習です。外で行うのが前提なので、当然天気に左右されます。毎年予備日を設けているのですが、微妙な天候の時は、実施か延期かで気を揉みます。

戦隊ショー

数年前、事情があって止むを得ず体育館で実施したことがありました。室内は狭いこともあり、お弁当無しの午前中で終了しました。何とも味気ないというか簡単な運動会のように感じられました。確かに朝早くから、家族全員のお弁当作りや会場設営など準備は大変ですが、終わった後の充実感・満足感は、体育館の比ではありません。後で思い返してみても、グラウンドで実施した運動会のほうが内容をよく覚えていて記憶に残っています。

何でも簡単に手っ取り早く済ませることが必ずしもいいこととは言えません。料理でもひと手間かけると美味しくなると言います。母がよく、「子供には出来るだけ手作りの食事を作ってあげなさい。」と言っていたのを思い出しました。忙しさにかまけて簡単に済ます度に反省しきりですが・・・。
最近、自宅近くの神社から竿灯のお囃子が聞こえるようになってきました。お囃子の練習が始まると、もう1ヶ月ほどで竿灯が始まって夏も本番だなと感じることができます。
どうかこの音に苦情の来ることがありませんように・・・。

※狼煙・・・運動会などで使われるのは、音しか出ない花火だそうです。ここでは子供の頃から慣れ親しんだ呼び方で“狼煙”としました。

by 「I」

2016.06.01 | 社長だより

社長だより vol.18

【文房四宝 その1】

中一弥

 『・・・硯箱は黒漆に、日輪とまさにとび立とうとする鶴を、金、銀と朱漆で描いた蒔絵細工で出来ていた。蓋を開けると、おつえはその中の筆を一本取った。軸は珍しい斑竹で、筆毛は実家の兄の見立てでは、信濃産の馬毛を使っているらしいという。品のいい巻筆だった。・・・』
(引用は昭和54年5月号太陽”特集小説 歳月より、挿絵:中一弥“)

 これは藤沢周平の「歳月」という特集小説の一節。読んでいると情景が想いにすっと入り込み心が揺れる。そして、いつも結末を期待させるが、気持ちにうるおいも残さず現実には逆らえないはかない余韻だけを残す。
挿絵は、「おつえが嫁入りの三日前に、幼なじみであった信助が冒頭の筆を届けてきた時、“心も添えてきた”ことを感じ、追い掛けたが会えず、力なく欄干に手を伸ばすシーン」のようだ

 宋代の蘇易簡(そいかん)は文房四譜という書物を遺し、同じく宋の蘇東坡(そとうば)は“人、墨を摩らず、墨、人を摩る”と言ったそうだ。共に一千年も前の中国に遡る。解説は誠におこがましい。文房四宝(ぶんぼうしほう)という言葉はその時既に定説であったらしい。文房至宝あるいは文房四友とも言われるが、文房は文人の「書斎」であり、四宝は「筆・硯・墨・紙」を指す。

筆

 習字は小学1~3年の頃、有坂先生という70歳代の方に手ほどきを受けた。楽しみは“お稽古”が終わった後のお茶おきにのらない白く固まった羊羹の端っこだった。中学になりお習字を忘れた頃、親の勧めで石田白樹先生(元秋田大学助教授、県文化功労者)のもとに通った。当時の先生の半紙・条幅の手本が今も残っている。上品でゆったりとしたふくよかさに『太宗の書』が浮かぶ。
あれから50年以上になった。ほとんど筆も握ってない。写真は母親が六十の手習いで使ったもの。大半は羊毛筆だが、よく柔らかい筆を使っていたものと思う。羊毛筆は首から脇の下にかけた山毛がいいらしい。また、良い筆は穂先が飴色と聞いていたので数本贈っているだろう。しかし、どれも未使用だ。筆箱をあけるたびに小筆で“写経を想う”のだが未だ果たせないでいる。きっと両親も待っているだろう。筆は使い込めばその良さがわかるという。今もなんとなく穂先をつかい、腹をつかう感覚はあるが、指で顔真卿(がんしんけい)の「之や大」の字をなぞるだけだ。まだ、紙に向うほど胆力はない。「弘法は筆を選ぶ」まで相当に時間がかかる。

硯

 硯をみていると、自在な運筆をものにしている自分が浮かぶ、と言ったら笑われてしまう。しかし、硯のしっとりとした質感に不思議な安堵感がある。日本の武家社会での論功行賞は領地がほとんどと思うが、古来中国では硯こそが皇帝から下賜されていたという。その優れた硯の代名詞が「端渓」(たんけい)と言われる。紫を基調にして黒、青、紅・灰褐色など様々な色彩があると言われ、「紋様・斑紋や眼」などを持っているものもある。写真は端渓といわれて求めたものだが、全体が暗紫赤褐色で陸(おか)の右下に落款のような「赤い眼」を持っている。肌は手になじみ、つい文人の夢を見てしまう。端渓の他に雑誌でしか見たことがない幻の洮河緑石(とうがりょくせき)、蘭亭硯(らんていけん)など艶やかな風格を持つ硯を是非拝見したいものだ。

陶磁硯


  一昨年、新秋田県立美術館長の平野庫太郎さんの手になる陶磁硯に出会った。“これが陶器のすずりか!”。硯は「石」という思い込みもあったが、文房を書いた雑誌をみると、「墨を摩れるものすべてが硯」、そして、日本に優れた硯石がなかったので陶硯が非常に多かったことへの記述もあった。到底文人を夢見ることは無理だ。写真は平野さんの『輪花文(りんかもん)、辰砂釉(しんしゃゆう)硯(直径は約13㎝、陸の直径は8㎝)、右は辰砂釉水滴、直径約6.5㎝』。摩ってみたい気もあるが、心を摩った方がいいようだ。

平成28年6月

2016.06.01 | 事務美貌録

第五回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★6月号

実は私、最後の「な」は「マンホール女子」なんです。 私が弊社で初めて配属されたのが建設資材部でした。
建設資材部では杭打工事や、コンクリート二次製品、下水道資材などを取り扱っているのですが、そこでマンホールの蓋と出会いました。

最近では「マンホール女子」という言葉がある程、人気も出てきたマンホールの蓋。 各自治体によってデザインが違ったり、用途によって微妙な違いがあったりします。

今回は私の好きなマンホールの蓋ベスト3(秋田編)を紹介します。

☆第3位☆ 秋田市集排  

秋田市といえば竿燈マークの蓋なのですが、こちらは農業集落排水の蓋でホタルがデザインされています。幼い頃、ホタル狩りに行ったことを思い出します。

マンホール 3

☆第2位☆ 北秋田市阿仁 親子熊の親子蓋

親子蓋はφ900の大きな蓋(親蓋)にφ600の普通の蓋(子蓋)が入っています。 マタギで有名なこの地域の蓋には熊の親子がデザインされています。

マンホール 2

☆第1位☆ 北秋田市阿仁 根子 にある『農集』

この地域に受け継がれる根子番楽がデザインされています。 これは、その番楽を見に行った時に撮影しました。 国道から細い長いトンネルを抜けると現れる擂り鉢状の地域が根子です。 空気も違ったものに感じました。

マンホール 1

農集(農業集落排水)の蓋は面白いデザインのものが多いのでぜひ探してみてください! 私は、東由利の農集の蓋(かわいい牛さんがデザインされています。)を探してみたいです。

以上、マンホール女子の「な」でした。

2016.05.09 | 社長だより

社長だより vol.17

【大豆と小豆(あずき)その3】

雲平鯛

 出張先に“お菓子の鯛が届いています”とのこと。聞き直すと“馬口労町のお菓子屋さんから、私へ、と1枚多く作った”由。“雲平鯛だ”。老舗のこだわりにあれこれ思いをめぐらし帰社した。ずしりと重さを感ずる。家で計ってみると450グラムピッタリだ。旬の桜鯛のよう、いや雲平桜鯛だ。生きているようなしなやかさがある。餡子は小豆から手抜きのないしっとりとした晒し餡。普段食べない家内までも“この雲平はおいしい”と一緒にいただいた。
依頼主の心遣いの祝い事に思いが馳せる。

 一方、なぜこの雲平鯛の頭が右向きなのか気になる。店主に伺っても、“この跳鯛(はねだい)は昔から作っているので”と、理由はわからない。それにしても見事な彫型だ。精緻な手仕事には驚きだ。秋田で彫れる職人は先ごろ絶えたそうだ。
 箱詰めは同老舗の祝い用料理菓子で、結婚式の引き菓子だ。これだけ見後な引き菓子は見たことがない。「鯛は生雲平、エビとサザエと巾着は煉切り、かまぼこは波をあらわした雲平、羊羹は白小豆を水色に染めたもの」だそうだ。“こんな引菓子を注文したい”。

椿

 風薫る五月。遅い春を告げた椿も散りだした。“今年は「椿餅」を食べなかったなー・・・”写真は藪椿に絞りと白を接ぎ木した父の自慢の一品。今年も咲いたよ!
 花岡謙二編の日本植物歌集、椿の項に、正岡子規・伊藤左千夫・与謝野晶子・若山牧水・北原白秋・岡本かのこと並んで、嬉しいことに“平福百穂”の名がある。『くれなゐの道はかなしも玉椿ぬれ葉のかげにふふみけるかも』と。

 ところで、独りよがりの甘味C級グルメ3品。
『向能代の羊羹、かまだの酒饅頭、後三年道の駅雁の里おやき』
羊羹は亡くなった先代にごちそうになったもの。大釜についた羊羹の「こげ」で、木べらで削いで“まず、食べてみれ!”と。しつこい甘みもなく小豆の味そのもの。小倉羊羹のような小豆が切り口に当たりうす白い潤みを帯びて見える華やかさはないが、今も先代のもてなしが舌に残る。
 酒饅頭は昭和30年過ぎ、秋田駅前の元金座街と呼ばれた商店街にあった食堂の酒饅頭。(数年前廃業)テレビの出初めに家族四人市電に乗って出かけ、食堂で酒饅頭を食べながら相撲を見るささやかな団らんであった。湯気の中に納まっている酒饅頭。芳醇な酒の香りは今もって類を見ない。
 おやきは製造者が二人だが、形が“ごろっ”とし、皮が米粉の方だ。棚に見えなくなり、店員に聞いたらおばあさんが亡くなったと聞く。私流の食べ方は、冷凍後オーブンで表面をこんがりと焼いて食べるというものだ。皮は香ばしく熱々で、粒餡は冷たく絶品だった。
 残念ながら3品、いずれも今は手(口)には入らない。

平成28年5月

2016.05.02 | 事務美貌録

第四回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★5月号

はじめまして。いなさなな日記の末尾より2番目の「な」です。
4月上旬、あるコンビニでスーツ姿の男性数名を見かけました。晴れやかな表情に、真新しいスーツ姿、一目で新入社員だと分かりました。フレッシュという言葉がぴったりで、見ているこちらが微笑んでしまいます。これから社会という航海に出る彼らに、ガンバッテとエールを送りたいです。

弊社でも中途採用で25歳の新人が入りました。芸能界に憧れて東京の芸能事務所に飛び込んだ経歴があります。背が高くて、ルックスも良い、いわゆるイケメンです。今後、どのような活躍をしてくれるのか楽しみにしたいと思います。

さて、GW最中です。今年は2日休めば10連休という大型連休。予定がある方もそうでない方も無事故で楽しく過ごしていきましょう。

先月、仙台の宮城県立美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチと“アンギアーリの戦い”展」を鑑賞してきました。日本初公開の絵画や現地美術館内の写真、ダヴィンチの多才な才能を紹介するコーナーがありました。教科書に載っていた作品もあり、貴重な品々をじっくり堪能してきました。興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

http://davinci-mmt.tv/

今春は、「もうひとつの輝き最後の印象派」(秋田市立千秋美術館)

http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/ss/senshu-art/default.htm

「江戸の遊び絵づくし展~おもしろ浮世絵ご覧あれ!~」(横手市秋田県立近代美術館)

http://www.pref.akita.jp/gakusyu/public_html/

という面白そうな絵画展が続きます。芸術の秋ならぬ、芸術の春を満喫したいと思います。

2016.04.06 | 社長だより

社長だより vol.16

【大豆(だいず)と小豆(あずき) その2】

春欄

 春蘭が人知れずひっそりと花芽を持ち上げ始めた。もう40年も前に西目町の砂防林から採取したものだ。地味だが花の形は目をくぎ付けにする自己主張がある。トロ箱2箱を会社に持ち帰ったらあっという間に空になっていた。兄弟たちは元気でいるだろうか。
 馬酔木(あせび)の花も目立たないが、一雨来るといっそう我もわれもと芽吹き、春の移ろいにうきうきさせられる。中でも、毎年秋に頭を刈り取られる“ねこやなぎ”。私は“めめんこ”と呼んでいるが、柔らかな銀色の産毛は子供への記憶をたどる。

 ある日の昼下がり、いきなり“70円ですか?90円ですか?110円ですか?”“えっ”なおも電話の主はたたみかけてくる。“山吹饅頭です!”頭の中が混乱する。さらに“葬式饅頭とも呼ばれているそうです、いいんですか?お土産にも使われています”とのこと。単語の連発。脈絡がない。ますますわからなくなった・・。いずれにしても食べないことを頑なに守ってきた葬式饅頭。“あなたに罪はないが私は知らずに食べていたのか?”

雲平鯛

 この饅頭の存在を知ったのがにかほの絶品醤油ラーメン店、飛島出身のご主人からだ。私は人知れず出会ったことのない「ご当地甘味C級グルメ」を密かに発見することを出張の楽しみにしている。ちなみにC級の定義は、そこの店だけで販売していることが唯一の条件だ。餅きり、干菓子、饅頭など一切ジャンルにこだわりはない。但し、洋菓子系は頭に無い。
いつも通りご主人に探りを入れてみた。“ここには無い”の一点張りで取り付く島もない。しかし、なかなか帰らない私を見て、小柄な体をパイプ椅子に埋め、“酒田にはある、晒し餡のいい饅頭がある”。丸メガネの奥からひびの入ったコンクリートの床をみながらしんみりと語り始めた。“飛島から出て、酒田の菓子舗で働いていた。独立めざし、この場所で開店した。しかし、あの餡子が出来なかった・・・、それで飛魚だしを使って今のラーメン店を始めたんだ”そうだ。早速、くだんの菓子舗に飛んで行ったことは言うまでもない。確かにさらりとした品のある甘みだ。宅配で送ってもらおうかと思っていた矢先、あの矢継ぎ早の電話。結局頂いたが食べなかった。

雲平鯛

 この頃はあちこちでおいしいと言われる饅頭が出ているが、なぜかピンとこない。きっと昔の餡子が脳にへばりついているのだろう。写真は「雲平鯛」。尺物と言いたいところだが、私の親指と薬指をひろげたくらいで約七寸というところか。餡子が変わっている。いわゆるあずき色ではなく茶色でぱさぱさしている。甘みはあるが、甘いという感覚ではない。昭和20年~30年前半の結婚式の引き出物にはこの「雲平鯛か山科のお頭付き、あるいは焼き型の付いた固い粉菓子の鯛」がついてきたものだ。あの歯の折れるような粉菓子、母親は4等分するのだが大きさに満足した記憶はない。

  平成28年4月

2016.04.01 | 事務美貌録

第三回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★4月号

はじめまして。“いなさなな”の真ん中の「さ」です。
4月。桜の季節になりました。秋田で桜と言えば、角館が有名です。武家屋敷と桜並木が美しく「みちのくの小京都」と呼ばれています。弊社があります卸団地にも桜並木があり、毎朝通勤時に徐々に色づく桜の枝を見るのが密かな楽しみとなっています。今年の開花は4月16日と予想されており今か今かと心待ちにしています。桜にも花言葉があるようで、少し調べただけでもソメイヨシノは「純潔」「優れた美人」シダレザクラは「優美」「ごまかし」等、桜の種類によって様々でした。

そして、この時期の弊社の社内行事として例年「新入社員歓迎会兼観桜会」が開催されます。漢字で書くとイカツイ名前の行事ですが、読んで字の如く、桜を愛でながら新入社員と親睦を深めよう!の会となっており、幹事の方々が趣向を凝らし毎年様々な場所で開催されます。

秋田県は美酒王国秋田とも言われ平成26年7月には「秋田の酒による乾杯を推進する条例」も制定され、酒造業がとても盛んです。弊社でもお酒が好きな方が多く、社内行事では全員が和気あいあいと楽しむ事ができます。

春になり暖かくなってきたので運動をしようと決め、事務服に万歩計を忍ばせて毎日歩数をカウントしています。本格的なウォーキングは面倒なので、せめて日々の歩く歩数を「少しでも多く!」と意識していますが中々歩数は伸びず、家に帰ってこれしか歩いてなかったの…と思う時もしばしば。目標を1万歩として、お昼休みに卸団地内を歩こうかなと思いつつ15時におやつを食べて英気を養う日々です。目標達成にはもう少し時間がかかりそうな「さ」でした。

2016.03.01 | 事務美貌録

第二回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★ 3月号

初めまして。営業事務のNです。
先月から始まりました「いなさなな日記」、今回初投稿になります。
普段からブログ等やっている方は慣れているのかもしれませんが、慣れていないのでどんな事を書こうか非常に悩みます。
ふと朝礼スピーチのようだな・・・と思いました。
朝礼スピーチとは、毎週月曜日の朝礼時に、社員が順番で日ごろの思いや近況を発表するものです。一年に2回くらい順番がまわってくるのですが、いつも何を話そうか悩みます。
自分の考えていることを人前で話すというのは、緊張しますがとてもいい経験になります。また、周りの人の近況や思っていること、こんな場所に行ってきたなど聞くことが出来るので、なかなか面白いです。

さて、2月14日はバレンタインデーでしたが、みなさんチョコを食べましたでしょうか。
バレンタインデーに女性が男性にチョコを渡すのは、日本独自の習慣のようで、欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

毎年お店には特設コーナーができ、可愛いパッケージのものや、美味しそうなチョコがたくさん並びます。
都心の百貨店では、”試食”ができるとテレビでやっていました。(試食といっても、無料ではありませんでしたが。)
見た目だけではなく、味にもこだわる方にはとてもいい企画だと思います。
美味しかったら、きっと自分用にも買ってしまいますので、お店側もよく考えてるなぁと感心します。
私自身は、今年は初めてインターネットで注文しました。
試食はできませんが、もちろん「自分用」も買いました。
味も美味しかったので、また注文しようかと思ってしまい、見事お店の術中にはまってしまったのでした。

2016.02.02 | 社長だより

社長だよりvol.15

【大豆(だいず)と小豆(あずき) その1】

 去年初めて大豆を収穫した。子供の頃に「大豆のてんぷら」をおやつ代わりに食べていた。いつか復刻版であの時の味をと思っていた。メリケン粉に当時はきっとサッカリンだと思う。家内に甘くしないで揚げてもらった。歯ごたえも記憶にあるが以外に柔らかい。当時は何を食べてもおいしかったのだろう。「蒸かし芋」も当たりはずれはあったが、仏壇から失敬したことも懐かしい。
 また、隣の畑の真似をして小豆も植えてみた。大豆と一緒で全部枯れたら収穫と思っていたら笑われてしまった。“枯れたものから採っていかないと土についてふやけてしまう”、と言われた。確かに茎が細くなよなよしている。それからというもの、2~3日ごとに早起きして収穫。“ささげ”をぐっと細くした鞘に小豆が縦に7~8粒並んでいる。虫食いや未成熟で色ののらないものが結構ある。それでも2升ぐらいはできたろう。これも甘さ抑えて食べてみた。ところどころ硬く歯に残る。しかし、まぎれもなく小豆の味だ。生産者はいつ刈取り、どんな選別をしているのだろう。

大豆

 「小豆」にこんな話を聞いたことがある。
昔、生保内(おぼない)の集落から東の山奥におじいさんとおばあさんがいたそうだ。めったに人に会うこともなくいつも二人で仲良く暮らしていたど。秋になり“もうすぐ雪神(ゆきおさ)がくるから豆もぐべ~、今年はえぐでぎだ、これで冬も安心だ”。大きくまるまるとりっぱな豆です。ネズミにとられないよう袋に入れて「はり」につるしていたそうです。

山

 やがて外は真っ白です。二人は“さびな~”、といろりに「豆の殻」をくべ、手を揉んでいました。白い煙をあげバチバチ燃えていると、“おじいさん、おばあさん”と女の子の声が聞こえてきます。二人はきょとんとし、顔を見合わせていた時、つるした袋の中から“おじいさん、おばあさん”と聞こえるのです。不思議に思っておばあさんが袋の豆を手のひらにのせると、“あっ”というまに娘がいろりの前にすわっているのです。“ありがとう、私は雪神に『人の手のひらにのらないと人間に戻れない』と「まじない」をかけられて豆になっていたのです。お礼に身の回りのお世話をします”、と言って“あずき”と名付けられた娘と三人でなかよく暮らし始めたそうです。

あずき

 あるとき、畑で草取りをしていたら、立派な若武者が通りかかりました。一目でいいなずけの娘だとわかり、城下に連れてゆくと言いました。あずきは“私は行かなければなりません。小袋に入ったこの豆を私と思って植えてください”と言って若武者といっしょに出てゆきました。二人の落胆ぶりはなかったそうです。やがて、植えた豆は秋には見たこともない小さな赤豆がたくさん採れました。生保内の集落に持っていったら皆がお祝いに使うと言って高い値段で買ってくれました。その豆はいつか小さい豆と書いて『あずき』と呼ばれるようになったそうです。娘は城下でその噂を聞き、東の山を静かに見ていたと・・。

H28.2月

2016.02.02 | 事務美貌録

第一回投稿 新・いなさなな日記

★いなさなな日記★ 2月号

初めまして。営業事務のIです。今月より“いなさなな日記”がスタートします。“いなさなな”とは・・・弊社、営業事務員の苗字の頭文字をとって名付けたサブタイトルです。このサブタイトルは3番目の「な」さんの案です。秋田県の代表銘菓、“さなづら”(※1)に響きが似ていてとても気に入っています。

今年も1ヶ月が過ぎましたが、皆さんは一年の目標を立てたでしょうか?弊社では、1月の最終土曜日に社員全員が集まり、今期の方針を共有し合う会議があります。各部はもちろん、個人の目標設定もあります。個人の目標様式には上司のサポート欄もあり、なかなかよくできているなと感じます。私も完成したことに満足しながら!?この原稿を書いています。期末には自信を持って評価に臨みたいものです。

さて、今年は申年ですが、申には、病や厄が「去る」との云われもあり、縁起の良いものとされています。また昔から、申年に赤いものを身に着けると縁起がいいと云われており、東京の巣鴨では真っ赤なパンツが飛ぶように売れているのだとか。パンツのみならず、赤い下着全般売れているそうです。皆さんも、チェックしてみてはいかがですか?

何はともあれ、これから月に1回いなさなな日記をUPしていく予定ですので、こちらのチェックもよろしくお願い致します。

 ※1.ヤマブドウの果汁を固めて作られたゼリー状の和菓子で、秋田県の銘菓である。 …

2015.11.17 | 事務美貌録

新・いなさなな日記

:lol:「 いなさなな」とは?当社の営業事務員の頭文字をとったものです。