秋田東北商事株式会社

NEWSお知らせ

カテゴリー : 社長だより
2020.09.01 | 社長だより

社長だより vol.67

 未だ「新型コロナウイルス」の猛威が収まりません。秋田県内でも8月上旬にはクラスターが発生し、その後には1度感染された方が再度感染するなどの事例が確認されて8月31日までの感染者数が48名(症例として累計は49例)となっています。当初は“夜の街関連”での感染拡大が問題となっていましたが、現在は“夜の街関連”だけではなく“職場内”や“家庭内”など様々な場所での感染が確認されています。又“感染経路不明”も全国的には増加しています。決して感染された方が悪いわけではなく、本当に「新型コロナウイルス」は身近に潜んでいると考えられます。感染防止対策に配慮した「withコロナ」の生活をまだまだ送り続けなくてはいけません。

 毎回記載していますが、未知のウイルス「新型コロナウイルス」と戦い続け、感染者を日々救い続けて頂いている医療従事者並びに関係者、そして治療薬やワクチンの開発に尽力して頂いている研究者の皆様には本当に敬服致します。逼迫した状況ではありますが、くれぐれもご自愛下さい。

 突然ですが皆さんは「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれたら何と答えますか。簡単に答えられる人もいると思いますが、答えに困る人もいると思います。私自身が最近よく聞かれるのですが、非常に答えに困ります。何か格好良く答えなくてはいけないと思ってしまいます。勝手に“自慢出来る趣味”“誇れる趣味”とは何かなどと考えてしまいます。そこで本来の「趣味」とは何か調べてみたところ2つの意味がありました。

 ①「仕事や職業としてではなく、個人が楽しみとしている事柄」
 ②「どういうものに美しさやおもむきを感じるかという、その人の感覚のあり方、好みの傾向」

 今回話題にしている「趣味」とは①に関する事となります。単純に考えると“好きなものや楽しい・面白いと感じる事”になると思います。つまり自身の感覚や判断で自由に「趣味」と決める事が出来ますし、習得度や頻度や経験年数、上手い下手など一切関係ないという事になります。自身が“定量(数値や基準)”ではなく“定性(状態や気持ち)”で選択や判断して、自身の「趣味」として決める事が出来ます。冒頭私が記載した、格好良くて“自慢出来る趣味”“誇れる趣味”との考え方とは違います。「趣味」の基準が“好き”や“楽しい・面白い”という事、更には自分の感覚で自由に決める事が出来ると改めて気付かされました。今後は、私自身が楽しく面白いと感じ、好きで行なっている事を習得度や頻度、上手い下手に関係なく、素直に自分の「趣味」として話をしていこうと思います。

 ところで先程の“定量”と“定性”ですが、様々な目標設定で必ず必要となります。“定量目標”とは、数値目標ですから評価が容易で誰でも同じ判断になると思いますし、基準も数値なので達成したかどうかも一目瞭然です。一方で“定性目標”とは、状態目標ですから評価が非常に難しく、判断する人によって評価が変わると思います。判断する人の基準での評価となり、評価される人にとっては曖昧であまり明確だとは感じられません。評価する人は「趣味」の選択のように自身の感覚で自由に判断が出来づらい事になります。評価される人と評価する人の双方にとって非常に難しい事になります。全てを“定量目標”で表わす事が出来れば良いのですが、それが出来ない事の方が多いと思います。業務でも業務以外でも目標達成に限らず、何らかの状態を“定性(状態)”で判断される事、する事は必ずあります。判断される場合、判断する場合でもお互いの基準や感覚や感性の意思疎通が重要であり、普段からのコミュニケーションが必要だと思います。

 冒頭の「趣味」の話題からは少し離れてしまいましたが、人は生活する上(もしくは業務を遂行する上)で人との関わり合いやコミュニケーションは必要不可欠です。しかし現在のようなコロナ禍では様々な制限や制約があります。これほどまでに人との関わりや外出などを我慢し、コミュニケーションがとれなかった事はなかったと思います。しかしこんな時だからこそ、今までの自分自身の基準や判断、コミュニケーションについて思い出して、考えてみるべきだと思いました。そして今後は、今まで以上に人との関わりを大切にして、何気ない自由に感謝しようと思います。

 どんな時も自身の楽しめる「趣味」でリフレッシュして日々を過ごしていきましょう。近いうちにコロナ禍以前の自由で平穏な日々を過ごせる事を切に願っています。

 長いようで短い1ヵ月。又1ヵ月後に更新致しますので、お付き合いを宜しくお願い致します。

令和2年9月

2020.08.03 | 社長だより

社長だより vol.66

 未だ「新型コロナウイルス」の感染拡大が猛威を振るっています。感染者の減少傾向から一転、首都圏を中心に増加傾向が続いています。秋田県内でも約100日ぶりの7月25~26日に感染者が確認されましたが、決して感染者が悪いわけではありません。「新型コロナウイルス」は確実に存在していますので、私を含めた誰でも感染する可能性があります。治療薬やワクチンが開発された訳でもない状況で「新型コロナウイルス」との共生「withコロナ」の生活を送り続けなくてはいけません。まだ本当に予断を許さない状況が続いていますが「新しい生活様式」を取り入れて乗り切りましょう。

 毎回記載していますが、未知のウイルス「新型コロナウイルス」と戦い続け、感染者を日々救い続けて頂いている医療従事者並びに関係者、そして治療薬やワクチンの開発に尽力して頂いている研究者の皆様には本当に敬服致します。

 全国各地で「新しい生活様式」を取り入れて、様々な活動が「新しいスタイル」で再開しています。その中の1つとして、様々なスポーツも活動を再開しています。学生スポーツの代替大会の開催やプロスポーツの無観客開催、もしくは観客数制限での開催など、今までとは違う形「新しいスタイル」での開催となっています。観客の事前申請や抽選、入場時の検温やマスクの着用、観戦時のソーシャルディスタンスなど慣れない事の連続ですが、開催される事に意義を感じて慣れていくしかありません。結果的には、選手の素晴らしいプレーや頑張る姿を見ていると興奮や感動、勇気を頂く事が出来ると思います。
 私もスポーツ観戦は大好きで息子の試合を観戦したり、プロスポーツのTV中継を観戦したりします。その中でもプロ野球のTV中継を見ていて、普段は観客の声援で聞こえなかったバットに球が当たった瞬間の“音”の迫力や凄さには1番驚きました。「新しいスタイル」での観戦ならではの驚きでしたし、決して悪いことばかりではないと思いました。
勿論、これは日々の業務や生活でも同じです。「新しい生活様式」や「新しいスタイル」は慣れない事ばかりですが、否定的にならずに肯定的に受け止めて、行動していきましょう。その先には、常に新しい発見があるかもしれません。

 プロ野球繋がり?になりますが、今年2020年2月にお亡くなりになりました「野村克也さん」が私は大好きです。野球選手や監督としてというよりは、考え方や言葉に感銘を受けています。当社のホームページ5月の「社長だよりVol.63」に記載しましたが、私は本を読む事を少しだけ心掛けており「野村克也さん」の書籍も今まで3冊購入し、読ませて頂きました。今回はその書籍の1冊「野村の悟り」の中から2つの考え方(言葉)を紹介します。

『進歩とは、変わる事である』

変わる事は進歩であり、成熟する事である。変わる事に楽しみを見い出せ。変わる事は失う事ではなく、何かを得る事だ。

『“なぜ?”の積み重ねが進歩である』

すべてのものから学ぶ事が出来るという気持ちを忘れず、どんな時も“なぜ?”を自分自身に問いかける事だ。そうした“なぜ?”の積み重ねが進歩となるのである。

 皆さんは2つの考え方(言葉)を見て、どのように感じて、どのように考えましたか。
『進歩とは、変わる事である』について私は「変わる事は必要な事。変わる事=楽しんで何かを得る事」と理解しています。日々、時代やトレンドが変化しているのですから、変わらない事こそが失う事ではないかとも思います。当社でも“会社を変える”との意識を持ち続けて様々なチャレンジや業務改善を行なっていこうと話をしています。しかし一方では、伝統など事柄によっては“変わらない事の大切さ”がある事も理解しています。
『“なぜ?”の積み重ねが進歩である』については当社のホームページ6月の「社長だよりVol.64“理解と行動について”」の中で「何事でも“行動”には理由や意味があり、その本質を“理解”して、そして当事者として“行動”する事が必要」と記載した事に関連しています。本質を理解する方法が“なぜ?”ではないかと考えています。つまりは「本質を理解する事(見抜く事)=進歩」と私は理解しています。日本の大手自動車メーカーでも“なぜ?”を5回繰り返して物事の本質を見抜くと言われています。

 今回、冒頭で記載した「新しい生活様式」は本当に慣れない事ばかりですが、生活スタイルが変化する事は必要な事で、なぜ必要かをしっかり理解して活動しなくてはいけないと改めて思いました。そして「新しい生活様式」を受け入れて、率先して活動していく事で今まで無かった何かを得る事が出来るとも思います。

 長いようで短い1ヵ月。又1ヵ月後に更新致しますので、お付き合いを宜しくお願い致します。

令和2年8月

2020.07.01 | 社長だより

社長だより vol.65

 未だに「新型コロナウイルス」の話題が消えない日々が続いています。そして6月19日をもって全国的に移動の規制が解除となりましたが、新型コロナウイルスは存在します。治療薬やワクチンが開発されたわけでもない状況で新型コロナウイルスとの共生「withコロナ」の生活を送っています。まだまだ予断を許さない状況が続いていますが、我慢と努力で乗り切りましょう。
 毎回記載していますが、未知のウイルス「新型コロナウイルス」と戦い続け、感染者を日々救い続けている医療従事者並びに関係者、そして研究者の皆様のご尽力には本当に敬服致します。

 6月中旬、ある日の夕方に自宅でニュースを見ていたら「株式会社コロナの社長のメッセージとして、社名が新型コロナウイルスを連想させる事により、社員とその家族が心を痛め、不安に感じているとの声を受け、社員とその家族を守りたいとの想いから2020年6月13日にメッセージ広告を新聞に掲載した」「社員やその家族への心無い差別や風評被害が相次ぎ、社会的な問題となっている」と耳にしました。その場ですぐには理解が出来ずに、その後ネットで検索すると関連した沢山の情報と共に掲載されたメッセージ広告を発見しました。

【以下、新聞掲載されたメッセージ広告です。】
コロナで働く家族をもつキミへ
まだまだ、世界中が新型コロナウイルスで大変な事になっているね。外で遊べなくなったりマスクをしなきゃいけなかったり、辛い事も沢山あると思います。そんな中でも私達コロナは、暮らしを豊かにする“つぎの快適”をつくろうと今日も頑張っています。コロナで働いてくれているキミのお父さんやお母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、叔父さん、叔母さん、お兄さん、お姉さんも一生懸命です。みんな自慢の社員です。家にいる時のイメージはちょっと違うかもしれないけど。
もし家族がコロナで働いているという事でキミに辛い事があったり、何か嫌な思いをしていたりしたら、本当にごめんなさい。家族もキミも何も悪くないから。私達はコロナという名前に、自分達の仕事に誇りを持っています。キミの自慢の家族はコロナの自慢の社員です。
株式会社コロナの社長より
※原文は全て平仮名とカタカナです。

 心無い差別や風評被害などは本当に寂しい事ですが、株式会社コロナの小林一芳社長のメッセージは優しくて何よりも社員とその家族を大切に想っている事が本当に伝わります。家族には小さな子供も当然含まれているとの事から、全文を平仮名とカタカナで掲載した事にも気遣いが充分過ぎるほど感じられます。私も小林一芳社長の素晴らしいお考えや気遣い、今回の行動や思いを参考にさせて頂き、日々業務に邁進したいと思いました。又、文字で思いや気持ちを視覚的に伝える事の大切さを改めて感じました。
(新聞への掲載と共に全社員に社長からの手紙として送られた事にも気遣い感じました。)
 そして更に、株式会社コロナの社名の由来を調べてみると「創業者が学生時代の実験中によく見たコロナ放電の発光色と石油コンロの青い炎が似ている事と、太陽の周囲に現れるコロナのイメージを重ね合わせ、石油燃焼機器を象徴的に表現し、かつ覚えやすく親しみやすい社名とした」との大変素晴らしい意味がありました。

 当社「秋田東北商事」の由来についてですが、もともと営業していた「東北商事」の秋田支店従業員が業務を継承し、昭和31年に会社を設立する際に「“秋田”の東北商事」との意味合いで「秋田東北商事」にしたと聞いています。地元秋田の会社、地元秋田との共生、地元秋田に貢献するとの意味合いだと私は理解しています。経営理念の中にも「地域社会へ貢献する」とあります。これからも地元秋田に当社が貢献出来るように頑張っていきますので、何卒宜しくお願いします。

 余談になりますが名前の由来繋がりで・・・・東京に住んでいる今年で21歳になる私の息子から先日の夜中12時過ぎに突然「父さん、俺の名前の由来って何?理由的な?」とメールが送信されてきました。翌朝そのメールに気づき、由来を丁寧な説明で返信しました。
その後に一言「お!めっちゃいい意味じゃん!」との返信がありました。意味が伝わったのなら良いのですが、視覚的に馴染めないメッセージに自分が歳を取ったと感じています。
(「 」内は原文そのままです。)

 長いようで短い1ヵ月。又1ヵ月後に更新致しますので、お付き合いを宜しくお願い致します。

令和2年7月

2020.06.01 | 社長だより

社長だより vol.64

 未だに「新型コロナウイルス」の話題が消えない日々となっています。秋田県を含む39県では5月14日に緊急事態宣言が解除となり、その後に段階的に解除が進み、5月25日には全面解除となりました。そして6月1日からは県境をまたぐ移動についても一部の地域を除き、制限が緩和されました。しかし「新型コロナウイルス」が消滅したわけでも、治療薬やワクチンが開発されたわけでもありません。まだ予断を許さない状況が続いています。
 そのような状況下でも未知のウイルス「新型コロナウイルス」と戦い続け、感染者を日々救い続けている医療従事者並びに関係者、そして研究者の皆様のご尽力には本当に敬服致します。

 皆さん「新しい生活様式」を参考にした生活を心掛けましょう。そして感染拡大防止に努め1日でも早く以前の普通の生活を取り戻しましょう。

 少し前の事になりますが、私自身もステイホームを実践して何気なく自宅でテレビを見ていたら東京大学医科学研究所の教授でウイルス学者である「河岡義裕(かわおか よしひろ)教授」が、とあるTV番組(●●大陸??)に出演していました。ご存じの方もいると思いますが「河岡義裕 教授」はインフルエンザ・エボラウイルスを専門としていて、1999年にはインフルエンザウイルスを人工合成するリバースジェネティクス(遺伝子操作系)を世界で初めて開発し、ワクチン開発に応用されるなど素晴らしい功績をお持ちです。数々の賞を受賞され、15年以上も前からウイルスの恐ろしさに警鐘を鳴らし、未知なる微生物の研究を続けているウイルス学の世界的権威です。今回政府により設置された「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーとしても提言されています。
 恥ずかしながら「河岡義裕 教授」について私自身は初めて知りました。そして素晴らしい功績に驚くと共に、TV番組を何気なくではなく、しっかりと見入っていました。TV番組ではインフルエンザやエボラウイルスの研究、今回の「新型コロナウイルス」のワクチン開発への取り組みなど、専門的な事から一般的な事、教授ご自身の精神論に至るまで様々な内容が取り上げられていました。
 その中で1番印象に残り、考えさせられた事が「理解と行動」についてです。政府による緊急事態宣言における行動自粛について「理解して自覚する事が重要(他人事ではなく自身が当事者)」「ただ行動を自粛するではなく、なぜ行動自粛が必要か(重要か)を理解しなくてはいけない」「我々研究者は国民に理解をしてもらう努力をしていかなくてはいけない」などといった内容でした。
 私自身、今回の「新型コロナウイルス」や「緊急事態宣言」による行動自粛について「感染し重症化すると危険で行動自粛は必要」と思いながら、心のどこかで「都会の話」「秋田のような田舎では行動自粛は不要ではないか」などと思っていました。浅い理解と自覚の無さに気づかされました。
 この「行動と理解」は普段の生活や業務に対しても重要だと考えます。パターンとしては①理解し行動する、②理解せずに行動する、③理解しているが行動しない、④理解せず行動しない、になると思います。①が良い事は誰でも分かりますが、私自身は③になる事もあります。「やらなきゃいけない事は分かっているけど、今じゃなくても」などといった場面です。影響が及ぶのが自分だけであれば、それでも構わないとは思いますが、業務等では違います。一人ひとりが「どんな事でも“行動”には理由や意味があり、その本質を“理解”して、そして当事者として“行動”する事が必要」だと改めて思いました。しかし時には何も考えずに“行動”する事が、誰にでもあるかもしれませんね。
 長いようで短い1ヵ月。又1ヵ月後に更新致しますので、お付き合いを宜しくお願い致します。
 

令和2年6月

2020.05.07 | 社長だより

社長だより vol.63

 この度、令和2年4月1日より社長職を拝命致しましたので、会長(前社長)の後を引き継いでこの「社長便り」を5月より更新して参ります。まだまだ若輩者の私ですが、今後もより一層社業に取り組んで参りますので、何卒宜しくお願い致します。

 今年になってからは「新型コロナウイルス」についての話題が出ない日がないように感じています。特に令和2年4月8日の安倍首相による「緊急事態宣言」以降、同月16日には対象が全国に広がり、不要不急の外出自粛要請など全国的に様々な自粛や対策を実施しています。勿論、当社でも「新型コロナウイルスについての対応」を掲げ、適時更新し行動自粛や感染防止に努めています。

 感染された方々の1日も早い回復を願っておりますし、更には医療従事者並びに関係者のご尽力には本当に敬服致します。

 1日も早く、以前のような平穏な日々を過ごせる事を心より願っております。
 私自身“書く事”に慣れておらず、数年前から文字(言葉や文章)に慣れる事を目的に“本を読む事”を心掛けています。当初は「ジャンルは問わず月1冊」と思っていましたが、初志貫徹とはいかずに現在に至ります。結果として読んだ書籍の数は多くありませんが、その中の1冊「孫子の兵法」について今回は少し書こうと思います。特別、歴史や三国志などに興味がある訳でもない私が購入した書籍に何故か「孫子」に関連した書籍が2冊あります。それだけ「孫子」に関連した書籍が今でも沢山出版されているのかもしれません。孫子に関しては諸説ありますが、一般的には中国戦国時代(春秋時代)の軍略家で、兵法や軍事論は今から約2500年以上前のものであるにも関わらず今でも読み継がれており、様々な事柄に応用が出来る“考え方”だとされています。勿論、私もそのように認識しています。今回はその「孫子の兵法」の中から1つの兵法(考え方)をご紹介します。

『利(り)に雑(まじ)うれば、故(すなわ)ち務(つと)め信(まこと)なる可(べ)し』

 ※言葉(表現)は、その書籍によって多少の違いがありますが、同様の意味となっています。

 現代語訳では「利益には必ず害悪の一面があると分かっていれば、その事業は必ず成功する」となっています。常に利益と害悪の両面を考慮に入れながら行動をするので、さしたる困難に直面することなく(仮に困難に直面しても)、物事を計画通りに進める事が出来るという考え方になります。
 皆さんもこの言葉や意味を見て、様々な考えが浮かぶかもしれません。私は「何事にも二面性(多面性)がある事を理解し、想定していれば成功する」「自身の考えだけに過信していると成功は出来ない(自身の考え方以外の様々な考え方も参考にすると成功する)」などと理解して、日々の行動や決断をするようにしています。今回ご紹介した兵法(考え方)以外にも様々な兵法(考え方)が沢山残されています。日本の戦国武将や偉人、現代の世界的著名人にも影響を受けた人物がいると言われています。皆さんも機会があれば、孫子の関連書籍を一度読んでみては如何でしょうか。
 今後も様々な話題を毎月更新していきますので、末永いお付き合いを宜しくお願い致します。

令和2年5月

2020.02.03 | 社長だより

社長だより vol.62

【いいものをみた】

 暖冬とはいえ、冴えかえる時などは温もりのある布団に執着が強くなり、あともう少しなどと寝ぼけていると、階下で朝食の準備をしている音が聞こえる。障子も雪明りがないのでまだ暗く早いと思うが、携帯が呼んでいる。申し訳なく暖まった部屋にのこのこ手すりにつかまりながら降りてゆく。着替えもそこそこに仏さんに急いで向かう。膝が悪いからと言って私は後ろにいて、足を投げ出し、漂う線香の煙を見ているだけ。実にいい加減なおつとめだ。

 食卓に着くとまず“がっこ”(『雅香』)を食べる。今は聖護院かぶと一緒につけた大根の“ビールづけ”。香りはかぶそのもの。歯触りは大根、漬かり具合といいなかなかの味だ。大半は私の腹に納まる。秋田では漬物を総称して“がっこ”といい、『何々がっこ、例えばいぶりがっこ・なすがっこ・みそがっこ』などと呼ぶ。数年前までは生大根を「なた」でざくぎりし、麹で漬けた“なたづけがっこ”が冬の定番であった。特に桶に薄氷が張るような時は絶品だ。この頃は直ぐに発酵して“漬かりすぎ、捨ててしまうのでつくらない”という。私はこの漬かりすぎのあめ色になったものが大好きで、どんぶり一杯でも食べられる。何とも暖冬がうらめしい。

 それでも今日は寒いからおでんがいいなと思って帰ると、ずばりおでんが出ていると思わず“にやり”とする。白い湯気とともに立ち上るおいしそうなにおいをかぎながらお目当てはもちろん大根。力を入れることもなく箸がすっと入る。あつあつをほおばると、離れて暮らす子供達にこれがマイ畑の大根と食べさせたくなる。

 腹の中から温めるのもいいが温泉もいい。先日家内と一泊で、県北の海沿にある温泉ホテルに投宿した時のこと。身も心も暖まる光景をみた。湯船から90歳過ぎのおじいさんに40歳過ぎに見える孫がおじいさんの頭や背中を丁寧に洗っている。気持ちよかったんだろう。おじいさんが頷いているのが見える。手すりを指して、転ばぬよう、“立つときは手すりにつかまって”とでも言っているのだろう。何度もなんども頷いている。私も両親をよく温泉に連れて行ったが、なんとなく気恥ずかしさが先に立ち、ついぞ背中を流してやったことはない。洗ってやったらきっと“喜んだろうな~”と、今更ながら悔やんでいる。

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 昨夜は風が強く、しばらくぶりで虎落笛(もがりぶえ)のような風を聞いて寝た。朝、静かなので期待して外を見たが“雪は降っていなかった(積もっていなかった)”。今年は“雪が降っている”中を歩いたこともない。雪がないと少しの風でも寒さをより感ずる。
 手元の国語辞典で「寒」の付く言葉を見たら寒何々がいっぱいある。その中で、寒害(寒さのために起きる農作物の被害)・寒心(ぞっとすること)の標記がある。はじめての言葉にお目にかかった。マイ畑の玉ねぎとニンニク、今年は雪の布団がない。大丈夫だろうか。「寒何々」とか「冬何々」とかが多いのは、日本人の生活に季節の影響が大きいことを反映しているのだろう。やはり降る時は降ったほうがいいにきまっている。

 社長だよりは、今月第62号をもって終了することにしました。長い間、マイ畑を中心に身の回りの出来事にお付き合いいただき感謝いたします。

令和2年.2月

2020.01.06 | 社長だより

社長だより vol.61

【シロネズミ】
09_73①
 お正月と言えば、お雑煮。我が家はつゆっこ餅。昆布と鶏の合わせ出汁。角切りの焼餅、具材はいたってシンプルで、鶏とみつぱそして蒲鉾。結婚して味噌仕立てからこのスタイルとなった。大晦日の年取りのお重を突っつきながら元旦に食べると新年を迎えた気になる。そして、体重が気になるころに七草粥となる。腹にやさしく野菜がごたごたはいった大好きなお粥。戦中・戦後のことはわからないが、贅沢な雑炊を食べると新年へ一層神妙になる。

 今年は子年。十二支の始めがなぜ鼠なのかの由来はとうとうわからなかった。そのうちの出会いをまとう。地方によっては正月に鼠というのを嫌って“嫁が君”というそうだ。言葉の歳時記(*1)に「養蚕の盛んな地域で蚕に害を及ぼすものとして鼠を非常に嫌い、鼠と言っただけでそこら辺から出てくるので、“嫁が君”とこっそりと言った」そうだ。また、「嫁が君と呼ぶ理由は、ヨノモノ・ヨモノ・ヨメゴなどとなまってヨメがキミとなった」と紹介されている。
 鼠はコメ・野菜を食い荒らすなど害をなすもの。昨年はマイ畑のジャガイモ・さつまいも・カボチャ・メロンをほとんど壊滅させたにっくき害獣でもある。また、『子の年は穀ミノラズ』というが他の干支でもおなじこと。自然災害は繰り返される。凶作に備えよと言っているのだろう。また、怪談めいた子規の有名な『行燈の油なめけり嫁が君』とかもあり、彼らには何の責任もないのだがその器用さが災いをなしている。

 そのかわいい姿に似合ういい諺がなかなか思いつかない。「子孫繁栄」が浮かぶものの、一方で“ネズミ算式で増殖”の表現はいろんな局面でより多く使われる。彼らの名誉回復にふさわしい言い回しかどうかは分かれるが、『天井で鼠が鳴くのは吉治が来る兆し(*2)』、くるくる立ち働くことを「コマネズミのように働く」がある。江戸時代には「あの大店(おおだな)のシロネズミ」という言い方があった。このシロネズミは主人に忠実な奉公人、番頭さんを指すと聞いている。なぜかというと「ネズミはチュウ(忠)と鳴くからだという。ネズミの中でも白いネズミは数も少ないので特に珍重されたのだろう*2」

 今年は一部エコノミストの間で、景気に変調をきたすのではとの予測がささやかれている。地道な商売を目指し、『ネズミにひかれないよう』シロネズミの経験と勘を大事にしよう。そして、「いまだかつてないとか、命を守る行動」などのニュースがないことを心から祈ります。

*1 言葉の歳時記(1月2日) 金田一春彦著  新潮文庫
*2 語源散策(十二支散策)  岩淵悦太郎著  毎日新聞社

令和2年.1月

2019.12.02 | 社長だより

社長だより vol.60

【佐竹本三十六歌仙絵】

 解体新書の挿絵を描いたことで有名な秋田藩士・小田野直武(おだのなおたけ)は秋田県角館の出身、本格的な洋風画を全国に先駆けて誕生させたことでも知られている。美術の副本でも近代絵画の欄では必ずと言っていいほど『不忍池図(重要文化財、秋田県立近代美術館所蔵)』が掲載されている。右半分に鉢植えの芍薬と右端に太い幹、左に池をはさんで対岸の景色を描いているあの絵だ。本物に出会った時、遠近の静かな佇まいに一人別世界に入りこんだような錯覚があったことをはっきりと覚えている。秋田の絵画は佐竹藩主に多くの名作が残されていると言われる。特に第八代佐竹義敦(よしあつ)、四代義各(よしただ)や九代義和(よしまさ)公などであるが、残念なことに没後は狩野画や秋田蘭画の発展を見なかったようだ。

引かれるように鎌倉時代の名品、現存最古と評される『佐竹本三十六歌仙絵』展覧会に向かった。『佐竹家は1917年に売りたて、手にした実業家は第一次大戦後の終結を契機に手放した*1」。佐竹家に所蔵されていたことに美術界ではたいへんな驚きがあったようだ。
 しかし、(現在の価格で約35億円とも言われる)高額で誰も購入できず、海外流出を恐れ分割し、財界人が籤で購入することとなった。この時の緊張のざわめきは『「画運-順次に内振る「青竹の籤(くじ)筒 遂に分かたれし三十六歌仙」と中外商業新報(日本経済新聞の前身)が1919年大正8年12月22日に報じている*2』。今年はその分割からちょうど100年目、離ればなれになった歌仙絵37枚のうち31枚が京都で再会することとなった。
*1 10/29 秋田さきがけ新報 佐竹資料館講演会から
*2 10/21日本経済新聞23ページ

以前から佐竹本三十六歌仙絵で気になっていたのは、なぜ佐竹家に所蔵されていたのかの流転と、これだけの名品をよくもバッサリと裁断することに気が咎めなかったかである。分割で共有と言いながらも切った行為があまりにも味気なく、あるいはどさくさ紛れでなかったかと思っていた。
 ところが、もともと一枚一枚の歌仙絵であったものを張り合わせしたことをNHKテレビで知った。分割するときは腕の立つ表具師が細心の注意で剥いだとのことで納得しないがわかる気もする。

 照明を落としたガラス越しの歌仙絵は和歌を踏まえた肖像と言われる。右の坂上是則(さかのうえのこれのり)は目を凝らしてみると、遠くへ思いをはせるような目の表情や“寒さのための赤い頬”などその繊細な描写へ心が惹かれる。
 また、所有者によって趣向を凝らした表具にも目を見張る。『中世の絵を切り取り、「表具・肖像・歌」が一体となって』その存在価値をかけがいのないものにしている。
(上記『 』・下記和歌・口語訳とも開催パンフレットから)
 和 歌   みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさりゆく
 口語訳  吉野の山には雪が積もっているだろう。奈良の都も寒さがましていく

 会場には歌仙絵のシミなども本物と寸分違わぬ複製もガラスケースに展示されていた。一枚いちまい2~3ミリ重ねて張り合わせていたことも下からの照明で“確認”できた。長い間の小骨が取れたようだ。
 今冬は秋田県立近代美術館(横手市)や秋田市立千秋美術館の企画展で秋田蘭画をじっくりと楽しむことにしよう。そして新年を新たな英気で迎えよう。

令和元年.12月

2019/12/16 1行目の「佐竹藩士」を「秋田藩士」に訂正する。

2019.11.05 | 社長だより

社長だより vol.59

【身に入む(みにしむ)】

 台風15号・19号の爪痕はただただ凄まじい限りで、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。自然の仕返しなどとは思いたくもないが、「災害は忘れたころにやってくる」というのは昔の言葉になったかもしれない。次から次と襲ってくる『過去に経験したことのない』という気象庁の表現に体が強ばる。自然は嘲笑っているのではないだろうが、どうしたものだろう。

チョッキ

 あの暑い夏が去って、過ごしやすい天候になると夜も長くなる。灯火親しむ侯となるのだが、特別読み残している小説を読むでもなく、母親が古毛糸で編んでくれたチョッキを着て、定番の粗大ごみ、“ごろっ”とよこになってテレビのチャンネルを回している。
 チョッキは3枚あり、1枚はUさん、そして私と家内に遺された。女性用は腰までの長いものだ。三枚共ボタンが左前で女性向けである。着るときはいつも勝手が違うので着にくい。この頃はボタンを外さず、かぶることにしている。大きめに“だぶっと”編まれて着心地もよく、今の時期手ばなされない。毛玉もだいぶ目に付くようになった。

 Uさんの夫君は元国語教師。早期退職して読書(と散歩)三昧の生活だ。月に1~2回は老々介護というわけでもないがご高齢の二人暮らしの様子見を兼ねて遊びに行く。いつお邪魔をしても“はい、どうぞ”と嫌な顔もせず歓待していただく。何かを相談するというのでもなく、“ガッコ漬けた”とか“草むしりをした”とか、ただ毎日の生活を話している。最近、Uさんは“腰が痛い”などを繰り返すようになった。その度に夫君は“それが歳をとったということ、嘆く必要もないよ”とさらっと返している。今まで何度か言われても聞き流していたせいもあるが、この頃“嘆く必要もない”を聞くと素直に腑に落ちるようになった。

ブナの紅葉

 このご夫婦、日常生活、買い物、旅行など一切飾ることをしない。会話でもお互い気兼ねなく喋っているように見える。ただ、Uさんは夫君とすれ違いがあるときは、“私はわたし、お父さんはおとうさん”が口癖なのでその時を察知したときは家内と話を聞くことに徹している。Uさんは最近耳が遠くなったせいか大きな声で話す。すれ違いの時も、そしてよく笑う。誠に羨ましい自然体である。

カラスへの贈り物

 最近、夫君から身につまされるような話があった。いわゆる『断捨離』に話が及んだ時のこと。“死んでから残された人への思いやりで、生前に身の回りを整理しておく必要はない”というのだ。そして、重ねて言う。“死んでから自分がどうされようと分かる訳もなく、家族がやりやすいようにしてくれればいい。最近の断捨離が当たり前のような風潮には辟易する”という。

 私もそう思うが、遺族への思いやりというのではない。ただ単に、身の回りの整理がつかず、ものに囲まれているような生活なので、大事なものはきちんと残すことが必要だと思うだけだ。淡々としたU夫妻を見て羨ましく、中途半端な自分に嫌気がさすときもある。この期に及んでだ。きっと日々の生活に素直に感謝する心がないからだろう。秋風は身に入むばかりだ。

令和元年.11月

2019.10.01 | 社長だより

社長だより vol.58

【つれづれに】

 この頃、盛岡への行き来は国道46号線(仙岩道路)を通ることがほとんどだ。入社してすぐの社員慰安旅行で、工事中の46号線を横に見てつづら折りの国見峠を数台の社有車でつなぎ温泉に向かったことがある。頂上付近は霧が濃くて5メートルも離れれば声でやっとわかるぐらいであった。ブロッケン現象が起こるのではないかと思うような天候だったと思う。山頂は茫々としており周りを見る余裕もなく固まって写真を撮った気がする。手もかじかみ、当時の山の上の「峠の茶屋」で甘いおでんをほおばったことを通るたびに思い出す。
 峠の紅葉はまだまだ早いが、もう2~3週間もすればこの深緑が杉を残し全山黄色くなるなんて信じられないほど見事に葉の一枚一枚を変葉させる。トンネルを出るたびにそのあるはずもない紅葉がもしかしたらと心がせく。この峠の一番の見ごたえのある所に大きく膨らんだ路肩がある。窓を開けると山の冷気が肌にいよいよ秋を知らせる。

 「肌寒(はださむ)」という季語があるが、秋だけでなく例えば真夏に鍾乳洞に入って冷たさを感じた時など「肌寒い」と使える“万能季語”とも言える。金田一晴彦氏の『言葉の歳時記(新潮文庫)』に「肌寒」は“日中は汗ばむほどだが朝や晩はぐっと冷え込んで上衣がもう一枚ほしくなるような寒さ”と表現している。更に「そぞろ寒」と言えば、“秋になってそろそろ寒さが感じられるころ”、そして、「漸寒」という言葉が出てきた。“ややさむ”とふり仮名がある。“秋も終わりに近づいていよいよ寒さが厳しくなるころ”だそうだ。

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 朝、寝室の出窓の障子を開けるとヒヤッとした透明な冷気が流れ、思わず、“ぶるっ”とする。こうした秋の寒さのことを昔から使ってきた言葉として、「朝寒(あささむ)・夜寒(よさむ)」があるとして、歳時記に載っていた。同氏が言われるように、折々に“日本人の肌はそれだけ季節の移行に敏感である”と言えるのかもしれない。

 また、秋と言えば、意味も分からず、“もののあわれ”や“心にしみる”などの言葉も出てくる。この二つの言葉に秋めいた意味はないと思うのだが、なぜか、秋の感傷を感ずる。“あわれ”と言うと、徒然草の第十九段に『折節の移りかはるこそ、もののあはれなれ もののあわれは秋こそ勝れと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて・・』 (角川文庫、ビギナーズ・クラシック、徒然草)とある。意訳では「四季の移り変わるようすは、何につけても心にしみるものがある。心にしみる味わいは秋が一番深い、と誰もが認めているらしい。それはそれで一理はあるが・・」と訳されている。理由はともかくとして、遠い昔から日本人は移り行く季節に何かの哀歓を感じてきたのだろう。

 今年のマイ畑。カラス・鼠、犬に荒らされたが、二人で食べるには充分であった。白菜・キャベツ・ささげ・きゅうり・ナス・カボチャ・みょうが等よく食べた。収穫量は少なかったが人参は格別歯ごたえもありうまかった。今年デビュー野菜で見逃せないのは椎茸だ。昨年購入したほだ木に自分で駒を打ったものだが、肌寒くなってからよく出てくる。見逃して手のひら大になるものもあるが、厚肉で形のいいものは当然酒蒸しだ。

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 又、毎年作付けする小豆は不ぞろいで売り物にはならないが、約3.2キロの収穫ができた。外で篩の下に扇風機を置き、鞘のカスを吹き飛ばすのだが意外と効率がいい。部屋に戻って、虫眼鏡で虫食いや固そうな皴のよったもの、さらに腐って固まったものをえり分ける。ボケ防止で、左手でつまむ。なかなか面倒だが癖になる作業だ。今年の冬はいよいよ念願の自家製“本格水ようかん”、限界まで甘みを抑え、小豆の味を楽しむつもりだ。

令和元年.10月

2019.09.02 | 社長だより

社長だより vol.57

【秋の気配】

 9月の古い呼び方は、長月(ながつき)だが、菊月とも言うそうだ。9月は30日あるが、他の奇数月、もちろん例外もあるが1日少ない。なのに長月だ。何となく秋の夜長を連想させるがその由来はわからない。このまま思い続けていればそのうち何かの文章に出て、にんまりと秘かな満足を味わうことだろう。
母親から日にちの多い月、少ない月を覚えるのに、“左のこぶしを上にして、第三関節を右から1月、次のへこみ(凹)を2月と順々に数えてゆくと左端が7月となる。そして折り返し、その7月を8月として右に数えると、でっぱり(凸)が長い月(31日)、へっこみは少ない月と分かる”、と教えられた。小学校の1・2年だったろう、テストの時などいろんなことに母親が出がけに忘れないようにと小指か薬指に赤い糸を結んだことを思い出す。先月、父の十三回忌に合わせて母の分も引っ張り法要を営んだ。

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秋雨  今年は西日本を中心に、大変な豪雨に見舞われたが、当地は雨が少なかった。秋田の水がめ、玉川ダムの貯水率が27パーセント以下になり、放流制限がかかるという。又、戦時中玉川毒水の影響を受け、魚の棲まない湖となった日本一深い田沢湖は最低水位を超え、遊覧船の発着がままならないそうだ。
「篠突く雨(しのつくあめ)」という言葉がある。安藤広重の東海道53次『庄野』に傘をすぼめた浮世絵がある。見た感じ、驟雨(しゅうう)かなと思うが、「篠突く雨」は驟雨よりさらに猛烈な雨のようだ。春雨は、“濡れて帰ろう”、だが、秋雨はオホーツク海気団が控えているので濡れて帰る気にはならない。

かりのわたり  空も高くなると、「かりのわたり」がはじまる。シベリア・樺太・北海道・竜飛・十三湖・八郎潟・高清水の丘・新潟中越がわたりのコースの一つである。唱歌にある「さおになり かぎになり」が思わず口をついて出てくる。100羽ぐらいの大編隊もあれば、小ぶりの編隊もある。白鳥などもそうだがどうしてあんな形の編隊になるのだろう。時々先頭が交代しているように見える。声にならないが“頑張れよ”、と声をかける。しかし、夜中に飛来して鳴かれるのはなんともやるせない。布団の中で『雁風呂』を思い、目をつむる。

虫を聞く  朝起きて窓を開けるとひんやりした涼風が入ってくる。秋はそ知らぬふりして側に寄っていた。二度目の家には、よく、「すいっちょん」とか「コオロギ」が入りこんで気になって眠れないこともあった。子供時分、生け垣にろうそくを持ってキリギリスそっくりの「うまおい」とりに出かけ、腕によく擦り傷を作った。難儀をした割に直ぐに死んでしまい、かわいそうなことをした。やはり、虫の音は、秋草の根元ですだく声がいい。

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  昨年、松島の瑞巌寺に参詣したおり、山門の奥まったところに小さな池があった。そのわきに萩が数株植えられていた。ふわっとまくようにしなだれている。朝の雨で露をしっとり包み、うら若き女性が涙をためているような風情にも見える。萩というと、「宮城野萩」、そして、あの『伊達騒動』が出てくる。秋の夜長に「樅木は残った」をもう一度読んでみようか。柄にもなく萩はそんな気にもさせる。

令和元年.9月

2019.08.01 | 社長だより

社長だより vol.56

【あるもんでね!】

 秋田にはほぼ60歳後半以降の人が使う“あるもんでね”という言葉がある。例えば播種から、植え替え、追肥、水遣り・草とりと、丹精込め、あともう少しで、収穫というときに、何者かが根元から踏み倒しているような状況を見たとき、本人は声を失い、暫くして語気強く “ひでっ!あるもんでね!”と一気に吐き捨てる。その虚脱感は信頼した人との口論でやり場のなくなった焦燥感とも似通う。

サトウキビ

 昨年カラスの被害で全滅させられた「とうきび」。今年は対策に万全を尽くしていたつもりが右のような惨劇を繰り返してしまった。9本植えたので、2本ずつとして18本食べられると楽しみにしていた。同じ轍を踏まないように小屋風に柱を立て、天井も防鳥網で囲み、足りないところはテグスを張り巡らしていたのに、何故だ。家内の推測はこうだ。“防鳥網の下の部分を全部止めていなかったから、そこから侵入したのではないか”という。ということは、カラスは風が吹いてふわふわしたところを見つけ、片足で網をつまみ、頭から防鳥網をくぐり、“こんにちわ”と言って入ったということになる。はたしてそんな芸当がカラスにできるのだろうか。そして、出てくるときも“畑を荒らして、ごめんなさい。失礼します”と言って出てきたことになる。私は他に侵入した方法がないかと考えるのだが、推理小説大好き家内の言うことなので反論はかなり難しい。

 これもマイ畑の本当に“あるもんでね”話。ことしは畑仲間から枝豆の生育が良くないと話が出る。私のところもなかなか芽が出ず、不揃いでおかしいなと思っていた。特に黒豆は全く音沙汰無し。こんなことはかつてない。そんな中で、家内は一畝だけ、一袋6百円もする枝豆を植えていた。背丈は高くはならないものの、実をびっしりつけて豆も太ってきていた。これはなんとかなるかもしれないと楽しみにしていたところ、数本残して全部なぎ倒されてしまった。家内は“ひどい”と絶句してしまった。これ、本当にカラスの仕業だろうか。大きそうな殻を引っ張ったために根元から倒されたのだと思う。よく見ると豆の殻が数個散らばっており、実に器用だと思うが、3つ豆が入った殻を脚でおさえ、端の豆の試し食いをしているのだ。一株試してダメだったら何も他の株まで倒したり、引き抜くようなことはしなくてもいいのではないかと思うのだが、それこそカラスの勝手でしょうか。本当に“あるもんでね”。大慌てで、土盛りをしてぐるっとネットで囲み水をたっぷりかけたが果たしてどうだろう。「とうきび」の倒し方を見ていると枝豆倒しはより簡単だったろう。

切絵の青森ねぶた

 今年は、少雨のせいか鼠の被害も大きかった。カボチャは大半かじられ、慌てて収穫したがわかかった。もう少しだった。ジャガイモは掘り起こしていると、二十日鼠のような大きさの鼠が4匹も出てきた。足元を走ったので追いかけたがよたよた足で逃がしてしまった。結局のところかじられたのはレジ袋2枚分となった。“鼠、お前もか!あるもんでね” 今年は農家出身の父の13回忌。報告しておこう。

 しかし、“あるもんでね”は、それなりにこれからの対応もできるが、過去にこの海域に活動の歴史があるから「自国の領土だ」と宣言している某国がある。これは“あるもんでね”に問答無用の理不尽さと嫌悪感が伴う。先人は「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」といっているではないか。かの国も、自国ファーストという。あっちこっち突っついている。カラスに悪いではないか。更にかつて七つの海を制したポケットに手を突っ込んだ新手のカラスも出現した。これら新種のカラスは突然変異なのか遺伝子操作でできたのか、現代科学は解明できるだろうか。「今後の対応については予断をもって答えることは差し控えたい」と繰り返すカラスよ、周りは手強いぞ、頑張れ。

令和元年.8月

2019.07.01 | 社長だより

社長だより vol.55

【みょうが】

 暑くなると食べたくなるのがそうめん。そして薬味にかかせないのがみょうが。マイ畑の両端っこに少しだけ、早生と真夏過ぎに食べるものを2種類植えている。今頃になると店頭にも並び、うちも早く出てこないかと待ち遠しくなる。しかし、今年は例年にないほどの少雨。水っけを好むみょうが、きっとマイ畑は遅いだろう。
 4月末、草とりで、誤ってみょうがの芽を相当切ってしまった。あとで気づき、今年は食べられないかもしれないとがっかりしたが、その後、当たり前だが私の切ってしまったのは葉の部分とわかりほっとした。なにせ一昨年、とうもろこしの花の部分が実になるのだろうと思って本来実のなる脇芽を全部とってしまった私である。

高知県産 みょうが

 みょうがは芽を食べると知っているが、ほかの野菜の姿とは全く違う。葉物でもない、実がなるものでもない、ましてや根菜でもない。この赤紫の芽は何とも言えぬ独特な形だ。“みょうが風”という固有のカテゴリーになるのだろうか。地べたから我もわれもとあちこちから出てくるが、他の目を意識せず、地べたで孤高を誇っている感がある。タイミングを逃すと花が咲いてしまう。嗅ぐと気抜けがしてガサガサするので頃合いを見はからって花の咲かないうちに摘む。酢漬けとか味噌漬けも悪くはないが、手を掛けずさっとゆがいておひたしかきざんで香味を楽しむ薬味が好きだ。

 子供の頃、父にみょうがをあまり食べたら“バカ”になると教えられた。苦みとも言えない香味が子どもの脳に何か作用するのかと本当に思っていた時がある。また、ほかの野菜と比べたら屈託もなくただ出てきました的な姿が“バカ”にみえるせいなのか理由はわからないが父の言葉は今も心に残っている。
 この“バカ”について、たまたま読んだ「水上勉の土を喰う日々」(新潮文庫)の7月の項に載っていた。少し長いが引用する。『昔、釈尊の弟子に周梨槃特(しゅりはんどく)という聖者があって、生まれつき物覚えが悪く、しかも物忘れする癖があった。自分の名前すら忘れることがあるので、首から名札をかけていたそうである。悟りを開くまで人一倍の苦行を摘んで世を去ったが、この聖者の墓地に生えた植物がみょうがであった』という。父はこのことを知らなかったろうが、さしずめ、独特の香味で何となく物覚えの悪い私がこれ以上悪くならないようにと思っていたのかもしれない。しかし、世の中、天才はほんの一握り、大器晩成とか遅咲きなどという苦労人は多くおり、その人たちを“バカ”という人はどこにもいない。ましてや流れに身を任せる私はなおさらだ。みょうがは世の中を知っている唯一の野菜だ。

 今年は水掛が大変だったが、なす・きゅうり・かぶ・ほうれん草・きぬさやが一斉に食卓に並び始めた。特にかぶの千枚漬けや寒麹でつけたかぶときゅうりはほとんど私専用のようなもので小皿一杯ほとんど朝晩食べている。それにもまして食べたのが、白菜に千切りをした昆布とするめを入れ込みとろっとした漬物にはお世話になった。かぶは間もなく終わる。最後の白菜を収穫しよう。これでしばらく白菜の漬物にありつける。
 さあー、今度はみょうがの番だ。そうめんのたれは単純に昆布のみをベースに、干しシイタケの味が前にでているものに限る。箸も持った。食べる準備はじゅうぶんにできている。太ることには目をつむろう。

令和元年.7月

2019.06.03 | 社長だより

社長だより vol.54

【障子張り替え】

田んぼ

 田植えも終わったようだ。しかし、蛙の鳴き声がほとんど聞こえない。田圃はただ静かで、区画整理されて鈍く光るだけの風景になってしまった。定番の彼らの鳴き声は欠かせない。どうして彼らは数を減らしたのだろう。あれほどいたのに。田おこしを見ていると確かにトラクターの後をアオサギやらゴイサギが追いかける。カラスもいっきになって何かをついばんでいる。私が管理機で畑をおこす時も途端にカラスがついてくる。この時、蛙はまだ冬眠中、無理やりおこされるので、カラスにつかまらないよう土に埋めてやる。ほんの数年前まで代かきともなればゆりかもめみたいのが大挙して押し寄せていたが、この頃はほとんど見ることがない。

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 小学校5年の旅行は奥の細道で有名な象潟の蚶満寺であった。どこかの高い部屋から障子を開いて田植え後の九十九島を見たかすかな記憶があるが、ただの思いかもしれない。今も通り掛け、立ち寄るのだがあの部屋に上がって部屋からその風景を確かめたことはない。よく、雑誌の写真で、左右両側が真っ黒で半開きをした障子や襖に挟まれたのが庭という、あのお馴染みの風景よりはもっと開放感のある風景だったと思う。子供ながらここが入江の側にあった説明を受け信じられなかったことだろう。
 これもはっきりした記憶でないが、修学旅行で桂離宮を見学したとき、どこかの書院の2階部分が障子でなかったかと思う。重厚さをいとも簡単に紙で軽快に見せる日本人の感覚のすばらしさ。そして明り取りや外気の遮断もできる優れものであり、直接風雨にもあたる和紙に我慢強い日本人を感じてしまう。

ベンガラ縦繁障子

 時代劇を見ていると畳もそうだが、障子や襖・欄間・書院が気になる。殺陣のシーンでは荒組障子だとしっくりくるが、殿様の書院での切り合いは外でやってほしい。また、100年200年の旧家の放送があると、もっと気になる。ただ間仕切りだけの障子でなく、贅を尽くした組子障子や縦繁障子・腰付障子が出てくるとそれこそ目が点になる。当時の家人がどんな暮らしでどんな作法で出入りしているのか想像するだけでもワクワクしてくる。

 我が家は築40年だが、五城目の大工さんから建ててもらった。自分の間取りで何のとりえもないが、天井が一尺高いことと結構障子が多いことが特徴と言えるかもしれない。しかし、このことが仇となり、障子張り替えは後へ後へと先送り。今回は妻からとうとうダメ出しが出て職人に張替を依頼することとなった。それもそのはず、居間の障子はもう3年、冬のまきストーブのいぶりで煤けて明り取りどころではなかったのだ。

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 障子張りはどうゆうわけか私の仕事であった。小学校低学年から自然と私が張替をしていた。最初は弟とげんこつで思いっきり穴をあけたり、指を突っ込んだりしていたが、これは後で紙をはがす時きれいにはがせないことを知ってやめた。しかし、今、たまには指を突っ込んで昔を思い出している。
 障子張りで難しいことは、古い紙をきれいにはがすことでもなく、糊の調合でもない。紙の幅をきちんとそろえて切ることにある。私は一枚ごとの裁断が面倒なのでつい10枚とかまとめて折ってカッターなどで切る。わかっているのだが長いのと短いのが出てきて紙を張った後の見栄えが悪くなる。カッターで揃えようとするがこれまた面倒で結局そのままになる。ともあれ、張替の後、霧吹きをかけて翌日、皴がなく、紙を指ではじいて、“ビーン”となれば少々のことは目をつむることにしている。しかし、折角の猫間障子は本来外の景色をみるためにあるのだが、廊下に物が散乱しているので4枚共開けたためしがない。

令和元年.6月

2019.04.26 | 社長だより

社長だより vol.53

【うれしいいただきもの】

 3月初めに鶯の初鳴きを聞いた。立派な「ホー、ホケキョ」であった。そして4月7日につばめを見た。いつもだと田植えの時と思うが、今年は何かいいことがあるのかもしれない。つがいがよくぶつからいものだと思うほど急旋回急上昇を繰り返している。時折視界から消えるがきっと巣の点検でもしているのだろう。
巣というと、しばらくぶりでマイ畑に出掛けたら、カラスが去年と同じ場所に大きな巣を作っているではないか。ほぼ完成している。あわてて壊したのだが、1週間後また作り始めている。諦めさせるために近くの巣作り材料を集めて焼いた。というのも、昨年は相当に被害を被ったので今年こそはの思いをカラスに伝えたかったのだが彼らは分かっただろうか。それとも毎日見回りするわけでもないので今年も返り討ちか。

木村屋のあんパン

 嬉しいことや悪いことはよく重なると言われるが、先日1日のうちでこんな嬉しいことが続いた。
 その1
 午後、プラントメーカーさんが来社されたのだが、この方はいつも東京の木村屋のあんパンをお土産に持参される。小ぶりだが酒種生地、しっとりやさしい味だ。今はやりのバターで胸焼けするだけのパンとは違う。今年150周年だそうだ。この歴史が味といってもいい。安達巌*が「餡餅の皮をパン生地に変え、これに小豆餡を包んで焼いたもの・・日本酒のもとを発酵源としているので日本酒の香りがありこれなら日本人社会に抵抗なく受け入れられること間違いなし」と書いている。また、来社される方のメール文章は和む言葉遣いをされる。私には一生かかっても真似できない。この方、まだ40歳そこそこ。どこでそのような心を身につけられたのだろうか。こうゆう方に社長になっていただきたいものだ。

しいたけ

 その2
 夕方早めに帰宅したら、家内が、向かいの奥さんが、“シイタケがとれた”と言って両手に余るほど持ってきてくれたと言う。当然、夕食にホイル焼きのシイタケが並んだ。私も昨年秋にほだぎを13本買って駒を打った。3本はなめこだ。今春はなると思って期待していたのだが、今のところその気配がない。暗いところにただおけばいい、なんてよこしまなところにはきっと出てこないのだろう。家内に“もっと榾木を買う”と言ったら、一蹴されてしまった。やはり向かいのご主人のような手入れができなければ了解は得られない。

筍

その3
 夕方、湯河原から冷蔵宅急便で筍が着いた。私の駄文にいつもさりげなくご批評をいただく方だ。ヒヤッとしている。大きいほうを縦に割り従姉へ、小さいほうは義兄に即配達することにした。家内は折角新鮮なのだから直ぐに煮るという。私はてっきりコメのとぎ汁かと思っていたら、以前から米ぬかを使っているとのこと。煮立っている匂いを嗅いでみたらあっさり作った豆乳とかホワイトソースのようだ。竹串が通れば後は一晩水にさらせばいいとのこと。翌日の味噌汁に早速出てきた。本当にサクサク感がある。家内が好きなのもわかる。

仙臺駄菓子

 その4
 筍と一緒に母がたの従姉から仙台の笹かまぼこと仙臺駄菓子も届いた。駄菓子も私の好物の一つ。同じような袋菓子もあるがありがたみが違う。機械でつくれば形も味も一緒。金太郎飴だ。しかし、手作り駄菓子には歴史や職人の息遣いを感じ、思わず見とれてしまう。駄菓子と言えばなんかレトロのイメージもあるが、いただくと懐かしさで美味しさがこってり倍増する。私は特に『ねじり』が好きだが、これは家内と意見が一致する。

*文芸春秋編 巻頭随筆 『明治天皇とあんパン』

令和元年.5月

2019.04.01 | 社長だより

社長だより vol.52

【待ち遠しい】

“はだれの雪”

 起きたら「はだれの雪」だった。“雪だよ”、“まだ降るんだね”と、短い会話。いつも通り新聞を読みながら二人の朝食。“4月の食べ物ってなんだっけ?”と聞いたら、 “筍”という。“まだ先でない?”と言ったら“もうすぐ店頭に並ぶよ”と明るい声。筍は確かに季節物だ。それも旬がかなり限られている。いくら今年は季節が早いと言っても早過ぎるのではないか、と思ったが、黙っていた。もし今店頭に出るとしたら、伊豆あたりの南向きの斜面にある孟宗竹だろう。家内は筍が大好きだ。米のとぎ汁でごぼごぼゆでているあの“ぷーん” という匂いが待ち遠しいようだ。
 私はたいして筍が好きというほどでもないが筍料理は色々食べさせてもらっている。中でも短冊切りの筍と豆腐を3センチ角・厚さが1センチぐらいのものを油で揚げ、豚肉を入れて味噌あえしたものは大好きだ。子供たちもその味を記憶しているらしく、時期になれば送っているようだ。筍はしなっとしているがカリッとする歯触りを感ずるから妙だ。

 子供のころ親に連れられ、汽車で東北線を上ると車窓によく竹林が見えた。秋田ではなかなか竹林というものを見ることがないのでその地域性というものをずっと感じていた。特に孟宗竹林はなかなか見当たらない。2か月に1~2回、二人で由利本荘市にある塩化物強温泉に浸かりに行く。その浴場は南向きだが、孟宗竹林の小山の斜面が間近かに迫っている。たまに差し込む光が竹林の揺れで湯船にキラキラ影を作っている。 湯船を独り占めにした時は日本画家になったり、時代劇の主役になったりゆっくり想いにひたっている。

 入社して2~3年頃だったと思う。勤務後の楽しみ、二組で麻雀をしていた時、誰かが“明日筍狩りに行こう”と言った。回りも“行こう・行こう”となった。親戚に営林署の人がいたことを思い出し、電話をすると“案内するよ”と快諾。翌土曜日、3台の車に分乗し旧比内町にあった分署に向かった。全員にヘルメットを渡してくれ、いざ十和田のネマガリダケがり。専門家?の後ろをついて行くだけでいくらでも採れた。一応クマよけで鈴を渡されたが、昨今のようなクマ被害の心配もなかった。昼食でそのネマガリダケでの味噌汁。出汁も出て四十年たった今もこの舌にその旨さがしっかりと記憶されている。袋一杯の収穫で意気揚々全員帰途に就いた。
 

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ところが、社長から大目玉を受けることとなった。前日の金曜日に鹿角から合流したS君が比内の直線道路でスピード違反の取締りにひかかってしまったのだ。出発時、大館に全員が集まることにしていた。しかし最後のS君が来ない、来ない。誰か迎えに行くか、そんな話をしているところにやっと来た。S君から説明を受けて、みんな“馬鹿だなー”と笑ったのだが、社長から“なぜ違反をするような運転をするのだ”と、全員が懇々と諭されたのだ。今でも筍というとこの一連の出来事が思い出される。S君は元気だろうか。

 我家は、今白梅が満開。山菜にはまだ早いがゼンマイ・こごみ・たらの芽・わらび・山うど・あざみ等、土の声の合唱が聞こえてくる。今ではわらびを採るくらいしかできないが、深い雪の後出てくるのでいじらしい気持ちになる。家内はたらの芽を食べたいという。私は“ふーん”と相槌を打つが今ではなかなか手に入らない。たいしてうまいとは思わないが、秋に業者が枝を切り取り、促成栽培をしたものを買うことになる。なんかばからしくなる。私は“あざみ”の味噌汁が好きだ。待ち遠しい。

平成31.4月

2019.03.01 | 社長だより

社長だより vol.51

【芸術家と職人】

 もうすぐ三月というのにまだ底冷えが残る昼前に、秋田県文化功労者、故平野庫太郎さんの回顧展にむかった。きっと2階ロビーの中央に展示されているのだろう。しばらくぶりの再会に心ときめかせて階段を上がった。しかし、どこにも回顧展の雰囲気もなく“開催日を間違えたか”と不安になりながらも進んでゆくと、その“回顧展があった“。まるで人目を避けるように、目立たないようひっそりと“展示”をしていた。派手なことを嫌う平野さんらしさともいえるが、友人と指導を受けた二人から「展示の配慮へ残念がる」意見があった。

油滴天目釉盃

 展示品の中に、個人所蔵品として「油滴天目釉盃」があった。同種の杯は私の手元にもある。偶然の妙なのかわからないが、今まで見たこともないことのほか上品な“模様”なのでいつも小さな茶箪笥の中に見えるように置いてある。
 案内パネルに解説があった。『鉄を多く含んだ黒色の釉薬を天目釉と言います。その中で表面の丸い形がまるで水に浮く油のように見えるものを油滴天目釉と言います。酸化焼成すると銀色になります。丸い斑点が出るようにするためには焼成温度が大事です。平野はこの油滴天目釉のことを『光の当たり具合で多彩な表情を見せてくれる』と話していました』とある。(パネル原文の通り)今改めて杯を手に取ると、作務衣で釉薬をかけたり窯を見ながら “どんな表情で出てくるかの一瞬が面白いんだよ”と彼一流のおしゃれさが呼び掛けてくるようだ。

 作陶を依頼していた小ぶりの天目茶碗の約束はかなわなかったが、一度彼に聞いてみたかったことがあった。以前から“芸術家と職人の違いはどこにあるのか”というものであった。今となれば聞く由もないが、きっと“それを俺に聞くのか”と、いぶかしく思ったろう。私はその違いをずっと「鍛冶・大工など日常生活に密着したものを作るのが職人」ぐらいにしか感じていなかった。しかし、同じ職人でも秋田特産の銀線細工・川連漆器・組子細工などの一流品は繊細で心和ませる美術品だと思う。一方、音楽・絵画・陶芸などは芸術と言われる。生活のための仕事としてできればいいが、本来は自分自身のために何かをしなければ生きていられないという原点があると思う。“平野さん、芸術家は創造性・独創性で思いを巡らせる何かを表現することを目指し、職人は習熟された技術で最高の調度品を作る。その評価が美術品にもなりうると思いますが、どうでしょうか。ただ、創造性や独創性の評価基準は人により相当な差もあるでしょう。芸術家は生活ができればいいのですが、頼りはその人の信念というところでしょうか”。私は精々美術館巡りをし、彼らの思いや技を楽しむことにしよう。

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  秋田市の北に隣接する南秋田郡に五城目町がある。この町は古くから職人の町として知られている。建具とか鍛冶で有名だった。特に組子細工の衝立て・欄間、そして箪笥など指物に目を見張るものがある。一度五城目町役場で心惹かれる衝立に出会ったことがある。組子細工をよく見ると切子と切子の組み合わせ部分が斜めであっても寸分の違いもない。現代の名工、秋田県文化功労者 故小高重光(こたかしげのぶ)の『木を織る』という冊子に、 『光を通してみる組子細工の模様は見る角度によってさまざまに表情が変わる』とあった。
(写真は小高の組子4枚引き戸の一部、ニューヨークの展覧会に出品された花模様創作建具、昭和58年)

平成31.3月

2019.02.01 | 社長だより

社長だより vol.50

【Aさん】

 先日、長野県のあるメーカーさんから、『「スノーモンキー」目当てでオーストラリアからバスツアーが来ています』とお話があった。バスを降り、わざわざ雪道を数キロも歩いての見学だそうだ。テレビでよく見るが雪がはらはらと降りしきる中、行儀よくみんな前を向き気持ちよさそうにじっと温泉につかっている。金時芋のような顔を一層赤くし、目をつむりうっとりしている姿に思わず顔もほころぶ。彼らは何分ぐらい入っているのだろう。出るときは毛が“ペタッ”としている。湯冷めをしないのだろうか。

切絵 元絵 カレンダー

 私も結構温泉に行く。といっても数か所の町中スーパー銭湯の回数券を買っての入浴がほとんどだ。その中の一つを軸に土日・祭日を利用して畑仕事がなければ家内との気楽な温泉巡りをしている。ねらい目の温泉は、自動車道を利用してほぼ1時間圏内の「混まない」温泉だ。目下三か所ある。北に向かって概ね50分。かつて秋田の奥座敷と言われたところで、大きな湯船は湯量豊富かけ流し、肌つるつる強塩泉の湯。二か所目は日本海を右に見ながら南下して、小一時間。建て替えをした料金高めの温泉旅館。塩化物強温泉で切り傷に良いそうだ。露天風呂もきれいでほとんどいつも独り占めだ。三か所目は秋田から東へ1時間ちょっとの無色透明な湯を持つ小さな温泉宿。一昨年大水害に見舞われ、廃業かと思われたが、ボランティアの支えで立ち直った。無色透明な優しい温泉もいいのだが、特に玄関の戸棚に展示してある古い楢岡焼や佐竹さんからくだされた調度品が目を癒す。内蔵(うちぐら)には見逃せない陶器など多数あるようだ。何とか見せていただきたいものだ。

 ところで、私が一番多く利用している町中温泉にかなり変わった人がいる。Aさん、としよう。歳は68・9ぐらいだろうか。五分刈りで色黒、中肉中背で切れ長の目。この浴場でのマナー指導係を自任しているようで、“使用した腰掛や桶を片づけ、足元の汚れをながすように周辺の人に熱心にご指導”をされている。
 このAさん、風呂から上がって脱衣場に上がる足ふきマットのはじっこに、『3点セット』を必ず置く。最初に置くのがシェービングクリーム、次に頭マッサージイボイボ、最後がカミソリ。しかもマッサージイボイボ、剃刀の刃、どれもマットに直接触れるように置く。最初に見たときは“えっ”となったが、最近はこのルーチンにも慣れてしまった。しかし、先日初めて脱衣場での一部始終を見て“新たな発見”をした。湯上り時と同じあの足ふきマットに『3点セット』を並べ、さらにタオルも置いてから服を脱ぐのだ。さしもの私も驚いた。というのも、このAさん、洗い場に入ると腰掛と桶の表裏を徹底的に磨き上げてから使う人なのでなおさらだ。

 しかし、ここまでは“変わった人だ”、で済むのだがムッとするルーチンもある。このAさん、湯船に入る時、湯口に真っすぐ向かい、混んでいようといまいと流れ出る湯で足腰・腕を入念にマッサージ、そのあと湯船を3往復するのだ。 「スノーモンキー」は静かに入っているのに、だいたい丸見えではないか。
という、私は“あの足の悪い白髪(しらが)男”、「もう少し丁寧に体を洗えないのだろうかとか、入ればすぐ上がる鳥こ(とりこ)男、前頭級出腹男」などと言われているだろうな~。お~、くわばらくわばら。

平野庫太郎さんの回顧展

 こんな話の後、なんですが、2月13日~3月31日、平成9年度秋田県芸術祭選奨を受賞した、故平野庫太郎さんの回顧展があります。場所は金足の秋田県立博物館です。お近くによられたらどうぞご覧ください。彼の深いしっとりした色調に心が遊びます。平成30年8月、その人柄を惜しまれながらまだまだ早い鬼籍入りでした。

*受賞作品解説より: 釣窯釉面取壷(きんようゆめんとりつぼ)
高度な芸術的表現を可能にした陶芸技術が繊細な優美で品格の高い世界を創出した。独特な釉調を端正な形に定着させるとともに、釉の効果を十分に発揮させた作品として高く評価された。

平成31.2月

2019.01.07 | 社長だより

社長だより vol.49

【守れない一年の計】

 以前、友人から何かのはずみで、“お正月の色は?”と聞かれたことがあり、「真っ白な湯気の色」と言ったことがある。物心がついた時(昭和25年頃)、生家は土間で餅つきをしていた。当時、まだかまどがあり、年末はせいろで米を蒸かし、母親や叔母が、時折つまんでは、“まだだ!”とか、“もう、えべ!”などと忙しく立ち回っていた。せいろはよくテレビなどでみる丸型ではなく、がっしりした四角の木枠でできたもち米専用のせいろだった。石臼に目の粗い丈夫な蒸かし布ごと“どん”と入れると、もうもうとした湯気で土間が真っ白になる。父親が半殺しまで、“ふうふう”とこねる。子供ながら蒸かしたての米の匂いを思いっきり吸い込み幸せを感じていた。その頃から、湯気の色がお正月の色、というよりも、新年を迎える色になった。いつか、餅つきを再開したいと感傷に浸ってきたが、もう到底できる歳でもなくなった。我が家の餅つき行事は昭和38年ごろに途絶えた。

あけぼの(ブルートレイン)

 もう一つ忘れられない色に、『東雲色(しののめいろ)』がある。私にとって上京は“あけぼの”(ブルートレイン)が当たり前。大宮を通過する頃、東の空がしらばみ、やがて東雲色がどんどん濃くなる。この色も忘れられない。今、秋田港にブルートレインたちが集結している。皆でどこに向かおうとしているのだろう。

 ところで、お正月、と聞けば「初日の出・年始・初詣・おとそ・おせち料理・書き初め・初夢」などいろんなしきたりみたいなものが格別な意味を持ったような面持ちになる。特段に変わる道理もないが、季節の移り変わりを大事にした祖先が節目節目に自然へ感謝してきたものが我々の生活に息づいてきたのであろう。その変わり種に「一年の計は元旦にあり」と言われるものがある。
 昨年は『海坂藩の地図を作る』というものであったが、いつものことながら全然できなかった。まだ、時間もあると構えたが、この歳になれば時間も異様に速く進み、「2月頃に、『立花登 青春手控え』にはまったせいがあるかもしれない」などと、できない理由も食えなくなる。何せ布団での勉強。15分と持たず、頭では、“あの辻を曲がれば旅籠、番屋はあそこで、太物屋はここ”などと毎晩同じように下書きをしていた。NHK放映(12月21日)の「立花登 青春手控え」最終回、登とちえは言葉でない約束をした・・・。

 今年は長年の夢、認知症予防を兼ねて、ピアノを習おうと秘かに思っている。子供が習っているのを聴いて、自分もやりたかったことを思い出す。しかし、節くれだった指をじっと見つめ、左右の指を一本おきに交互に動かしてみるがなんともぎこちない。鍵盤に指の番号を書いてもどうにもならないだろう。絡まるのも容易に想像がつき、数日後の挫折がみえる。トルコ行進曲?馬鹿なことを言うな!

 これまで、運よく家内ともども若年性アルツハイマーにはならなかったようだ。できるならぽっくりと逝くまで認知症にならないのが目下の願い、そして私が先に待っている、これが理想だ。
長い間、主のいないピアノに向かう準備、調律はいいのか、などと心配をせず、いつもの通り緩やかに心構えを問い、先ずやってみるか!
“そうだ、ピアノにお供えをしていなかった・・・”

平成31.1月

2018.12.03 | 社長だより

社長だより vol.48

【確率】

 “えっ、当たってる?まさか?”。早鐘のように心臓がドキドキする。“本当?”、息を詰めて『1等宝くじの番号』に紙を当て、新聞に照らし合わせ、左から一つづつずらして数字を確認してゆく。思わず“わー”と叫び、めまいがし、卒倒しそうになる。数日後、気持ちを落ち着かせ、もう一度確認して銀行へ乗り込む・・・

 大暮(おおぐれ)は何かと気忙しいが、お正月をひかえ、何となくウキウキもする。その高揚させる一つに宝くじがある。雑踏の中で宝くじ売り場に出会うと、“これは神様の引きあわせだ。当たるかもしれない”と、かすかな幸運へ心が躍り、家内から白い目で見られながらもついつい連番20枚、バラ10枚などと買ってしまう。典型的な衝動買いだ。もちろん今まで300円以上のくじに当たったことはない。しかし、買ったその夜だけは、もし当たったら、『純数寄屋で建て直すか、しかし、この歳だ。好きな温泉場に引っ越ししようか』などと一瞬膨らんだ夢を見る。しかし直ぐに、『いやいや、まずは自宅で終末を迎えるために、訪問医師・看護師・介護士と相談しよう』などと、一気に現実に押し戻され、夢見ることさえ虚しくさせられる。

宝くじ売り場

 よく、高額当選くじが出ると噂がある売り場は、購買者が引きも切らない。果たして高額当選が多く出る売り場があるのだろうか。あるとすれば勿論その売り場に並ぶ。しかし、常識的に考えても1ユニット1000万枚に1等が1本、2等が5本とか言われているようだが、 特定の売り場に当たりくじが出るということはないはず。ただ、発売枚数が多い売り場であれば当選の確立が高くなるのは当然だろう。
 滅多にテレビで抽選会をみることもないが、0から9までの数字が等間隔で割り付けられている円盤風車に音楽が終わると同時に“ビシッ・ビシッ“と矢が放たれ、“組番号、100の位、10の位、1の位、・・・”と左から順に発表されてゆく。かすったためしもない。冷静に考えると、当たる確率は一桁ごとに10分の1の確率であり、組番号も入れると9倍となる。1等1本だけでみれば実に1億分の1の確率?本当かな?車の登録ナンバーは自分で選べるが、宝くじのあたりは全くの人任せ。一喜一憂することもないほどの冷酷な確率であり、結果、否応なく「当りと外れ」しかないことに気づかされる。

09_60②

 帰宅した私に、家内が“テレビで聞いた”と明るい響き。“過去高額当選者の星座は、ふたご座、さそり座、みずがめ座、おとめ座だそうよ”、と。なんと、我が家の長男・長女・妻・私でどんぴしゃりだ!こんな偶然があったのだ。1等当選確率は複雑な確率計算になるが、なんだか高確率にみえてきた。しかし、冷や水も待っていた。“当選者の年代は60台、50代、そして40代の順”とのこと。「富久(とみきゅう)」や「芝浜」のようにうまくゆくはずもない。“いや、この際膨らんだ確率だ。信じてあの噂の売り場へ、大安の日を忘れずに買いに行こう!

平成30.12月